火曜日, 12月 31, 2019

令和元年の終わりにー

今年の最初に「今年は結果(アウトプット)を出していきたい」と記していました。何だかんだで思ってる以上にヒットを打てた方かなと思います、しかも結果を見せたい人にタイミングよく示せる機会でちゃんと打てました。もちろんしっかり準備をしましたが。自分の出来る事からしっかりアピールして結果を残して信頼をもらいチームに馴染む。これを新天地での成功のきっかけと意識してましたが肌感覚で間違いないと感じました。このスタイルを試せたのはこれから先とても貴重な財産になると思います。

6月から新天地に移って、慣れない環境に置かれた割にはかなりの適応力を出せた方だと思います。痛感したのは環境が変われば生活は変わると言う事です。いままで夜型人間だったのが朝方人間になった。遅い時は深夜まで実験していたけど、今では早かったら7時には寝てたりします。それに付随して、昼まで寝ているのが普通だった日々が4時とかに起きて情報収集を始めたり。
あと本を読むペースがとても遅くなった。電子書籍を使って読む状況も増えましたが、読書もやはり習慣ですね。これは早急に元に戻したいです。

とても有意義な1年になったと思います。一つある作文を書ききれなかったのが汚点ですが、完全なんて無理なんで年明けに気合入れます(という言い訳です)。  いつも通り日付変わるまえにさっさと寝ます。これが日常だから。
 See you 2019!!  

土曜日, 12月 28, 2019

M-1 2019感想

こんなに腹を抱えて笑ったのは久し振りちゃうと思えるぐらい今年のMー1はとてつもなかった!!

8組目のインディアンズさんの前ぐらいでこの激しい大会に疲れてる自分を感じた。笑いのオーバーワークというか。こんなに多種多様な笑いの風を受けて疲弊しない方がおかしいとも言えるけど、どれだけ肩肘はって見とるねんと突っ込まれたら僕の敗けである。

そんな笑い疲れた大会の僕の勝手な感想を残しておこうと思う。自分が殴り書きしたメモの文字を何て書いてるんやと悶絶しながら。

敗者復活
僕は正直なところ自分の面白さ的には和牛が一番では無かったです。四千頭身さんやクラゲさんのネタが僕にはツボでした。ただ上手さ洗練さでは和牛さんがダントツでした。でもグッと来なかった。女の子的に言うなら色気が無かった、僕には。和牛さんさんがどんどん敬愛する笑い飯さんに見えてきて僕は辛いんですが、本当にやりきってほしいと思っていたんですがどうやら今回の大会を最後に卒業されるようです。これに関してはまた後で。

本戦
こんなに順番の妙が炸裂した会は初めてのように思います。ニューヨークさんの後のかまいたちさんのネタで完全にブースとがかかった気がします。言葉の「てにをは」で何を言ってるか分からないという下り。会前にKBS京都のチュートリアルさんのラジオにゲストとして出演のかまいたちさんがコンビで唯一の言い合いの喧嘩が「てにをは」を巡ってだったってのを聞いていたので、あのやりとりがとても笑えました。どんな発想でネタを思い付くかには伏線があるんやなって改めて思いました。
和牛さんのあとのすゑすろがりずさん。僕は腹か抱えて笑ってしまいました。そして年末年始この古典表現使う人増えそうやなと、そして営業の仕事が激増やなって。それ以上にこのコンビが残した功績は「古典芸能」「古典の言葉遣い」に興味を持たせるきっかけを撒いた事だと思います。文部科学相は彼らを称えないと!小・中学生が遊びの中であの表現を使いながら古語を学んでいく。これってとても大切なきっかけだと思います。王様は関白に相当するのか、たそは誰、召すは飲む、やんごとなきって何!?みたいな。世に知ってもらうきっかけとしてこれはとても大事な方法論を示したと思います。当然ステマとは区別しないといけませんが。
からし蓮根さんの最後の盛り上がりはえげつなかったし、見取り図さんは言えば大喜利の出しあいがすべて面白いという。ハイレベルすぎる!そこに投下されたミルクボーイさん。
もう言葉は不要でしょう。ただただ面白かった。僕はメッセンジャーさんが関西でやってるラジオを聞いていたのでその期待度と評判を聞いていましたが、やはり百聞は一見にしかず。作り出されたシステム。僕にはブラックマヨネーズさんが勝った大会がすぐに浮かびました。史上最高得点を叩き出したのは圧巻です。ごちそうさまでした!
あの衝撃の後で淡々とペースを守ってネタをするオズワルドさんにまた感動。インディアンスさんは実はネタが飛んでたらしいのに関わらず纏めてしまう実力。そしてペコパさんの現代のコンプライアンスにドロップキックではなく遵守するというツッコミ!!あの言葉の使い方も流行りそうです。多種多様のスタイルに最高の笑いが加わった一本の最高の寄せを見た感じでした。人を笑わせるって素敵です。

決勝ラウンド
僕はかまいたちさんに勝ってほしかった。それに値するネタのクオリティやったので、キングオブコントととの二冠をしてほしかった。Mー1の2連覇とかそんな強い芸人さんを僕は見たかったです。でも今年でミルクボーイさんは勝っておかないといけないと思ったし。運命とは何とも複雑骨折です。

その他
舞台裏のレポーターは麒麟の川島さん。審査員のひとりはナイツ・塙さん。Mー1打ち上げの仕切りは千鳥さん。そう、Mー1でチャンピオンにならずともしっかり売れて立ち位置を築いている人って多いんです。Mー1で優勝したら売れるのではなく、売れる確率が圧倒的に高くなるというこの確率論を頭に置いておかないと大事にな気がします。これは現実社会で常に関わってきます。良い大学・良い企業・ブランドなど。みんなが血眼になって目指したいゴールとなるような場所。働きありの法則ではないけど、どんな場所でも一定数のポンコツと天才が共存します。その比率大小ややクオリティの平均値を求めてそのような場所を目指すのは決して間違いではない、だけどそれが全てではない。和牛さんは十二分にこの最高の舞台を活用できてこれ以上は自分を傷つけると判断しての撤退なのかなって。正直残念だけど、この判断力は見習わないといけないです。そう思ってみると、上沼さんのあのからし蓮根さんの採点時のコメントは的を得つつ「わかってますねん」という和牛さんの心の声が聞こえるように何度も見直すなかで感じました。みなさんプロフェッショナルです。

最後に、日清食品の番組中のCMと優勝商品のあの発想。この会社、何か絶対おもろいことをたくらんでる気がしました。センスが良すぎる!!!このような会社を僕は応援したいです!!

Mー1最高です!もう5回は見ました。たぶん今日も見そうです。笑う門には福来る!!!

水曜日, 12月 25, 2019

クリスマスに我思ふ

習ったり学んだ事が身に付き当たり前になる(習慣となる)。この行程をリアルタイムで感じること。この意識を磨くことが出来ればかなり面白い景色を見ることが出来るんじゃないかなって最近思ってます。

6月から新天地に移ってから何もかもが新しく前提となる知識やルールを詰め込む日々。ある時から注意深く意識を払わなくてもそれら新しい事々が頭の中にスッと出てくるようになりました。どの引き出しに何が入っているか整理できたように。
それがどのあたりから起きたのかなってふと考えていました。それはおそらく実際に手を動かし始めた9月後半ぐらいからかなって。それまではまだお客さんで自分の過去のアセットを使いながら自分という人間を理解してもらう段階だった気がします。当事者性が生まれてからばらばら立った点が繋がり始めた気がします。

おそらくこの学習から習慣へはどんな人も日常で起きる出来事であるけど、これが仕事といった必然性でなく語学の習得となると極端にハードルが上がる気がします。自分の意思が強くない限り。もちろん習慣化する必要は必ずしも必要ないけど、習慣になった方が成長曲線は圧倒的な早に変わると思います。

そんな話をふと先日友人と話していた時の事、僕の話にとても共感してくれた友人が「まさに同じことを言ってる本があって、the power of habitって言うの」と。直訳すると”習慣の力”。ふと僕の脳みそが反応した。なんか聞いたことあるぞ。そのときの会話ではすっと流してしまったけど頭に引っ掛かった棘。
そう、なんとこのthe power of habitの日本語訳バージョンの習慣の力をちゃんと僕は読んでいたのです(2018/09/04の自身の本の感想参照)。

贔屓目に考えるならこの思考は自分の中で習慣になっていたから、無意識の思考になったのかなって。との無意識の意識化のきっかを与えてくれた友人に感謝しつつ、この思いもしなかった嬉しい点が線になった出来事を誇りに思いたいなって。

でもこの習慣が慣習になると馴れ合いを生み成長の機会を削ぐことになると思う。そういう意味で今年起きたこの生活の変化のおかげで散らばった点を繋げるとても良いきっかけになってる気がしてます。守られると守るは似ても似つかぬLearning(学習)とhabit(習慣)の最終型なのかもなんて。

ビールを飲む習慣は自分にとって大事な慣習なのだけど飲みすぎる癖を治すことを学習せねばいけません。。。灯台もと暗しか!!!!

土曜日, 12月 21, 2019

2019年、今年もまたこの大会が

何年ぶりにリアルタイムで見た去年のMー1グランプリ。
今年はどうやって見ようか考え中だけど、予選の結果をみながら思っているのは。

「今年は荒れるのではないか!?」

僕の中でのキーワードは「お笑い好きが集う笑いを解釈できる予選のお客さん」と「お笑い好きの抽選を経て見に来た笑いの球を受けとるお客さん」さんが生み出す微妙なリアクションの差だと思ってます。

Mー1用のネタの作り方というのはあるけど、新たにMー1に来るお客さんが爆笑するネタの作り方もあるのではと僕は今年感じました。
僕の勝手な主観で間違ってると思うけど、そこが和牛さんが決勝に残れなかった理由ではと。

すべての結果は今夜出ます。とりあえず、早く寝てリアルタイムは起きていようと思います。がんばれ、オレ!!

