日曜日, 12月 28, 2014

読んだ本・その45(187)

外食2.0 (ideaink 〈アイデアインク〉) 単行本
君島 佐和子 (著)
朝日出版社 (2012/11/17)

「2.0」の持つ意味。読み進めていくうちに輪郭が見えてきます。3つのキーワードが根幹をなしていると思います。

1) ライフスタイルにおける食の存在
2) SNSなどによる評価経済学
3) おいしさとは何かとう食育

個人個人の食に対する向き合い方(スローフードやベジタリアンなど)と店を経営するする側・作る側の食に対するそれ、例えば価格帯や提供する料理のスタイルによる「お食事処」の変化(レストラン、バルやビストロといった)のそれぞれの分析と相互作用が1。

宣伝と言う方法が写真でweb上にアップすることや食べログと言ったサイトで評価される現代。昔なら雑誌やテレビなどのメディア(専門性を持った人のフィルター)を通じてマスに発信していたことが、個人ベースで出来てしまう現代への考察としての2。

最後の3は作る側・食べる側が味というものをどのように捉えるか・感じるか・表現するか。そこには知識やサイエンス・ケミストリーと言った要素が入り込むという点でこれはある意味で学習・教育の側面を持っている。

食べるという行為は生命を維持するうえで必須であるが上に、上記の事など関係なく「腹を満たす」ことで十分という考え方も存在します。
ここには文化や地域性、そして貧富、そう格差やレイヤーと言うものを避けては語れないと思います。前者の意識的なモノと後者の物理的なモノ。これらの交差と化学反応によって食は多様で文化という側面を帯びるんでしょうね。

僕自身は前者と後者の境目に浸かっているような気がします。そして住んでる場所柄それを意識できるのかも知れませんが。立ち止まって広義の食を考えるのには最適な本だと思います。

さて今日は何を食べようか。。。ビールそれは飲み物です!!!

火曜日, 12月 23, 2014

読んだ本・その43(186)

近大マグロの奇跡: 完全養殖成功への32年 (新潮文庫) 文庫 – 2013/11/28
林 宏樹 (著)
新潮社 (2013/11/28)

ドキュメンタリー。プロジェクトXやカンブリア宮殿的とでも言ってしまえば安い安い話になります。
でも現実に生物学をやる立場として感動しました。そして羨望をもってこの本を読後眺めました

書内に出てくるフレーズ。この成功は「私学」だから、「私学」が主導したから、といった下り。理念や予算とかこの数年の基礎研究の大きな議論にダーツの矢を投げたような。これが示す意味は重いですね。

アウトプットとしてはマグロをおいしく食べれると言った食文化ワイワイと言った話ではなく、食糧安全保障の話であるという事。資源枯渇や国際ルールに伴う規制。その中で安全に安定的に海産資源を確保するか。農業や畜産といった技術との対比なるかもしれません。なぜ魚なのか?立ち止まって考えるのにとてもいい機会を与えてくれるでしょう。

そして、GMO(gene modified organism: 遺伝子組み換え)に関しても考える事象も出てきます。完全養殖魚を海に放つこと。人工交雑によって2つの種のいいところ備えた種の生産(これは米の栽培にでも応用されている技術)。さらに選抜育種と言う手法(同じ個体種内でのセレクション)。これらは人為的(人工交雑や選抜育種は最終的に個体自身の生殖活動によって増える)な分子生物学ではなく経験則的な側面があって、これらによって過去僕たち人間も多様性を獲得してきた事実でもあります。
それと相対する遺伝子組み換え。遺伝子の交換と言った側面は両者に共通する事項である。その事実を踏まえてどこまでの人が厳密な“遺伝子組み換え”に対しての嫌悪感をあらにしているのか。

GMOの花粉の伝播やそれを食す昆虫類と言った問題から言えば、管理出来る範囲とその範囲外と言う意味では農業の方が圧倒的に不利でしょう。でも「分子生物学的」な組み換えと「ある側面で自然発生的に起こりうるものを「人工・人為的」に自然交配に任せて行った」組み換え(はい、説明が長いのは知ってる!)の時の問題のレベルはどうなの??

きっと大きな議論は起きていて僕自身完全にフォローできていない確証はあります。でもそれすら混同してしまっている方たちには、考えるきっかけを与える良書としか僕にはおもえません。
米・肉・魚そして野菜。もう一度何をもって天然・安全と言ったことを考えてみませんか?

この本もまた帰国時に訪れたい場所を与えてくれました。いつか、僕のサイエンスも人に感動を与える機会がやってこればと思います。
知ってます。それを意識てるようじゃ一生無理なのも。。。
知らぬが仏。ちょっと違うか!?。。。

読んだ本・その42(185)

伊良部秀輝 (PHP新書) 新書 
団 野村  (著)
PHP研究所 (2013/2/17)

その道を極めるとはどいうことなのか?この問いを受けて目が向くのは極めた先なのではないでしょうか。でもその道筋の苦悩。そして極めた先が現実に明確に存在するのか?

伊良部選手と聞いてどういったイメージを皆さんは抱くのでしょうか?
僕は阪神時代のいろいろな話やyoutubeで彼の野球理論と言うものに接していたので、この本で書かれている伊良部選手の素顔と言うのにはすっと馴染めました。というか、ここ最近やしきたかじんさんやサッカー・我那覇選手の本を読んだ為かまたかと思ってしまったの事実です。

逆になぜそこまでターゲットになったのか?イチロー選手ほどグーの音が出ないほどの成績ではなかったのは大きいのかもしれないですね。それらを踏まえて、現在のサッカーの香川選手や本田選手の報道なんてそんなものと見るのがいいのかもしれませんね。

表面的な評判はさておき、伊良部選手の野球に対する情熱を目の当たりにして感じたことが一つあります。厳密には2人の例を知ってしまったと言うのが事実です。
それは、明確な答えが存在しにくい道を追求することは自分との消耗戦を性格によっては強いられ、結果として鬱といった深みにはまってしまう可能性が高いのではということです。

故・桂枝雀さんのことを色々見たり聞いたり調べたりと言う時間がここ数日あってから、この伊良部選手の本を読んだのでした。そして残念ながらお二方とも自殺と言う結末を迎えてしまった事
実。

研究と言う仕事も遠からず近からずこの種の職であり、それを導くのは科学的真ということへの議論となるのからでしょう。野球とはピッチングとは。芸とは話術とは笑わせるとは。
表と裏(報道上とヒトとして)の伊良部選手を知れてよかったです。

2003年の日本シリーズ・阪神vsダイエーの第六戦。甲子園球場へパブリックビューイングに出かけた僕。誰もが先発ムーアと予想したなか伊良部選手が先発。今でも球場のどよめきを覚えています。ある人はかなりの剣幕だったのを鮮明に覚えている。
でもなぜか僕は第二戦でKOされた伊良部選手を優勝のかかるこの試合に先発させた星野監督の心意気だろうと勝手に解釈し、感動したのを覚えています。前述している、その後に知った伊良部選手の素顔的なモノ。

人を知る、人に知ってもらう、生きると言う旅には語ってくれる友と話せる友が必要なのでしょうか。そんな友を見つけることが目的の旅になっていけない訳で。

うーーーん。。。もう一杯!!

伊良部選手ありがとう!ヒデキは僕の中では松井でも西城でもなく伊良部です!

