土曜日, 1月 30, 2016

4th book on 2016(234)

現代思想 2015年12月号 特集=人工知能 -ポスト・シンギュラリティ-
新井紀子 (著), 小島寛之 (著), 石黒浩 (著), 茂木健一郎 (著), 竹内薫 (著), 西垣通 (著), 池上高志 (著), & 6 その他
青土社 (2015/11/27)

久方ぶりのこの手のムック系の本を読みました。いやー、脳みそが鍛えられますね。
その脳みそがらみの人工知能に関するお話。

感じた事は研究者がまず本質的な知能・意識・思考・賢さ・理解について研究していいるということ。つまり、それをベースに生きている人間自体がその本質的な解に辿りつけていない。
ここでの理解と言うのは物理や数学的にアウトプットとして再現できるいうレベルです。

どうしても人工知能(A.I.)の話となると、機械がロボットが人間の仕事を奪ってゆく未来の担い手。あるいは便利さの象徴として語られるのかもしれません。

そもそもそれを担うにあたり日常での僕らの作業の根本を理解できていないのに恐れるのは本末転倒に思えます。ただ、その探究の過程でパンドラの箱を開けてしまうかもしれない。決定的なアルゴリズム。これがサイエンスがもつ爆弾ではあります。原子の持つ謎を純粋に探究しプルトニュウムの力を知った人間が純科学の手を離れていったのは周知のことであるように。

これを読んで思ったのは、人間がいかにダイナミックに情報を処理していること。日々がたくさんのノイズと無意識の構成であること。それを最適化して記憶や経験と紐づけて生きている事。そして、たくさんの人工知能がもう日常生活の一部に当たり前に入っている事。こういった人間側の事情を知らない機械そして怖れを知らない機械だからこそ、ビックデータの処理やその人工知能をもっと有益に使う方法論が存在するはずと言う事実。
「人工知能と友達になるための教育」という項があります。これが答えなのではないでしょうか。

東大合格を目指す「東ロボくん」はキン肉マンのウォーズマンには到底及ばないシステムなんだろうけど、それを達成できてもウォーズマンがキン肉マンで見られたように設定を超えた処理能力では機能不全になるかもしれない。その設定が人生と言うなんとも大きな意味を持っている人間の深さを考えさせられました。死と言う問いは人工知能には不問なのかもしれないですね。

連載も面白いモノばかりで定期購読したいのですが、これを設定にしても一か月内に処理できる自信が無いアルコール勘ピューターには。。。
とりあえずガスヲ・ホキュウ・シマス!

木曜日, 1月 28, 2016

3rd book on 2016(233)

置かれた場所で咲きなさい 
渡辺 和子  (著)
幻冬舎 (2012/4/25)

お借りした本です。今年の始めに読んだ日野原さんの本が「死」に対して書かれたもの。そしてこの本はその対となる「生きる」に関して綴られたエッセイ集とでも言うのでしょうか。

ここで語られることは「そうだよねー」と言うことばかりなのです。でもそれを実践することの難しさと人間の持つ忘れっぽさを思い知らされます。
自分自身も意識していることやそういう風になりたい振舞いたい事のオンパレードでした。
「あー、忘れてた」と言うのもある反面、以外に今も意識できているのとかも結構あったのでよい復習というか新たな気持ちで意識付けできました。

日野原さんの本を読んだ後と言うこともあってか、ちょっと自己啓発本的というか要旨集っぽく感じてしまったのが僕の脳みその反応でした。あと読んだ本が第67刷と言うのに驚愕でした。。。

筆者は修道者であるのでキリストの教えや言葉に基づいたものが多いのです。そして、なんとも驚きがありました。れらの意味する本質と言うべきものはなんとも仏教にもみられるものに被るなーと。

週末に教会に足を運んだり、法事等でお坊さんの話を聞くと言うことは僕が今回したような継続的な意識の植え付けなのかもしれませんね。やっぱり原点を辿り教えを請うということが大事ななのでしょう。それを上手く組み替えすり替え違う意味で刷り込まれると。。。ねーーーってなりますね。

本来、釈迦やキリストやモハンマドなどの祖となる人たちが辿りついた物事の本質的な問いと言うのは同じようなもので、ただ表現方法や応用と言った手段の差異が各教えの色となっているのかな、なーーんて偉そうに考えてしまいました。。。飲むと大きくなる人の典型でした。。。

水曜日, 1月 20, 2016

お化け番組たる所以

昨年末からちょっとどっぷりハマっている番組

「探偵ナイトスクープ」

あー、円広志の「ハートスランプ二人ぼっち」がぐるぐる!!

