日曜日, 10月 31, 2010

書評 その34

日本人だけが知らない 日本人のうわさ 笑える・あきれる・腹がたつ (光文社新書) [新書]
著:石井光太
出版社(発売日):光文社 (2010/2/17)

「実は…、らしいねんて」って噂話ってしません?
そんな話の対象が日本人。外国で語られている日本人への噂話集とでもいうのかな。

僕はこれは示唆に富んでいるなとすぐに読み切れてしまいました。
噂の中にあるイメージや対象としての日本。それに付属される脚色。
そのイメージは本質的な日本なのか断片的な日本なのか。

見た目なんか友達になれそうに無い。でも話したら意気投合。
そんな経験を踏まえるともう「へー」ばっかり。

ここでも出てきますが、時に世論操作・洗脳・政治的な噂の流布も存在します。
人が発する言葉のバイアス。
正確に伝えることの難しさの裏返しが噂なのかもしれませんね。

噂や評価などからフェアに自分を客観視できる目を持てたらいいですね。

書評 その33

中学生からの愛の授業 [単行本(ソフトカバー)]
著:宮台真司
出版社(発売日):コアマガジン (2010/6/15)

僕の尊敬する社会学者・宮台さんの本です。
宮台さんは10代の方へ向けて語っておられますが、大人が読んでも十分すぎます。
もし10代の多感な時にこの本を読んでいたら自分はどう感じるのかとか思ったりしました。

テーマはタイトルにあるように愛です。
愛とは定義しがたいもので、最近僕も本当に悩んでいますが(僕の場合は男性が抱く、女性への愛とsexの関係性ですが…。)そのような問いに分かりやすく答えてくれています。

愛というと抽象度が高いですが、それは恋人・親・友人そして社会と自分との関係性の中に存在する感情とでもいうのかな。
それが今どのように変化して、どうなっているのか。その本質はいったい何なのか。

「そうか、そこには愛が関係していたんだ」と社会の中の自分がどれだけ日々直接・間接的に愛の影響を受けているのかと思います。

愛という基本的な命題に一度向き合うのは意味があると思いました。
今の僕…、とりあえずビール愛。

書評 その32

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)
著:高橋 昌一郎
出版社(発売日):講談社 (2010/4/16)

この本は面白いです。前作の理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性とセットでお奨めです。

日々気にしないようなことを深く深く議論していきます。
そして辿り着く解の出ない領域。関連する多数の事象。
意味を見出すとうこと。偶然なのか必然なのか。

自分の存在ってなんじゃ?と思います。

僕は研究をしているので、科学者として向き合うべき問題もたくさん感じます。
昔から本当に色々なことが議論がされているなと思います。
それらを今や当たり前に何気なく過ごしている現代人にはちょっぴり刺激的なのではと思います。

タイトルの字面上難しい感じを受けますが、筆者の力量の凄さで分かりやすく読み進めるはずです。
さぁ、本質の世界へ!!

書評 その31

王道の日本、覇道の中国、火道の米国 [単行本]
著:青山 繁晴
出版社(発売日):PHP研究所 (2009/8/6)

僕の尊敬する青山さんの本です。
出版時は北京オリンピックやオバマ大統領の誕生、チベットでの出来事の時期。タイムラグを感じながら読むと示唆に富みます。
そして世界は今どのように動いているのか。

領土問題、人権問題、エネルギー問題、食品問題。
どれだけの問題がこの短期間にあったのか。そしてもう忘れてしまっているのか。

過去にこのブログに載せた姫路にある円(本来はくにがまえに員)教寺の高僧の方の意思表示がなされるまでの裏側。
僕がお世話になり、また訪れたいと思う対馬の話など。

僕は色々なことを考えながら読みました。
時に小説のように、時に歴史的書物のように、この日本が関係する出来事が記してあります。
日本はどうすべきなのか?自分たちの国家・領土などについて考えてみませんか?

