日曜日, 2月 19, 2017

2017年7冊目(267)

清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実 (Sports Graphic Number Books) 単行本
鈴木 忠平 (著)
文藝春秋 (2016/12/15)

人間性ってなんなのだろうか?
どんなに善意を振りまいても偽善と揶揄される。
どんなに悪態をついても愛嬌と解される。

全盛期の鶴瓶上岡パペポテレビの中のネタのように。

清原選手。僕にとって身近になったのはオリックスに関西に戻ってきた、イチロー選手と対談する、第二回WBCの予選ラウンドにてグランドに居られた、その大会の決勝で解説していた最近の清原さんです。

とはいえ、西武時代や巨人時代。番長と言われた空気は知っています。

身近さ。でもこの本を読んで感じたこと。身近であることは恐怖との裏返しでもある。
甲子園でこの本の中の生き証人が語るそれはまず「恐怖」だったとおもう。
それは拳や罵声でないルールに乗った勝負の中で発生したモノ。
それはいったい何なのか。

それと同時に、甲子園と言うとてつもない舞台に立つために必要なこと。
それはプロてある事。いやプロを意識すること。プロであるべきこと。そんな舞台に立つには。という話もパラレルに感じます。

KKコンビ。桑田選手と清原選手。
この本の裏主人公は確実に桑田選手です。
清原選手も桑田選手も全く間違っていないんです(清原選手が法を犯したことを否定するのではなく)。
きっとなるべくしてなったんです。清原選手の良い面と悪い面の化学反応結果傾いた天秤のせいで。

この感想は、この本を読んで生まれました。読んだからケツをもって書きたい。
人間万事塞翁が馬
そうあってほしい。滲み出る人間性と勝負して魅了された歴史上のドットから線になることを受け止めた当事者たちに。
引退試合で打ったタイムリー。一塁に留まってもだれも文句言わない中で痛い膝と共に向かったセカンドベース。動画ですが泣きました。

偉そうに書きました。自己責任を乗り越えて笑い話に変えてください。そしていつかサンディエゴでみたように「うわぁー、清原や!!!」て興奮させてください(よかったら焼肉でも。。。はい、これはワル乗りです。。。)。滲み出すぎた人間性のカサブタをはがしたあとに。。。

かっ飛ばせー!掛布!。。。おい!!

2017年6冊目(266)

すべての疲労は脳が原因 (集英社新書 829I) 新書
梶本 修身  (著)
集英社 (2016/4/15)

週刊誌の中刷り広告ではないですがタイトルを見て「はーーー!なるほど!」と思ってしまったんです。科学(サイエンス)に一応ながら足を突っ込んでるからぐっときたんだと思います。

読み進めるうちに意外なほどに腑に落ちた部分が多すぎて驚愕しましたわ。
(疲労と分散:イチローさんの動画より/感動と記憶:紳竜の研究、などなど。。。)
色んな点が線になって僕の脳みそがわーわーーー!って。疲れました!笑
経験則にサイエンスが当てはまると面白いだろうなって。集中と集中力の違い。
過去片手で数えるほどですがゾーンに入ったとき、確実に普通じゃ見えない表情とか音とか細かいところを意識出来てしかもそれに自分の感情が乗っかる一分が60秒以上の空間。あと、一点集中はやっぱりよくないんだなって。

疲れるとか疲れないとか。集中できるできないとか。
アスリートがコンディションに気を配るように、漫才師が客席の空気を気にするように。
一つ一つに気を配って考える。一つでなく一つ一つ。そこにサイエンスのエッジを取り込めたなら。生きる・疲労・休息って区分けがあるのかななんて思いました。

働き方改革が謳われますが、その改革にサイエンスが導入されたらどうなるのかな。
管理って次元だけど人間は3次元。寛容は次元を上げるのか落すのか。

もっともっと記したいけど集中力切れました。。。オチがなんて簡単な。。。Oops!!

金曜日, 2月 17, 2017

2017年5冊目(265)

勇者たちへの伝言 いつの日か来た道 (ハルキ文庫) 文庫
増山実 (著)
角川春樹事務所 (2015/11/14)

僕にとってのプロ野球の思い出。その始まりは確か小学校低学年の子供の日(5/5)だと思います。デーゲーム。子供(たぶん小学生までとか)は無料で、母方の祖母の家の近くの球場に行こうと。徒歩圏内の阪神甲子園球場に。入った外野席。あまりの人の多さに「ここいやや!」って行ったような記憶が。甲子園球場はよく高校野球でも行っていたのですがなんか肌に合わなかったんかなー。で、阪急ブレーブスの本拠地西宮球場へ。そこで観た景色。「ここがいい!」と言った僕。記憶が間違ってなければ「ホンマに!?」っておかんが言った気がします。その年を最後に阪急ブレーブスは無くなってしまうのですが、この球場に魅せられた僕は翌年にオリックスのファンクラブに入り、何度か西宮球場に行きファン感謝デーにも参加したのです。
そんな思い出と伏線によって手にしたこの本。出てくる阪急ブレーブスは僕が観たのより1世代前の阪急。でもなんとなく脳裏に浮かぶ風景によってニヤニヤしながらストーリーに飲み込まれて行きました。

