火曜日, 12月 31, 2019

令和元年の終わりにー

今年の最初に「今年は結果(アウトプット)を出していきたい」と記していました。何だかんだで思ってる以上にヒットを打てた方かなと思います、しかも結果を見せたい人にタイミングよく示せる機会でちゃんと打てました。もちろんしっかり準備をしましたが。自分の出来る事からしっかりアピールして結果を残して信頼をもらいチームに馴染む。これを新天地での成功のきっかけと意識してましたが肌感覚で間違いないと感じました。このスタイルを試せたのはこれから先とても貴重な財産になると思います。

6月から新天地に移って、慣れない環境に置かれた割にはかなりの適応力を出せた方だと思います。痛感したのは環境が変われば生活は変わると言う事です。いままで夜型人間だったのが朝方人間になった。遅い時は深夜まで実験していたけど、今では早かったら7時には寝てたりします。それに付随して、昼まで寝ているのが普通だった日々が4時とかに起きて情報収集を始めたり。
あと本を読むペースがとても遅くなった。電子書籍を使って読む状況も増えましたが、読書もやはり習慣ですね。これは早急に元に戻したいです。

とても有意義な1年になったと思います。一つある作文を書ききれなかったのが汚点ですが、完全なんて無理なんで年明けに気合入れます(という言い訳です)。  いつも通り日付変わるまえにさっさと寝ます。これが日常だから。
 See you 2019!!  

土曜日, 12月 28, 2019

M-1 2019感想

こんなに腹を抱えて笑ったのは久し振りちゃうと思えるぐらい今年のMー1はとてつもなかった!!

8組目のインディアンズさんの前ぐらいでこの激しい大会に疲れてる自分を感じた。笑いのオーバーワークというか。こんなに多種多様な笑いの風を受けて疲弊しない方がおかしいとも言えるけど、どれだけ肩肘はって見とるねんと突っ込まれたら僕の敗けである。

そんな笑い疲れた大会の僕の勝手な感想を残しておこうと思う。自分が殴り書きしたメモの文字を何て書いてるんやと悶絶しながら。

敗者復活
僕は正直なところ自分の面白さ的には和牛が一番では無かったです。四千頭身さんやクラゲさんのネタが僕にはツボでした。ただ上手さ洗練さでは和牛さんがダントツでした。でもグッと来なかった。女の子的に言うなら色気が無かった、僕には。和牛さんさんがどんどん敬愛する笑い飯さんに見えてきて僕は辛いんですが、本当にやりきってほしいと思っていたんですがどうやら今回の大会を最後に卒業されるようです。これに関してはまた後で。

本戦
こんなに順番の妙が炸裂した会は初めてのように思います。ニューヨークさんの後のかまいたちさんのネタで完全にブースとがかかった気がします。言葉の「てにをは」で何を言ってるか分からないという下り。会前にKBS京都のチュートリアルさんのラジオにゲストとして出演のかまいたちさんがコンビで唯一の言い合いの喧嘩が「てにをは」を巡ってだったってのを聞いていたので、あのやりとりがとても笑えました。どんな発想でネタを思い付くかには伏線があるんやなって改めて思いました。
和牛さんのあとのすゑすろがりずさん。僕は腹か抱えて笑ってしまいました。そして年末年始この古典表現使う人増えそうやなと、そして営業の仕事が激増やなって。それ以上にこのコンビが残した功績は「古典芸能」「古典の言葉遣い」に興味を持たせるきっかけを撒いた事だと思います。文部科学相は彼らを称えないと!小・中学生が遊びの中であの表現を使いながら古語を学んでいく。これってとても大切なきっかけだと思います。王様は関白に相当するのか、たそは誰、召すは飲む、やんごとなきって何!?みたいな。世に知ってもらうきっかけとしてこれはとても大事な方法論を示したと思います。当然ステマとは区別しないといけませんが。
からし蓮根さんの最後の盛り上がりはえげつなかったし、見取り図さんは言えば大喜利の出しあいがすべて面白いという。ハイレベルすぎる!そこに投下されたミルクボーイさん。
もう言葉は不要でしょう。ただただ面白かった。僕はメッセンジャーさんが関西でやってるラジオを聞いていたのでその期待度と評判を聞いていましたが、やはり百聞は一見にしかず。作り出されたシステム。僕にはブラックマヨネーズさんが勝った大会がすぐに浮かびました。史上最高得点を叩き出したのは圧巻です。ごちそうさまでした!
あの衝撃の後で淡々とペースを守ってネタをするオズワルドさんにまた感動。インディアンスさんは実はネタが飛んでたらしいのに関わらず纏めてしまう実力。そしてペコパさんの現代のコンプライアンスにドロップキックではなく遵守するというツッコミ!!あの言葉の使い方も流行りそうです。多種多様のスタイルに最高の笑いが加わった一本の最高の寄せを見た感じでした。人を笑わせるって素敵です。