読んだ本・その41(184)

東京最後の異界 鶯谷 単行本
本橋 信宏 (著)
宝島社 (2013/12/13)

現代の男女の性や現代の風俗と言った各レイヤーによって切り取られた鶯谷は、歴史的な土地の流れと言う軸が刺さり文化や時代背景と言った飾りによって、その界隈の空気感を読者に伝えてきます。

欲望渦巻く街。この欲望は男性のものと連想した人は残念ながら浅はかと言えるかもしれません。女性側にも存在する欲望に目を背けた時点でこの本はノベル・フィクションになるでしょう。男性が欲望と言えば性的なモノが浮かびますが、女性に対してこれを投げると男性とは違った色を帯びるのではないでしょうか。

だからこそこの鶯谷と言う異界が存在がしうるのでしょう。

人間模様は以前ここでも書いた名前のない女たちに似ています。街としては同じく前出の色町の飛田の話との比較になるのでしょうか(吉原への玄関と言う意味でも)。

かと思えば、文化人の愛した街であり(正岡子規や林家三平)名店と言われるような老舗の店や料亭があり、下町としての風情もある。

本の中でも出てくるが大阪の西成・通天閣周辺といった描写に妙に腑に落ちた自分がいたのでした。

街の空気感とは何によって醸成されるのだろうか?流れと滞留という項があった。流れてもダメかけど、動かないのもだめ。そのバランス。
うーーん。都市計画とかはこのようなものも踏まえて設定するのならなんとも創造的な仕事だと思う。でも実際の思惑といがう形(そもそもそんな学術を語ることが野暮なのかもしれない)で存在する今の形の鶯谷は面白いですね。帰国時に寄りたい場所が増えました。

えっ!?何しに!?社会勉強ですよ。。。

金曜日, 12月 19, 2014

読んだ本・その40(183)

女子会2.0 単行本(ソフトカバー)
「ジレンマ+」編集部 (編集)
NHK出版 (2013/5/23)

タイトルから連想した本のイメージとは全く違います(僕の予想・男子の予想・世間の予想がどれぐらい相補的かは不明ですが。。。)。

内容は女性の社会進出や結婚・出産といったものを座談会参加者の皮膚感覚・統計・調査や社会の趨勢と言ったモノからひも解いてます。

この女性が置かれた現状と生き方。これらは男性とのそれらとの相対的変化と制度など絶対的変化の兼ね合いから見えてきます。。。

などと書いてきましたが、僕がここで感じたことは実はこの現在の女性が辿る道を男子がこれから歩という現実です。
ここでいう男子は日本男子。

グローバルとロボットなどによって割を食う男子。
女性の悩みは将来男子が直面する悩みとして見るべきでしょう。
じゃー、その時女性は?
男子とフラットになってむしろアクティブに生きていると思います。

そう、この本は男子が自己を見つめ認識しどうするべきかを思案するべき書と僕は認識しました。
男性の地位なんてそれが地位と思っている男子にしか存在しないんですよ。
相対的な地位に胡坐をかく。
相対性と絶対的な自己との葛藤の時ですかね。

この本。面白いです。
そして、今こうして女子を観察したくなる@ 行きつけの飲み屋。。。
キモイ!!

木曜日, 12月 18, 2014

止まっていた時間

有朋自遠方来、不亦楽乎。

孔子の言葉で論語に収められています。

時間が止まったら。あの時に戻れたら。
この世界の中で生きる以上は避けて通れない連続する時間。

その時間。

それは心の中・脳の中・身体の中で止まって存在するのだと感じた。

最初の一文の通り友人が遊びに来てくれました。4年ぶり。でもアメリカ生活が長い分がっちりシェアした時間的には9年とかぶりかな。

卒業式でみんなで発した、
「走馬灯のように甦ってきます!」
来ました!

同じような経験は高3の同期と飲んだ時にも起きます。

脳内に浮かぶあの当時の絵と声。

濃い人間関係とか言うのかな。
でもそれは本当に偶然の出会いでも僕には残っている。

それを踏まえて感じたこと。
自分の思い入れとかインパクトとか。濃さ深さ重さ楽しさ、時に悲しさ。
それはしっかり記憶されいつでもその時の臨場感を伴って帰ってくる。

それをシェア出来た人がそこに居たなら。
それを想起させる機会を作ってくれたなら。

僕も作る側に立てたらいいなぁー。

この34年の臨場感。ありがとう。そして、その先の臨場感。

ワクワクでいくぜ!!!

読んだ本・その39(182)

魚料理のサイエンス (新潮文庫) 文庫 – 2013/12/24
成瀬 宇平  (著)
新潮社 (2013/12/24)

50種類以上の魚に関する知識が詰まってます。タイトルにサイエンスとあるように、科学的な栄養素の考察もふんだんにちらばめられており読むと魚を食したくなります。

自分の研究対象であるタンパク質の含有量と味の相関。なるほど!と何度も付箋を貼りつけました。
生態から調理法まで。如何に日本の魚食文化が深遠かを知ることができます。

ここから、敢えて問題提起とまではいきませんが自己を主張したと思います。
これだけの生態系を保持する海の偉大さ。そして、その棲み分けに侵食し多幸感を得る人間を罪に感じました。
なぜ?
それはベジタリアンという敢えていう種の人たちが居るからです。
僕は彼らを否定する気は全くありません。でもなぜその決断をしたのだろうという部分に興味があります。

可哀想。

植物も土から抜かれたら死に向かいます。
声を発しない植物。

肉はダメでも魚介類は良しとするタイプの人もいるようです。

家畜としてに肉類。可哀想。でもすでに述べたように、多様に且つ棲み分けた水の中を犯す人間は自分たちの管理に基づいた家畜と罪の重さはどう違うの?

食も連鎖のヒエラルキーで自分の力でエネルギーを生産できない人間に生まれた以上、何人もその罪を無意識に背負う。
それに尊さを持ち生を全うする。
だからこそ得られたものを味わう。
食文化。

だから敢えて。なぜあなたは食生活の制限を選んだのかを聞きたいのです。
善や悪でなく。どんな耐久性を備えた軸に沿っているのか。

何も誤りではないし価値観の多様性もあります。
だからこそ、浅はかではなくツッコミどころ満載でない意思でやってほしい。

それをこれを読んで思いました。
魚を食する尊さを感じたいと思ったから。

昨日食べたすしはとても美味しかった。母なる海よありがとう!
今日飲むビールはとても美味い。母なる大地よありがとう!

水曜日, 12月 03, 2014

エネルギー

小さいときに耳に残っている曲。音楽。リズム。
なんか心躍る旋律。ワクワクした感情。
その音に沿って思い出される思い出。

今それらをどんなモノで誰が歌って購入可能でアルバムにしていつでも聴ける。

感慨深い!!!なんかやる気でます!!!
当たり前でなかったからね。

小学生から高校生までスマホを持ちインターネット駆使する世代は20年いや10年後に何をもって過去との接点で感動するのかな。
それを想像するという大きな宿題を授かった気がします。
だから、その音源聞いてテンション上げよう!!

いや。。。遅いから寝ろよ。。。

水曜日, 11月 26, 2014

読んだ本・その38(181)

ペンギンが空を飛んだ日―IC乗車券・Suicaが変えたライフスタイル (交通新聞社新書) 単行本 – 2013/8
椎橋 章夫 (著)
交通新聞社 (2013/08)

当たり前になっていることが当たり前でなかった時。その当たり前を考案するするとはどういった事なのか?

この本は物語とか、ビジネスモデルとか、企業のありかたとか、投資とはとか、技術者とはとか、テクノロジーとか、社会インフラとか、色んな側面で語ることが出来るでしょう。
なぜなら、だれもが当たり前のように接するものが出来るまでの話だから。

久しく日本を離れていますが、僕が居た当時でもかなり普及していたIC乗車券。この本を読む限り社会インフラとしてそして便利さの象徴として広がったこのシステムの凄さを感じました。

「XXXしたい。XXXだったら。」から行動をおこして最後に「XXXになった。XXXができた。」という夢の実現。夢物語。この実現は現状維持との戦いでしょうね。だって今までの切符のシステムで一応はちゃんと回っているんだから。
そこに、でもって切り口を入れる勇気と覚悟と決断がそれぞれの立場で出来るか。
揃う時があるから面白いし、揃ったから現在の空間が存在する。

興味深く思ったのはSuicaが自己の機能を果たしだしてからの提携の動き。利便性を得たことによる更なる欲求。その欲求が反映する現実。
本書に出てく関東圏のSuicaと北海道のKitacaの提携の話なんて、なるほどなーって!
こういった視点の数々に唸りました。

自分のやってることに当てはめてみて、僕もがんばるか!ってなりました。そして気付いてない何かを感じ取れるようになれたらなと。
そのために。。。
もう飲みに出かけよう!明日は休みやしええやろーーー。。。アカンと思う。。。

木曜日, 11月 20, 2014

読んだ本・その36, 37(179, 180)

殉愛 単行本
百田 尚樹  (著)
幻冬舎 (2014/11/7)

争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール 単行本(ソフトカバー)
木村 元彦 (著)
集英社インターナショナル (2011/12/15)


殉愛に関しては1冊について感想を述べるつもりでいました。ところが、次に手にした我那覇選手の本があまりにも本質的な部分で似ているので一緒に記すことにしました。

戦う人と支える人。
共感する人と問題を作る人。
真実を知ろうとする人と嘘をつく人。
奇跡としか思えない出来事や人と人のつながりから生まれるケミストリーの数々。
いいかげんなマスコミとそれによって真実から遠ざかる我々。
あきらめの淵であきらめないヒトの強さと耐久性
そしてこの2冊には医療と言う現場で戦う人の職業倫理が加味されます。

これはノンフィクションなのです。その深さ。悲劇の極地は喜劇。嘘のような事実。

真実は当事者とそれに関わった人しか知らない。
そして幸いに真実に誠実な人と残念ながら自分を第一に行動する人が交錯します。
人としてとか義とが善とか悪とかフェアとか。

結局はそこにその人の人間性が如実に反映される。
それが闘病とか裁判とかといったある意味で追い込まれた状況。
だからこそ、真実や現実に対して向き合える自己犠牲を払えるという尊さ。

読んでいて腹が立ちます。ある一部の人たちの立ち居振る舞いに。
もちろん書く側の立ち位置があるからこそ発生します。でも、ここで”向う側”に立つような人間にはなりたくない。
同じ気持ちの人と付き合いたい。心意気とか優しさとか友情とか。ウエットなもの。
でも、そのウエットティッシュを自分に差し出してくれる人たちのクラスター。
だからこそ、この2冊が世に出たことに心から「よかった」と言いたい。
そして手に取れたことにも「よかった」と。

各人の自問自答の描写。そう、日々自問自答し決断する。でも、それを極限状態でも冷静にかつ全うできるのか?フェアに。
この2冊を読めてよかった。そして改めて真実を知るためのリテラシーと、その前での立ち居振る舞いを当たり前に出来る大人になりたいと。

じんちゃん!ありがとう!
我那覇選手!応援します!

