水曜日, 5月 18, 2011

書評10(その53)

憚(はばか)りながら [単行本]
著:後藤 忠政
出版社(発売日):宝島社 (2010/5/15)

山口組の直参だった後藤組の後藤忠政組長の激動の半生を語った本です。

ヤクザという世界がどうこうという視点ではなく、生きる上で「まっすぐな生き方」ってどういうものかが語られていると思いました。
組織の上に立つということは。人との関係性とは。あることをやり遂げると言うことは。
腹を括ると言う言葉が伝わってきます。
どこの世界でも共通する「生き方」として、僕はかなり後藤さんのスタイルに共感できました。

最初に出てくる子供時代の話を読んで、子供・少年時代の経験って大きく影響するのかなと思いながら被災地の子供たちはどのような感情を抱いているのか気になりました。

本の中に出てくるいろいろな出来事での人との関わりなどは普通に興味を持って読めます。
そういった世界と関わることは別として。
でも、自分がどのような状況で出会うかも分からない。そうした時に自分はどのように振舞えるのだろう?
など、ここで出てくる一説などを読んでふと考えてしまいました。

今、後藤さんは管さんや政府の対応をみてどう感じておられるのか、など色々と感じることがたくさんありました。
震災後に読んだ本。まさに今読んだからこそ特に「生き方」などに対して感じたのではと思った一冊でした。

なんでやろ、文章を書いていて妙にドキドキしているのは…苦笑

無限の中の点

今しがた書評9を書き終えて、ふと自分のFacebookとtwitterに目を通す。

ここ(ブログ)に書く内容は結構自分にとって「大きな思考法」だったり「○○論」だったり覚えている方である。
でも、上の二つで過去にさかのぼった投稿を大雑把にでも把握できることは…。

facebookにおけるlike。twitterにおけるRT。
これらは「その時の印象・感情」が大きく作用するものではないか?
facebookのポストは基本的に(設定によるけど)友人間における発信
twitterは誰が見るか分からないけど、荒野に向かって自分の考えを140文字という制限の中で叫ぶ。

言ってしまえばお手軽感のハードルはかなり低いのではと思う。
もちろんこれが政治家やジャーナリストの方々やるページは該当しない可能性が高い(RTに対するコメントなど100%とは言えないけど)。

でもウェブという場所には残る。
もちろん紙の情報ではないので、残ると言う言葉の使い方は難しいけど。
その「残る」と言う現象に対して少し考えてみるのは面白いのではないだろうか。

以前このブログで書いた記憶があるけど、
youtubeや動画サイトはテレビでも不用意な発言やいい加減なコメントさえも残してしまう。本のように校正が無い「言葉」が記録として残るようになった。
といった趣旨のコメントを書いた。(今から探す!)

金曜日, 1月 30, 2009の記事:動画と言うなの記録
それを踏まえて、普通に使っているこれらのツールの違う意味での「意味」を気付けたかもしれない。

脳のなかで思い出や記憶として「しか」残せなかったモノ・コト。
日常の中で目にしない限り思い出さなかたモノ・コト。

案外忘れられたモノ・コトまで残ってしまう、いや残せてしまうのかもしれない。

記す…。深いなぁー。

書評9(その52)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
著:佐々木 俊尚
出版社(発売日):筑摩書房 (2011/2/9)

キュレーション【curation】
無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。(amazonのこの本のページから転載)

今のソーシャルメディアについて実際のfacebookやtwitterを例に出さずに、どういったことでどういう可能性があるのかが書いてあります。

これも震災前に読んだ本。
まさに、震災でこのキュレーションが放射能の情報や色々な出来事の中で起きていたと思います。

自分の知っていること。他人の知っていること。これだけが情報ではなく、この世の中には無数というとチープなほどの自分の知らないものがあります。
その知らないものは、自分が知らないだけで見つけた人がいるからウェブや本(僕の分野では論文・データベース)として残っている。
それを見つけ、コメントを添える。そのコメントを見て人は何かを感じる。
こう書いていて、「そんなの今までもあったやん」と思ってしまう。

でもそれは以前はメディアという大きな存在によって、僕らは受け取る側にいた。
しかし、今は自分で発信できる側に居るんですよ!ということ。
そして受ける方法が無数に存在し、認識していない・気付いていない大きな網の中で生活しているということ。
ネットを使えば自分でニュースソースにアクセスできる。検索によって色々な情報をキャッチできる。
知恵を絞ったり気付くことが出来れば、得たい情報にアクセスしたり自分で発信することも出来る。

実生活でどのような場面がそれなのか?どういった方法やモノなのか?ということが分かりやすく書かれていると僕は思います。

メディアリテラシーを含め、情報を得ると言うプロセスが受身で無くなったのだと僕は思います。
でも、受身でなく自発であることが「must」ではない。「better」であって、底に割く能力との費用対効果。
実際には、今までどおりのテレビを見ているだけでも生きていける。知らなくても生きていける。
そこに何が本当に「いい生き方」なのかを見つめる機会でもあると思います。

震災前に読む機会を持てた事は幸いだったと思います。

書評9(その51)

誰も語らなかった防衛産業 [単行本(ソフトカバー)]
著:桜林 美佐
出版社(発売日):並木書房 (2010/8/2)

また書評を始めないと思いながらどれだけたってるねん。ホンマに情けない限りです。
しかも震災前に読んでいた本やし…。

今被災地で必死に動いて下さっている自衛官の方々、特に陸上自衛隊の方々が使っておられる戦車などの部品がどのような所で作られているか?という本です。

まさに職人技の数々が記してあります。
ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル。ダイナマイトは人を殺してしまうが、その発明のプロセスは科学の探求であると思う。
正確無比な部品、それがないとハイテクの塊戦車は動かせない。
しかし防衛費削減のあおり、注文数の減少、儲けにならない。しかし、それを作るための設備。
機密に関わるから転用が難しい。外注は信用できるのか?国家機密だからこそ国内で作る意味がある。

などなど、読んでいて「んーー、って思ってしまいます。」
技術とは?それは相対化したら、研究とは?科学とは?学問とは?となってしまいます。
何に応用するか?
そもそも、誰が国を守るのか?
違う側面からとても考えさせられる命題でした。

そして震災。果たしてこれらの部品工場は被害を受けていないのか?
計画停電、夏場の節電などでこれらの「貴重なライン」はどなるのか?

企業の経済活動だけでなく、将来の国防にも影響することはあまり議論されていないのでは?
腕に職とはいいますが、人間関係などと同じで維持するのでも大変。応用するにはパワーがいります。

大きな被害が無いことを祈ります。

木曜日, 5月 05, 2011

いま

ふと。

またふらり旅に出たいな。

報復テロの危険とか百も承知。飛行機に乗ること出かける事自体がリスクを伴うから。
いまここにいても何が安全かなんて分からない。

ただ、気の向くままに。

6月には一度出かけよう。