金曜日, 12月 13, 2019

思いの丈をどうぞーーーー

YouTuberと言われる方々の動画を見る機会が最近とても増えています。
始まりは元プロ野球の選手やお笑い芸人の方々の作品を見る事から始まり、近しい人が始めたり面白いタイトルに誘われて覗いてみたり。

最初は取っ付きにくかったジャンルがどんどん身近なものになってきた感じです。1つの動画がそこまで長くないと言うのもミソで、僕はよく1.5倍速などで観るのでとても回転が速く色んな情報が入ってくる感じがします。

そう、この感覚は雑誌のコラムを流し読みしてるような感じに似てると思ったのです。好きなコラムがある雑誌はそれを目当て手で買ったり立ち読みしたり。週刊・月刊の漫画雑誌にも似てるかもしれません。

今まで得ていた情報の流れが同じ視覚でも文字から映像へ移っているのは間違いない気がします。昔は動画は時間制約のある媒体で、自分の流れで切の良いところで止めれれる書籍には学習と言う点では敵わないと思っていました。ところが短い時間に最小限の情報を扱う動画を芋ずる式に見れるようになると、これは目だけでなく聴覚も使う動画と言うツールはとてつもないパワーを持つことになるんですね。

このようなコンテンツの在り方は当たの片隅に置いとく必要がありますね、witterの140文字であることも踏まえて。一方で最近話題になっている読解力の低下のように、ある程度の長さのキッチリした文章や映像作品(映画)を最後まで付き合い理解できる能力は必ずいるので、この先どのような世界になっていくのか僕は楽しみだったりします。でも結局は面白いコンテンツなら長くても人は必ずついてくるんでしょうけど。。。

さてこの問いを自分の文章に当てはめてみようではないか!!ブーメランはこのように放たれるのですね。。。

日曜日, 12月 08, 2019

無限大

夢の中ではよく非日常を経験します。そして僕はよく夢を見る方なのである意味でのもう1つの人生を楽しんでいます。
が、とても考えさせられる夢を見ました。それは夢の定義を再確認すると共に生きている今(現実)を実感したからです。

その日は大荒れな天気。降りしきる雨が風にあおられ部屋の窓に打ちつけるような天候を追いながら眠りに就きました。

友人とキャンピングカーで山のなかにいる僕。急な傾斜の川のそばで雨の降る悪天候の中でキャンプをしているようです。どうする!?と話ながら目の前にある川は泥を運ぶような濁流で明らかに身の危険を感じます。そこでキャンピングカーが氾濫した川に流され、みるみる流されていきます。あー、終わった。転がる車が滝にさしかかり思いっきり飛んでいきます。それは飛行機から下を見下ろすような絶景です。マウンテンバイキング中に泥に車輪をとられ転げ落ちた絵に落下の情景は似ていた。
重力を感じ落下していく車とその中にいる僕と友人。あー、死ぬと腹をくる。そしてランディング。痛みも衝撃もなく生きている自分。
葛飾北斎が描いた富士山を見るように落ちてきた山を見ているとたくさんの知人が無事を確認しにやって来る。そこからの会話ややり取りは過去に経験があるような出来事ばかり。

そうこの夢の中で唯一の未体験は死ぬということなのです。他のすべてが何かしら経験に答えを導けるという。
海馬が情報を処理・再構成する過程で見るのが夢らしいです。意識的・無意識的を含めた経験が夢の駆動力とするなら、そら富士山のような山から落ちても死にません。だって、死んだことがないから。

これは圧倒的な当たり前の出来事なんだけど、日々答えを探し求めるようなクリエイティブと称されるの仕事に振り分けられる自分の仕事を思うと、とてつもなく大きな溝を感じてしまった。なぜなら日々経験(実験)とそれらから導きされる回答を求めてる中で、絶対的な経験は体験しない限り得られないものがあり、それを得た時点で全てが終わる経験の存在を知ってしまったからです。

あの地面に打ち付けられた時に「あれなぜか生きてる」とこの2019年12月に生還できたのは実は奇跡だったのかもなどと。
寝てるときを無防備だとするなら、そこで見ている夢の人生に取り込まれることはどういうことなのか。などなど。朝起きて面白いと思った反面ぞっとしたのでした。

脳みそよ夢でも現実でも善きにはからってくれ!!!ビールをやるから。。。それがアカンのか!?寝て考えようー。Viva matrix reloaded!!

金曜日, 12月 06, 2019

良い思い付きのはず!知らんけど。。。

スマホやタブレットにこの先搭載されるかなって機能がふと浮かんだので、書き残しておこうかなと。それは、

プロジェクター機能

写真や動画を壁やスクリーンに投影するのはもちろん、AR(Augmented Reality・拡張現実)の機器としてメガネやコンタクトレンズの他にプロジェクターはあり得るんじゃないかなって。

寝転がって天井を見つめながら流れる動画の音声を聞きなが、ふと思いついたのでした。
僕は出たら使ってみたい。スマホよりタブレット端末が先かな。欲しいリストトップのiPad Proにこの機能が付くと飛びついてしまいそう。。。

そんな妄想膨らむ金曜日の朝でした。はよ仕事に行け!!

火曜日, 12月 03, 2019

2019年15冊目(343)

大人の教養としての アート入門 (スマート新書) Kindle版
山内宏泰 (著)
ピースオブケイク (2018/4/16)

僕がアートに思いっきり触れたのは2009年にニューヨークでたまたま降りた駅のたまたま出た出口の目の前にMoMAが立ちはだかった事に端を発します。

その後ヨーロッパ各地の美術館をまわる機会もあってアートの面白さ深さ美しさ楽しさを感じたせいか「自分では」日常に溢れるアートや美的感覚と言ったものを結構意識してすごせるようになった気がします、知らんけど。

でも確実に知識としてはハリボテみたいなもので、それを勉強するにはパワーが要るしという中で読んだ(途中聞いた)この本はとてもよかったです。

やっぱり歴史的な流れを知ることは理解を深める上で大事ですね。こんな例えが正しいかは分からないけど、誰がいつM-1グランプリのチャンピオンになって誰が決勝に残ってたかを知ってるかで漫才の流れを知れるような事に似てるなーって。

AがあってBが出てきてCが続くみたいな。点として単体の面白さが面になります。それに付随して西洋と日本の歴史の流れを掴む事で立体的になる、なぜなら葛飾北斎の残した功績は偉大すぎるから

日本も西洋もきっかけは宗教画だったなど、短い部類に入る本ですが僕にとっては内容がとても深く学ぶことが多かったです。

こういった市民講座ってきっと面白いんだろうなー。逆に、このような市民講座を開けるて喋れるようになれたらええなーって思いました。
目指せ世界を舞台にする漫才師!!(なんでやねん!)

金曜日, 11月 29, 2019

音圧ってあるよねー

少々汚いぐらいの方が免疫力がついて良い的な話を聞いた事がある。抗菌やら除菌やらが当たり前だけど、それが真に健康的なら昔はどうやって生きていたのかって話になる。耐性って言葉もあるし。人生はサバイバルと捉えるなら、多少のノイズがあった方が精神的にも身体的にも健全なのかもしれない。

ただ、そのノイズが騒音になると甚だ迷惑になると僕は思う。
ある出来事が急に不祥事と化す時によく聞く言葉がある。批判が殺到したである。それをメディアが取り上げて火に油を注ぐ形で大きな炎になるケースをよく目にする。

全米が感動したやら泣いたやら震撼したやらの謳い文句をよく映画などで目にする。その全米に居るが感動も泣も震撼もしたことはまぁー無い。いつもそれらの騒音を後で聞くことの方が殆どだ。

要は「全米で映画を見た人たちにとって」の出来事である。じゃー、それは人口比の何パーセントなのかなんて話は聞く由もな考える事もない。同じ要領で殺到した批判の数なんて聞いた試しがない。殺到からイメージする数は僕にとって少なくとも3桁や4桁なのだが、続け様に起きる9件は殺到なのかもしれない。が、僕が声の大きさがかなりの割合で殺到度合いを増強してる気がしてならない。

ノイズ慣れして騒音の大きさを客観視出来るぐらいに逞しく生きる事が今の世の生きる術なのかもしれない。

そんな事を思いながら日々Twitterを眺めているのだが、炎上してメンタルを保てる自信があるかといえば。。。分からん!!
ただ言えることは、酒を飲んでる飲んでないで対応変わるやろうなーって。果てさて、わしゃ酔っ払い時のマインドを基準にすればええのかどうなのか!?そもそも今も飲んでいるし。ノイズ以前にまず自分のノイズをキャンセルせなあきまへーん!!

水曜日, 11月 27, 2019

プラスマイナスゼロは良いことなのかも

科学技術の進歩によってがん医療の現場などで本当に僅かな物質を検出することで早期発見に繋がる事例を見聞きする。
それは素晴らしい事だと思うだけど、それが僅かな物質であるだけに感じたことがある。

「何かを血眼になって見つける」行為と「特段に異常が無い事を確認する」行為はどちらが有意義な行為なのかと。

前者の場合見つかった結果、更なる精密検査を行う必要が生まれるだろう。
後者の場合見つかった結果、即入院などのある程度の規模の行為が行われることは自明である。

いろんな検査を受けすぎる事は実は身体にとって大きな負担となっているという記事を読んだ記憶がある。

ミクロ的かマクロ的か。医療費などを勘案してこの辺の最適解を見つけ出す事って実はとても大事な視点だと思う。
医療のケースを引き合いに出したが、これは日常生活や日々の仕事の中にも応用できそうである。

時に拘りが必要な時や「拘ろうぜ!」という引き込まないと場合もある。その逆で、一旦ストップ。引いてみてみようと促す必要性がある状況もあるだろう。

モノを常に違った見方で捉えることが出来るかが、それを実現するための要素だと思う。ただその見方をするためには余裕と言った心のゆとりが必要ではないかと。

とどのつまりは「肩肘張って生きるとロクな事ない」って事なのかもしれない。
明日は祝日だけど、少し作業をしに来ないといけない。肩肘張ってるやん!
だけど、今日はさっさと帰って酒でも飲もう。肩肘張ってないやん!
ジャルジャルのあの漫才面白かったなー。。。

日曜日, 11月 24, 2019

過去と未来を繋ぐきっかけ

アメリカに来て初めてNBAの試合を一人で観に行った時のこと。
高校までバスケに明け暮れてた自分にとってテレビ越しに見ていた光景が今自分の目の前にある現実にニヤニヤしていた。
そこには「この場所にいる」高揚感から英語を話せない・聞き取れないなんて些細な事になってしまった。
そんな僕が全身をゾクゾクっとさせる出来事と試合前に遭遇した。

国歌斉唱である。

当時は「君が代」は厳かで国際大会の試合前に聞く曲としてはどうなのだろう。と言った話は聞いたことがあった。それを脳裏に意識したのは人生初のアメリカ国歌斉唱を体験してからだが、この会場のボルテージが上がっていく光景はもう感動でしかなかった。
その後もこの感動は常にアメリカの4つのメジャースポーツを見に聞く際に感じたし、今も感じることである。

君が代の持つ厳かな空気感。実際、僕の記憶が正しければ君が代の意味を音楽の時間にプリントを使って学んだ記憶がある。中学生の時だったと思う。

「千代に八千代に」「さざれ石の」「巌となりて」「苔のむすまで」

へーって思ったし、その意味は僕の記憶と習った事が正しければ今でも説明できる。

成功に終わったラグビーワールドカップ。時差的な問題で唯一観れた日本vsアイルランド戦で聞いた君が代は僕に全く違う印象をもたらした。
この大会に向けて選手達があり得ないと自ら口にするほどの厳しい練習をやり切ってきた日本代表。
この大会中に知った事だか君が代の意味を理解する機会を選手間で持っていたという。それは外国籍の選手が日本代表として戦ってくれるための「愛国教育」とも言えるかもしれない。でも、彼らはそれを求めると思う。何故なら僕のアメリカ国歌斉唱の経験が1つ。そして、永住権を持った人がアメリカ国籍を取得する際に国家を歌えるかが試験の一つにあると友人から聞いたから。
日本人でさえどれだけの人が君が代の背景を語りながらお酒を酌み交わせるだろうか?