さー!飲むぞ!



P.S. 今トップの本の状を見るべくアマゾンの殉愛のページへ。平均の星は2つ。678のレビュー。463のレビューが星1つ。少し目を通して気分が悪くなった。真実とか上で書いてた己を。。。尊敬するわ!恥を知れ!こんな糞日本に誰が帰るかボケ!!!

木曜日, 11月 13, 2014

映画 Interstellar を観てきた。日本では22日から公開のようですね。

ネタばれ云々はしません。ただ宇宙や最新の量子力学や素粒子といった類のもの。
ダークエネルギーとかビックバンとか。超ひも理論とか。
ちょっと知っていると面白く見れるとおもいます。そして僕はとても素晴らしく映像化していると思いました。

存在とかまたそんな話になります。でもね、この世に生きてることを人との関係性でなく宇宙とかのちょっと大きなビューで視るのは意義があるかなって。
映画の中のあるシーンで頻繁にかつ効果的に出てきた言葉。

「time is relative」

相対的な時間。でも絶対的。でもでも主観的。
時間をどう感じてますか??

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何となく線を入れました。区切り!?

面白い夢をみました。人が死んだり事故に遭ったり的な夢なんですが、厳密に言うとデジタルとアナログの境界の夢でした。

流れてる時間が寸断される。その寸断面に向かい合う時。
すごい情報量。
流れているものを区切った瞬間にフローしてた情報を受け止めないといけない。

自分の中でこれがスゴイ発見で。
受け止める。流れを。

「すみません、ここまでどう行くんですか?」
と、フローが止まった時に何処とか誰とか色んな詳細が発生する。
それは全て情報と言う名のフローとぶつかった瞬間。

研究をしていてある側面を観察する際、観てるのは流動的な動的な部分の側面。
その側面に向き合うから情報を感知する。
何か切り口を作るという、アナログからデジタルというかゼロサムと連続性の立ち位置。切り口を入れるセンス。
でも前提として忘れてはいけない動的感。

ここ数日そんなことに思い巡らせます。見極めと耐久性の狭間の決断。
しびれるねー。

-----------------------------------------

 何かを感じたり知ったりって、自分の流路から離れて他のフローを感じることかなって。
だからこそ時間は流れる。それぞれの速度をもって。
その速度感。
相対的な時間。
何か大きな大きな溝があるそうな。
どんな溝!?
それが分かった時、きっと快適な人生なんでしょうね。
でもそのフローも相対的みたいな。


ふふふ。だから生きることを体感しないといけないんですね。
この急に来た寒さはブレーキかアクセルか。
なーーーんて考えるヨッパライ。
これもまた偶然。

宝くじでも買うか!?


金曜日, 11月 07, 2014

ごにょごにょボソボソつぶやきサブローシロー

何かが起きる時は連続的に起きたりする。朝から夜更けまで。
その一日を振り返って「あー、カオス」だったなって。

でもその反面、朝に起きたトリガーによってその日のカオスが決まったような気もする。
その時その場所そのタイミングに出くわすことは一連の流れの出来事だったりする。

ここでこれがあって、そこでそうなって、あのときああ言ったからといった具合で。
これは縁起というか巡り合わせなんだけど巡って来たというのかな。

ある一言を空気中に投げたあとに起こる反応。それは瞬時だったり時間差だったり。
そこでその一言、あるいはキーワードに言及したことで始まる物語。

ハッピーエンドかバッドエンドかは時間の経過に身を委ねないと見えてこない。

まぁ、最近そんなことを富に感じるのですよ。
あっ!はっ!みたいな。

それを最大化、時に最小化するために物思いにふけります。
でも、ふけってるだけじゃ何も起こらないんですよね。

この数日アクションと言うか行動ということを考えます。
出来る。知ってる。だから後回しに。この怠惰の王様的行動の影響を切に感じます。
ルーティーン。このルーティーン。
ハードルを自ずと上げる、いや上げておく。いや、当たり前にしておく。
慣れですか。慣れたらいんですよ。だって人間サボりたがり。

なぜサボる。面倒くさいとか、やらなアカンことあるとか。
その通りなんですけど、僕のライフはフレキシブルを前提にしてる以上、その言い訳はダメなんですよね。言っちゃえば。言っちゃった。

あーーーーーーーーー。
最近学んだことを踏まえたら、上手に環境に変化を与えます。それが行動を促すから。

何が言いたいかと言うと、これを気付く機会も偶発でこれを記すのも気分。
ねー。規定された現状を可能な限り見極める目。
でも、それするには飲んじゃうよねぇー。

今日あった一番のハイライトが何故起きたかと辿ってみると思いですよ。
そして先日に見た夢の意味とか。

まぁ、明日も同じ作業から現状との違いでケタケタやりますわ。
つらつら。意外と。。。書けるね!!笑
はい!終わり!行きつけここで閉店!15 min!

火曜日, 11月 04, 2014

読んだ本・その35(178)

弱いつながり 検索ワードを探す旅 単行本
東 浩紀  (著)
幻冬舎 (2014/7/24)

僕にはいつくか鉄板とまではいきませんが、うけるネタがあります。そしてそのほとんどが旅に関するものです。

旅とは非日常を体験する時間として前から位置づけていて、自分でも可能な限りその時間を作りたいと思うのでした。

今回この本を読んで、旅が持つ新たな側面を実感ししました。果たしてその側面はすでに僕の旅の中で実体験を通して日常に還元されているものでした。
でも、意識と無意識の狭間。今後これを意識的にすることで僕の引き出しは格段に増えるのではと、いつになるかわからない次回の旅に想いを馳せるのでした。

敬愛する東さんの新刊。読みたくて読みたくてついに手にできました。キーワードは先に述べた旅とネット。

ネットが生活の大分部において果たす役割が大きくなった現代において、よりよく生きるための方法。それを気付くための旅という行為。
手段として。ネットを扱う上で発生する言葉との接し方。その言葉と深く関わるリアルな社会生活と存在としてのモノ。

環境として。購読している佐々木俊尚さんのメールマガジンで取り上げられていた、小笠原諸島に移住した写真家の人の言葉
「自分を変えるには、住む場所を変えること、一番要らないのは、新しい決意」
そして現状が現在の自分を規定するという僕の好きな言葉。

僕の日常で大事な要素として存在する、色んな人と偶発的に出会うことによって起こるケミストリー。

こういった僕の頭の中で点でバラバラで存在した考え方や感じていたこと自分の意見といったものが、この東さんの書によってふわっと輪郭を浮かべたように思いました。

結構僕の人生おもろく過ごせてますやんって自己評価高くしてしまいました(恥)。
旅かぁ。最近自分のスタイルで旅をしていないので近いうちに出かけたいと思いました。どこへ??
ダーツでも投げますか!?

月曜日, 10月 27, 2014

勇気をもって

ごめん!

