金曜日, 11月 29, 2019

音圧ってあるよねー

少々汚いぐらいの方が免疫力がついて良い的な話を聞いた事がある。抗菌やら除菌やらが当たり前だけど、それが真に健康的なら昔はどうやって生きていたのかって話になる。耐性って言葉もあるし。人生はサバイバルと捉えるなら、多少のノイズがあった方が精神的にも身体的にも健全なのかもしれない。

ただ、そのノイズが騒音になると甚だ迷惑になると僕は思う。
ある出来事が急に不祥事と化す時によく聞く言葉がある。批判が殺到したである。それをメディアが取り上げて火に油を注ぐ形で大きな炎になるケースをよく目にする。

全米が感動したやら泣いたやら震撼したやらの謳い文句をよく映画などで目にする。その全米に居るが感動も泣も震撼もしたことはまぁー無い。いつもそれらの騒音を後で聞くことの方が殆どだ。

要は「全米で映画を見た人たちにとって」の出来事である。じゃー、それは人口比の何パーセントなのかなんて話は聞く由もな考える事もない。同じ要領で殺到した批判の数なんて聞いた試しがない。殺到からイメージする数は僕にとって少なくとも3桁や4桁なのだが、続け様に起きる9件は殺到なのかもしれない。が、僕が声の大きさがかなりの割合で殺到度合いを増強してる気がしてならない。

ノイズ慣れして騒音の大きさを客観視出来るぐらいに逞しく生きる事が今の世の生きる術なのかもしれない。

そんな事を思いながら日々Twitterを眺めているのだが、炎上してメンタルを保てる自信があるかといえば。。。分からん!!
ただ言えることは、酒を飲んでる飲んでないで対応変わるやろうなーって。果てさて、わしゃ酔っ払い時のマインドを基準にすればええのかどうなのか!?そもそも今も飲んでいるし。ノイズ以前にまず自分のノイズをキャンセルせなあきまへーん!!

水曜日, 11月 27, 2019

プラスマイナスゼロは良いことなのかも

科学技術の進歩によってがん医療の現場などで本当に僅かな物質を検出することで早期発見に繋がる事例を見聞きする。
それは素晴らしい事だと思うだけど、それが僅かな物質であるだけに感じたことがある。

「何かを血眼になって見つける」行為と「特段に異常が無い事を確認する」行為はどちらが有意義な行為なのかと。

前者の場合見つかった結果、更なる精密検査を行う必要が生まれるだろう。
後者の場合見つかった結果、即入院などのある程度の規模の行為が行われることは自明である。

いろんな検査を受けすぎる事は実は身体にとって大きな負担となっているという記事を読んだ記憶がある。

ミクロ的かマクロ的か。医療費などを勘案してこの辺の最適解を見つけ出す事って実はとても大事な視点だと思う。
医療のケースを引き合いに出したが、これは日常生活や日々の仕事の中にも応用できそうである。

時に拘りが必要な時や「拘ろうぜ!」という引き込まないと場合もある。その逆で、一旦ストップ。引いてみてみようと促す必要性がある状況もあるだろう。

モノを常に違った見方で捉えることが出来るかが、それを実現するための要素だと思う。ただその見方をするためには余裕と言った心のゆとりが必要ではないかと。

とどのつまりは「肩肘張って生きるとロクな事ない」って事なのかもしれない。
明日は祝日だけど、少し作業をしに来ないといけない。肩肘張ってるやん!
だけど、今日はさっさと帰って酒でも飲もう。肩肘張ってないやん!
ジャルジャルのあの漫才面白かったなー。。。

日曜日, 11月 24, 2019

過去と未来を繋ぐきっかけ

アメリカに来て初めてNBAの試合を一人で観に行った時のこと。
高校までバスケに明け暮れてた自分にとってテレビ越しに見ていた光景が今自分の目の前にある現実にニヤニヤしていた。
そこには「この場所にいる」高揚感から英語を話せない・聞き取れないなんて些細な事になってしまった。
そんな僕が全身をゾクゾクっとさせる出来事と試合前に遭遇した。

