土曜日, 2月 28, 2015

10,11冊目2015(197,198)

一度、死んでみましたが 単行本(ソフトカバー)
神足 裕司 (著)
集英社 (2013/12/13)

歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年 (新潮文庫) 文庫
永田 和宏 (著)
新潮社 (2014/12/22)

本来一冊ごとでコメントを付加できるだけの重みのある2冊をたまたまた連続性をもって読めた事実。これに対して誠実に答えるなら2冊の感想で記録すべきだと。

死と生

誰もがさまざまな角度から関連性をもって無意識と意識の狭間で葛藤する課題でしょう。
前著は死から生を得た状況に。
後著は死に向かって進む生を。

どこか交差するようでしない。でも葛藤は共有する。当人とそれを取り巻く親族・知人を含めた。

そして両当事者とも表現者であるという接点。
死から生還し、文章を残すことで生をそして自己を変化を葛藤を表現する。
死に向かい、短歌を残すことで生との接点を求め遺す作業。
それらを汲み取れる周りの存在があってのことで、だからこそ書物として残ってはいるのですが、果たして自分がそのような状況で何にすがるのか。

読書の底辺または少し空的な所に存在する命題に目を向けるか向けないか。
僕はどうしてもそっちに気が向いて脳みそに重く響く2冊になりました。

生命はタフだか精神はもろい。生命は精神に寄与し、精神は生命に関与する。
メビウスのリングのようなパラドクス。これが生きるという事。
偶然に連続性を持てたこと。その後に起きたサプライズ。人生は豊かでかつ残酷な寄せ付けない存在。だからこそ探究すうという。
釈迦の掌は大き過ぎます。

何杯目?4杯目!そのまま掌で寝そべっていてください。。。

火曜日, 2月 24, 2015

9冊目2015(196)

工学部ヒラノ教授と七人の天才 単行本
今野浩  (著)
青土社 (2013/3/22)

去年のテレビドラマ・ガリレオシリーズのキャッチコピー「天才、変人、再び。」
まさしくそれを地でいくようなエピソード。として読まれがちになりそうですが、そっち側の人間からすると腑に落ちる点がそこらじゅうに。この辺の業界感を知るにはいいと思います。

とはいっても、工学・数理と生命科学ではまた微妙に違うのでその辺の比較が当事者にも面白く読めました。あと学内・学閥ポリティクス。体験してしてない僕には面白くそしてちょっと恐ろしく、お化けをみるかんじですね。でもこれも知らないと大変なのかも。

工学・エンジニアと数学の交差が医学・応用系と基礎研究の交差を見つめる上で参考になり、なぜ経済学をやるには数学が居るのかもなるほどと。他人の芝は青く見えますね!自分がこれらの勉強を避けてきたことへの後悔を痛感しました。

そして、やはり魅力的な研究者が昔は多いなとも。抜きん出た才能って今は出にくいのかな。ハングリー精神というものが如何に活力になるかの例もここにあったので、やはり現代はいい意味でも悪い意味でも豊かなんですね。数学的な経済的な工学的な考え方・モノの見方。そしてそれらの繋がりようは一つ前に読んだ本と共になにか今後の研究に楔を入れられたような気がします。いつかはっと気付けるように。

おわりにもありますが現代から見ると当時は牧歌的な空気があるように見えますね。もちろん当時の現場はそう思わないとなるでしょうが。それだけ現代の研究・アカデミアというものが激しい生存競争になっている証左なのかもしれません。そして、この手の稼業がやっぱり僕は好きなので何とかレジズトしたいです。むこうはどう思っているか知りませんが。。。

日曜日, 2月 22, 2015

8冊目2015(195)

森の力 植物生態学者の理論と実践 (講談社現代新書) 新書
宮脇 昭 (著)
講談社 (2013/4/18)

今あなたが見ている風景はその地の原風景ですか??
問いかけとしてはこんなかんじでしょうか。

地域開発などで日々変わりゆく景観。それは現代の最新技術を駆使した設計で彩られたもの。これなら。などと思うニンゲン。
しかしこのニンゲンは知っている。如何に自然の前では無力であることを。
地震やハリケーンや火山活動などでグーの音も出ないほどに。
ニンゲンと同じように自然も自然に負けるのか?
何を酔っ払いのコメントのように言っているのか?僕は至って真面目である。
その自然をどこまで評価しているのか?と言う問いをこの本は提示してくれたから。