ごめん。。。

すみません

I'm sorry

偶然に意図的に人は謝らないといけない時があると僕は思う。
でも逃げる人もいます。言い訳から。
言い訳はみんなします。いや、出来ます。

でもそれ以上に非を認めること。

置き換えましょう。謝るとき非があります。謝られた人に非があります。
その非ははたしてどれだけの非なのか。
非よりも声に出した勇気の方が大きかったりしません?
人に求めるよりも自分が向き合う時。

ごめんなさい。

聞く側として。大丈夫と言いたい。
いう側として。心から詫びたい。

そのケミストリー。死ぬわけじゃないし。そこは笑おう。
フェアな人間関係であるために。健全であるため。自分が正直に生きるために。

読んだ本・その34(177)

芸術原論 (岩波現代文庫) 文庫
赤瀬川 原平 
岩波書店 (2006/5/16)

キーワードは偶然。これに尽きるでしょう。

書の前半に偶然をキーワードとした出来事の数々が紹介されます。それを読みがら「おもしろいなー」と思う反面、タイトルとどう関係するのだろうと。

果たしてそれは杞憂に終わったのだった。
観察と気付くという人間に与えられた好奇心と言う名の癖とでもいうのだろうか。
それを如何に鋭敏に深く出来るか。そこからアートとの素が生まれてくる。

だから芸術原論であり。偶然の出来事の紹介なのである。
時に人は鈍感である。かと思えば敏感でる。
そして細かいところまで気付く人まったく気にしない図太い人。

偶然と言うのもある種の感受性であり才能であり運だったり。
それは個人差により、その差異がアーティストを芸術家たらしめる要素なのだろうなと。
読み進めるうちに響いてくるのでした。

物凄く本質を突いたコメントも出てきて、相対化が好きな僕は自分のサイエンスと重ね合わせて固まったりもしました。

読み始めた当初、偶然に僕も翻弄されていました。なぜならたまたまた訪れた書店でsaleで売られたこの本。本棚に並んでいたら手にしていたか分かりません。そして偶然の紹介の中で出てくる日航機墜落事故の記述。そうその年阪神タイガースが日本一になった年の文章。その墜落事件に阪神の球団関係者が不幸にも被害者として関わったこと。そのタイガースが日本一をかけて日本シリーズを戦っている現状。

これで結構ふわーっとなっていた昨日。
著者である赤瀬川原平さんが他界されました。
yahooのニュースで見たとき目を疑いました。こんなにも固まっる経験はありません。
そして、この本を読み切ろうと向かい合ったのでした。
赤瀬川さんとの対話は本当に楽しかった。そして心に響ききっと新たな偶然を生んでくるのだろうと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。献杯。

土曜日, 10月 25, 2014

はい!ここにますよー!

先日飛行機に乗り遅れた。
乗り遅れた事実は当人しか知らなくて、他人に知らせない限り誰も気にしないし知らない出来事。
その前に、僕が旅に出ることを知らない人にとってそれすらも意味のない一つの出来事である。
ところが、この状況で現実の僕の在処を把握しているのは僕自身と空港会社だけである。
僕が旅程にあることを聞いた人も知っている人も、飛行機に乗った機上の人になっていると思っている。
でも実際は僕は空港でビールを飲んでいる。

存在・実在

今僕は世界の中でひっそりと消息を消した存在だー!と思って一瞬何が何だか分からなくなった。
だれがどこにいるか。位置情報。GPS。
生きているという証明は自分が一番分かっている事実なのだが、他人からの認識によって良くも悪くも規定されている現代社会があるのかなーなーんて、ふと落ちたエアポケットで思いふけった。


*******

諸事情もろもろで完オフを取った。
その際、睡眠それも2度寝と言う最高のひと時と向かい合った時のこと。

独り言。まぁ、しますよ。仕事中・サッカー中・飲んでる時・家に居る時。
実際に音として発する言葉。
それとは対をなす、心の会話。心の独り言。

でも、世の中のすべての人がこれをしているかは分からないし、やっていたとしても比較が安直にできない。
それを今回は置いておいたうえで。
その心の独り言は意識を働かせることで振動とし空気中に放たれた音とそての独り言になる。これは耳と言う器官を通じて脳内で理解される。
さて、こころの独り言はどういった音をもって脳・身体が認識しているのだろう。
その心の独り言には声の強弱高低からものまねチックなものまで。
記憶としての音。人の声やフレーズ。脳内で再現する。まるで耳元でささやかれているように。

ながなが理屈を並べたけど、要は自分は何をもって喋ったり・聞いたりしとるねん。

今、小さく「あー」と声を出した。実際に喉を使って。
今、「あー」と心の中で呟いた。自分にしか認識できない声として。

はてさて、脳と耳と口と身体の協奏曲ですか。
現実・実際・actual・realってなんぞや。


*******

でも今、呼吸をして生きているんです。それを自分は知っている。
なーーーーーんか、なんとなーーーーーーく、面白くない!?
って思ったのでした。
さて、もう一杯飲むか。

金曜日, 10月 17, 2014

読んだ本・その31-33(174-176)

私鉄探検 (ソフトバンク新書) 新書
近藤 正高  (著)
ソフトバンククリエイティブ (2008/6/17)

予てから鉄道の沿線文化やその発展などには興味があって、過去にも何冊か寺社仏閣へのアクセスとしての私鉄の発展、宗教ツーリズムに関して読んでいたのですがこの本はもうちょっと大きな視点から私鉄が与えた影響を考察していて面白かった。アニメのキャラ・土地開発・観光・スポーツと文化などなど。その電鉄会社が何を軸にして今まで生きてきたか。生きる上での軸って大なり小なりみんな抱えている。それと同じように、それぞれの会社の生き様というか何を核にして生きてきたかを見ているようで妙に私鉄に親近感が湧きます。こういったのが人それぞれ目的地にどの電車やどの路線を使うのに影響したりするのかなと。あと各社を含め鉄道社会の合併や変遷の歴史を辿るときに新たな「そうなんや!」があって面白かったです。この本の執筆時、スカイツリーは完成しておらず新東京タワーと表記していたので、この本の後にもまた同様に色々な変がすでに起きているんだろうなと、時間の流れと開発や変化の速さを感じるのでした。


ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975)) 新書
三浦 俊彦  (著)
岩波書店 (2005/10/20)

サイエンスの文章を書く作業をしていた中で、この本ともう一冊が構成やコンセプトにとてもとても大きな影響を与えました。読めたことに心から感謝します(も一冊はまだよみきれていませんが)。ラッセルと言う哲学者の思考の変遷です。なので難しい部分も多々あります。読んでも全く反応もない人もいるでしょう。僕にとっては提示される問い何度も何度も「なるほど!」とさせられる一方で、全く他分野の話題から(特に仏教的な概念から)以前に振れたことのある問いに再度触れたり。「そう、それは僕も思ったことある!」ってのがあったり。本と脳みそと執筆中のサイエンスの文の間をぐるぐる時にくらくらしながら試行・思考してました。
主な問いは言語や存在・実在へのアプローチ。その中で分類という人による作業。この人によるが認識や概念と言った差異が生まれ。それを解消するための定義の方法。そこに関わる表現や分析。西洋的や東洋的な考えの差異が影響したり。書いている今も堂々巡りをしているようです。というかこの堂々巡り自体が本質で、この世と言うのを人というモノが自身の都合のいいように無理から理解を加えているとでも言うのか。ここら辺がどうも仏教っぽくなってしまう。哲学的出ることは科学的かつ時に宗教的なのかも。この3つはそれぞれ違うようで同じで。。。あー、またくらくらしてきますね。
でもこういった本を読むのも楽しいですよ。まるで禅問答みたいですが、そこに何か感じるものがあると思います。
ラッセル先生は僕のレビューのコンセプトにどんな批評をくれるのかな。。。なーーんて。ちゅうかまず英語がボロボロでそこからか。。。


<生命>とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書) 新書
岩崎 秀雄 (著)
講談社 (2013/2/15)

バイオロジーをやっている僕はこの本に引き込まれるように読み切ってしまいました。生命ってとてもややこしいテーマを一般の人でも分かりやすいように書いてあるなと感心し、アカウンタビリティーとはこういう事かと思い知らされました。
2つの視点で読んでいました。科学をしている自分と、生命といった現象に興味がある素人の自分。今の科学は分野が細分化されているのもあり、ここで扱う人工細胞を作るといった話は全くの素人的な関心と共に読みました。時々知ってることが出てきて「おー、それは分かる!」となる自分。これが知を得る際の喜びなのではと再確認ですね。そして自分のやってることに当てはめてみることができる楽しみも。
発見をするためのアプローチの記述が出てきますがかれはまさに前に読んだ「ラッセルのパラドックス」にて議論されていたそれそのも。つまりやっぱり科学的であることは哲学的であるのだなと。そこに生命と言う問いを扱う上で避けて通れない倫理の問題。そして生命現象が持つ美しさ。アートとしての側面。そしてそれを表現するということ。結構大層なことを仕事にしてるもんやなぁと。
最終章で出てくるサイエンスとアートの融合したプロジェクトの数々。それをやっている人たちに羨望の眼差しを送らずにはいられません。
この書を学会に赴く前に読めたこと。ラッセルのパラドックスの後に読めたこと。これもダイナミックな意味合いで生命の不思議ですね。サイエンスをできる喜びに乾杯!って飲むのかい。。。

月曜日, 9月 29, 2014

パニックとパンデミックは友達です

文章を書くのはある意味で一つの習慣であって、継続するだけで慣れてきて上手くなるきっかけを掴めるのだろう。練習いうのはこの手の継続をある意味強制力を持たせるために開発された言葉なのでないか。そこにセンスやら才能やら万人の尺度では測れない要素が入り差が生まれ淘汰のプロセスが始まるに違いない。そのこに専門性や特異性を持たせなければ、なんでも継続だけで平均点以上のことは出来るのではないか?ただ時間と言うこれは万人共通の尺が割く時間を拘束するのがやっかいだ。はてさて。

なーんて長らく書いていなかったのでわーっと書いてみた。
ははは、これを同じコンテキストで英語で記せ。。。
それで色々困っているんだよ!