決勝ラウンド
僕はかまいたちさんに勝ってほしかった。それに値するネタのクオリティやったので、キングオブコントととの二冠をしてほしかった。Mー1の2連覇とかそんな強い芸人さんを僕は見たかったです。でも今年でミルクボーイさんは勝っておかないといけないと思ったし。運命とは何とも複雑骨折です。

その他
舞台裏のレポーターは麒麟の川島さん。審査員のひとりはナイツ・塙さん。Mー1打ち上げの仕切りは千鳥さん。そう、Mー1でチャンピオンにならずともしっかり売れて立ち位置を築いている人って多いんです。Mー1で優勝したら売れるのではなく、売れる確率が圧倒的に高くなるというこの確率論を頭に置いておかないと大事にな気がします。これは現実社会で常に関わってきます。良い大学・良い企業・ブランドなど。みんなが血眼になって目指したいゴールとなるような場所。働きありの法則ではないけど、どんな場所でも一定数のポンコツと天才が共存します。その比率大小ややクオリティの平均値を求めてそのような場所を目指すのは決して間違いではない、だけどそれが全てではない。和牛さんは十二分にこの最高の舞台を活用できてこれ以上は自分を傷つけると判断しての撤退なのかなって。正直残念だけど、この判断力は見習わないといけないです。そう思ってみると、上沼さんのあのからし蓮根さんの採点時のコメントは的を得つつ「わかってますねん」という和牛さんの心の声が聞こえるように何度も見直すなかで感じました。みなさんプロフェッショナルです。

最後に、日清食品の番組中のCMと優勝商品のあの発想。この会社、何か絶対おもろいことをたくらんでる気がしました。センスが良すぎる!!!このような会社を僕は応援したいです!!

Mー1最高です!もう5回は見ました。たぶん今日も見そうです。笑う門には福来る!!!

水曜日, 12月 25, 2019

クリスマスに我思ふ

習ったり学んだ事が身に付き当たり前になる(習慣となる)。この行程をリアルタイムで感じること。この意識を磨くことが出来ればかなり面白い景色を見ることが出来るんじゃないかなって最近思ってます。

6月から新天地に移ってから何もかもが新しく前提となる知識やルールを詰め込む日々。ある時から注意深く意識を払わなくてもそれら新しい事々が頭の中にスッと出てくるようになりました。どの引き出しに何が入っているか整理できたように。
それがどのあたりから起きたのかなってふと考えていました。それはおそらく実際に手を動かし始めた9月後半ぐらいからかなって。それまではまだお客さんで自分の過去のアセットを使いながら自分という人間を理解してもらう段階だった気がします。当事者性が生まれてからばらばら立った点が繋がり始めた気がします。

おそらくこの学習から習慣へはどんな人も日常で起きる出来事であるけど、これが仕事といった必然性でなく語学の習得となると極端にハードルが上がる気がします。自分の意思が強くない限り。もちろん習慣化する必要は必ずしも必要ないけど、習慣になった方が成長曲線は圧倒的な早に変わると思います。

そんな話をふと先日友人と話していた時の事、僕の話にとても共感してくれた友人が「まさに同じことを言ってる本があって、the power of habitって言うの」と。直訳すると”習慣の力”。ふと僕の脳みそが反応した。なんか聞いたことあるぞ。そのときの会話ではすっと流してしまったけど頭に引っ掛かった棘。
そう、なんとこのthe power of habitの日本語訳バージョンの習慣の力をちゃんと僕は読んでいたのです(2018/09/04の自身の本の感想参照)。