国歌斉唱である。

当時は「君が代」は厳かで国際大会の試合前に聞く曲としてはどうなのだろう。と言った話は聞いたことがあった。それを脳裏に意識したのは人生初のアメリカ国歌斉唱を体験してからだが、この会場のボルテージが上がっていく光景はもう感動でしかなかった。
その後もこの感動は常にアメリカの4つのメジャースポーツを見に聞く際に感じたし、今も感じることである。

君が代の持つ厳かな空気感。実際、僕の記憶が正しければ君が代の意味を音楽の時間にプリントを使って学んだ記憶がある。中学生の時だったと思う。

「千代に八千代に」「さざれ石の」「巌となりて」「苔のむすまで」

へーって思ったし、その意味は僕の記憶と習った事が正しければ今でも説明できる。

成功に終わったラグビーワールドカップ。時差的な問題で唯一観れた日本vsアイルランド戦で聞いた君が代は僕に全く違う印象をもたらした。
この大会に向けて選手達があり得ないと自ら口にするほどの厳しい練習をやり切ってきた日本代表。
この大会中に知った事だか君が代の意味を理解する機会を選手間で持っていたという。それは外国籍の選手が日本代表として戦ってくれるための「愛国教育」とも言えるかもしれない。でも、彼らはそれを求めると思う。何故なら僕のアメリカ国歌斉唱の経験が1つ。そして、永住権を持った人がアメリカ国籍を取得する際に国家を歌えるかが試験の一つにあると友人から聞いたから。
日本人でさえどれだけの人が君が代の背景を語りながらお酒を酌み交わせるだろうか?

君が代のは試合前に聞く国家として実はものすごく最適なのかもしれない!と思ったのです。
厳しい練習を重ねたアスリートにとって試合前の不安を解消する唯一の方は自分に自信を与えてくれるモノ思うこと。そう、それは厳しい練習に耐えしっかり準備した事実に違いないはず。それを思い起こす際に君が代の持つ背景や曲調こそアスリートを試合に向かわせる触媒ではないかと。
それを思った瞬間に君が代を歌う日本代表という枠の中で戦う事を決心した世界各国の侍たちの姿に自分は泣いてしまっていた。周りに悟られないように必死に隠していた。
君が代は試合前にこそ聞くべき曲なのだ僕は思う。うちから湧き上がる闘志を確認し自身に変えるために。

それを気付かせてくれたラグビー日本代表とラグビーワールドカップ感謝です!

君が代を歌える聞ける舞台を求めて。。。
僕にとってそが実行可能な舞台。
karaoke time!!!

土曜日, 11月 23, 2019

2019年14冊目(342)

イチローさんが語る「チームとは」の動画がとても刺さりました。

良いチーム・良い空気・良い環境にはずっと興味があって何が最適解を導く方程式なのか(まだそれを実践できるチャンスを貰える機会はなさそうですが)模索を繰り返してます。

百聞は一見に如かず
一を知って十を知る

この相反する作業をいかに効率的に行えるかってとても大事で、この二つを方程式の左側とするなら

良い失敗をしていかに学ぶか

これが「=」が引かれる解になるのかなって。

スラムダンクの山王工業戦を改めて読んで思ったのが「湘北高校の選手はみな何かを感じれる選手だった」という事です。なので作中の彼らの成長を読者は自然に受け入れられて、最強・山王工業を負かす話を名作として受け入れられた。

ヒントは日常に転がっていてそれをどう綴るか。そんな中で読んだこの電子書籍が「もっと文章を書け!」と背中を押してくれました。

みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門 (スマート新書) Kindle版
古賀史健  (著)
ピースオブケイク (2017/12/3)

そういう事でいっとき投稿が増えました。間が出来ないように何かを書き続ける癖を身に付けたいと切に意識ました。如何せん仕事上文章を書く作業は必須でそれが僕にとって一番ダメなスキルだから。
こんな事を書きながらもう暫くの間が。。。
明日は書けるのか!?ボチボチいきまづ(← それがアカンねんって!!)