あのおっさんは酔うとケタケタ笑いだし、グラスをまわしゲーゲーゲップをしながら真面目な話をしたかと思うと下ネタを発し、メールですまぬと詫びてしらっと言う「断片は覚えてる。家帰ってカップヌードルを食べていた。」
それは彼の自然な振る舞いで、本来な振る舞い。で、仲良くなれば織り込み済み(であってほしい。。。)のである。しかし、知らない人には面食らうであろう。それは知らないから。でも彼は言う、僕は僕だ!

あの森やあの景色。気付けはそこにあったもの。だけど。。。!?

いかに、人為的なものを原風景だと思っていることを知るでしょう。そしてそのクレームの対象がクレームを付けようもない過去であること。張りぼてだった真実。
でもあえていうとそれは真であり、僕たちの生活には必要だった。
では、ニンゲンって何??
またー!大げさな!を打破する論拠が実際に震災での実績で証明されているからこれが重い。

歴史と科学。地産地消の地に住み、住みやすさを享受する。果たしてその歴史は本当の歴史なのか?

長く強く負けずに存在するもの。案外灯台下暗しwith 知識暗しなんですよ。

自身の研究について少し考える種をまいてくれた気がします。そして、根拠のない何かが芽生えた気もします。個人的にはとてもいいタイミングで読めました。酒ばっかり飲んで枯れないようにしないと。。。

7冊目2015(194)

日本開国 (アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由) 単行本
渡辺惣樹  (著)
草思社 (2009/11/25)

歴史の教科書から試験で点数を取るために覚えた出来事。
日本史と世界史はもちろんリンクした事象なのですが、どうも別のカラムで流れで覚えてている。なぜなら点でしか覚えてないから。
しかし、歴史である以上線であって関連している。一見無関係な点も大きな影響や引き金だったり。
そして、今知ってる事実は実はその点を正確に紡ぐことで変わってしまう。

ベリーが開国を求めたのは捕鯨船の停泊や燃料補給のためというのうのは。。。実は!!

その歴史の機微が焼き鳥のように事象が串になって美味しく味わえます。その味の深いこと。

身近な話で言うと現在の生活地であるアメリカ西海岸の歴史というのが意味深く、先日訪れたサンフランシスコの存在意義とそれを含むカリフォルニアを巡るメキシコとの戦い。オレゴンと言う土地。
日本の開国に関連した地に今いる日本を離れた日本人がそれを知るのがアメリカで読んだ日本から取り寄せた本。太平洋!!!って感じですねー。

細かい点を付加すると、アヘン戦争とアメリカのアイビーリーグ、シーボルトと国家機密、イギリス・アメリカのアジアへのアプローチ、漢学・蘭学・日本語と英語を絡めた知識知人の語学力、などなど。中国・日本・アメリカの政治的距離感はずーーーーっと変化しつつも解体できないんだなと変に腑に落ちました。

昨今の中東情勢から感じいる、歴史を吸収しないと今の世界を正確に観れないなと痛感。
酔っぱらってるお前に何が見れる!?ビアメニューonly...

金曜日, 2月 13, 2015

6冊目2015(193)

スローカーブを、もう一球 (角川文庫) 文庫
山際 淳司  (著)
KADOKAWA/角川書店; 改版 (2012/6/22)

スポーツをすると言ってもプロからアマチュア、さらには初心者まで。でも、それに取り組む行為の発端は気分が乗る乗らないにせよ自発的にしか起こらないのでないだろうか。
その自発性が自主的、定期的、本格的、競技的と勾配がかかって最初に述べたようなカテゴライズに落ち着いていくのでは。

そんなスポーツに取り組む人たちのドラマが当事者性を持つかのように描写されたのが本書です。
そのドラマはプロ野球やワールドカップ・オリンピックと言った大舞台をイメージしたならそれはスポーツにコミット出来てないんじゃない!?と言わんばかりに変化球が投じられてきます。

高校野球(甲子園とその予選)、ボート、ボクシング、ファームのピッチャー、スカッシュ、棒高跳び。唯一のプロの話は江夏の21球。

「これだけ揃えたらどこかに共感できるだろう」なーんて思っているのら是非読むべきでしょう。何かに熱中したことは誰にでもあるはず。そんな高揚をもって読めばなんか切なくでも愛おしく感じる自分・回想する自分がいるはずです。

文庫本の背面に「人生がゲームのようなものなのか、ゲームが人生の縮図なのか...」とあります。そう、この本のように各人の行うスポーツ。マラソン、サッカー、草野球、ゴルフ、テニスにボーリングも入れようか。思い考え動く個人のケミストリー。
その化学変化に関与しませんか?ってこれを読んだ時点で関与してるんですよ!!
はい、ヨッパライ!万歳!