君が代のは試合前に聞く国家として実はものすごく最適なのかもしれない!と思ったのです。
厳しい練習を重ねたアスリートにとって試合前の不安を解消する唯一の方は自分に自信を与えてくれるモノ思うこと。そう、それは厳しい練習に耐えしっかり準備した事実に違いないはず。それを思い起こす際に君が代の持つ背景や曲調こそアスリートを試合に向かわせる触媒ではないかと。
それを思った瞬間に君が代を歌う日本代表という枠の中で戦う事を決心した世界各国の侍たちの姿に自分は泣いてしまっていた。周りに悟られないように必死に隠していた。
君が代は試合前にこそ聞くべき曲なのだ僕は思う。うちから湧き上がる闘志を確認し自身に変えるために。

それを気付かせてくれたラグビー日本代表とラグビーワールドカップ感謝です!

君が代を歌える聞ける舞台を求めて。。。
僕にとってそが実行可能な舞台。
karaoke time!!!

土曜日, 11月 23, 2019

2019年14冊目(342)

イチローさんが語る「チームとは」の動画がとても刺さりました。

良いチーム・良い空気・良い環境にはずっと興味があって何が最適解を導く方程式なのか(まだそれを実践できるチャンスを貰える機会はなさそうですが)模索を繰り返してます。

百聞は一見に如かず
一を知って十を知る

この相反する作業をいかに効率的に行えるかってとても大事で、この二つを方程式の左側とするなら

良い失敗をしていかに学ぶか

これが「=」が引かれる解になるのかなって。

スラムダンクの山王工業戦を改めて読んで思ったのが「湘北高校の選手はみな何かを感じれる選手だった」という事です。なので作中の彼らの成長を読者は自然に受け入れられて、最強・山王工業を負かす話を名作として受け入れられた。

ヒントは日常に転がっていてそれをどう綴るか。そんな中で読んだこの電子書籍が「もっと文章を書け!」と背中を押してくれました。

みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門 (スマート新書) Kindle版
古賀史健  (著)
ピースオブケイク (2017/12/3)

そういう事でいっとき投稿が増えました。間が出来ないように何かを書き続ける癖を身に付けたいと切に意識ました。如何せん仕事上文章を書く作業は必須でそれが僕にとって一番ダメなスキルだから。
こんな事を書きながらもう暫くの間が。。。
明日は書けるのか!?ボチボチいきまづ(← それがアカンねんって!!)

金曜日, 11月 15, 2019

現象には必ず理由がある理由はなにだろう

木から離れた葉っぱがニュートン力学に従って地面へ。
そこに止まっていた車。

ある葉っぱは車を避け(真下に車が無かった)地面へ、違う葉は車の上に。ある葉は車の側面やバンパーに当たり本来の落下位置からずれた場所に。

落ちるタイミングと車の存在によって運命が変わる葉っぱと変わらない葉っぱがある。

葉っぱには意思があるのかなどと話し出すと、植物も痛みを感じるのかなどと違った方向に向かいそうなので触れないが、人間の生活も僕が見た葉っぱのようにタイミングと物理的な要素でさまざまな変化が起きているのだと思う。

偶然会った知り合い。その時間にその場所で会うには、5分家を早く出ようと決めたことや捕まったと思った赤信号もすべて大事な要素になってくる。そんななかで「あっ」って思える偶然がここ数日とても多かった。

そんな時は無意識と意識が上手く連動してよい方向に進んでいる。「回っている!」と考えるようにしている。
残念な事や上手くいかない事が続いている時に、こういう偶然に出会うと「あれでよかったんかなー」って過去に囚われてた自分が一気に現在にから進みだした気分になる。こういったポジティブサインを可能な限り回収していきたいとふと思ったある朝の出来事でした。

そんな自分も人にとってポジティブサインな存在だったらええなーとも思う。酔っ払いの時の僕はデビルやな。ブラックデビルになると明石の力で楽しくなれる。。。わけない!!

日曜日, 11月 10, 2019

be動詞のbe. be there...

首里城が燃えノートルダム大聖堂が燃え。有が無に帰す。熊本城も崩れた。
有形文化財が存在することに苦労する中で無形文化財もある。人間国宝は有形・無形!?

本当に些細なことで全てが綺麗に無くなってしまう事が起きる。
でも、何度も這い上がるような事象もある。

無になること前提にするのか、有に至る事を前提にするのか。

ポジティブリストとネガティブリスト。

世の中は起承転結・喜怒哀楽で溢れてるけど、個々人の捉え方って案外すごい狭い枠でしか動いてないのかも。

琵琶法師が吉本所属だったら日本中世界中で「諸行無常」を歌って廻ってるんちゃうかな。二次創作で大ヒットも。100万回再生とかミリオンヒットとか。

悲しいけど前向き、嬉しいけど後ろ向きで僕は生きていきたいと思ったのでした、”知らんけど“

金曜日, 11月 08, 2019

老舗たる所以

生まれも育ちも大阪の僕は関西のチーム贔屓です。阪神も好きですがどちらかといえばオリックスに頑張って欲しい派です。今でも初めて行った阪急西宮球場の阪急ブレーブスの試合が脳裏に残ってるからです。

さて、最近こんな僕に大きな変化が起きてます。それは読売ジャイアンツええやんです。伝統をきっちり守ってるのは本当にこの球団ちゃうかなって。
阪神タイガースも伝統があるかも知れませんが、ここ数年の人事のゴタゴタをみるとどうも球団コアの人が伝統より保身というか違う部分で動いてるように感じます。もし伝統を重じているとしたら下手くそなんだと思います。
そう言う点でジャイアンツはしたたかだなと思うのです。

FAで四番ばかりと言われた時期もありますが、野球人があれだけ集まる球団はやはり魅力的なんでしょう。魅力をどう使うのか、この差でタイガースは明かに負けてると僕は思います。

あと、ナニワのマスコミも原因かも知れませんね。ナニワの「扱い方・いじり方」は好きですが、昨今のファンはSNSなどで違う次元で応援してる気がします。選手とメディアとファンの距離が関西は結構歪なんちゃうって感じてます。東京に住んで在京メディアのジャイアンツ評を目の当たりにした事ないですが、もっと遠い北米大陸で好きな日本野球を追ってるこんな僕が至った結論がコレなんですわ。

歳を重ね丸くなって嫌いな球団なんて存在しない感じになった結果かもですが。この辺同年代のヒヤリングが絶対に必要なので個人の意見です、はい。

長らく甲子園に行ってないし一度も東京ドームに行ったことがないので、ふらりフラットに日本の野球見に行きたいですねー。でもこれだけは、オリックスまじ頑張れ!!関西のマスコミは阪神に寄りすぎじゃーーーーィアンツ!!

木曜日, 11月 07, 2019

2019年13冊目(341)

言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか (集英社新書)
塙 宣之 (著)
集英社 (2019/8/9)

言うてる間にこの季節です。予選はこの週末の3回戦@東京を経て佳境を迎えていきます。日程的に今年は以前のように年末のイベントになりそうです。

枕はこれぐらいで、もし漫才(お笑い)が好きでM-1にワクワクするなら読んだ方が良いです。
プラモデルを作る時み正確に作りたいなら説明書を読みます。北欧の家具ブランドIKEAの商品にも簡潔で分かりやすい説明書が付いてます。見なくても作れそうと言うのがミソです。お笑いの方程式と構造を理解して損はないでしょ。

M-1的な漫才は就職活動してる学生や僕のような仕事で発表が必要な職の人は学ぶべきもが多いのではとつくづく感じました。限られた時間の中で自分を知ってもらい相手に好印象(笑い)を提供する。顧客満足度100%を叩き出した人が勝つ。人生でそんな場面は多いでしょう。だからこそ仕組みを知るんです。

塙さんは「ボケたいから芸人になった(P87)」で書いてます。この言葉が僕がなぜ現職にいるのかストンと腑に落ちました。したい事を許される環境探しとマッチング。これが働き方改革の肝だと僕は勝手に確信しました。塙さん、ホンマにおおきに!!

書き出すとキリがないのでこの辺で。好きな内容はスッと入ります。しゃべくり漫才を聴くかのように読み切りました。そう、何度も読み込もうと思います。

好きな分野の面白い本があるっていいですね。映画・マトリックスのように脳にダウンロードしたい!記憶はダウンロード!?受験生の脳みそはテラバイトやー!!(読んだからと言って面白くなるわけでは僕の場合は無いようです)

水曜日, 11月 06, 2019

2019年12冊目(340)

天然知能 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー)
郡司ペギオ幸夫 (著)
講談社 (2019/1/12)

天然知能と言うタイトルから思い描いていた内容は9ページ目で尽く異なるものだと知らされます。
人工知能・天然知能・自然知能の三つの区分けで話は進みます。
この自然知能を天然知能と思っていたとい結末です。
果たしてこの天然知能と言う概念が何とも面白いのだけど難解であり、分かったような分からないような、脳が明かに苦労していますがそこにに引き込まれました。

僕の持ち得る言葉で表現すると何とも安っぽくなるのですが第六感というか予知夢というかデジャブというか、なんとなく感じる。無意識と意識を足して2で割ったような。
葬式のような空気のピンと張った空間だと本当に些細な事で腹が捩れるぐらい笑いそうになったりするような、真面目な場で不謹慎な事を考えてしまうダメさ加減、緊張と緩和が存在するような空間が生まれる脳内とでも言うのかな。

この1.5的な0.5的な感覚や存在をどう捉えるか。その捉え方に関する指南書といえば分かりやすいかも知れないですねー。シュレリンガーの猫を僕は思いだしました。この分かりにくい概念説明することの難しさに似ている。

この概念を好意的か否定的に捉えるか、となりそうな感じだけど僕はこのゼロサムでなく、「そんなものがあるのだと」と思えるかこそが大事な概念で現代が寄り添うべき思考なのかなって思ってます。ゼロサムにするとゼロもサムも正義になりお互いが削りあって解はでない。中間的な「知ろうとする」「知らない事をよしとする」でええんちゃう、オモロイやん!