贔屓目に考えるならこの思考は自分の中で習慣になっていたから、無意識の思考になったのかなって。との無意識の意識化のきっかを与えてくれた友人に感謝しつつ、この思いもしなかった嬉しい点が線になった出来事を誇りに思いたいなって。

でもこの習慣が慣習になると馴れ合いを生み成長の機会を削ぐことになると思う。そういう意味で今年起きたこの生活の変化のおかげで散らばった点を繋げるとても良いきっかけになってる気がしてます。守られると守るは似ても似つかぬLearning(学習)とhabit(習慣)の最終型なのかもなんて。

ビールを飲む習慣は自分にとって大事な慣習なのだけど飲みすぎる癖を治すことを学習せねばいけません。。。灯台もと暗しか!!!!

土曜日, 12月 21, 2019

2019年、今年もまたこの大会が

何年ぶりにリアルタイムで見た去年のMー1グランプリ。
今年はどうやって見ようか考え中だけど、予選の結果をみながら思っているのは。

「今年は荒れるのではないか!?」

僕の中でのキーワードは「お笑い好きが集う笑いを解釈できる予選のお客さん」と「お笑い好きの抽選を経て見に来た笑いの球を受けとるお客さん」さんが生み出す微妙なリアクションの差だと思ってます。

Mー1用のネタの作り方というのはあるけど、新たにMー1に来るお客さんが爆笑するネタの作り方もあるのではと僕は今年感じました。
僕の勝手な主観で間違ってると思うけど、そこが和牛さんが決勝に残れなかった理由ではと。

すべての結果は今夜出ます。とりあえず、早く寝てリアルタイムは起きていようと思います。がんばれ、オレ!!

金曜日, 12月 13, 2019

思いの丈をどうぞーーーー

YouTuberと言われる方々の動画を見る機会が最近とても増えています。
始まりは元プロ野球の選手やお笑い芸人の方々の作品を見る事から始まり、近しい人が始めたり面白いタイトルに誘われて覗いてみたり。

最初は取っ付きにくかったジャンルがどんどん身近なものになってきた感じです。1つの動画がそこまで長くないと言うのもミソで、僕はよく1.5倍速などで観るのでとても回転が速く色んな情報が入ってくる感じがします。

そう、この感覚は雑誌のコラムを流し読みしてるような感じに似てると思ったのです。好きなコラムがある雑誌はそれを目当て手で買ったり立ち読みしたり。週刊・月刊の漫画雑誌にも似てるかもしれません。

今まで得ていた情報の流れが同じ視覚でも文字から映像へ移っているのは間違いない気がします。昔は動画は時間制約のある媒体で、自分の流れで切の良いところで止めれれる書籍には学習と言う点では敵わないと思っていました。ところが短い時間に最小限の情報を扱う動画を芋ずる式に見れるようになると、これは目だけでなく聴覚も使う動画と言うツールはとてつもないパワーを持つことになるんですね。

このようなコンテンツの在り方は当たの片隅に置いとく必要がありますね、witterの140文字であることも踏まえて。一方で最近話題になっている読解力の低下のように、ある程度の長さのキッチリした文章や映像作品(映画)を最後まで付き合い理解できる能力は必ずいるので、この先どのような世界になっていくのか僕は楽しみだったりします。でも結局は面白いコンテンツなら長くても人は必ずついてくるんでしょうけど。。。

さてこの問いを自分の文章に当てはめてみようではないか!!ブーメランはこのように放たれるのですね。。。

日曜日, 12月 08, 2019

無限大

夢の中ではよく非日常を経験します。そして僕はよく夢を見る方なのである意味でのもう1つの人生を楽しんでいます。
が、とても考えさせられる夢を見ました。それは夢の定義を再確認すると共に生きている今(現実)を実感したからです。

