水曜日, 6月 15, 2011

それが普通か!?

えーー、最初に。
このネタは完全な下ネタです。エロに関する、性に関する話です。
描写を記すかも知れません。あしからず。


今日、むっちゃスケベな夢をみて朝勃ちと共に目覚める。
夢の中でセックスはしていないが、なんや気持ちのエエ変な目覚めだった。
でも、勃ったままである。
射精をすれば、自然と萎えるのだが朝から一発かます気は”今日は”なかった。

逝ってないこの状況をなんや客観的に見て思った。
もしセックスしてて女の子が逝くことなく男子が逝ってしまって終わったら、こんな状況なのか?と。
アダルトビデオの大半は男子の射精シーンで終わる。
もちろんプロの男優の仕事なので、終わりまでに女性を逝かせることあるのだが、それが日常の素人のセックスでどこまで行なわれているのだろうか?

女性が逝かないセックス。女性は楽しいのか?
もちろん、逝くいうプロセスを知らなければそれまでだが。
だいたい、なんで男が逝くことが前提になっているのだろう。
そう、エロビデオが男性をターゲットにしているからそこが終着点。
容易にビデオや動画にアクセスできる現状では、成長過程でそれが当たり前になっている可能性はかなり高いのではないか。

子供を設けるという行為におけるセックスなら男性が射精で終わることに意味がある。
その行為に幸か不幸か快楽が伴っているのが事実。

女性にとって子供を設けるセックスではそれを受け止める立場。受身である。
快楽はあるかもしれない、しかし男性の逝くという最終形をかならず享受できるとは限らない。

フェミニスト的な意見で言うのではないが、男子が持っているセックスに対する行動は「自己本位欲」の塊に思えた。

つゆだく」という漫画がある。
たまたまネットで見つけたんやけど、これが僕にはとても面白かった。
この漫画の主人公は芸能人などと仕事でセックスするのだが、一つのルールがある。

「女性を逝かせるのが仕事で、自分は決して逝ってはならない。」

今朝の訳の分からない朝勃ちから、ふと考えた思考実験。
この「つゆだく」のコンセプトはあながち間違っていないのでは!?
いや、そもそのなぜ男子が逝くことが前提にセックスを考えている自分が居るのか分からなくなった。

セックスとは何なのか?
女性を好きになると、女性とセックスしたいの境界。
人を好きになるということがよく分からなかった自分(好きだからしたのか、したい結果で好きなのか)。
今日そもそもセックスってなんやねん…って思った。

逝かせる自分と逝く自分。
逝かせたい自分と逝けない自分。

なんとでも言えそうな言葉遊びやけど、性行為というものなんか真剣に考えた記録を記しました。


てか、思いのほか書けたなぁ。書いてて今も表現が不十分な気がするし。
さらに真面目なこと考えてるけど、そのときあそこはカチカチやったわけで。
性欲。三大欲の一つ。
意味も無く納得。

よかったね!と言ってる腹の底

仕事や運動や色んな場面で
「この人には負けたくない」
いや、腹の底
「こいつには負けたくない」
と言う人はいませんか?
僕には居ます。

その人をそういう対象に見据えた理由は「人」(ここでは対象の人)によって違っていて、仲良かったりしてもなんか悔しかったりします。
でも友達だったり、関係が良好だったり、尊敬してたり色んな理由で「おめでとう!よかったね!」と思う側面もある。

今日、まさにそれ。

状況を知ってたから最初知った時「おーー、よかったなぁー」と思った瞬間。
「くそー、なんか負けた気がする」と思う。
むしろ、アカンかったらよかったのにとか思うちっちゃい自分が居たりする。

人との比較、人間関係、それも自意識の中で定義(生きている)んだなと改めて感じ、最高に
悔しい!!!!!!

今も書いていて「くっそーーーーーーーーーーーーー」って思っている自分。

でも、時期的にこの悔しさはええタイミングかも!?
まぁーーーーーー、見てなはれ!!


って、向こうは僕のことアウト・オブ・眼中やろな苦笑

木曜日, 6月 09, 2011

日常と非日常

先週の土曜日から今週の火曜日まで旅に出た。

ニューメキシコ州のサンタフェ。宮沢りえの写真集のサンタフェ。
正直、驚愕。こんなにも景観を保てているのはスゴイ。
そこで思い浮かんだ所は「沖縄」。石の塀でシーサーが飾ってあるような短絡的なイメージしでしか表せないけど。
実際に行くとそのような家々が町並みとして存在する。
なんか、その感覚と同じような気がした。

京都駅のリニューアルの際、景観問題が話題になった気がする。
あそこで調和と言って新旧を混ぜたことを改めてよかったのかなと思ったりする。

サンタフェで見た新しい建物、有名なスーパー、有名なホテル。
全てがサンタフェ調になっている。
色々と考えた旅でした。


旅行中多くの出会いがありました。
ホステルに泊まってあんなに知らない人と「地球温暖化」「海外に出る」「宗教」「生きる」とかを話したのは初めて。そして、必死にしゃべっていた自分。
飛行機で隣に座ったおばさん。環境マニアとでもいうのか。放射能についてとてもよく知っている。
そこで交わした議論。一応研究者・科学者としてのコメントと一人の人間としておばちゃんに共感できるる部分。
なんか、英語力が上がった気がした。


これらの非日常から昨日戻った日常。
日常から外れたから得たられた楽しさ。その反面、日常をこなせなっかたから生じる溜まったルーティーン。
その間でなんともいえない板ばさみの疲労感を感じる今日。


平衡のを保っているのかな。じゃー、何が平衡なのか??
一度わっと外れることで見えるこの揺れ戻しを楽しもう。だから今日は徹夜するのだ。だから、今家で飲んでいるのだ。
今の生活を送らしてもらっている現状に乾杯!