これが天然の美味さと喉越しですね!味が複雑すぎて路頭に迷いかけますが(実際は迷った)けど、これでいいのだ!赤塚不二夫偉大です。脳みその筋トレでも無いストレッチでも無いイチローさんの初動負荷トレーニングに是非!

金曜日, 10月 25, 2019

生活リズム

新天地に移ってもう少しで5カ月。今までルーティーンだった事がルーティーンになるまでの大変さを実感してます。

ここに書きたいネタはあるけど書くパワーや気力がない。他の事で手一杯。
本は読みたいけど読めない。読み始めるけど続かない。なんか疲れてしまう。

1, 2年前は労力を割けれたものに手を付けられない。でも新たな習慣(朝方な生活)が生まれたり。安定とか落ち着くとか平穏という「状況がもたらすゆとり」を切に感じてます。

でも、色々書き記したいし本も読みたいし。一からこれらを今の環境にねじ込むしかないんやろうねー。

それを踏まえて台風・豪雨による被害を見るにあたり、働き方改革よりも生き方改革(持ち家か賃貸か・都市部に住むか車を持つかペットを飼うかなどなど)の方が生を全うするうえで大事な気がしました。諸行無常といえども準備や想像力に寛容など。求めるでなく備える世の中な気がしてます。自分も考えな。

そんな機会をくれるこの「書き記す」作業と「本を読む」作業をねじ込むぞ!!!!
変化を楽しみます。不変の事は、馴染みのバーと馴染みの知り合いが飲み屋各所に構築できている事。。。やっぱり投資(飲み代)した分だけ返ってくるね!もっと働け!!!

木曜日, 9月 05, 2019

お前に言われたない!って戯言

西野監督が今タイの代表監督をしている事を知った。岡田監督も中国で監督をされたし、日本人が世界的なビッグクラブの監督になるという偉業に期待したいです!!
研究分野では日本人が世界の大学でボスとして職を得ている姿をみます。海外大企業のトップ経営となると違うのかな。トップに立つ日本人を見ると、自分に発破がかかります。

メディアの意図が最近分からない事がよくあります。
EXITと言うファンキーな漫才師がいます。言動だけを見てると相当にパンチ効いてます。が、僕には笑い飯さんの進化系というか。ふざける・ボケるってラインや空気を読めないとタダタダスベるだけやと僕は思います。そこの塩梅。計算してるんですよ、きっと。
そこのトリックを記事にするのがメディアの仕事(当人的には営業妨害かもしれないけど、親近感や好感が生まれてファンが増えると思う。書き方のよるけど)。
それがツイッターやその他メディアからの情報だと「売れるために演じてるキャラ」に乗っかってウソや過剰演出してそれを「おもしろいと思って」演出してる悲しい現状を目にしました。
冷やかしと常連さんと言った顧客文化を失ったんでしょうね。視聴率と視聴質なんて通じない。流行りとは!?考えさせられます。EXIT、応援します!!

寛容性という言葉。大事にしてるんですが、最近よく分かりません
韓国とアメリカとブラジルと南アフリカとロシアと。。。要は世界中の国々を要らないと書いて簡単に全部炎上するようなら、それこそ寛容性のなさ。大事なのはwhy?のはず。
「韓国は要らない」とい見出しで炎上。大事なのは記事の内容のはず。
迷惑メールのタイトルを拾っていちいち議論にするのかとも。
アホが書いてると興味が無ければ無視すればよい。
書いた内容を読んでホンマにあかんなら声を挙げればよい。
書いた内容を読んで一理あるならタイトルは客寄せ。キャラ設定。EXITさんではないけど。週刊誌のタイトルやで。。。東○京スポーツどうするねん!

なーーーーんかね。アカンはアカンし、その理由とか意義とかを話そうよ。
みんな感情ですよね。まぁ、愛知のアートイベントは「情」をフォーカスしたので間違ってはないんやと思う。ただ情は発情・逆情・苦情ってあるようにコントロールが難しいのよ。そこを甘くみてたというか、なのかな。

そんな感じで、日本はまだまだポテンシャルがあると思ってしまします。
そんな僕はジャパン不適合ですが。。。
Cool Japan 冷静にプラン立ててよーーー

火曜日, 7月 23, 2019

2019年10-11冊目(338-9)

そして、暮らしは共同体になる。 Kindle版
佐々木俊尚  (著)
アノニマ・スタジオ (2016/11/30)

星ヶ丘高校料理部 偏差値68の目玉焼き (講談社文庫)
樋口 直哉  (著)
講談社 (2018/5/15)

幸せの尺度なんて人それぞれだし、いくら給料が高くてもその地域の家賃も高ければ他と変わらない。結局何かと比べたりすることで満足するすることになってしまうのかもしれません。


果たして今の多様な価値観が存在する中でそれがどこまで幸せを担保してくれるのか。

この2冊の本は現代の価値観に対して「丁寧に生きる事」「丁寧な食事を採る事」といった「ふりまわされずに生きる術」を示しているように感じました。

心が単に充実しても、それは欲に繋がるかもしれない。
満たされるというか、そのような心持を提供している人たちを紹介してくれるのが佐々木さんの本。そのような料理を作るってどんなことかを感じさせてくれるのが樋口さんの本。

さっと読み返して、一見牧歌的な話のように感じるけど個々に科学的根拠や歴史的な背景などがしっかりある。そう教養とは丁寧さを支える体系なのかもしれないなぁー。

一見関係なさそうな2冊の根底には同じ水脈があると僕は感じました。
よい飲み方を僕も見つけたいです。飲まないとなると違うし、飲みだすと止まらないし。。。あーーー、ダメな大人です。

日曜日, 7月 14, 2019

知ってか知らずか

前々から感じていたことをツラツラと。

上野千鶴子さんの式典でお話しされた事が大きな話題になりました。女性が受ける差別に関して。平等とか言いながら腹の底にある深層心理と、それを感じながらどうしようかと葛藤する。投げ手と受け手。投げ手を正すのか受け手を保護するのか。似てるようで似てない対策。色々考えました。

タクシーにたまに乗りますが若い運転手さんに出くわしたことは僕はありません。ここでの若いは30代とか20代。先日乗った運転手さんは、最近この仕事を始めたと言っていたおそらく50代の方。高齢者の運転事故が多く報道されています。免許返納とか、過疎地では車がないと生活できない人はどないするとか。あれ?タクシーの高齢化は?Uberと言ったサービスがありますがラクラクphoneで手一杯の高齢者は使えないしそもそも知らないはず。高齢者が高齢化したタクシーに乗る、これってどうなの?

日本にいる間いくつかアルバイトの面接を受けました。僕は肩ぐらいまで髪があるロン毛のおっさんなんですが、これのせいでかなりの場所で弾かれました。「髪の毛はどうにかならないのか」と。括ったら大丈夫という良心的な所は1つだけありました。某大阪のシンボル的な高い建物の面接時、同じ事を言われ5分もかからず面接は終了しました。「切ってくれたら」。女性で髪の毛が長い人にも同じ事を言うのですかと喉元まで出ましたが飲み込みました。男性でロン毛はダメなのです、この国では。では、僕がトランスジェンダーだったとしてのロン毛は受け入れてくれるのでしょうか?僕が性転換していたら受け入れてくれるのでしょうか?無いわなと僕は思います。男性が受ける見えない壁に僕はぶつかったのです。

先日の女子W杯で優勝したアメリカチームは男子代表との賃金の平等を訴えて戦ってます。キャプテンのラピーノ選手がニューヨークでの祝勝会でサングラスを掛け自分たちを揶揄しながら聴衆とメディアの向こう側に向けて自分言葉で訴えていました。それをに対して賃金平等!USA!のコールが沸きました。2回連続で優勝し結果を残して訴える。なでしこジャパンは躍動した2011年から日本の女子サッカーの環境はどれだけ良くなったのだろう。日本では女子も男子並みそれ以上に結果を残してると思うんだけど。国民の興味は男子よりで女子が女子を応援できているのかな?

理不尽・不当・ダブルスタンダード・見て見ぬ振り

自分も含めてみんなしてるしみんな受けてる。投げ手であり受け手である。
それを変えるにはどうしたらいいのかかな。分からないけどよろしく無いのは分かる。まずは無意識の意識化から各々が始めませんか?

僕の無意識の意識化。髪の毛ホンマ相当に長い。。。これから会う人たちになんて言われるか楽しみである。学会前の空港からお送りしましたー。

土曜日, 6月 29, 2019

思惑と表と裏読み。。。

権力
義理
欲望
繋がり
感謝
お金
利用
妥協
誘惑

白い巨塔(最新版と一つ前)をみながら思った。

闇営業(直の営業とは違うその筋と接点を持った営業)に関して、吉本さんや芸人に対するあり方とか現代の芸能に対して突きつけられた課題だと思う。

医師という立場と大学での立ち位置。
食うか食われるか。生きるか死ぬか。

そらね、薄給でとか恩義とかで「頼まれて」動くことあるでしょ。
その動くきっかけが誰からなのか。
その誰がどのように生まれるのか。
システムで潰すのか、道徳で潰すのか。

これこそAIに食われるで。。。
笑いごとでない笑いの出来事。

ア○MEトーク、youbueでよく上がってる気がします。昔はすぐに削除されてたのにね。
視聴者を戻すために規制を緩めてるのかなと僕は。。。健全な視聴者はみてますよ。
手のひら返し!?再考の時ですね。

はい、家で飲むのは本当に控えないと。僕もまたルール設定の日々です。。。
あーーー!!人生はムズイ!!

火曜日, 6月 25, 2019

徒然なるままに

女子サッカー日本代表の結果。

悔しいですよ。悔しいです!で区切るとごにょごにょ。

good attacks no goal

ごれが結果です。
機会損失です、仕方ない。

世界で活躍し、一番世界を知ってるはずの熊谷選手のカードからのPK

人生は残酷です。

残酷だと思った人生に光を見つけた僕は「あたおか」ですか。
時間は流れる。流しそうめんん揖保乃糸。

熊谷選手が背負った重荷が広がり代表チームの飛躍を願います。
背負った人。。。
時間が何とかします。
背負えるとが背負えてよかった。。。

無責任バンザイって高田さんにすっとすっと。。。。

人生愉快犯!!