英語の文章に慣れるために書き続ける方法が浮かび、上手く行けば2年ぐらいは持つかもとおもったが、ネタが切れたら終わりじゃねーか!ネタ作るには時間が要るんだ!それで結局書けなくなる。
この思考実験を調子乗って書いたのがこのエントリーの緒言である!

それはさておき。

もう遠い昔のことに記憶される鳥インフルエンザ騒動。
当時の厚生労働大臣は現都知事の桝添さん。当時の対処の仕方を思い出して東京でのデング熱の封じ込め。。。おっと!

パンデミック的な感染の仕組みをひょんなきっかけで経験しました。内容は書きません。
でも、これが人が死んだり病気になるプロセスだと思ったとき。ぞーーーーーっとしました。

感染経路なんて分かった時には感染中もしくは手遅れ。
無知こそ最大の失態。恥てやりすごすは事態を拡大する。
おかしいとおもったらすぐに行動すべし。

今回は幸いほぼ僕の回り制圧できましたが、まだしばらくはハイアラートかな。
というか、アレルギーやウイルスが広がるのと一緒でどこかで爆発的に増えたらおしまいなのだと思う。

爆発を抑えるために。臭いものには蓋?恥を知れ恥を!
予防学。いやー想定外でした。上り坂・下り坂・まさか!

みなさんもお気をつけ下さい!

土曜日, 8月 16, 2014

バイバイきーーーん!

人に出会うことはその人との別れをすでに含んでいる。
その出会いは刹那であり時に一生のものとなる。
その別れは一瞬であり時に今生のものとなる。

人と出会う際に抱く感情はときめきや驚きといった過去・現在との接点から昇華する。それが一時的が恒久的かは本人次第である。当然相手次第でもある。

人と別れる際に抱く感情などは過去・未来を包み込んで喜怒哀楽を基に心に刻まれ思い出になる。関係性が深いほど財産になり、別れは新たな関係性を生み出す。

出会いも多い。でもそれは別れも多い。その反面出会いを生む。メビウスの輪。その味はイカリングだ。

今日さよならを交わした彼女。たくさんの笑いやアクティビティを共有した彼女。新たなキャリアアップのためにここを経つ彼女。チームとしての彼女。友達としての彼女。一切恋愛対象としてはぐっとこなかった彼女。

彼女にとって僕はどんなおっさんやったんかいな。。。

僕を含め送る人たち。の人たちの別れもすでにある意味で包括されている。
相手が先が自分が先か。卵が先か鶏が先か。

good luck

この今という時間に乾杯、そして完敗。

金曜日, 8月 08, 2014

読んだ本・その30(173)

博士の愛した数式 (新潮文庫) [文庫]
小川 洋子 (著)
新潮社 (2005/11/26)

単行本を手にしたのはこんなにも前だったのかと出版された日付をみて感慨深くなりました。正確な日付はわかりませんが05年から06年の間に日本に一時帰国した際に手に取ったことは確か。

ラジオ番組の好きなパーソナリティーがお勧めだと。そして人生で始めて自分の金で読みたいと思って買ったこの小説。当時も読中・読後ずっとこのタッチの文章に触れていたいと思ったのは鮮明に記憶しています。

あるひょんなきっかけを経て、もう一度読みたいと文庫を購入。当時抱いたのと同じ感想はもちろんですがそれ以上に深く深く心と脳にずっしりと横たわる喜びや幸せという類の感情。
それは博士の語る数学と数の美しさに対して素直な感動と尊敬を持てるようになった現在の自分。

ライフサイエンスを仕事にしてる以上、いつも感じる生命の奥深さや複雑さ時に見せる乱雑さ。知恵と知識を組み合わせ小さな脳から仮説を立て答えを求める作業。それは現象として僕の前に立ち尽くす。その現象を定義という段階で物理学や数学が顔を出す。その数という存在。無限や普遍という性格を持つ彼らは神なのかそれと点なのか空なのか。

約10年前に手にした時には思いもよらなかった新たな世界に少しの驚きとそれを教えてくれる博士への敬意。アカウンタビリティの必要性が謳われる昨今の科学で、こんなに数字だけで人を魅了することが出来るという衝撃。もっともっと探究心もって今ある目の前の問いに挑まねばと思ったのでした。

さらに10年後この本を手に僕は何を想うのだろうか。。。

月曜日, 8月 04, 2014

らんだむ。。。ガンダム!?

真面目。
遊びごころ。
欲。
真理。
計算。
偶発。
閃き。
煩悩。
思い上がり。
謙虚。
決断。
飲み込む。
強引。
あきらめる。
継続。
切れ目。
思い入れ。
無関心。
理性。
本能。

よくよくよくよくよくよく考える。。。
くよくよくよくよくよくよ考える。。。

生。
死。

思い返すと。
思い出すと。

今。過去。未来。

感謝。忘れずに。進む。人生。

土曜日, 8月 02, 2014

読んだ本・その29(172)

ビッグデータの覇者たち (講談社現代新書) [新書]
海部 美知 (著)
講談社 (2013/4/18)

巷で噂のビッグデータ。使われる用語を含め導入書としてはとても良いのではと思いました。
僕自身はこの分野に興味があり色々とフォローはしてましたが、やはりちゃんと書籍として読むことで理解が深まりました。

簡単に言ってしまえばビッグデータの祖Googleの解説から始まり、Apple, Facebook, Amazonそしてtwitterといった各社のビッグデータとの関係性を分かりやすく解説してあります。そして、野球、カード詐欺、gmail、選挙に医療などなど、いかに自分たちがビックデータを利用しつつ利用されつつこの枠組みに取り込まれて日常を過ごしているかを知ることになるでしょう。そしてスマートフォンの今後とストーカーと言う存在の話は新鮮でした。まぁ、話のネタから考えさせられる話まで、さすがビックデータの本ですよ!

僕自身が肝に銘じないと思ったのは文中で出てきた「データというものは、量をたくさん集めていけば、どこかの時点で質に変わる」という一文。
頭をガツンとやられましたね。そう、その通りなんですよ。そして過去にこれと同じ経験した事があるんですが、当時はその質になったタイミングで自分があることに気付いたことを評価していた自分がいました。その前の収集があってこそ。あー、実験もっとしないと。最近のズボラを心から恥じたのでした。

あと2013年現在は起こっていなかったPRISM問題を予言するかのような内容もあって「おーーっ!」て感動したりもしました。読み返すとうのも刺激があって面白いですね!