日曜日, 2月 08, 2015

5冊目2015(192)

イスラム国 テロリストが国家をつくる時 単行本
Loretta Napoleoni (原著), 村井 章子 (翻訳), 池上 彰
文藝春秋 (2015/1/7)

ちょっと頭をガーンと叩かれたような感じです。自称イスラム国を名乗る彼の地域を支配している人たちがどういう人なのか、分かりやすく解説しあります。僕にはそれと同時に色々な事を考えさせられる本でもありました。

正当性。つまりは歴史。ユダヤ人にとってのイスラエルと相対化することでそれが見えてきます。これが竹島・尖閣・北方領土と違うのは宗教が絡むからでしょう。どこを基準にするのか?これは僕らの過ごす社会でも起こりうる。

そして麻痺の恐怖というもの。中東って僕が生まれてこの方ずっといざこざがあるわけで、空爆だ侵略やテロやら。30年以上もこんなん続いたらどうなるか?その現地の人の当事者やあの地域の空気感の欠如が一番危険だなと。そしてそれを考えてから読む空気は変わりました。

これらの要素のために状況的に常に失業や貧困が起こる。笑ゥせぇるすまんの喪黒福造ではないですがココロノスキマがある。そこに言ってしまえば企業のようなマーケティングとリサーチで練りに練った戦略的方法でその隙間にアプローチする。
だれにリーチする。ストーリー性。ロイヤリティー。これらによって隙間が埋まり共感と熱狂が生まれる。
民主党に期待した時、あるいは小泉政権と同じような構図でしょう。

武装集団といった人たちを何年間も根絶させようとしてできなかった。中途半端で終わってしまったツケによって今の状況がある。

そう、この集団は現代が生んだ鬼の子なのだと。僕たちはどう向き合っていくのか?そして絶対的な価値感って何なのだろう?
教育の重要性を感じましたね。そして道徳や倫理と言うものの果たす役割も。

読む価値が十分あります。ガーンと叩かれすぎて頭が。。。それは単なる二日酔いでは??

水曜日, 2月 04, 2015

汲み取る・感じる

先日ですが一時の話題を掻っ攫った「the interview」を観て来ました。

友人評はイマイチとの事だったのですが、僕自身の感想は良く出来ている!でした。
細かいあの国の内情を調べて描写していたと思います。そのバックグラウンドがないと飲み込めない部分があるのかもしれませんね。


ここからが今回の本題なのかもしれません。
前出の友人は俳優さんの演技に関しての感想が大部分を占めていました。アカデミー賞といった賞がある以上、目がそこに行くのは仕方ないかもしれませんね。
数週間前僕が好きな映画(邦画)への批評をしている動画をyoutubeで観ました。演技やストーリーといった部分に関してたくさんの批評をしていました。

上記のそれらはそれで間違っていないのかもしれない。でも僕は違うと思うのです。
監督が何かを伝えたくて作品にするわけですから、その監督の「メッセージ」に対して批評をすべきだと思うのです。上の2つにはその事が全くなかった。

インタビューで言えばおそらく「無能なボスを持つ悲劇」なのでしょう。それを表現するにはかの国はぴったりです。でも、裏返しにいえばレイムダックとなったオバマへの痛烈なメッセージと僕には取れたのです。
ストーリーの良し悪しや演者の出来不出来云々はメッセージを伝えるための手段に過ぎないサブカルチャーには当時の社会状況が色濃く反映されるのもです。だからこそそれに対しての議論をすることが作り手への敬意となるもの僕は考えます。そして今回思いました。

たまに映画を観るのは良いですね!
それでは、さよなら、さよなら、さよなら。