すんません、今日は酔ってます。。。

月曜日, 6月 17, 2019

2019年9冊目(337)

東大VS京大 入試文芸頂上決戦 単行本
永江朗 (著)
原書房 (2017/1/10)

「はじめに」の中で筆者が“入試問題は時代をどのように反映しているのか”と疑問を抱いたおかげで、この本のタイトルを見て「なるほど、やられた」とニヤニヤしてしまった。サブカルチャーは時代を反映すると常日頃思っている事だが、それが入試に見ようと言う試みがとても愉快で即決である。

明治・大正時代の問題から始まり、高度成長期・全共闘・バブル期、阪神淡路大震災とオウム事件が起きた1995年を経て東日本大震災から2016年まで。

こうやって並べると出題者がその時代を思いどういう受験生を求めるかなど当然あって然るべきだと思う。ただ、受験生はそれを味わう余裕など当然ないし高校や予備校の先生もそこまで問題のチョイスを楽しめる余裕があるのかと言えば疑問が残る。

これだけ面白い資料は毎年いわば消費財として赤本の中に収められ、出題者の意図と離れた傾向と対策として残っていくのは甚だもったいないと。

筆者の永江さんがこのようにエッジを加えてくれたおかげて僕にはとても有意義な読書体験となり、このようなガイドこそ教養なのかもと思ったりする。

話は少し飛躍するかもしれないけど、毎年行われる漫才やコントのコンクールのネタのチョイスもこのように評論すれば時代を反映したカルチャーとなり教養となるかもしれない。AI持っていかれる前に誰かがして欲しいとズボラな僕は思うのである。

この本を読みたくなった理由は実は根底に僕自身の実体験が大きかった。。。

時効だと思うから書こうと思う。大学生時代、某予備校でバイトしていた僕は試験の時期になると赤本・青本を漁るように目を通していた。なぜなら課されるレポートに即したお題とそれに対する的確な解説を求める上でこの「受験の虎の巻」は効果的だった。神に誓って丸写しはしてないが、この検索の中から色んな面白い文章・解説に出会い実際にレポートを助けてもらったこの経験は受験で採用される文章の興味と共に、大学の選ぶ文章へに興味を抱いたのも事実だった。だからこの本にはやられた痛切に思ったし、まとめてくれた筆者に感謝でしかない。

受験生と言う当事者が文章を味わえない(味わえている人もいるかもしれないが)のは何とも大きな矛盾にも思えるが、ここで得られたアプローチは理科・社会・数学などにも通じるのか機会があれば問いかけてみたいなと。

この文章が受験に使われたら、出題者は僕ですわな。採用理由。。。自分LOVE。。。定員割れやな!!

日曜日, 5月 26, 2019

2019年7-8冊目(335-6) + 雑誌

イチローに糸井重里が聞く (朝日文庫)
「キャッチボール」製作委員会 (著)
朝日新聞出版; 新装版 (2019/4/16)

Number(ナンバー)976号「完全保存版 イチロー戦記。」
(Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー)) 雑誌
文藝春秋 (2019/4/11)

敗れても 敗れても ――東大野球部「百年」の奮戦 (単行本)
門田 隆将  (著)
中央公論新社 (2018/5/18)


失敗をすることから学ぶ。学習は人間を含め動物にも備わった能力だが、イチロー選手はそれをかなり深いレベルて行う事を2004年の段階で相当に実行していたのをこの糸井重里さんとの対談本を読むとよく分かります。ここからさらにその作業を極めていくことはイチロー選手が残している言葉やnumberのインタビューから十二分に感じ取ることが出来るのはきっと僕だけではないと思う。

自分との対話の中で見つけ出した神髄も脳科学の進展やAIの発展に伴って「成功」や「適正」の1つの形として提示される可能があり、その出来上がったフォーマットに従って進むだけで実際に成果を上げることが出来る未来がすぐそこに来ているように感じる。

少し前に映画にもなった「マネーボール」で話題になったセイバーメトリクスという考え方。身近になると仰木マジックに野村ID野球など、戦術にデータが関わっているのは感じれました。そこに昨今言われるビッグデータ。中継などでもたくさんのデータが放送中に出てきます。  よりよく過ごすためにみんなが使う検索もデータベースと言う過去の蓄積の賜物です。監督が使うべきデータと選手が使うべきデータ。野球を楽しむために観るデータ。

それぞれの良い点と悪い点を踏まえて、先日引退したイチロー選手がその記者会見の中で言及した「頭を使わない野球」と言う言葉。つまり頭を使う野球がある。その好例と言えるべきものがこの東京大学硬式野球部なのかもしれないとこの「敗れても 敗れても」を読んで強く思った。彼らだからこそ適性のフォーマットを自分たちで作り上げることも、彼らだからこそ完成されたフォーマットを理解し実践できることもありえる。ただ似てるようで全く異なるこの2つの間にイチローさんの言葉が存在するのかもしれない。 

なぜ東京大が東京六大学のひと枠なのかは歴史を辿ることで腑に落ちたし、ひと昔に「大学に行く」や「野球をする」という事がどういう意味があったのかは多様な価値観が存在する今だからこそもう一度考えてみるのは意味のある事ではないかと思ったのである。広める誰かが存在したし、その誰かがどのような存在であったのか。色んな機会を得る可能性を広げるには何をすることが近道なのか。運動と学問。  これはさっきのフォーマットをどう捉えるかに似ているかもしれない。

深いです。自分の研究分野にも当てはめれるような問いの提示でした。僕自身も向き合わないといけない。答えが出る時には何浪やろう。。。
こんなんじゃ、一生無理やな。。。

ありがとうの行方

サービスとは対価を払って受けるもの。でも、人間持つ良心によってなされるサービスもあるだろう。

先日バスに乗っていた時の出来事。僕は乗客で運賃を払うことで目的地まで運んでもらうサービスを受ける。対価を払えば成立する関係ではあるが、運転手さんに「ありがとう」と降車時に言う事は僕にとっては当たり前のことであり、こう言った小さな思いやりが円滑な世の中を作るんじゃないかなと僕は思っている。

車いすの方が家に引きこもるのでなく積極的に外に出ることは素晴らしいことだし、社会もそれを受け入れる事から多様な考えや生き方を身近なものとして感じる事が出来るんじゃないかと思う。車いすの方がバスに乗る環境もかなり整ってきているのは実感するし、先日その光景に巡り合った。ただ、そこで感じた違和感を僕は記したいと思う。まず結論として誰も悪くないし誰も間違っていない。ただ、なんかモヤモヤしたのである。

車いすの方が降車するために運転手さんがバスにスロープをかける。そして、降車する車いすの方に「ご乗車ありがとうございました」と頭を深々と下げる。そして、すーーっと街の風景の一つとなったその方。何事も無かったのように発車するバス。
サービスだから頭を下げる事は真だし、サービスの対価を払っているのだから無言でいることも真である。でも、僕には何かが残った。
一般乗客にすること、一般乗客がすること、車いすの乗客にすること、車いすの乗客がすること。ここに差はあってはいけないと思う。でも、なんだろう僕に残ったこの変な感じは。

過剰も良くない。かといって無もどうなんだろう。「ありがとう」っていったい何なのか。しばしぼーっと考えてしまった。ここに残すことでまたふと考える事があるだろう。
過剰も良くない。かといって無もどうなんだろう。すみません、生ビール1つ。。。

木曜日, 4月 18, 2019

2019年6冊目(334)

字幕翻訳とは何か 1枚の字幕に込められた技能と理論 Kindle版
日本映像翻訳アカデミー  (著)
日本映像翻訳アカデミー; 1版 (2018/9/24)

映画・ボヘミアンラプソディーを日本で観た時に感じたこと。「字幕がとても効果的やなー!」その字幕のおかげで聞き取りにくかった部分の英語も拾えて内容の理解がとても深まりました。第二言語を扱う人にとって字幕によって語学学習の効率化を意識した瞬間でもありました。

では、その字幕はどうやって作られているのか?僕自身が英語を日本語に翻訳するという作業にも興味があったので、この本を読んでみようと思った次第で。しかもキンドルの読み放題のおかげで見つける事が出来た。やっぱり、本を読むのはタイミングだなとつくづく。

本のタイトルにある通り「1枚の字幕に込められた技能と理論」を体感した。これもタイミングで読書と並行して友人のお手伝いで翻訳作業を実際に手伝ったことがこの読書に当事者性と裏付けを与え、読書と経験の相互作用を意識したのでした。

単に訳せばよいではなく「理解が出来るように訳す」の背後にある膨大な思考の作業は、言われてみれば「そらそうちゃうとなる」が言うは易しやるは本当に難しだった。中学生の時、「have/get/take」などの訳をみてどんだけ訳があるねん!オロ○インやメンソ○ータムの効用みたいに万能か!と思って、意味が解せなかった記憶がある。ところが「語が持つそもそも意味」を留学し使い・聞き・感じる立場になってなぜあんなに対応訳が多かったのよく分かり、日常生活で利便性を感じられるようになった。

日本語には主語が省略される文化だったり、日本語版のhave的な表現(siblingは兄弟姉妹のどれなのかなど)を考えると両方の言語の文化・習慣・伝統といった背景を理解しないと、短い言葉に落とし込むのは大変だと思う。僕が携わった文章翻訳の方がまだ「字数の制限」が緩やかだと思うので、字幕となると表現のハードルたるや。。。

その際に思い出したのは、友人が取材を受けその模様を録画し1つの動画としてする作業の際に自己紹介の時でも撮影側が用意した台本に則ってしゃべったと言っていたのを思い出した。言葉を嚙むかまないがあるのでカンペは必要かもしれないけど、内容ぐらい自分で考えさせればと思った僕の浅はかさに気付いたのでした。この動画にはサブタイトル・字幕が入るので、それを踏まえて訳者に対しての配慮または動画作成の迅速さを考えるとこの「台本」はとても理にかなっていたのだと。

こういったテクニカルな部分に加え、昨今話題のファクトチェックを入れるとなると翻訳者と言うのは野球でいう「走攻守」を備えないと出来ない仕事なのである。読み手・聞き手に対しての作業でその層がどのような人達なのかによって選ぶ言葉も変わってくるわけで、その要求されるレベルたるや。。。同じ台本でも演じる人よって変わるような演劇や古典落語のような側面もあるのかもしれない。

その他に字幕の縦表記・横表記に関して眼球運動で使う筋肉やら有効視野など生物学的な側面や、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学でのスピーチで言及したような文字のフォントの話に使用される文字の色など。さらにAIが生成する字幕に関して言及してあったり。されど翻訳、なるほど翻訳である。たかが翻訳だなんて言おうものなら。。。

自分の海外生活の経験を踏まえて「翻訳」とか一つの仕事のオプションなどと考えた自分が恥ずかしい。実際に手を動かす機会を与えてくれた友人に心から感謝である。貰った課題は何とかやり遂げたけど、思ってた以上の時間を要した。。。当たり前じゃ!!!でも当初の目論見は。。。あー、サブすぎる。。。

日本で映画を観て感じてから約3カ月ぐらいだろうか。とても身になった体験だった。うまく全てが噛み合ったこの期間に感謝! まるで翻訳された新しい自分。。。癖がすごくなった!

