日曜日, 11月 24, 2019

過去と未来を繋ぐきっかけ

アメリカに来て初めてNBAの試合を一人で観に行った時のこと。
高校までバスケに明け暮れてた自分にとってテレビ越しに見ていた光景が今自分の目の前にある現実にニヤニヤしていた。
そこには「この場所にいる」高揚感から英語を話せない・聞き取れないなんて些細な事になってしまった。
そんな僕が全身をゾクゾクっとさせる出来事と試合前に遭遇した。

国歌斉唱である。

当時は「君が代」は厳かで国際大会の試合前に聞く曲としてはどうなのだろう。と言った話は聞いたことがあった。それを脳裏に意識したのは人生初のアメリカ国歌斉唱を体験してからだが、この会場のボルテージが上がっていく光景はもう感動でしかなかった。
その後もこの感動は常にアメリカの4つのメジャースポーツを見に聞く際に感じたし、今も感じることである。

君が代の持つ厳かな空気感。実際、僕の記憶が正しければ君が代の意味を音楽の時間にプリントを使って学んだ記憶がある。中学生の時だったと思う。

「千代に八千代に」「さざれ石の」「巌となりて」「苔のむすまで」

へーって思ったし、その意味は僕の記憶と習った事が正しければ今でも説明できる。

成功に終わったラグビーワールドカップ。時差的な問題で唯一観れた日本vsアイルランド戦で聞いた君が代は僕に全く違う印象をもたらした。
この大会に向けて選手達があり得ないと自ら口にするほどの厳しい練習をやり切ってきた日本代表。
この大会中に知った事だか君が代の意味を理解する機会を選手間で持っていたという。それは外国籍の選手が日本代表として戦ってくれるための「愛国教育」とも言えるかもしれない。でも、彼らはそれを求めると思う。何故なら僕のアメリカ国歌斉唱の経験が1つ。そして、永住権を持った人がアメリカ国籍を取得する際に国家を歌えるかが試験の一つにあると友人から聞いたから。
日本人でさえどれだけの人が君が代の背景を語りながらお酒を酌み交わせるだろうか?

君が代のは試合前に聞く国家として実はものすごく最適なのかもしれない!と思ったのです。
厳しい練習を重ねたアスリートにとって試合前の不安を解消する唯一の方は自分に自信を与えてくれるモノ思うこと。そう、それは厳しい練習に耐えしっかり準備した事実に違いないはず。それを思い起こす際に君が代の持つ背景や曲調こそアスリートを試合に向かわせる触媒ではないかと。
それを思った瞬間に君が代を歌う日本代表という枠の中で戦う事を決心した世界各国の侍たちの姿に自分は泣いてしまっていた。周りに悟られないように必死に隠していた。
君が代は試合前にこそ聞くべき曲なのだ僕は思う。うちから湧き上がる闘志を確認し自身に変えるために。

それを気付かせてくれたラグビー日本代表とラグビーワールドカップ感謝です!

君が代を歌える聞ける舞台を求めて。。。
僕にとってそが実行可能な舞台。
karaoke time!!!

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