月曜日, 10月 27, 2014

勇気をもって

ごめん!

ごめん。。。

すみません

I'm sorry

偶然に意図的に人は謝らないといけない時があると僕は思う。
でも逃げる人もいます。言い訳から。
言い訳はみんなします。いや、出来ます。

でもそれ以上に非を認めること。

置き換えましょう。謝るとき非があります。謝られた人に非があります。
その非ははたしてどれだけの非なのか。
非よりも声に出した勇気の方が大きかったりしません?
人に求めるよりも自分が向き合う時。

ごめんなさい。

聞く側として。大丈夫と言いたい。
いう側として。心から詫びたい。

そのケミストリー。死ぬわけじゃないし。そこは笑おう。
フェアな人間関係であるために。健全であるため。自分が正直に生きるために。

読んだ本・その34(177)

芸術原論 (岩波現代文庫) 文庫
赤瀬川 原平 
岩波書店 (2006/5/16)

キーワードは偶然。これに尽きるでしょう。

書の前半に偶然をキーワードとした出来事の数々が紹介されます。それを読みがら「おもしろいなー」と思う反面、タイトルとどう関係するのだろうと。

果たしてそれは杞憂に終わったのだった。
観察と気付くという人間に与えられた好奇心と言う名の癖とでもいうのだろうか。
それを如何に鋭敏に深く出来るか。そこからアートとの素が生まれてくる。

だから芸術原論であり。偶然の出来事の紹介なのである。
時に人は鈍感である。かと思えば敏感でる。
そして細かいところまで気付く人まったく気にしない図太い人。

偶然と言うのもある種の感受性であり才能であり運だったり。
それは個人差により、その差異がアーティストを芸術家たらしめる要素なのだろうなと。
読み進めるうちに響いてくるのでした。

物凄く本質を突いたコメントも出てきて、相対化が好きな僕は自分のサイエンスと重ね合わせて固まったりもしました。

読み始めた当初、偶然に僕も翻弄されていました。なぜならたまたまた訪れた書店でsaleで売られたこの本。本棚に並んでいたら手にしていたか分かりません。そして偶然の紹介の中で出てくる日航機墜落事故の記述。そうその年阪神タイガースが日本一になった年の文章。その墜落事件に阪神の球団関係者が不幸にも被害者として関わったこと。そのタイガースが日本一をかけて日本シリーズを戦っている現状。

これで結構ふわーっとなっていた昨日。
著者である赤瀬川原平さんが他界されました。
yahooのニュースで見たとき目を疑いました。こんなにも固まっる経験はありません。
そして、この本を読み切ろうと向かい合ったのでした。
赤瀬川さんとの対話は本当に楽しかった。そして心に響ききっと新たな偶然を生んでくるのだろうと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。献杯。

土曜日, 10月 25, 2014

はい!ここにますよー!

先日飛行機に乗り遅れた。
乗り遅れた事実は当人しか知らなくて、他人に知らせない限り誰も気にしないし知らない出来事。
その前に、僕が旅に出ることを知らない人にとってそれすらも意味のない一つの出来事である。
ところが、この状況で現実の僕の在処を把握しているのは僕自身と空港会社だけである。
僕が旅程にあることを聞いた人も知っている人も、飛行機に乗った機上の人になっていると思っている。
でも実際は僕は空港でビールを飲んでいる。

存在・実在

今僕は世界の中でひっそりと消息を消した存在だー!と思って一瞬何が何だか分からなくなった。
だれがどこにいるか。位置情報。GPS。
生きているという証明は自分が一番分かっている事実なのだが、他人からの認識によって良くも悪くも規定されている現代社会があるのかなーなーんて、ふと落ちたエアポケットで思いふけった。


*******

諸事情もろもろで完オフを取った。
その際、睡眠それも2度寝と言う最高のひと時と向かい合った時のこと。

独り言。まぁ、しますよ。仕事中・サッカー中・飲んでる時・家に居る時。
実際に音として発する言葉。
それとは対をなす、心の会話。心の独り言。

でも、世の中のすべての人がこれをしているかは分からないし、やっていたとしても比較が安直にできない。
それを今回は置いておいたうえで。
その心の独り言は意識を働かせることで振動とし空気中に放たれた音とそての独り言になる。これは耳と言う器官を通じて脳内で理解される。
さて、こころの独り言はどういった音をもって脳・身体が認識しているのだろう。
その心の独り言には声の強弱高低からものまねチックなものまで。
記憶としての音。人の声やフレーズ。脳内で再現する。まるで耳元でささやかれているように。