さて、この文章も解析されるのだろうか。結論は。スパム!ゴミ箱行きかな。。。

火曜日, 7月 29, 2014

片付けと整理整頓

パズルのように結構な数のピースを改めて眺める。
そこから物語と言えば言い過ぎだが、ロジカルにかつエキサイティングな話を構築するのがある種仕事でもある。
見つけるだけ。書くだけ。でないのがこの仕事の胆だろうか。
と言いながらほかの職も同じような側面を抱えているは重々感じている。

そのパズルたちの数とピースのばらつきにちょっと面をくらってしまった。
絵にかいた餅とはこのことで、もう餅を味わうところまで頭が勝手に先に進んでいた事を知ってしまった。
全然全然うまくまとめれない。
まとめれないというより、まとめるべき優先順位・ルールが存在しないと言うべきだろう。

ちょっと困り果てながら。求めすぎているかも。過大評価してるかも。まだスタートに立ってない?など冷静に状況を分析し始める本人がいる。

要るか要らないの判断。この話にはこれは入れない方がいい。仲間はずれになって一人宙ぶらりんの数字や表や曲線。捨てると言えば語弊があるが、これは世に出すためのリストラ。でもアフターケアを考える。だってそれは十分な重さをいつどこで起きるかわからないに連鎖反応のために持っているから。
新成人に送るスピーチのようにそのモノたちへビジョンや意義を吹き込み社会の現実とすり合わせる。

そんな作業をしてる自分もそんな社会に組み込まれたピースに過ぎない儚さは心にしまって、今を最大限に楽しむべ目の前の風景にメスを入れすべてを把握すべく格闘している。医学部生が将来の希望に期待を抱きながら初めてメスを持つのとは似ても似つかない。でも医療や科学というETの点のような接点でなぜが関連があるように錯覚する仕事観。

一見おなじで、全く異なるプロセス。それを踏まえた連続と不連続(今日から読みだした本の中に出てきたワード)の相関に頭をくらくらさせながら(酒のせいでないことを祈る)、この数か月のズボラを恥じるのである。

実際に何かをすると言うこと。それはいったいどいうことなのだろうか。
ただ、やってるふりをごまかしごまかし繕っていたツケを今から払うのだと。
そして、それを見て見ぬふりをしていてくれたであろう番頭さん。明日しれっと会う時に平常心と共に感じるいい重圧を昇華させようではありませんか。

あーーーーーーー。はーーーーーーーー。
絶対酒臭い。。。

金曜日, 7月 25, 2014

読んだ本・その28(171)

パテ屋の店先から―かつおは皮がおいしい [単行本]
林 のり子 (著)
 アノニマスタジオ; 新装増補版 (2010/11)

料理・調理や食材・素材といった食文化を含めた多岐にわたる関連語句。
それらの言葉は僕たちにその意味を伝えてくれる。そして僕たちは脳でそれらを食し味わいながら解釈し理解する。
でもそれらの言葉によって隠れてしまった本質的・根源的な歴史的要素。

立ち止まって「待てよ」って頭を使う作業が乏しくなってしまった情報がフロー化した現代。
まるで小学校の時の国語の時間。英語を習い始めてすぐの時。辞書を開いて意味を求める作業を、やさしい文章で問いかけてきます。何か忘れていたものを思い出すといった具合に。

そんな素敵な本。なんと元は1987年に出版されたもの。これは新装増補版で20年の月日を経て2010年に新たに息吹を吹き込まれた本でした。

落語ではないですが、古典というのは廃れない。それを思い知らされたのでした。
90年前半の生化学の論文たち。それにも同じことが当てはまる圧倒的な知への探求を感じる時があります。温故知新とはうまくいったものです。ちょっとそんなサーチをのんびりしたくなりました。

僕の文も古くなりますがこのように生きるのでしょうか?カビがきれいに食べてくれるんやろうなぁー。。。

月曜日, 7月 21, 2014

読んだ本・その27(170)

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書) [新書]
夏井 睦 (著)
光文社 (2013/10/17)

なんて面白い本だろう。頭を殴られたような。機会があれば是非読んでください。なんと言うのでしょう、これは教養本です。

実際に経験した筆者の経験を下に仮説を立て、実験(自分を使って、人の変化を見ながら)し根拠を調べ、さらに今の食生活に疑問を投じることも含め文章化する。
あー、科学者とはこうあるべきだ。そうありたいと思うんですよ。なので特に感銘したのかもしれません。

ここで出てくる科学的根拠の大半は専門家じゃないと理解できない類のものではなく、原理的には高校生の教科書レベルで十分フォロー出来る。
この本の胆は学問の横断的リンクとでも言うべきでしょうか。多岐にわたる話(論拠)が隙間を埋めるかのごとくそれぞれがそれぞれを補完する。なんて理想の書なのだろうか。

そもそも的な実体験からスタートして、見聞きしたことある文化の話、哲学的問、進化論、生態学、考古学、医学、生化学、世界史、文化人類学、動物学、植物学。。。
もう多岐にも多岐の分野のオーケストラですね。
しかも圧倒的に「そうか言われてみれば。。。」の話ばかり。
ここで敢えて「罠」という言葉使いたい。
医学の罠。サイエンスの罠。常識の罠。もう常識への問いかけです。
言えます。食生活変わりますよ。いや、それは言い過ぎかな、でも絶対に意識します。肉食であれビーガンであれベジタリアンであれ。どんな人でもそもそも僕たちヒトと言うものが備え持った生きるための機能を意識するから。

過去に読んだ本たちとの接点もたくさんありました。チョコレートの世界史や地球を救う農業などなど。

面白いのが、人にさんざん変わっているオカシイと言われてきた僕の食・飲み生活。
この本をもって僕は全くおかしくない。本当にこの本のように僕の身体が適応してしまったのなら。そして、そうなら僕はこの自身のシステムを最高だと断言できる。

書ききれない程に脳を刺激します。是非!
えっ、なんでそんなに推すのかって!?それは。。。
自分の変わった生活を変わってないと完全に理解してもらえそうだから。。。
ってやぱり自分は変なんやん!!
って知ってますよ!でもそれが実は普通なんです。。。うーーーーん、読め!!

木曜日, 7月 17, 2014

おぬしだれや??

昨日ふと自分でも考えていたこと。そしてある会話の中で同じ事象の話になった。

友人を3つにカテゴライズできるということ。

A)普段会う時もう酒が入っていてほとんど素面の僕をみた事がない集団。
B)基本的に僕の素面と接する集団。
C)両方を均等とまでも行かなくともそれなりの頻度で会う集団。


A)はもうプライベートの関係。一緒にワイワイするひと。
というのも僕って仕事場を離れたり運動をしてる時以外って基本飲んでいる。
B)は職場やサッカーなど。
C)はA)B)が被っている友人。

本人は常に自分でありそれ以上それでも以下でもでない。でも接する人はきっと印象違うんやろうなぁー。

じゃー、本当の僕ってどれ、これ、あれ、それ!?
かしこまりましたー。

金曜日, 7月 11, 2014

読んだ本・その26(169)

美味しんぼ 110 (ビッグコミックス) [コミック]
雁屋 哲 (著), 花咲 アキラ (イラスト)
小学館 (2013/8/30)

手元にある単行本「美味しんぼ110巻」。今は遠い過去のような話題だがこの本(漫画だとは思わない。含んでいるメッセージは切実だから)を読んで、僕が定期購読している津田大介さんのメルマガ“メディアの現場 vol123「美味しんぼ」はなぜ紛糾したのか”を読んで自分の感じたことを合わせて、消化して記しておくことは意義があるのではと思ってつらつら書いてみようと思う。

まず手元の美味しんぼにはメディアで話題になった鼻血の描写は含まれていない。それまでの話題。主に風評被害・現地で暮らす人の苦悩と葛藤などが描かれている。大きな問題提起として、郷土料理が食べられなくという事実があると思う。放射能で汚染されてしまった土地。そこで育つ郷土料理の核となる動植物。それらが安全だと証明する苦労は風評被害で自明なため、この事実はあまりにも重すぎました。

津田さんのメルマガは問題になった鼻血の場面の前後に起因する描写を、津田さんたちが実際に取材した実感に基づいて比較・議論したものである。この内容は以前ここでも紹介した「福島第一観光化計画」に収められているものと被るものであります。

そう、じゃー福島の真実って何??ってこと。

鼻字の描写には議論の余地はあるけど、それまでに描かれている真実にはちゃんと向き合わないといけない真実がある。
津田さんたちはフェアな立ち位置として「鼻血問題」と向き合った。そんなメディアを定期購読できていたことを誇りに思う。
でも朝日新聞社が出しているプロメテウスの罠しかり手元にある美味しんぼだったり、本来僕たちが向き合わないといけない筈の問題以外のところで、盛り上がり冷めてはないか?

今朝も福島で揺れた。震源の深さ10キロだったと記憶している。

待ってくれないよ。待ってくれてるんじゃない?もっともっともっともっと本気で向き合わないと駄目じゃない?鼻血のあった美味しんぼという認識しかないんじゃない?この福島の真実の回一回でも見たことある人どれぐらいいるの?福島含め東北に震災後足を運んだ人はどれぐらいいるの?被災地の物品とかどうしてる?読んでるあなたはどう?何かしてる?何もしなくていいと思ってる?世界中で悲劇はいっぱい起きてるけど、日本国内でもあるんだよ?