見方は幾通りもあると思います。でも今ヨーロッパやアメリカで議論に上がる移民。日本もいずれ向き合うことになると思うけど喫緊では外国人労働者問題になるかな。

中国や韓国に祖国に持つ人たちの胸の内。よくネットなどで目にする在なんちゃらという言葉は使いたくないです。なぜなら時代という背景があるから。大東亜戦争という出来事があったあとだから。そらそのような背景の人が近くに居た事実は事実なのだから。それはそれで受け止め理解して今との違いを考える。それは小説という世界が与えてくれる空間なのだと。ドカベンもみんなが就職する中で家庭の苦労もある中高校に進む所から始まる。それは今では考えられない。でも当時のリアル。そういう意味の時代の空気を知ることの話として読めます。そして今の現状で想像力を働かせるための最良の本かもって。

それとは別に。この本の肝となる「おかしな体験」。
小さい時のあれなんやったんやろ。といった出来事ってないですか?僕は何度かあるんです。何かようわからんけど良く乗り切ったとかスローモーション的なとか記憶が鮮明とか神がかり的な行動とか。でもふと「あれってホンマにあったんかな?」「夢とごっちゃになってるんちゃう?」って。これを肯定的に捉えれる人はおそらくもう一つの視点で読めます。これがようわからない人はこれを読んで「そんなあほな!」と思わないでくださいと。

最初に書いた西宮球場の記憶。確認したくておかんにskypeしたんですけど。。。おとんに聞いたら外出中とのこと。。。これもまたタイミング。機会があれば確認します。酔ってない時!?に。。。

日曜日, 2月 12, 2017

2017年4冊目(264)

救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人 単行本
猪瀬 直樹  (著)
河出書房新社 (2015/1/26)

正直どこから何を言えばいいのか。それぐらい想いを持って手にしてその想い以上に”重い”を受け取りました。

2011年3月11日。僕は現在住んでいるアメリカにいました。それから日本の土地を踏んだのは去年2016年の春になります。
むさぼるようにネットを見ながらえらいことになったと思った日本時間の11日。第一報は当時同僚だった大学院生が「Yoshi、日本でむっちゃ大きな地震があってんけど知ってる!?」と。僕は「日本は地震多いから、大きいってどれぐらい?」といった。君らの大きいとマジのガチンコの大きいは違うよ的なコメントを返しました。
その時少し離れた場所にナイキ主催の面白いテニスのイベントに出かけていた僕。そのイベント後、小さい翌日の準備をするためほろ酔い気分で帰ってきたタイミングでした。

すぐに酔いが醒めました。
あかん!
そしてどうやって両親と連絡をとろうか?幸いすぐに両親の無事が確認されましたが、これは日本が直面した危機だと。
敢えて言えば安全な場所で野次馬根性だったのかもしれない。でも、事の重大さはすぐに分かりました。
その中で僕がとにかくショックだったのが東北各地の都市、海沿いのそれらがアナウンサーの口から「壊滅です」という言葉でした。
壊滅。ゲームの世界でしか聞いたことのないような言葉。壊滅。
どういうこと?
そんな中この本の舞台になる気仙沼が火の海になっている映像をみて思たんです「壊滅や」と。
それは言葉は本当に悪いですがその時ドラゴンボールの中で牛魔王が住む城が火の海になっているようでした。芭蕉扇さえあれば消せるのに。子供の記憶と理不尽さの前に立ち尽くした僕は絶対に受けないし口にしてはいけないような言葉が浮かびました。人間て。

時を経て、僕は気仙沼に実際に行きました。南三陸町も通りました。福島第一原発の横も。
それを凄いだろうと!言いたくはないです。でも、敢えて言いたいです。6年ぶりに帰ってきた人間が訪れて6年も日本にいた日本人が東北に一度も行ってないこの真実。復興ってなんやねん!ねんでやねん。

やっぱり離れた土地の出来事なんです。でも距離が極端に離れれば離れるほど生まれる感情がある。それを今回想えたんです。
当事者性。事件事故の際に語られるこの言葉は意外にも距離に反比例するかもしれません。でもその反比例に比例して言うだけという無責任が発生します。そんな異次元は僕にとって経験でした。だから現地に足を運べたんだと思います。

