土曜日, 7月 29, 2017

さんし

いらっしゃーーーい!
の三枝師匠(現・文枝師匠)のさんしではなく。

朝の3時4時が今住んでいるアパートで一番静かな時間帯だなーって、寝てるか起きてるかようわからん意識の中でぼーーーって思ったのでした。

裏手に飲み屋があり2時半に締まるので、ふと起きて「わーーーー!はははーー!」って聞こえてくるとまだ2時ぐらいかとなります。
MAXという路面電車がアパートの近くを走っており、早いのは4時前に来て空港に向かいます。なのでその電車の音と頻度でも大体時間帯の察しがつきます。

そんな喧騒をかいくぐって現れる沈黙を抱きかかえた2時間に遭遇したのでした。
時計を見ずに明るさと騒音で時間を測る癖から外れた時間。それなりの時間目新しい音が入ってこない身体に「ん?」と反応した意識。そこから逆算された3‐4時頃。時計を敢えて見なかったけど多分そう。新鮮やったなー。

2009年にイタリアのベニス(ベネチア)の駅に早朝ついた時に感じた違和感。
無音。厳密には騒音がない静かな空間。耳がおかしくなったんちゃうかと思ったあとに感じだ感動。それを思い出しながら再び眠りにつきました。

ひょっとしたら夢だったのかも。でも音に囲まれた世界。むしろ音楽を聴き動画をながし人としゃべり電話をかける人間。音に依存して生きているとも言えない現実。無音の空間ありますか?

今日もそれを味わいたいのでアラームをセットして眠るかー。ほら音無くして音無し。大人しくいきるべし。。。寒!!!

2017年20冊目(280)

公立中高一貫校 (ちくま新書 1047) 新書
小林 公夫 (著)
筑摩書房 (2013/12/4)

高校・大学・大学院と結構ガッツリ受験を経験してきたのでこの手の本を好きだったりします。最初の興味は僕の時代の受験と今の世代の受験ってどう違うのかな?ってのを覗いてみたいでした。

最初に教育問題ってとても間口が広くて誰でもそれらしく語れてしまう。これが受験を話すうえでの難点だったりするのかなって。
この本は「公立中高一貫校」というお題が明確なのもあってとてもおもろかったです。
何が面白いってこの「公立中高一貫校」の試験内容は大人でも容易ではない内容があったりして、精査する視点が入社試験(僕はこれを受けた経験がないので予想ですが)っぽいなーって。この試験をパスして6年間しっかり学んだ生徒なら変に日本の大学に行くより就職したり外外へ飛び出した方がいいんじゃないかなって思うぐらい。

僕は必ずしも詰込み型を否定しない立場です。点としての知識を繋げて線にできる能力が備わったとき詰め込まれた知識は一気にブーストしていくような気がするから。
逆に線にできるの力を極めて知識を加えていくのでも、山の登り方の違いで最終的に同じなのかもしれない。
この本にも再三書いてあったのですが、親と子がどんな学校に行きたいとかをしっかり話し合うことの大事さを強調しています。自分はどんなことに向いてるとか向いてないとかを話すことで選ぶ進路も決まっていくでしょう。運動が全くできない人が体育科を受験するとなったら何かそこに理由があるように。
そう思うと僕の場合は親は上手くブレーキを掛けてくれたり自由度を与えてくれたり、ピンボールの両枠の広さと高さをその都度調整して球である僕をうまいこと遊ばせたなーって思ってます。

受験はゴールでなくプロセス。なんかこの本を読んでよいプロセスを経験させてもらえたなって。とはいっても人生という深い森の中でゴールも考えないといけない歳で。。。
よし、もう一回受験でもするか!!

金曜日, 7月 14, 2017

2017年19冊目(279)

野茂英雄―日米の野球をどう変えたか (PHP新書)
ロバート ホワイティング  (著), Robert Whiting (原著), 松井 みどり (翻訳)
PHP研究所 (2011/01)

野茂さんが起こした革命。改めて読むとすごいなって。
先人が切り開いた道があるから歩める。ただ切り開く人の苦労。。。

何ともありふれた感想になりそうでテイストを変えたいと。

これは人間適応論なのかも。
鈍感力とか図太さとか。でもそれは表面上に振る舞えるかとか。
堂々と。それを理解してくれる人とのケミストリー。理解者を見つける長い旅。
野茂さんというある意味の奇人が生んだ革命的トルネード。巻き込まれたアメリカ。春に行ったWBCで野茂さんが登場した時のドジャースタジアムの歓声とか。
野茂さんは現地・現場に愛された人なんだと。お客さんから現地人・住人そしてレジェンドに。

僕はそれを目指してます。そうありたいです。でも道のりはね。
お客さんでけっこい笑顔な。。。。あーーー、これ以上はやめときます。海外で過ごすのはそれぐらいパワーがいることっす。

日本で海外の人をどのタイミングでう「うちわ」として受け入れるのかをリアリスティックに考えてほしいです。そのなかで、どれだけの外国人の方がテレビで日本語を上手に話して輪に入っているか。アメリカのTVショーでそんな日本人は。。。僕は悔しいですよ。ザブングルです

実力。野茂さんがそのチャレンジの場所を選べた奇跡。
グローバルが当たり前のとなったいまこそパイオニアに奇跡を辿りませんか!?
この本がアメリカ人のロバートさんによって書かれたことを僕は誇りに思います。外交とは民間から。留学は駅前から。駅前留学。。。Nomo!?


2017年18冊目(278)

気仙沼に消えた姉を追って 単行本
生島 淳 (著)
文藝春秋 (2011/11)

取材で気仙沼と東京を行き来するうちに、思わぬことに気付かされた。私は仕事を通して震災を「追体験」することを望んでいるようだった。
「ようだった」と書いたのは、未だに推測の域を出ないからである。気仙沼で育った人間にとっては、震災を直接体験していないことが「負い目」なっていた。私は追体験することで自分に免罪符を与えているのかもしれなかったし、。。。。
本書97ページより抜粋

この箇所が実は僕にとっては肝としか言えない。
震災時にアメリカにいて間接的にもどうしようもない状況。日本人としてあの空気を吸えなかったのは生島さんの言う「負い目」なんだと思う。
そしてその接点が僕にとってはどういうわけか気仙沼だった。
実際に足を運ぶ機会を得たし、猪瀬さんの気仙沼を舞台とした本を読み、この生島さんの本を手に取った。必死に「理解してます」を得ようとしてるのかもしれない。
答えはわからないけど忘れないという想いは太平洋という津波を実際に作った大きな衝立の両端に接点を持った宿命なのかもしれない。できることをなんとか。

そして自分のルーツを辿る。生島さんのお陰で僕もその作業の大事さを思いました。もっともっと話すことがある。もっと知ることがある。
大阪の細かい変遷。地元の変遷。生き字引の言葉。大人になってそれなりに生きていけてるからこそ。拾えるからこそ。淵に立ってようやく気づく人間。強欲な生き物でありなんとも寂しい存在。次回勇気持って聞こうと思います。あんなことこんなこと。

人とは、生きるとは、何ができるのか、何ができるたのか。
震災から5年以上もたった今だから。豪雨やいろんなリスクが存在する世の中だから。今を生きる上でふと立ち止まる歩留まりになる本だと思いました。

気仙沼に次回訪れた時はもっと飲んで現地の空気を旅の人として嗅ごうと思います。クンクン。嫌われないように。。。