金曜日, 11月 15, 2019

現象には必ず理由がある理由はなにだろう

木から離れた葉っぱがニュートン力学に従って地面へ。
そこに止まっていた車。

ある葉っぱは車を避け(真下に車が無かった)地面へ、違う葉は車の上に。ある葉は車の側面やバンパーに当たり本来の落下位置からずれた場所に。

落ちるタイミングと車の存在によって運命が変わる葉っぱと変わらない葉っぱがある。

葉っぱには意思があるのかなどと話し出すと、植物も痛みを感じるのかなどと違った方向に向かいそうなので触れないが、人間の生活も僕が見た葉っぱのようにタイミングと物理的な要素でさまざまな変化が起きているのだと思う。

偶然会った知り合い。その時間にその場所で会うには、5分家を早く出ようと決めたことや捕まったと思った赤信号もすべて大事な要素になってくる。そんななかで「あっ」って思える偶然がここ数日とても多かった。

そんな時は無意識と意識が上手く連動してよい方向に進んでいる。「回っている!」と考えるようにしている。
残念な事や上手くいかない事が続いている時に、こういう偶然に出会うと「あれでよかったんかなー」って過去に囚われてた自分が一気に現在にから進みだした気分になる。こういったポジティブサインを可能な限り回収していきたいとふと思ったある朝の出来事でした。

そんな自分も人にとってポジティブサインな存在だったらええなーとも思う。酔っ払いの時の僕はデビルやな。ブラックデビルになると明石の力で楽しくなれる。。。わけない!!

日曜日, 11月 10, 2019

be動詞のbe. be there...

首里城が燃えノートルダム大聖堂が燃え。有が無に帰す。熊本城も崩れた。
有形文化財が存在することに苦労する中で無形文化財もある。人間国宝は有形・無形!?

本当に些細なことで全てが綺麗に無くなってしまう事が起きる。
でも、何度も這い上がるような事象もある。

無になること前提にするのか、有に至る事を前提にするのか。

ポジティブリストとネガティブリスト。

世の中は起承転結・喜怒哀楽で溢れてるけど、個々人の捉え方って案外すごい狭い枠でしか動いてないのかも。

琵琶法師が吉本所属だったら日本中世界中で「諸行無常」を歌って廻ってるんちゃうかな。二次創作で大ヒットも。100万回再生とかミリオンヒットとか。

悲しいけど前向き、嬉しいけど後ろ向きで僕は生きていきたいと思ったのでした、”知らんけど“

金曜日, 11月 08, 2019

老舗たる所以

生まれも育ちも大阪の僕は関西のチーム贔屓です。阪神も好きですがどちらかといえばオリックスに頑張って欲しい派です。今でも初めて行った阪急西宮球場の阪急ブレーブスの試合が脳裏に残ってるからです。

さて、最近こんな僕に大きな変化が起きてます。それは読売ジャイアンツええやんです。伝統をきっちり守ってるのは本当にこの球団ちゃうかなって。
阪神タイガースも伝統があるかも知れませんが、ここ数年の人事のゴタゴタをみるとどうも球団コアの人が伝統より保身というか違う部分で動いてるように感じます。もし伝統を重じているとしたら下手くそなんだと思います。
そう言う点でジャイアンツはしたたかだなと思うのです。

FAで四番ばかりと言われた時期もありますが、野球人があれだけ集まる球団はやはり魅力的なんでしょう。魅力をどう使うのか、この差でタイガースは明かに負けてると僕は思います。

あと、ナニワのマスコミも原因かも知れませんね。ナニワの「扱い方・いじり方」は好きですが、昨今のファンはSNSなどで違う次元で応援してる気がします。選手とメディアとファンの距離が関西は結構歪なんちゃうって感じてます。東京に住んで在京メディアのジャイアンツ評を目の当たりにした事ないですが、もっと遠い北米大陸で好きな日本野球を追ってるこんな僕が至った結論がコレなんですわ。

歳を重ね丸くなって嫌いな球団なんて存在しない感じになった結果かもですが。この辺同年代のヒヤリングが絶対に必要なので個人の意見です、はい。

長らく甲子園に行ってないし一度も東京ドームに行ったことがないので、ふらりフラットに日本の野球見に行きたいですねー。でもこれだけは、オリックスまじ頑張れ!!関西のマスコミは阪神に寄りすぎじゃーーーーィアンツ!!

