火曜日, 6月 26, 2018

ワールドカップとゴミ拾いとエトセトラ

日本のごみ拾いがBBCでも取り上げられて、セネガルサポーターといったほかの国々にも広がっているようです。その行為自体は尊いことで僕の友達もrespectってメールをくれました。
スポーツ観戦をしたことがある人ならどんなごみが試合後に出るかイメージできるはず。スタジアム内での購入したグッズの袋や飲食類の容器類。持ち込んだスナック等の食べかすとか袋とか。壊れた応援グッズ。
ただ僕はふと思うのです。根本的に自分のごみは持ち帰る。あるいは、ごみを出さない努力をする。根本的な行動を個々人が意識すべきでは?
こういった啓蒙も同時に発信すれば色々変わっていくのかなって。


スイスとブラジルの試合を観ていたときのこと。11番のValon BEHRAMI選手が激しいディフェンスで中盤で頑張っていました。実況の方が彼を「潰し役」と表現しました。相手を潰すという表現はここでは「止め役」「抑え役」だと分かりますが「潰し役」と言う表現には選手自身のハードワークとマッチアップする選手の力量が想像できます。
今では収まってしまったアメフトのタックル問題。そこで交わされた言葉も「潰す」。もしこれを英語で表現していたら?
defense / stop / block / crash / screw / destroy
僕の脳みそではこれぐらいしか出てこないけど使う単語で意味合いが大きく変わる。そして確実に僕がサッカーで聞いた潰すはアメフトの潰すと意味の強度が異なった。言葉の豊かさと怖さを感じたのでした。


チームが波にのって「嵩にかかる」瞬間ってあるなって試合を観てて感じます。このスイッチって入れようと思ってONにできるものではないのでなんか面白いけど怖いなとも。


自国に大きな実力の高いサッカーリーグがある国、基本的にヨーロッパの国々にとって日本のような海外組てきな表現ってどうなるのかなって。自国リーグが強くて海外組となるとしょぼく捉えられるスポーツって日本にあるのかな?いつかスタメン11人全員がJリーグで海外の国々でもJリーガーが主力でプレーするような未来がくるといいなー!

日曜日, 6月 24, 2018

2018年18冊目(311)

カラスの教科書 (講談社文庫)
松原 始  (著)
講談社 (2016/3/15)

度々ここでも記してきたカラスの話。
あんなに急に増えたカラス。こいつらの生態が少しでも分かれば少しはあの黒い集団の事が分かるかなって。

そして、実際にかなり分かりました。そして、なぜポートランドであんなにカラスが増えたのか?それがおそらくホームレスの増加と相関があるんだろうなと強く思えるようになった。街が汚くなったとも思っていたけど、これもカラスにとって餌の多さを反映することになるし好都合だったのだと。現象には必ず理由がある。ではこのカラスが増えたことによる次の影響を次は考えてみたいなって。

「カラスは賢い」「カラスが人を襲う」「カラスがごみを漁る」といった「あるある」の答えは彼らの生態を知れば納得できるしカラスによる被害もちゃんと知れば防げるなとも。実際に街で鳴き声を聞いて「あっ、ハシブト(からす)!?」って思ったり、やたらと鳥が鳴き聞こえる「カア、カアー」で「あれ縄張りで何かあった?」とか。サッカー日本代表を応援する携帯電話auのCMの冒頭は足が3つあるカラスから始まります。日本サッカー協会のマークである八咫烏は古事記・日本書紀で登場し足が3本となっている。このことを知ってるとCMの冒頭のカラスが八咫烏だからサッカー代表だ!って。これに気付いた時は一人ニンマリしましたよ。 あとキン肉マン・完璧超人始祖編のカラスマンの周りで鳴くカラスの「ネバー・モア」がアメリカ合衆国の作家エドガー・アラン・ポーの作品「大鴉」(おおがらす、The Raven)に由来することも知りました。なるほど!
今朝も小さい鳥の声がたくさん。あっ、巣立ちの時期かなって。他の鳥の鳴き声にも興味が出てきます。 やっぱり少しでも知ろうとする事がどれだけ多くの知のドアを開けてくれ新たな好奇心の場を与えてくれる。楽しい!

一つ疑問が残ると言えば、これだけ雑食なカラスの糞。あまり臭くなかった記憶が。うーーーん、筆者の方にメールでもしてみようかな?
でもこの問いは面白くないかもだって臭わないからね。。。
お後がよろしいようで。。。

月曜日, 6月 11, 2018

2018年16,17冊目(309,10)

人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)
トーマス トウェイツ  (著), Thomas Thwaites (原著), 村井 理子 (翻訳)
新潮社 (2017/10/28)

イベリコ豚を買いに 単行本
野地 秩嘉  (著)
小学館 (2014/3/31)

タイトルだけを見るとこの二冊に共通ることは動物ぐらいかもしれない、でもこの2冊の中で語られる物語は同じエッセンスを含み且つ学ぶとは生きるとはどういう事かを教えてくれる。僕は教材として使いたいぐらいだ!