僕はもどかしくて悔して仕方がない。
だからこそ自分にできることをします。自分ができる範囲で継続的に。
なにもそれが偉いとかそんなんではない。色んなものが永遠に続かない世の中だからこそ。

ダブレットを手にして、作業ができる場所が広がった弊害の顕著たる投稿。でもこれもいち記憶として良しとしよう。。。何様!???笑

読んだ本・その25(168)

デザインのめざめ (河出文庫) [文庫]
原 研哉 (著)
河出書房新社 (2014/1/8)

オリジナルの本は2001年に出版されたものです。それが文庫本になって今年の頭に新たなエッセイを加えて10年以上という月日とともに再登板です。

登板という言葉を使ったのは、この本を読むと至る所に宿る「視座」「モノの見方」という点が今読んでも圧倒的な面白さとともに的を得ているからです。

2001年といえば大学という空間に自分の中でようやく身を置くことができ華やかなキャンパスライフなどと絵にかいた餅をホクホク食べていた時です。
そのころにこんな本を手に取るなんてミジンコ以下の小さい種ですら頭に無かったと思います。

一つの話はページとして3ページほど。その中に「なんて面白い視点で物事を捉らまえるのか!」そしてキレのある文末のオチ。
狐に抓まれたように読んでしまいます。が、それは大きな罠。一つ一つを噛みしめ味わい落とし込まないとこの本の醍醐味はないのでは。

職業上こういった視座は意識していますが、切込みがシャープなんですよ。
そうそれがデザインという、人の裏をかいたり感動を与えたり気持ちよくしたり。
つまりは無意識の意識化。
つまりつまりは万人の視界に埋もれている盲点にニヤニヤできる楽しさ。

サイエンスとデザイン
デザインとサイエンス

ニヤニヤできる日が来たらと図や表を眺めたいと思います。
デザインのめざめ。
目が覚めるようなタイトルだと気づきますよ!

水曜日, 7月 02, 2014

日常の非日常と非日常の日常

ふいに起きる変わったことに心躍らせたり深く考えさせられたり。それは日常という平衡状態から見える世界。しかしこの非日常を受け入れるか流すかは本人の判断に依存する場合も多い。

面白いことが重なったり深く落ち込んだり考え込んだりしている時、それは日常と乖離したアンバランスな世界。いつもなら必ずするであろう事を飛ばしてしまう。特殊状態化における見落とし怠慢。

前者と後者の行ったり来たりで少しずつ深化・進化していくのだろう。
でも、特に後者でのミスは時に致命的になるなと思うついこの頃。
なぜしたのか?なぜしなかったのか?つもならしないのに。いつもならするのに。
いつもを知る=自分を知る
自分探しは自己探求というのが本来持つ意味なのかもね。

水曜日, 6月 25, 2014

新しい考え方が必要な時!?

ワールドカップに関して少しだけ。

日本代表。ドイツ大会の再現のような結果でした。でも僕はあの時ほど落胆はしていません。
圧倒的な力の差を感じたのはあの時と同じなんだけど、ここから代表自体がどういった道を進むことが次のワールドカップで成功する道なのかよく分からない。
どんなことにでも通じるようなことに見えて、それが一番今回考えさせられること。
これに似たことはヨーロッパの大国が予選で姿を消している姿と状況は別だけど抱えている問題は同じなのではと思ってしまう。

たくさんの選手が海外にでて経験を積んで集合した今回のチーム。ここの底上げで言うと間違いなく前回よりもあがっているのだと思う。でもなぜ勝てないのか?
イタリア・スペイン・イングランドといえば世界中の選手がプレーするのを憧れるサッカーリーグを抱えている。でもそのリーグが代表チームに反映されていないのかな?なんて。
世界中の国々の選手のレベルに貢献してしてしまっている?

組織、チーム、結束、コミュニケーション、信頼、作戦といった個の次元とは違うのもが勝敗を分ける時代になってきた?
これらの問題は上手く回っているうちは明るみに出ないけど、いったん噛み合わせが悪くなるといっぺんに露呈するものかも。
なんとなくそういったことが上手く機能しているチームが予選を突破している気がする。ここで機能してるというのはそういう事態にならないようにしっかり準備が出来ていた、または大会に向かうにつれてうまくはまっていったという意味で。

この組織の上でヘッドコーチの役割が以前にも増して大事になってくるのでは?
僕は日本人の監督で勝負するべきだと思った。
個々の蓄積した経験を収集して反映させられる監督。そうなると言葉の壁というのは大きな障害になるのではないかな。

機械や企業が色んなものを肩代わりしてくれるようなった研究環境。個人のスキルに頼って結果を出すレベルからチームプレーになっていく部分。このアンカーをしっかり出来る存在。そこで必要になってくるのはさっき述べたようなキーワード群だと思う。

まだ明日最後のグループステージの試合が残っているけど、今回の大会はエポックメイキングな大会なのかもって。
そして何か今後の世の中を指し示してしているような気がしてならないので、ふと記しておこうと思ったのでした。

自分の役割をうまく掴めてない僕自身は予選にも参加できない弱小チームっす!!

追記(06/26/2014)
1) どんなに自分たちのサッカーとかいってもやっぱり対戦相手ありきだとおもう。自分のやりたいことをするための柔軟性・対応力・適応力・観察力・分析力とかが必要なのかな。
2) コロンビア戦の日本の攻めを見ていて思ったこと。悪くないは良くもない。これは肝に銘じておきたいな。

土曜日, 6月 21, 2014

読んだ本・その24(167)

被差別の食卓 (新潮新書) [新書]
上原 善広 (著)
新潮社 (2005/6/16)

同じ著者の「日本の路地を旅する」を読んだ後に、この本のことを知り読んでみたいと思っていた本。知り合いの本棚で見つけ、お借りすることができ読む機会に恵まれました。

アメリカから始まりブラジル・イラン・ブルガリア・ネパールとまわり日本で締めくくられます。

食。生きるうえで必要不可欠な行為。生活に密接していて当然。それが集落・地域で形成される食文化となる。この人間の営みの側面だけ見ると、観光などでこれらは資源になりうる。しかし生活に関わる分宗教などの影響を色濃く受けて当然。そして差別という人間行為もまた関わって当然。

フライドチキン・オクラって日常触れるもの。でも地域やルーツを辿ると由来は被差別の食卓
ハリネズミなんて聞いたら地域の伝統料理っぽく聞こえるかもしれないけどこれもそう。
豚や牛は屠殺を行っていた階層の話を知っていればホルモン・油かす・豚足・こうごりといった食文化も納得できる。
飽食の時代というがこういった食事が一般に広がったり廃れていくのは、差別というのもへの意識の変化と考えると豊食の時代なのかもしれない。

以下メモ。
美味しいソウルフードとは母の作るのも。奴隷の廃止と移民という概念。浄・穢の概念。この概念から好まれる好まれない動物がありそれはその者たちの生態系から生まれる。仕事の有無から生じる、食べるのため生きるために人々が選ぶ職業。貧困・差別・無知の関連、それを断つための教育の持つ意義。イラク人の持つフセイン大統領へのイメージ。不可触民という概念と日常で見られる人の行動。名前の由来。ベジタリアンという行為と宗教との関係性。

これらの雑感は全てではないが他の様々な本を読んでてもリンクすることが多かったりするので、この種の事案と持っている歴史的や文化的な意味などは他分野にまたがっているのだなと。それか僕自身が深層心理で持ってる関心事なのかもれない。

さて今日は何を食べようか。僕の食卓は手抜き適当のオンパレードだ’。。。

金曜日, 6月 20, 2014

立方体の秘密はね。。。

ここ数週間ぐるぐるぐるぐる頭の中で回っていたこと。

自分・距離・深さ・色からなる4面体

どれが固定されてどれが流動的でどれが大事でどれが弱いのか。
自分を除いた3点は対人。色には自分も含まれるかもしれないけどそれは自分に集約しよう。

ぐるぐるぐるぐる考えていたものがついに弾けた。飛び散った。
ぐるぐるぐるぐる考えて弾け飛び散って出た結論。分からない。
答えは分からない。つまりは。詰まって。突っ込んで。

4面体を包むもう一つのものの存在を意識するのかしないのか。
思うと毎年この時期に必ずこの種の壁に出会うなぁ。毎年まいとしまいとし姉妹都市。

わかりまへんから始まる問答どうも。
はてさてはてさて。攀じ登りましょう。なにか景色が開けると思って。

月曜日, 6月 16, 2014

読んだ本・その23(166)

上岡龍太郎 話芸一代 [単行本]
戸田学 (著)
青土社 (2013/9/20)

敬愛する上岡師匠、小学生高学年から師匠の番組を観て笑いというより話術を楽しんだという感じでしょうか。

この本、たまらない人にはたまらなくつまらない人には文字の羅列と映るでしょう。師匠との関係性で成り立つと思います。

僕の場合は前者。2,3章に収録されている師匠が舞台でやった講談の文字起こし。もう文章からあの師匠の語り口が脳に甦ってきます。文字を読み脳で復元吹き出る笑い。読み終えてこの本なんと5刷!!それだけファンが居るのだなぁと実感したのでした。

前半は芸人としての龍太郎師匠がどうやって生まれたか、そこから師匠は何を目指しどんな芸を追い求めたのか。頻繁に出てくる人とのつながりの数々。最近とみに感じますが大事ですね。特に僕はテレビでの影響が大きかったので6章を面白く読みました。
以前ダウンタウンDXで師匠がゲストの回でダウンタウンに対して「最近の笑いには教養がない」という話をしていました。それはこの書を読んで師匠の発した言葉の意味が分かった気がしました。実際に僕はその師匠の意味を汲みたいなぁとも思いました。

最近ダウンタウンの浜ちゃんから感じてたツッコミの本質的なも。ツッコミ論とはいかなくても振りがあってボケがある。この何気ない言葉の誘導に関すること。自分でうまく表現できなかったもやもやを例えまで含めて書かれていて、ありがとうございますーって感じでした!