木曜日, 11月 07, 2019

2019年13冊目(341)

言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか (集英社新書)
塙 宣之 (著)
集英社 (2019/8/9)

言うてる間にこの季節です。予選はこの週末の3回戦@東京を経て佳境を迎えていきます。日程的に今年は以前のように年末のイベントになりそうです。

枕はこれぐらいで、もし漫才(お笑い)が好きでM-1にワクワクするなら読んだ方が良いです。
プラモデルを作る時み正確に作りたいなら説明書を読みます。北欧の家具ブランドIKEAの商品にも簡潔で分かりやすい説明書が付いてます。見なくても作れそうと言うのがミソです。お笑いの方程式と構造を理解して損はないでしょ。

M-1的な漫才は就職活動してる学生や僕のような仕事で発表が必要な職の人は学ぶべきもが多いのではとつくづく感じました。限られた時間の中で自分を知ってもらい相手に好印象(笑い)を提供する。顧客満足度100%を叩き出した人が勝つ。人生でそんな場面は多いでしょう。だからこそ仕組みを知るんです。

塙さんは「ボケたいから芸人になった(P87)」で書いてます。この言葉が僕がなぜ現職にいるのかストンと腑に落ちました。したい事を許される環境探しとマッチング。これが働き方改革の肝だと僕は勝手に確信しました。塙さん、ホンマにおおきに!!

書き出すとキリがないのでこの辺で。好きな内容はスッと入ります。しゃべくり漫才を聴くかのように読み切りました。そう、何度も読み込もうと思います。

好きな分野の面白い本があるっていいですね。映画・マトリックスのように脳にダウンロードしたい!記憶はダウンロード!?受験生の脳みそはテラバイトやー!!(読んだからと言って面白くなるわけでは僕の場合は無いようです)

水曜日, 11月 06, 2019

2019年12冊目(340)

天然知能 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー)
郡司ペギオ幸夫 (著)
講談社 (2019/1/12)

天然知能と言うタイトルから思い描いていた内容は9ページ目で尽く異なるものだと知らされます。
人工知能・天然知能・自然知能の三つの区分けで話は進みます。
この自然知能を天然知能と思っていたとい結末です。
果たしてこの天然知能と言う概念が何とも面白いのだけど難解であり、分かったような分からないような、脳が明かに苦労していますがそこにに引き込まれました。

僕の持ち得る言葉で表現すると何とも安っぽくなるのですが第六感というか予知夢というかデジャブというか、なんとなく感じる。無意識と意識を足して2で割ったような。
葬式のような空気のピンと張った空間だと本当に些細な事で腹が捩れるぐらい笑いそうになったりするような、真面目な場で不謹慎な事を考えてしまうダメさ加減、緊張と緩和が存在するような空間が生まれる脳内とでも言うのかな。

この1.5的な0.5的な感覚や存在をどう捉えるか。その捉え方に関する指南書といえば分かりやすいかも知れないですねー。シュレリンガーの猫を僕は思いだしました。この分かりにくい概念説明することの難しさに似ている。

この概念を好意的か否定的に捉えるか、となりそうな感じだけど僕はこのゼロサムでなく、「そんなものがあるのだと」と思えるかこそが大事な概念で現代が寄り添うべき思考なのかなって思ってます。ゼロサムにするとゼロもサムも正義になりお互いが削りあって解はでない。中間的な「知ろうとする」「知らない事をよしとする」でええんちゃう、オモロイやん!

これが天然の美味さと喉越しですね!味が複雑すぎて路頭に迷いかけますが(実際は迷った)けど、これでいいのだ!赤塚不二夫偉大です。脳みその筋トレでも無いストレッチでも無いイチローさんの初動負荷トレーニングに是非!