木曜日, 3月 14, 2019

その道はいつか近道

川というのは人類に水を供給する大事な役割があるが、地域を区切り時には国境・県境・州境と地域の境になる。この境界がよい線引きになる場合もあれば分断となる場合もあると思う。
その川の向こう側に行きたい。そして人類は橋を架けた。これにより移動の自由度が高まり経済文化政治と各方面での交流から発展へと繋がった。。。

ぐだぐだ書いているが、要は近所にある橋を使うと車で移動したとしても目的地に上手く行くと15分以上早くつける。そんな橋について。

先日、諸事情もろもろで救急車に乗ることになった。実は人生初である。そして目的地へと動き出した。そう、さっき話した目的地へだ。
果たして、左折の道を右折!!!大通りを通って目的地へ。もちろん橋は使っていない。緊急車両なので特性上10分以内で到着した。

「なぜ橋を使わない!?」と右折時に思い、そしてなるほどおそらく「だから橋は使えない!!」と自分で納得。
その橋は片側1車線の2車線の道。もし橋が何かで渋滞したら身動きが取れなくなってしまうおそれがある。だから道幅の広い大通りを使ったのかと。1人社内で「ほ~!」と感動していたのでした。なんでも経験ですねー。。。苦笑

パトカーや救急車・消防車などに搭載されているGPSは通常とは違うルートを算出するように出来ているのかもしれない。
この前実家でおとんとカーナビの話になってもう「みんなスマホ持って買う奴おらんのちゃうか。無理から車に抱きかかえで付けて売らなあかんで。某PCみたいに」などと話していたのですが、なるほど!これがGPSの生きる道。専門仕様と一般仕様での競争が出来るか。ビジネスの芽は色んな所に落ちてるぞ!!

いやこれなんてかなり進んでる事象のはずやし、あんたが酔っぱらって気付かんと踏みつぶしていただけや!
下を向いて歩こうーよ。。。なんか違う!!

火曜日, 3月 05, 2019

出がらしのようなネタからの。。。

たぶんすでに色んな所で語られているであろうネタの気がするけど、敢えて自分へのメモとして。

Star Wars に出てくるC3POとR2D2
こういったお助けキャラは的な存在はアニメなどでもよく出てくる。それを将来こんな世の中になるのかなって思っていた。

現在みんなが持つスマホ・タブレットもは正しくこれらの役割をこなしている。タブレットは大きさやポータブルという意味で少し当てはまらないかもしれないけど。

果てさて、スマホがR2D2だー!なんて事を記しておきたいのではなくて本題はここから。
当時の未来的描写が実際に実現されたなんてケースはたくさん議論されていて、back to the futureに出てくる品々・マイノリティーレポートの個別広告・ドラえもんのアイテムなどなど。
それを踏まえて今のSF映画に出てるアイテムで未来志向なものって何やろう?マトリックスでヘリの使い方をダウンロードするとか、自分のクローンを作るとか肉体的や倫理的に議論を呼ぶもので半句純粋なテクノロジーで未来を描写できてるのってなんやろうと。
空間に広がるディスプレイをタッチするとかアイアンマンスーツとかは確かに未来描写ではあるけど、実現性が高くてありえそうで空想度的に低いと思う。

そういう風に映画を観てないなって。なんかそこまでぶっ飛んだ発送に出会ってないな、いや厳密には見つけれてない気付けてないなって。想像力の向こう側。この視点忘れないようしたいです。

今の流行はリアリティを持った過去の正確な再現なのかもしれない。素晴らしいけどテクノロジーの向かう道として、僕は何かを想像してほしいなと。某へみあんな映画をトータル4回も観て言ってる僕。説得力という想像がたりなし。。。あーーー!!

土曜日, 3月 02, 2019

降水確率50%は十円を投げて平等院が出たら雨より正しいのか!?

先日の話。知人との会話の中でアメリが大統領の話になり真面目なオバマ前大統領でも上手くいかず、イテマエ的なトランプ現大統領でも成功とまではならないと言った会話の中で「次はAI大統領ですね、愛されますよ」なんて話していた。

そんな会話から去年聞いた機械学習とAIの違いとそれをごっちゃになってる人が多いと言う話となり、各々読んでる話から物理や数学の話題まで広がり自然法則を数式で表してきた先人たちの偉大さに感銘して一旦会話は終わった。

チェスや将棋でプログラムが自分のディープラーニングから僕たちの予想を超えた解を出す。何故そうなのかはそのプログラム(AI)しか分からないブラックボックスなのだが、解の精度が高いたAIスゴイに目がいってこの「なぜこの解が導かれたのか」に注目が集まらない。

The Man Who Knew Infinity (奇蹟がくれた数式)」という映画がある。素晴らしい数式を導き出す数学者のお話。インドからイギリス・ケンブリッジでさらなる数学の高みを目指す中で「proof」証明を何度も要求される。主人公は数式は完璧だと言う、指導教官もそれは感じているが証明をひたすら求める。そして種名の精度が上がり批判的だった数学者も彼の仕事の凄さを認めるようになる。これは実話に基づいた映画で、対象が数学的命題が故に批判者が多い中から始り数式を描けた事実の凄さとそれが確立される事実を体感できる。コンピュータのない時代に。

AIの出す答えが日常生活で100点を連発するようになった時、誰がこのブラックボックスの証明を試みるのだろうか。それは遠い昔の天動説・地動説のような論争になるかもしれない。自然を記述してきた人間は今後AIが描く世界を記述できるのか。あるいは自然を翻訳したAIの言語を理解できるのかとか。AIの世界観の定義がどこまでできるのか。僕はこれはかなり大事な事柄な気がしてならなんだけど、どうなんやろうか。。。

ただの酔っ払いの戯言なのか、とてつもない気付きなのか。だれか教えて!!アイちゃんだけが知ってるのかな!?テヘヘヘ。。。

木曜日, 2月 28, 2019

認知度

先日の朝、ある待合室で流れていたテレビ。日本テレビ系列の朝の情報番組。その中の一つの話題で「2018年M-1グランプリチャンピオンの」の言葉が流れる。他局の賞レースのタイトルが普通に使われている事に改めて「おっ」っとなった。

時に他局の番組や他局自体の話を番組でする時はXXXの方にある局だのYYYが司会の番組だったり宣伝になるか局内のコンプライアンスなのかオブラートに包む光景をよく見聞きする。なのにM-1はもう市民権を圧倒的に得てバンバン使われている。紅白歌合戦のように。何がこうさせたのか。

それは
1)グランプリを勝った人たちが本当に実力があって
2)グランプリ自体の認知度が圧倒的で
3)番組出演者がそこで勝つことに本当にリスペクトをしている
からかなと僕は思った。

1)その後の活躍は見ての通り。ただ第一回大会に出た演者たちはホンマに賞金くれるかすら怪しい半信半疑の番組。演者以上に視聴者や業界の人がこのコンテンツの凄さにタマゲタのではいかと。
2)演者の活躍に付随しての要素が大きいとは思うけど、オブラートに包むことが馬鹿らしいぐらいの認知度になってしまった。
3)今のテレビ番組で芸人さんが出てない番組は本当に少ないのでは。報道に近い番組でもMCだったりコメンテータだったりで出演している。立ち位置的に芸人さんからタレントさんになった方々もいるだろうけど、漫才を作る難しさとあの競争を感じられるからグランプリ後は皆さんがおめでとうと祝福するし言及する。

そんな演者さんが多い番組構成だから必然的に時間が割かれる。それは昔の音楽番組全盛期で紅白が大きな話題だったように(今も大きいとは思うけど)。芸人さんやタレントさんがテレビ番組への露出が減って映画俳優ばかりになったら違う賞レースが世の中を席巻するのかもしれない。

世の中に出るにはインパクトは必要だけど、その後も出続け認知されるまで進むにはストックを持ち合わせておかないといけない。これは僕の身近で世に出て行って活躍と認知度を上げている人たちを観察して感じた。マーケティングなんて言ってるけど、これが無いとマーケティングしてもそのデータは生きないと思う。このことに気付かず、マーケティングに文句を垂れている人は意外に多いんちゃうかと。

M-1の日本中の認知度もこの法則に合ってる、いや友人たちの活躍はM-1と同じなのかもしれない。

顔と名前と仕事を覚えてもらって一人前が自己のコアとしたら、印象と座敷と在庫と抱えて一人前が自己を取り巻くレイヤーになるのかな。
ちょっと我ながら良い分析。ってはよ自分に応用せんかいな。。。それそれ!!

2019年5冊目(333)

時間と自己 (中公新書 (674)) 新書
木村 敏  (著)
中央公論新社 (1982/11/22)

日々の日本語の表現の中で「こと」「もの」という言葉を使っている意識は常にあって時に「事」と感じにしたり「モノ」とカタカナにしたりして、自分が表現したい対象を示してきた。ただこの2つが示す対象が捉えている実態は何なのかなんてと言う考えなんて一切思いもよらなかった。
「から」や「まで」が何から始まってどこまでなのか。未来とは過去とは。それを認識する自分の存在に対する時間とは。これらの理解を深めるために、自己と時間のバランスが不幸にも崩れてしまった病を患った人たちの時間の捉え方を観察し考察する。当たり前の何が当たり前かを知る作業。こんな発想があるのかと唸った。

生きるとか今とか死ぬとか一体なんや?宗教とか科学とか芸術とかで語られる理解を超えた何かを読んでるような体験。「はー」とか言いながら分かっているようで多分分かってないやと思う自分。日本は昼でアメリカは夜でヨーロッパは朝で、時刻がずれてるけど同じ惑星の上に居てとか、日本を3日の夕方に出てアメリカ着が3日の昼前とか。これってよう考えたらなんやねん?
takeやhaveを辞書で調べたらアホほど訳の種類があって、持つを英訳してもhaveの時があればtakeの時も。100%の一致なんてない。空間を言語や記号で切り取った時に生まれる溝っていうけど、そもそも切り取るとか空間自体がどういうことやねん!