その日は大荒れな天気。降りしきる雨が風にあおられ部屋の窓に打ちつけるような天候を追いながら眠りに就きました。

友人とキャンピングカーで山のなかにいる僕。急な傾斜の川のそばで雨の降る悪天候の中でキャンプをしているようです。どうする!?と話ながら目の前にある川は泥を運ぶような濁流で明らかに身の危険を感じます。そこでキャンピングカーが氾濫した川に流され、みるみる流されていきます。あー、終わった。転がる車が滝にさしかかり思いっきり飛んでいきます。それは飛行機から下を見下ろすような絶景です。マウンテンバイキング中に泥に車輪をとられ転げ落ちた絵に落下の情景は似ていた。
重力を感じ落下していく車とその中にいる僕と友人。あー、死ぬと腹をくる。そしてランディング。痛みも衝撃もなく生きている自分。
葛飾北斎が描いた富士山を見るように落ちてきた山を見ているとたくさんの知人が無事を確認しにやって来る。そこからの会話ややり取りは過去に経験があるような出来事ばかり。

そうこの夢の中で唯一の未体験は死ぬということなのです。他のすべてが何かしら経験に答えを導けるという。
海馬が情報を処理・再構成する過程で見るのが夢らしいです。意識的・無意識的を含めた経験が夢の駆動力とするなら、そら富士山のような山から落ちても死にません。だって、死んだことがないから。

これは圧倒的な当たり前の出来事なんだけど、日々答えを探し求めるようなクリエイティブと称されるの仕事に振り分けられる自分の仕事を思うと、とてつもなく大きな溝を感じてしまった。なぜなら日々経験(実験)とそれらから導きされる回答を求めてる中で、絶対的な経験は体験しない限り得られないものがあり、それを得た時点で全てが終わる経験の存在を知ってしまったからです。

あの地面に打ち付けられた時に「あれなぜか生きてる」とこの2019年12月に生還できたのは実は奇跡だったのかもなどと。
寝てるときを無防備だとするなら、そこで見ている夢の人生に取り込まれることはどういうことなのか。などなど。朝起きて面白いと思った反面ぞっとしたのでした。

脳みそよ夢でも現実でも善きにはからってくれ!!!ビールをやるから。。。それがアカンのか!?寝て考えようー。Viva matrix reloaded!!

金曜日, 12月 06, 2019

良い思い付きのはず!知らんけど。。。

スマホやタブレットにこの先搭載されるかなって機能がふと浮かんだので、書き残しておこうかなと。それは、

プロジェクター機能

写真や動画を壁やスクリーンに投影するのはもちろん、AR(Augmented Reality・拡張現実)の機器としてメガネやコンタクトレンズの他にプロジェクターはあり得るんじゃないかなって。

寝転がって天井を見つめながら流れる動画の音声を聞きなが、ふと思いついたのでした。
僕は出たら使ってみたい。スマホよりタブレット端末が先かな。欲しいリストトップのiPad Proにこの機能が付くと飛びついてしまいそう。。。

そんな妄想膨らむ金曜日の朝でした。はよ仕事に行け!!

火曜日, 12月 03, 2019

2019年15冊目(343)

大人の教養としての アート入門 (スマート新書) Kindle版
山内宏泰 (著)
ピースオブケイク (2018/4/16)

僕がアートに思いっきり触れたのは2009年にニューヨークでたまたま降りた駅のたまたま出た出口の目の前にMoMAが立ちはだかった事に端を発します。

その後ヨーロッパ各地の美術館をまわる機会もあってアートの面白さ深さ美しさ楽しさを感じたせいか「自分では」日常に溢れるアートや美的感覚と言ったものを結構意識してすごせるようになった気がします、知らんけど。

でも確実に知識としてはハリボテみたいなもので、それを勉強するにはパワーが要るしという中で読んだ(途中聞いた)この本はとてもよかったです。

やっぱり歴史的な流れを知ることは理解を深める上で大事ですね。こんな例えが正しいかは分からないけど、誰がいつM-1グランプリのチャンピオンになって誰が決勝に残ってたかを知ってるかで漫才の流れを知れるような事に似てるなーって。

AがあってBが出てきてCが続くみたいな。点として単体の面白さが面になります。それに付随して西洋と日本の歴史の流れを掴む事で立体的になる、なぜなら葛飾北斎の残した功績は偉大すぎるから

日本も西洋もきっかけは宗教画だったなど、短い部類に入る本ですが僕にとっては内容がとても深く学ぶことが多かったです。

こういった市民講座ってきっと面白いんだろうなー。逆に、このような市民講座を開けるて喋れるようになれたらええなーって思いました。
目指せ世界を舞台にする漫才師!!(なんでやねん!)