そんな思いを踏まえて読んだこの本。
第6章が言うならば水面にそそり出た氷山です。知ったのも猪瀬さんのツイッターやその後に綴られた物語の断片を見たから。
でもその実際は平和ボケしてなかった気仙沼の人たちが織りなした生きるために耐え抜いた行動と知恵によってなされた塊の魂。それが漂流せずウエブの海の中で救われた話です。

泣きました。自信をもってほかの人より泣けます。だって現場を見てるから。
でもこのミッションを成功させたのは現場から遠く離れた人たちの現場への思いです。
実際に被災した大好きな漫才師・サンドウィッチ。彼らが東北のために尽力を尽くしているのは知ってます。
でも、思いました。この本を読んで。
サンドウィッチの美味しい具を挟むためのパンが無いとサンドウィッチは成立しないんです。
サンドウィッチマンがM-1で勝ったのもすべてプロットなのか?分からないです。でも彼らがM-1で勝ってなかったらなんて思ってしまいました。だからこそがんばってる彼らを心から応援したいです。

気仙沼の人たちたちの生きたいという具体的な具を
ネットや東京都が上手く挟めたんです。それをちゃんと販路に乗せた猪瀬さん。
ごちそうさまでした。
次回の帰国時も気仙沼に行きたいです。

P.S. そこで撮った写真は今読んでる本が読み終わった後に東北の旅として一年遅れですが乗せたいと思ってます。誰が興味あるねん!!(すんません!プラン9のギブソンのネタをこんな風に使ってしまって。。。)

日曜日, 2月 05, 2017

ありき前提

アマゾンが店舗をシアトルに出すと言うニュースで確信したこと。

スマホがないと生き辛い世の中に確実に向かっている。

僕はアンチスマホで未だにガラケーです。ただ去年ネットにアクセスするツールがない時の問題を経験したので(僕のガラケーはネットに接続できると思うけど使ったことがない)、非常時を想定してiPod touchを購入しました。
手にするとやはり便利なもので使いすぎてしまう自分がいるので極力触らないようにしてますが、使ってしまう自分がいます。

スマホを持ってない人を前提としたデザインや政策を織り込まない限り確実に隔離されてしまう世の中がやってくる。
今現在、使っなかったり・持っていなかったりする事が考えられない代物で、それがほんの数十年前まで無かったものを想像する作業は必要ではないかと。
そして、この変化は格差的や差別的といった類のモノになるのか?

システムに取り込まれている事を意識しないと怖いなと思ったのでした。

最高のマシーンである脳を駆使しながら、左利きが一定数いるようにアンチ・スマホで居たいと思います。

土曜日, 2月 04, 2017

2017年3冊目(263)

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門 単行本
井上 達夫  (著)
毎日新聞出版 (2015/6/16)

この本を読み始めて思ったことは一つ。
今アメリカでリベラルと称して無茶苦茶な行動をしてる人たちにぜひ読んでもらいたい。

僕はトランプ支持者でもないし不支持者でもない。民主主義によって作らてたルールによって成立した人への人格攻撃は違うのではないか?次々と大統領令にサインしていることが物議を醸してますが、全てキャンペーン中に掲げていた公約でそれを守っている事実はどう思うのか。過去何人の政治家が選挙中に掲げた公約を反故にしてきたか。そういう視点も持った上で議論してほしいと。

そんな中で読んだこの本。日本放送のザ・ボイスという番組で宮崎哲弥さんと筆者の井上さんが交わした議論に触発され購入を決定。幸い早くに手にすることが出来て読み始めてすぐに出てきた「啓蒙と寛容」という項で完全に引き込まれました。そして「正義」について深い議論がなされます。

哲学者各々にもちろん主義があってその広がりによって一般的な概念などが生まれると思う。良い面悪い面を含みながら。その面を知って考え方に反映させるために主義を知っておく必要がある。哲学を学ぶと言うのは自身への還流なのかもなんて今回始めて感じました。思想とか哲学さらに宗教には興味があって意識して読む機会を設けてきたけど、広く知れば見える世界があるのだろうと思っていました。今回始めて奥行きの部分を意識できてとても有意義でした。本書にも出てくるサンデル先生の本。買って積ん読になっていたのがここで返ってくるのかと驚きながら読む本が繋がって行く快感を今晩から楽しもうと思ってます。

この本のお陰で前よりもましてSNS上で見かけるその手の知り合いとここで感じれたリベラリズムをベースに話いや議論になるのかなしてみたいです。感情論ではなく考え方論として。

この本を読みながら今やってるキン肉マンで繰り広げられている正義超人・悪魔超人・完璧超人の主義の闘争がリンクして「なんやこのスピンオフは!?」とニヤニヤしてたのを付け加えておきます。

リベラリズム深いです!小学生の時に衝撃を受けたお笑い芸人「ジャリズム」。コンビからピンになり世界のナベアツさんは落語家に。。。深い!(と思う。。。)