何か新しい見方に気付くような期待感を持ったけど、表現できるか?表現した時が理解なのか。恩師がバイブルのような本だと著書の中で書いていて手に取って、そこで仰っていた深さを知り、自分の浅さを感じた。きっと、またどこかで読まないといけないけど、次回手に取る時はどんな「時」になっているのか。いや、その時があるのか。見上げているのか見下ろしているのか。
とにかく今出来る事をやるしかないと思ったのでした。それでも、人は怠惰になり文章にするまで数日。なんとも自分が嫌いになると思いながら「好きとか嫌いとか」ってなんやと。

全てがお題で大喜利やーー!!座布団10枚目指して頑張ろう!!

火曜日, 2月 26, 2019

2019年3-4冊目(331-2)

ジャイアン2.0: 四次元ポケットの作り方 Kindle版
尾倉 侑也  (著), 山田あきと  (著)
Amazon Services International, Inc.

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! Kindle版
苫米地英人  (著)
コグニティブリサーチラボ株式会社 (2014/4/14)

ジャイアン2.0という名前が面白くて手にとってみました。
要はシェアリングエコノミーの未来とネットワーキングも可能性の実体験をです。それを若い筆者たちが臆する事なく進む姿に希望を持つ同世代は多いかもしれない。

彼らはネット世界を四次元ポケットと捉え、シェアリングエコノミーにおける共有を「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」と言うジャイアン的発想から発展させて「俺の物はお前の物、お前の物は俺の物」としてジャイアン2.0とした。
面白い相対化だと思う。ただ四次元ポケット的な便利さまで議論するならオフラインという考えを入れて欲しかった。ネットに繋がらなくなったら何もできない。この限界がある以上四次元ポケットには遠く及ばない気が僕にはする。なぜなら、四次元ポケットはドラえもんの腹部から自由に取り外すことが可能で誰もが使える(洗濯もできる!)。道具はドラえもんを離れても使える。ここまで踏み込んでほしかった。
ジャイアン2.0という考えも「俺の物はお前の物、お前の物は俺の物」となる点でジャイアンらしさが消えている。かつみんなで作っていくような要素があるので僕にはジャイアンβの方がしっくりくる。
細かいかもしれないけど、面白いネーミングだからこそここまで練ってほしかったのが僕の感想である。

成功体験は一例として希望を与えるけど誰もが同じようにしても上手くいくとは限らない。その反面、失敗体験は同じミスを繰り返さないための財産となるので共有する価値が非常に高く汎用性が高い。
その轍を踏むと苫米地さんの現状の閉塞感の分析からの打開策の提言の方が応用力があると言える。ただ、これを実行するには意識改革が必要でそれが出来てない現状に向き合わないと始まらない。

ゴールやコンフォート・ゾーンの新たな設定などは以前読んだ「習慣の力」にも似た考え方。正しく認識するから原因を正しく理解でき正しい行動や考え方が生まれる。この認識の枠に他人の目や常識・感情などが関わっている現実を理解でき変えれるか。この一歩を踏み出せるか。この本を手に取った人を観察してみたいなって思いました。その小さい作業・ひと手間が出来ない人が大半で、日々それを言い聞かせて動いている自分がいるからです。

改めて自分の認識を認識する再認識作業をできた気がしました。
さらに、この本のStep3にある「これまでの自分」というゴミを捨てるの項で議論される過去や未来に関する記述が次の感想に書く「時間と自己」にリンクしているように認識できて自分の高揚を認識したのでした。

って、認識認識うるさいなー!!!って、それを認識してるのか!!!
って、四元ポケットの中はどういう認識なんやろう。。。

2019年3-5冊目(331-3)に関して

ジャイアン2.0: 四次元ポケットの作り方 Kindle版
尾倉 侑也  (著), 山田あきと  (著)
Amazon Services International, Inc.

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! Kindle版
苫米地英人  (著)
コグニティブリサーチラボ株式会社 (2014/4/14)

時間と自己 (中公新書 (674)) 新書
木村 敏  (著)
中央公論新社 (1982/11/22)

一見まったく違うような3冊なんですが、何根底に共通するものがある気がしました。それは考え方の転換または意識化だと思います。
ただ今回ここに記したいのはこの3冊を並べた時に感じた事。良い悪いではなく、レベル・ランクというのはあるのだなと。上下の表現より物足りなさや満足感とした方が良いのかもしれないけど、この感覚が生まれる過程にはその人が持つ知識や読解力といった力量が絶対に関係すると僕は思うのでレベルとしたい。

ジャイアン2.0は面白いけどどうも軽さや青さが残るライトノベルのようで、「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(以下苫米地本)は著者の本を多少読んでるのもあって僕には馴染みかつ再認識を導くものであるが人によっては自己啓発本の実践系とでもなるかもしれない。
時間と自己(以下時間本)は久々にガツンと脳を稼働させてくれた。正直あと2、3回読み込まないと理解も程度は上がらないかもしれない。ただまったく考えもしなかった切り口を与えてくれて、自分のプロジェクトや周りの出来事を再考する気かけになりそうなインパクトだった。

人によってはあるいは昔の自分だったらジャイアン2.0で時間本のような感動を得ただろうし、苫米地本をすっと読み切れる体力があったからこそ時間本を手にとってみようとなった可能性は高い。いきなり興味と好奇心だけで時間本を手にしていたら読み切れたとしてもどんな感覚に陥ったのかは興味はあるが、おそらく途中で本棚の肥やしになったのではないかと想像に難くない。
読書経験・体験という言うものがどいうものかを実感として考える機会を得たのは、この3冊をこのタイミングで同じ時期に続けて読む事が出来たから偶然。読者層とか誰に向けて書くとか執筆側と読者側の関係を意識したのは初めてでとても面白かった。Kindle unlimited のサービスというきっかけによって生まれた出来事は記しておきたい。定額サービスへの考察も必要だ!

で、各本の感想は以下のように分けて書こうと思う。
後半へ続くー!!って誰が興味あるねん!!

木曜日, 2月 07, 2019

2019年2冊目(330)

ゲンロンβ32 Kindle版
東 浩紀  (著), 沼野 恭子 (著), 土居 伸彰 (著)
株式会社ゲンロン (2018/12/28)

かれこれ5, 6年前ぐらい毎月文藝春秋を買っていた。毎月こういった月刊誌をちゃんと読めたらさぞ知識と教養が身に付くのではないかと。果たして、ささっと流し読みや本棚の肥やしとなってしまった。
このゲンロンβ32は代表の東 浩紀さんが巻頭言「等価交換の外部へ 」で自身に起きた困難に関して記している事を知り、その詳細を知りたくて買ったのが主の理由でこの本の感想には件の文藝春秋同様加えないでいるつもりだった。

しかし、「ゲームにおける反復と追体験(前) 土居伸彰+吉田寛+東浩紀」がとても面白く思うことがたくさんあったので残したいということでカウントしてみた。

ゲームと言う存在への批評とゲームをするという事。全く関連してなさそうだが、似たゲームが出たりゲーム内に他のゲームのパロディーが出る事を通じて僕たちはゲーム間の関係性を捉えて文句や感嘆をあげる。
子供でもできるいたって純粋な行為だけどこれが大事な姿勢なのかもと思った。アニメなどの二次創作も同じような出来事だけどデジタル・プログラムという再現性に富にで複製が容易だからこそ、面白い存在なんだと。

映画のような感じ方以外に体験そのものという要素があるゲーム。プレーヤーごとのスキルでクリアまでの時間や手間がちがう異なるプレイ経験にも関わらず同じゲームについて語れてしまうと言うのにはなるほどと思った。それは旅にも言えるかもしれない。どこに行った的な。

そしてこの経験を触覚ととらえタッチパネルや「RT」や「いいね」を押す行為にまで広げることで新しいメディアを考えるというのはとても深い!

このゲームの経験が追体験いう話題に触れた時に「あ、書き残そうと」と決めたのである。何かを介することによって本文の言葉を借りると「他社の生を生きること」になる。

twitterを見ていて「賛否両論の『ボヘミアン・ラプソディ』5回見てわかった「ラスト21分」4つのウソ 映画は嘘をつくから素晴らしいのだ」という記事に出会った。この映画が史実と異なる部分がある事は言われているのは知っていたし、僕自身はそれを突き詰めたからといってどうやねんという考えだった。なら読まなければ良いのに読んでしまった。感じたのは同じことだが、確信したことがあった。
この映画は追体験そのもだという事。
映画を観ることは同時に自分がQueenを知り理解し共感する事なのだと。この「うまく出来た再現性」が追体験へ引きずり込むから感動するんだと。

昔あったゲーム・コナミワイワイワールド。コナミのキャラクターが勢ぞろいですべてのゲームをした気分になった。
立川談志師匠の死後に放映された情熱大陸の中で、高座に上がった師匠がたくさんの古典落語が散りばめられた噺をする。
このオムニバス的な体験も追体験と共に人(特に知ってる人)を引き込む要素ではと。
料理人・菓子職人・研究者などは再現性を通じて追体験をすることを経るから、人に新たな追体験の機会を与えられるような作品や発見を生み出すことが出来る。
そんな追体験の感動もやがて慣れとなりそこにある景色になってしまう。人間とは贅沢な生き物だ。

後半、まだ読んでない。。。この追体験はどうしよう。。。

土曜日, 2月 02, 2019

冷たさと冷たい?相対と絶対

昔からよく手が冷たいと言われ、「手が冷たい人は心が温かい」など言っていた。
最近握手などで手を握った時に僕の方が温かい人や場合がある。「こっちが温かい時は冷たいし、いつも逆」と言われたのがきっかけで思った。
自分が冷たい・相手が温かいのは相手があっての感覚だから体感のそれと実態の温度とは乖離があるのではと(とはいってもかなり体感と実態には相関があると思うが)考えたのだ。氷点下数十度の外に比べたら冷蔵庫の方がが温かいのと同じように。

日本人は手先が器用だという言説は海外で生活したり外国人と働いたことがある人なら実感はかなりあると思う。僕自身も感じることは多々ある。
でも先の話。手の温度の相対と絶対からこの事象に関しても見方が変わった。
「日本人の手先が器用」とういうより「外国人に手先が不器用な人が多い」方が正しい捉え方なのではと。
なんでこれが出来ないかね?なんて思うことがあったりする。「できる自分がスゴイ(出来ないのが普通)」とするか「出来る自分は普通(できない方がおかしい)」とするのか。

こんなの言葉遊びのようだけど、これは「尊敬語や謙譲語」という表現や「能動と受動」という主体の根元ではないのか?なんて。
この2つをうまく使いこなせると意識の変化や相手への配慮など感じる世界が格段に豊かになるのではないか?なんて。
帰納と演繹に相対と絶対は近いのかな、なんて
最近よく意識する対処と根治とは少し毛色がちがうのかな、なんて。

アジアカップの決勝で負けた日本代表を絶対で評価するのか相対で評価するのか。僕はW杯がゴールと考えたいので相対的にみて考える機会をたくさん持てたとても有意義な準優勝だと思う。
マスコミはいつも絶対的な気運が高い気がする。受け手が相対的な立場でいること。これがメディアリテラシーなのかもしれない。相対の幅を広げる作業・インプットを続けたいです。

今の自分の手。相対的に絶対冷たい。今日は外寒いがオレも寒いぞ!!!