何かを知る。何かをする。この単純かつありふれた日常の行為を「うわっつら」でなく「本気」でするとこの本のようになる。何故そうなるか?それは詳細と向き合わない限り本当の事は分からないから。そして、その過程には必ずその道で詳細と向き合っている先人に出会うのだ。そして、その先人たちはみな「うわっつら」でなく「本気」というより「真摯」なのだ。

ヤギになるといっても、どうする事が「ヤギになる」のか。ヤギの生態、ヤギの行動、ヤギの動き、ヤギの構造、ヤギヤギヤギ。でも、その前に人間の生態・行動・動きがヤギとどう違うのかを知らないといけない。ヤギの前にヒトにサルやゴリラについていや進化について考えないといけない。しかも食事も違うわけだし。そして筆者は4足歩行をするための義足を着け、草を消化するための方法を考え出し、ヤギの群れに混じって行動し、アルプスを実際に越えたのだ。たくさんの協力者の力を借りて。

イベリコ豚を買うのはお金さえあれば買うこともできるだろう。でも、買ったものがホンモノのイベリコ豚かなんて食品偽装なんてされたり、ビールと発泡酒・第三のビールのように法的な定義が入り無知なら見た目で分からないこともあるだろう。口蹄疫や鳥インフルエンザなど疫病がはやると簡単には農場には入れない。当たり前だけどそんな問題も単に金額通り輸入された商品を買って食べて美味しいと言うだけなら想像もできないだろう。筆者は最終的にスペインへ行き、農場の人と知り合い、輸入し、加工し捌くまで達成して真の「イベリコ豚を買う」ことを実践した。たくさんの協力者の力を借りて。

ヤギになった筆者はイグノーベル賞を貰い、イベリコ豚を買った筆者はスペインで確固たる信用を得て感謝された。

どんな小さなことでも深く知ろうとした瞬間にとんでもない勉強と作業が必要になる。それには近道が無いけど走り切ると知った知識と経験は汎用性の高い応用が利く一生使えるモノになる。それを改めて教えてくれるような2冊でした。
美味しいイベリコ豚を食べながらヤギのプロジェクトのような面白いことでも考えるか。そういう行動は早い方ですけどなにか。。。!?

日曜日, 6月 10, 2018

定額

あっ、文庫版が出てる。
アマゾンで色んな本を検索したりするのですが、今日一日でこの出来事が3つもありました。
文庫になった僕の醍醐味は「文庫本へのあとがき」や新たな解説文を読めること。
出版した時の空気を経てその本の位置づけを知れる楽しさです。

月額読み放題や見放題。
正直そない一か月で読んだり見たり出来んと。確かに今これをなった時にすぐにアクセス出来たり、漫画なら単行本を1からドラマなら1話から休日などを使ってコンプすることが出来る。そんな利点でしかこのオプションを見れなかった。
でも、これなら僕の醍醐味を気兼ねなしにできるなー。新しいものへの出会いの可能性・過去のアーカイブへのアクセスだけでなく、本当のバラ売りにこれは有益かも!?って。だって、過去の想いで2.0ってなかなか出来ないから。

うーーーん、例の3冊は書店で見つけられたら。。。立ちよ。。。試しよ。。。困ったなー。。。

水曜日, 6月 06, 2018

2018年14,15冊目(307,8)

「世間」とは何か (講談社現代新書)
阿部 謹也  (著)
講談社 (1995/7/20)

消されたマンガ 単行本 – 2013/7/22
赤田 祐一  (著), ばるぼら (著)
鉄人社 (2013/7/22)

アメフトのタックルの話が大盛り上がりで日々あらゆるメディアで語られている現状に嫌気がさして来た折、この「世間」に関する積読されていた本と目が合って落としどころが見えないこの熱狂の答えがあるのではと思ったのでした。

万葉集の時代から夏目漱石の時代の各時代に描かれる「世」を観ることで捉え難い世間を理解してみようという試みの記録です。人間関係や人間を取り巻く煩悩や生死観といったウエットな要素や時代背景や文化などドライな点の配置によってもわっと包まれているそれ。世間。こう書いてしまうと元も子もないようだけど、この歴史という縦を貫く空気の道が世間を理解するうえで大事なんだと。

なぜなら消されたマンガで消された理由を知るために現在の基準と異なる時代の空気感を嗅ぐ必要があると感じだから。サブカルチャーは時代を映すと僕は思っていて、作り手は自分の感性と世間の空気感との空気勘を表現するだろうなって。

その微妙なズレが問題になったりする原因だと思うけどこのズレというのが世間との距離。これが思っている以上に見えるようで見えない。事後的に起きる反響もあるわけで。
昔なら世に出なかった?どう転んでもいずれ世に出ていた?
チームの世間。大学の世間。業界の世間。社会の世間。
秩序と共に存在するようで閉鎖的なような開放的で。しかも1年単位でなく1日単位でそのルールがシレっと更新されたりするからさー大変。

「世間」とは何かで筆者は西洋から入ってきたsociety (社会)とindividual (個人)の持つ概念と世間との違いの指摘をする場面がある頻度で出てくる。きっとこれが肝でこの感覚の消化度合の違いが教育や世代間で生じてるのではと思ったり!?

世間を読んで生きる必要は無いと思うけど、世間の空気は知っておいて損はなし。

僕はこの世間とうまく対峙できるのだろうか。。。果たして。。。その前にまず対峙するつもり!?そう、それ!!