感動あり、爆笑あり、社会派あり。 
はー!?あほちゃう!?もある。これが一番大事かも。

依頼を出せる空気。
依頼を出来る空気。

ちょっとねー。すごい!
西田局長は「町の何でも屋」と言ったのを偶然耳にしたけど、それになれるのって中々でしょ。

たかじんのそこまで言って委員会で故・たかじんさんが視聴率があるから許されてる的なのを副委員長の辛坊さんと話してた。
世論の支持。政治然り。色んな所でも真実ではあると思う。
でもナイトスクープのそれは異質で、なんやろ人の本質とか喜怒哀楽の深いところをツンツン出来てるといか。

まっちゃんがワイドナショーでいじめ問題に関して、「ナイトスクープに送ったら解決できたかも」的なコメントをした時なるほど思った。
それは、局長が上岡師匠だった小中高と観ていた感覚とは違う現在自分の持つ色んな感情を持って観るこの番組の彩に起因すると思う。。。ねーーー!何回も泣いたし笑ったし。

探偵さん個人の色もあるし。あの番組に選ばれるってうらやましいと思う。

これからも応援したいし、続いてほしい。依頼でも出すか!!!

大阪のお化け番組は永遠なれ!!!!

2nd book on 2016(232)

数学する身体 単行本 
森田 真生 (著)
新潮社 (2015/10/19)

最初の数章を読むと今僕たちがいかに当たり前に使っている事の後ろにどれだけの試行錯誤とと困難があったかが入ってくるでしょう。

ゼロから1を作るという作業の深さですね。
一が0から生まれたらそこからは走り切れるか。
でも0と1の文字のおかげで、世界中の人が「ゼロ、一」が「0、1」と通じる事実。
英語は公用語と言いながら、数は公用を超えてコモン(常識)となっている。

すごいね。

数学者たちが説いた問いの本質。ありがたく刻ませていただきました。忘れてはいけない。
その言葉は何とも美しいんですね。(以下引用)

「いかに」答えを導き出すかと言う技術以上に、「なぜ」その答えが正しいかという理論に拘った。
「図形」の織り成す世界を「よく見よう」とする静かな情熱
「わからない」はあくまでもこちらの話で、数式の方は平気でその「存在」を主張してくる。
「計算する機械」がどこまで「数学する機械」でありえるかだ。
「零までが大切」

(以上引用)

だた最後に進むほど富士の樹海のようにハマっていってる感はグイグイくる。
その深みが心地よいのか不快なのか。SMみたいなものかもね。突き抜けた本質って。

魅了す。そこには数学的な生物的な物理的なハーモニーを思うのは合理的なのかな。
だからこそ、そのそれたる箱の中身を観てみたい。
生化学者の僕はツールとして数学を使いこなしたいなと思ったのでした。

sin, cos, tanはスーパーでの買い物には役立たないけど、「そっち方面」に行く際は役立つかも。
なんか教育って教養の背景を整地する作業かもっていま、まさに今おもって書きました。

ビールが潤している僕の土地は不毛なのかトチ狂ってるのか。。。
正解は。。。もう一杯!



1st book on 2016(231)

死をどう生きたか―私の心に残る人びと (中公新書 (686)) 新書
日野原 重明 (著)
中央公論新社 (1983/3/23)

この本の感想を書き始めてとみに感じること。本は手にした時がサインで、読み始める時に意味がある。

この本は記憶が正しければ7年ほど前の一時帰国の時にたまたま立ち寄ったフリマで3冊500円(もっと安かったかも)で購入して、ずーーーーーーっと積読されてました。
存在は把握してるけど読む優先順位が低かった、それがあるきっかけで思いを馳せる時に手に取るべき本となって居てくれた。

それは人が死を意識した時に生まれる感覚に近いのかもしれない。
当たり前が当たり前でなくなるという、残酷な仕打ちを受けないと天に召されない現実を受け止めた時に、人はいつも感じることのなかったゾーンに入っていくとでもいうのか。
そのゾーンには今まで生きてきた・関わってきた・捧げてきたものが色濃く反映されて、よりいっそう個人を浮かび上がらせるというのかな。

本書に出てくるのは一線で生きてきた人たち。だからこそ本として綴れる話があり、担当医を務めた日野原さんという「キュレーター」によってまとめ上げられた。
でも万人に万人の綴るべき話があるはず。あそれは、当事者となった人か「キュレーター」となり心の本に記さないといけない。なぜなら、問いを投げかけるという行為は対象があっての出来事だから。
その方法論、どう向き合ったらいいのか困ってる人にはよいナビになるのではと思います。

もう30年以上も前に出された本。色々変わったけど変わらない事。人はいずれ死ぬのだいうこと。そして人はそれに対峙しなければならないということ。

。。。

今年の僕、一味違う!?

初めの第一歩!

1月ももう終わるという時期にようやく投稿です。

毎年掲げる今年の目標。
2016年たった20日足らずで世界中で色んな濃い出来事が起きている。先が読めない大乱の年などと言われている2016年。
きっと僕もそうなのかもなーんて。安定と言う要素があるから目標も掲げられるのかと物思いにふけっていました。

今年は現れる目先の出来事に最善策を取れるよう全力を尽くすという、なんとも可も不可もない事が重要な問いになりそうです。

で、目標。。。

大晦日に
「おーーー、なんとかなったな!」と旨い酒を飲みながら言えるようにする!

今のところ。。。どーーーーーだかなーーーー。
がんばれσ(゚∀゚ )オレ