金曜日, 1月 25, 2019

エネルギー

今日は風も強く寒い。そんな土曜日の昼前。公園内のグランドでは草野球と少年野球の声が飛び交う。サッカーでなく野球というのが何だかんで野球が日本では身近なスポーツであることを感じる。そんな景色に雲が晴れ太陽の光が降り注ぐ。

あたたかい。温かいではなく暖かいのような気がする。

太陽が与える暖かさには敵わないといつも思う。この暖かさは光となり視界を与えソラーパネルを介して電気をも生み出す。体内ではビタミンを作り、植物は光合成を行う。
とてつもなく遠くい宇宙からやってくるのに強さを備えたまま。エネルギーを与える。


映画Bohemian Rhapsodyの最後。live aidのシーン。音楽の持つエネルギー。
僕はライブの観客を東日本大震災の被災者の方たちに投影してしまった。
震災後の自粛。好きなお笑いは不謹慎に変わってしまう。笑うというのは実は感情というエネルギーが高くないと起こらないのかもしれない。
そんな悲しみや不安な感情にエネルギーを注ぐには音楽が有効なのだと思う。
復興を促すコンサートでミュージシャンの演奏を聴き涙を流す人たちの映像を思い出す。
その演奏は焚火を囲んでのギター1本もフェスのような大規模なのも同じエネルギーで心を暖めるのだと思う。暖かさに涙するのかな。


またlive aidのシーンは演説や講演で聴衆の前に立つことの感情も想起させた。
選挙で支援者や有権者の前で。聴衆の心を動かす震わせるエネルギーが無ければ投票に繋がらない。講演で聴衆に感動や驚きを与えるから、色んな発見や研究成果は認知され広がるエネルギーをまとう。
去年リタイアしたボスと一緒に学会へ参加した。僕もスピーカーとして。当時は緊張と興奮の間ですべらないように!と必死だった。ただ壇上に立った景色は今も忘れない。壇上から僕が見た景色は2日前にボスも観た景色。こんな感じの景色を前に発表を長年されてきたのかと、今その景色を想い出す。リタイアまでに同じ板に立ててよかったと思う。勝手に思う、バトンは受け取りましたと。思い出はこれからの活力へエネルギーへ変わる。


エネルギーは生み出され伝播し吸収されて新たなエネルギーに変わる。どんな性質のエネルギーになるかは、作り手次第であり受け手次第でもある。
全豪OP女子シングルス決勝で大坂選手のエネルギーを感じれたらと思う。
あの舞台でプレーし何かを感じた彼女から、それを観た人たちから、結果を知った人たちからまたエネルギーが生まれる。僕も受け手となり作り手へと。何を作るか。観てみないとわからないけど、上手く変換したい。注ぐ課題はたくさんある。楽しみだ!!!

相乗効果を生むためにビールを買いに出かけよう。太陽が沈む前の残り香があればいいな。そんな素敵な土曜日。。。なーーーんてね!

水曜日, 1月 23, 2019

名案・嵩高く

映画を観に行った時に思った事。映画と言えば的なポップコーン。

あのバケツからモグモグするのがいいなーといつも思う、反面あんなに食べられへん。小さいサイズはあるけどあのバケツサイズがいいねんなー。しかも僕はあの買った時のモリモリな山の部分を食べるのが好きでやし。

そんな自分勝手な欲求を考えるうちに良い解決策が!!
容器のサイズは同じで量を変える。しかも、山盛り感を維持するためにエアバッグ的なのをかまして嵩高くしてしまえば(絵参照)。
image.png
見た目のケチってる感もないしええんちゃうの!!

思いついた時は一人ポップポップ。テンション上がった。でも結局ポップコーンは買わずビールを買ったのでした。。。
どこか採用せんかなこの案。絶対ええと思うねんけど。そうしたらビールとポップコーン買うで!!(説得力ゼロ)

月曜日, 1月 21, 2019

時計の針

僕は音楽に関しては情弱で好きな音楽ばかりを聴いてしまう人間です。
でも、そんな僕でもQueenは知ってるし、その中でも好きな曲はありました。
でも、あの歌声の主フレディ・マーキュリーについては全く無知でした。映画Bohemian Rhapsodyが封切され観に行く直前にベタにウィキで調べた程度です。
でも、元日に映画を見て彼の才能と人間性と苦悩に触れ最後のライブコンサートの映像が終わりDon't stop me nowで自分に起こった色んな出来事に対して思いを馳せた結果涙が溢れ出た。嗚咽と共に泣きじゃくってしまった。その後からQueenの曲が頭をグルグルずっと今も鳴っています。
でも、Queenの時計は一旦フレディの死で止まってしまった。
でも、その時計はあるきっかけを基に新たに大きく動き出す。時代だったりドラマだったりCMだったり。それが今回は映画だった。

The Postという映画はペンタゴン・ペーパーズというベトナム戦争に関する最高機密文書を巡る話。新聞社(ニューヨークタイムズとワシントンポスト)が報道の自由と政府との圧力の間戦いを描きます。この新聞社のスクープによって、政府内で閉じられていた真実が暴露され反戦の気運がさらに高まります。
絶滅した恐竜の遺伝子を分子生物の発展で扱えるようになった話がジュラシックワールドです。同作内で恐竜の遺伝子を「自然からの贈り物」と表現していたシーンがあったように思います。
2つの話はともに本来止まっていたものが動き出した結果・経過の話です。顛末はどうであれ。

人生においても昔の友人と繋がったり、仕事におて止まっていたプロジェクトが再開したり。またその逆の動きが止まるケースも。死などはその代表かも。もちろん遺志を受け継ぐ人がいれば作品や繋がりとしては残るのだろうが。
止まった時間が動き出す、または時間を動かす事ので起きるパワーをここ最近とみに感じます。見方によっては動いたのではなく現在と繋がったという表現も出来るかもしれない。ただ止めること・止まる時間があるからこそ、世代や時代を超えて影響を与えるモノとなる。それは時間という何とも不思議な空間の中で存在している。深い。とても深いと思う。

過去の論文をしっかっり読み返してみるだけで今見れば大発見になるような事が眠っているのかも。ただ、それを検索する時間に今できる事があるわけで。。。
時間よ止まれ!これが一番効率的、ただ時間が動き出さなかった意味がない。
要は、地道に日々を必死で生きるしかないのだ。ただ生きるな、善く生きろなのかもしれない。

今日は「ただ飲むな、善く飲め!」にしよう!良く飲め、欲飲め、ああ恥ずかし。。。

木曜日, 1月 17, 2019

2019年1冊目(329)

生涯投資家 (文春e-book) Kindle版
村上世彰  (著)
文藝春秋 (2017/6/21)

時代の寵児的にホリエモンさんと同時期に世間をある意味で「騒がした」村上ファンドの村上さんの本。
正直イメージは良くなくて何となく上から来るような感じの方かなと。ただ、やっぱり当時はメディアの報道に踊らされて一体あれは何だったのか知らない事が多すぎるので、当事者のバイアスはあるだろうけど手に取る必要があると。

やっぱり生まれ育つ環境というのはその人の人生に影響を与える可能性が相当に高い要素なのだと。家庭の関係で小さい時から投資が側にあった環境。それに伴って進み道から生まれる人脈のクラスター。これは想像が出来ない人には異次元であるに違いないです。

官僚という立場で国をどうするかを経験したうえで実際にプレーヤーとして動くことに決めた経緯。
「企業と投資家・株主との関係性」
この辺りの上場の意味や経営にかんする解説はかなり勉強になりました。
上場と非上場は英語でgoing publicとgoing privateと言う。上場企業は公にさらされる。だから買収もありえる。

なんとも英語の明瞭と日本語の表現の対比に驚きながら、漢字の強みと弱みを感じました。感じを教える上で出来た当時に空気が分からないと伝わらないような語彙が増えてきてるのかもなんて思ったり。脱線おしまし。

そういう点でニッポン放送の一連の出来事を解釈するとなんともホリエモン・村上ファンドの登場は理解できるものになる。阪神電鉄の話も分からないではない。国際化と言いながらシステムが適応できてない。システムをどう変える変えない勝手だけど、変えなくて何か大きな問題が起きても文句言うのは無し。その議論が起きて変えないで通した人は上手く行かなかった時は非を認めて謝る。社会のルールの会社の経営というか、今のご時世にぴったりのような寓話のようです。

そういう意味で、もちろんやり方はもっとあったと思うけど、早すぎた人なのかもと。道半ばな案件が多く本人も実行できず残念という記述が多かったのが印象的でした。描く絵が大きすぎたのかな。
人はたとえ論理的に見て正義だったとしても反発する。感情という正義。
大きい小さいの問題ではないのかもしれないけど確実に思いを実行する・できる難しさでしょうか。独立したりトップに立つ場合に参考になりそうです。

その後の東日本大震災でのNPO支援や「成長無きところに投資は起きない」という言葉を想うに、この方は「パトロン」的に活動されるのがおそらく一番合っていて、今はまさにそうされているのかなと。

昔のサイエンスはパトロン無しには成り立ちませんでした。格差が言われる中でパトロン的な考え方はクラウドファンディングのようなやり方と共に今後の生産活動において大事な視点かもしれないです。

パトロン。この指とーーーまれ!わー、なんでパタリロ来るねん。。。お後がよろしいようで。。。
(キンドル版が一冊目というのが実に面白い。。。)

2019年開店ガラガラ

2019年最初の月も半分が過ぎました。
早い!けど色んな出来事がすでにあった。この20日に満たない出来事が物語っているように今年は予測不明だと思う。

だからこそ結果(アウトプット)を出していきたいと思います。
どちらかと言えば質にこだわりたいタイプだけど、今年に関してまずは結果を見せる事に重きを置きたいと思います(質を無視するわけではないけど妥協するところ妥協する)。理想と現実なら現実に寄る感じで。

年の初めから気合を入れなと思わせてくれる出来事に巡り合えているのは本当にラッキーです。不義理をしないように走り抜けたいっす。
まずは高く飛ぶためにしゃがむ準備を春に向けて。。。アキレス腱もう治ってるよな。。。