ながなが理屈を並べたけど、要は自分は何をもって喋ったり・聞いたりしとるねん。

今、小さく「あー」と声を出した。実際に喉を使って。
今、「あー」と心の中で呟いた。自分にしか認識できない声として。

はてさて、脳と耳と口と身体の協奏曲ですか。
現実・実際・actual・realってなんぞや。


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でも今、呼吸をして生きているんです。それを自分は知っている。
なーーーーーんか、なんとなーーーーーーく、面白くない!?
って思ったのでした。
さて、もう一杯飲むか。

金曜日, 10月 17, 2014

読んだ本・その31-33(174-176)

私鉄探検 (ソフトバンク新書) 新書
近藤 正高  (著)
ソフトバンククリエイティブ (2008/6/17)

予てから鉄道の沿線文化やその発展などには興味があって、過去にも何冊か寺社仏閣へのアクセスとしての私鉄の発展、宗教ツーリズムに関して読んでいたのですがこの本はもうちょっと大きな視点から私鉄が与えた影響を考察していて面白かった。アニメのキャラ・土地開発・観光・スポーツと文化などなど。その電鉄会社が何を軸にして今まで生きてきたか。生きる上での軸って大なり小なりみんな抱えている。それと同じように、それぞれの会社の生き様というか何を核にして生きてきたかを見ているようで妙に私鉄に親近感が湧きます。こういったのが人それぞれ目的地にどの電車やどの路線を使うのに影響したりするのかなと。あと各社を含め鉄道社会の合併や変遷の歴史を辿るときに新たな「そうなんや!」があって面白かったです。この本の執筆時、スカイツリーは完成しておらず新東京タワーと表記していたので、この本の後にもまた同様に色々な変がすでに起きているんだろうなと、時間の流れと開発や変化の速さを感じるのでした。


ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975)) 新書
三浦 俊彦  (著)
岩波書店 (2005/10/20)

サイエンスの文章を書く作業をしていた中で、この本ともう一冊が構成やコンセプトにとてもとても大きな影響を与えました。読めたことに心から感謝します(も一冊はまだよみきれていませんが)。ラッセルと言う哲学者の思考の変遷です。なので難しい部分も多々あります。読んでも全く反応もない人もいるでしょう。僕にとっては提示される問い何度も何度も「なるほど!」とさせられる一方で、全く他分野の話題から(特に仏教的な概念から)以前に振れたことのある問いに再度触れたり。「そう、それは僕も思ったことある!」ってのがあったり。本と脳みそと執筆中のサイエンスの文の間をぐるぐる時にくらくらしながら試行・思考してました。
主な問いは言語や存在・実在へのアプローチ。その中で分類という人による作業。この人によるが認識や概念と言った差異が生まれ。それを解消するための定義の方法。そこに関わる表現や分析。西洋的や東洋的な考えの差異が影響したり。書いている今も堂々巡りをしているようです。というかこの堂々巡り自体が本質で、この世と言うのを人というモノが自身の都合のいいように無理から理解を加えているとでも言うのか。ここら辺がどうも仏教っぽくなってしまう。哲学的出ることは科学的かつ時に宗教的なのかも。この3つはそれぞれ違うようで同じで。。。あー、またくらくらしてきますね。
でもこういった本を読むのも楽しいですよ。まるで禅問答みたいですが、そこに何か感じるものがあると思います。
ラッセル先生は僕のレビューのコンセプトにどんな批評をくれるのかな。。。なーーんて。ちゅうかまず英語がボロボロでそこからか。。。


<生命>とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書) 新書
岩崎 秀雄 (著)
講談社 (2013/2/15)

バイオロジーをやっている僕はこの本に引き込まれるように読み切ってしまいました。生命ってとてもややこしいテーマを一般の人でも分かりやすいように書いてあるなと感心し、アカウンタビリティーとはこういう事かと思い知らされました。
2つの視点で読んでいました。科学をしている自分と、生命といった現象に興味がある素人の自分。今の科学は分野が細分化されているのもあり、ここで扱う人工細胞を作るといった話は全くの素人的な関心と共に読みました。時々知ってることが出てきて「おー、それは分かる!」となる自分。これが知を得る際の喜びなのではと再確認ですね。そして自分のやってることに当てはめてみることができる楽しみも。
発見をするためのアプローチの記述が出てきますがかれはまさに前に読んだ「ラッセルのパラドックス」にて議論されていたそれそのも。つまりやっぱり科学的であることは哲学的であるのだなと。そこに生命と言う問いを扱う上で避けて通れない倫理の問題。そして生命現象が持つ美しさ。アートとしての側面。そしてそれを表現するということ。結構大層なことを仕事にしてるもんやなぁと。
最終章で出てくるサイエンスとアートの融合したプロジェクトの数々。それをやっている人たちに羨望の眼差しを送らずにはいられません。
この書を学会に赴く前に読めたこと。ラッセルのパラドックスの後に読めたこと。これもダイナミックな意味合いで生命の不思議ですね。サイエンスをできる喜びに乾杯!って飲むのかい。。。