火曜日, 10月 26, 2010

飢餓

得る。失う。

得たから失う。

その尊さや大切さは得て満ちている時には分からないのか。

今、仮に再び得ることがあったら、感情に変化は生じるのだろうか。
やっぱりまた満たされると忘却の道を歩むのか。

客観視された感情は自己の中に持てないのか。
今ここに存在し自己を定義する周りとの関係性がしんどい。
レッテルとしての名や肩書を棄てて何処かに行くとどうなるのだろうか。
しかし、存在の自己は消せない。

生みの苦しみと言いつつ、苦しいの定義でまたどツボにはまる学会中の僕。

月曜日, 10月 25, 2010

本能?心?

ふと目が覚める。
そして意識ではコントロール出来ないなんと言えない感情。

そういうことなんかな。そうやって。

言い聞かせる自分と、内にあるモヤモヤ。
スイッチは突然偶然不意にはいってしまう。

自分自身に正直に生きたいと思うが、そこには行動が伴なう。
さー、自己の定義のために自己の葛藤の始まりです。
思考と感情の狭間でもがき苦しみましょうか。

水曜日, 10月 20, 2010

伝える

日曜日にあった「たかじんのそこまで言って委員会」を見て感じたことを。

幸い僕は英語を読めます。
なので可能性としてアメリカ国内で報道されている日本に対する報道を「その言語」で理解できる環境にあります。

情報過疎。

知らない人に伝えること。
アメリカの人が日本に対してどのような報道をしてるかを知るには。
新聞やテレビ・ラジオが全てを伝えるわけではありません。主要メディア(CNNやNYタイムスなど)の情報なら降りて来やすいですが、いちテレビ番組内での議論を知るのには一苦労でしょう。
朝まで生テレビの内容をアメリカ人が知るには?ロシア人が知るには?中国人が知るには?

そう、翻訳者としての存在。
そして、伝えるメディア(媒体と言う意味での)。

ブログはメディアなので、自分が発信できることはしていこう。
そして、知るために色々な言語を改めて勉強したいと思ったのでした。

木曜日, 10月 14, 2010

救出

twitterと同じ文章。
チリでの作業員救出から北朝鮮による拉致被害者の救出へ想像力を働かせてみよう。なぜ未だに救出できないのか?全員生還したらあなたはチリ国民のようにお祝いできますか?ほんの少し相対化するだけで色んなことが考えられる。

土曜日, 10月 09, 2010

感動

研究室に行くタイミングを逃し(今日中には行くけど)酒に溺れながら、日本代表がサッカーで勝った話から、色々と動画を見てます。

今年のW杯、阪神が暗黒時代を抜けての優勝、近鉄の劇的優勝、清原選手の引退。中田英さんのスパープレーや対談、WBCなどなど。

なぜこんなに感動してしまうのだろう。そして泣いてしまうのだろう。

感動って人工的に作れるものなのかな?
じゃー、なぜ人工的に作れないのかな?

喜怒哀楽というものでない人間の本来持つ隙間にスポーツと言う「真剣な勝負」だからこそ、スッと入ってくるのかな。ノイズのない世界。

はー、なんか今日は不思議な一日だ。

タイトルを決める時点からもう混乱。

色々起きる出来事。
小沢さんの起訴、尖閣諸島、ノーベル賞、劉暁波さんのノーベル平和賞などなど。

その物事自身の評価と、それが及ぼす影響や効果やなぜそうなったかの原因。
流れを考えると評価できたりちょっと違うと思ったりすることも、それ自身を考えると必ずしも重ならない。
そもそも論を僕自身は結構大事にしていますが、この結論は大抵分からないことが多っかたりする。だからこそ知りたい。それは過去。そして知ると未来を考えたくなる。

未来は予測できないから今を考える。
未来への影響を考えて今を考える。
過去との繋がりの中で今を評価する。
過去は過ぎたものとして現在を見る。

自分のスタンスは常にどこに保つべきなのか。
流れる時のなかで自分居る点。その点があるから過去未来現在がある。
その点はその線の中でどういうものなのか。
点の大きさは?線の太さは?

あーー、酒しかない!!