これを読んでノック師匠が他界されそのお別れ会での上岡師匠の弔辞を改めて聞き直しましたが、あれは上岡龍太郎師匠の最高傑作の話芸だなと改めて感じたのでした。おもしろかった。

普段当たり前にしゃべっている日本語ですがこれも文化でもあり言語でもあり芸でもある。
僕のジャパニーズ・イングリッシュは。。。コメディーだな。。。

水曜日, 6月 11, 2014

読んだ本・その22(165)

言える化 ー「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密 [単行本]
遠藤功 (著)
潮出版社 (2013/10/5)

率直な読後感は一言「ええ会社やなぁー」。
働いてみたいなと思ったと同時に実は今の職場に似た空気感なのかもなんて思いました。

内容はタイトル通りそのヒミツを明らかにしていく。
まず会社のスローガン「あそびましょ」。遊び心を持って小ネタ的なくだらなさの追求とでも言うのでしょうか。でもこの「くだらなさ」って大事な気がします。なぜなら人に笑いを与えるというとてつもない要素を含んでいるから。

この「あそびましょ」には自由に伴う責任が発生する。その責任に臆することなく、失敗を恐れずにチャレンジする。そこからしか学べないことがある。
ここまで言うのは簡単なんですがやっぱり失敗と責任は怖いものです。そこでこの会社には失敗に対する評価の仕方が確立している。なるほどって思いましたね。そこまでちゃんと練ってこそ実行できるのだと。

若手の育て方。当人がやばいと感じ追い込まれるまで放置するようです。でも、そこまで行かないと見えてこない世界がある。パラダイムシフト。これは僕も経験があるのでよく分かります。上司が上司でなくmentorであること。納得かつ肝に銘じようと思いました。

この本のタイトルにある言える化。察しはつくと思いますがアイディアや考えを上司に言える体系。これを実行するために必要なこと。それは上司の「聞ける化」だそうです。でもそうですよね、聞く人がいるから言えるんです。

でもここで書いたことって、良好な人間関係を作る時や大切な人との間でみんなしてることなのでは?
それを企業という規模で実行している。この相対化が難しいんですよね。でもこうやってやってる会社がある。218-19ページにある社員さんの集合写真から滲み出る空気。で、最初の言葉「ええ会社やなぁー」と。

とにかく工場に行ってみたくなりましたね。この本も遊び心が詰まってましたし。アメリカでガリガリ君流行らんものかねー。だれか作ってくれませんか??ガリガリ君ビール味??

日曜日, 6月 08, 2014

読んだ本・その21(164)

おどろきの中国 (講談社現代新書) [新書]
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著), 宮台 真司 (著)
講談社 (2013/2/15)

大御所3人の鼎談とでも言うのでしょうか。少し難しい箇所もあるかと思いますが中国という国・中国人の基質がどういう国なのかよく分かります。

まず決定的に感じたこと歴史の勉強の必要性。事柄の羅列でなくなぜそれが起きどうのような結果ををもたらし何への布石になったのか。
それぞれのストーリーがすっと入った時、そこに広がす世界は「そういうことか!」という理解になるのだと。
日本と中国をめぐる歴史の事案の数々。改めて不明を恥じました。

一番「ほーーーー!」っと思ったのは中国をユーロのように捉えた方が良いという事。
中国国内は文字である漢字を共通使用しているだけで、音が異なる言葉(あえて方言とは使わない)が多数存在するということ。まぁLINEのスタンプみたいな感じでしょうか。
それを踏まえるとユーロのような各地域の集合体であると。だから過去の中国は清や明や秦といった名前で区別される。だからこそ統一という戦争の歴史。それをまとめるための共産主義・中国共産党の支配。先ほど述べた漢字と言葉の持つ側面から生まれる科挙という上級公務員試験制度。
すべてが「なるほど!」腑に落ちます。

そこで日本を見ることへの意義がすごく出てきます。
江戸時代という長い長い幕府支配。漢字と仮名を組み合わせたことと識字率の関係性。
日本がなぜこんなに安全保障オンチなのか。国に対して期待することが他の国々と違う点。
などなど。

他に面白かった点は、
長い歴史の中では中国の方が圧倒的に日本よりも先進国であった時代が長いということ。日本が上に立って欧米列強的に中国よりパワーを持った(ように日本自身が感じてた?ともいえますが)のは、本当にここ数十年(大東亜戦争前位から)の出来事である。
それを踏まえてなぜ中国の近代化が遅れたのか。
日本人は字を知らないと言葉を知ったような気分なれないというような言葉の関係性。同音異義語の存在するおもしろさ。大喜利なんてまさにこれの最たる例かななんて思ったり。
最後に、満州国がどうして出来たのか。
あと3章の歴史問題をどう考えるかは僕には絶品でした。謝罪という言葉がよく両国の中で話題になりますが本質的な態度としての謝罪。これは日常生活色んなところでも役に立つ考え方を提示していてくれています。

昨今の中国との関係を見るにつけて、相手のことを知るという点でこの本は面白いと思います。
さて相手に知ってもらうために今から漢文で書き直すか。。。

木曜日, 6月 05, 2014

予知夢

僕の好きな曲の名前です。ガリレオのサウンドトラックの最後に入ってる曲です。

今日改めてこのタイトルを見て、改めてこの前見た夢を記しておこうと思いました。


夢の中の夢。

テレビからニュース速報が流れ、北朝鮮から拉致されていた同胞が帰国しその方たちの名前が順番に流れる。
そこをみながら「あった!!」とある方の名前をを見た瞬間に声を出し、泣きながら知り合いに「よかったですね!!」とだけテキストを送る。

そこで目が覚め、あれは夢なのかと思ってテキストの送信履歴をチェックしようとする。

そこで現実世界へ。実際に自分の携帯の履歴を見るがもちろんそんな軌跡は残っていない。
そもそも家にテレビはないのだ。。。

だけどこれは予知夢であり正夢になってほしいと思った。
早くでも慎重に。特定失踪者の方々を含めた全員の帰国を心から望むのです。

予知夢。今日もヘビーローてしょんだ。

火曜日, 6月 03, 2014

読んだ本・その20(163)

ナガオカケンメイとニッポン [単行本]
ナガオカ ケンメイ (著)
創美社 (2009/11)

知人からお借りした本です。文は2005/11-2009/08の期間に筆者のブログ「ナガオカ日記」の中から「日本」というキーワードに関するものをピックしたものです。文体と構成のせいもあると思いますがさくさく読みきりました。

筆者が立ち上げたプロジェクトとの推移とそこで筆者の感じたことの記録ですが、読み進めるにつれてどうも僕には仏教的な文章に見えてきました。空、無常、縁起といった言葉がしっくりくるような所が多々ありました。

テーマであるデザインについて思いを巡らせる筆者。時に自分が生きるやサイエンスについて考えるような解に似ていたり。ちょっと感覚的な部分がなんか自分と被っている気がした。

デザインの持つ本質とは?
デザインの中からデザインを探していないか?
人との関係背の中で自分や社会が成り立っている。
何か根本的なことが雑になっている自分を恥じた。
オープンした店を見るよりも、つぶれた店を回るのだ。そこには無理が現実となった状態がある。
当たり前だけど出来ないことを積み重ねることで、幸せは作れる
(本より)

まだまだたくさんぐっときた箇所はありました。こう表現するのかなんて悔しかったりも。

本の中に出てくるプロジェクト等に関して一切検索せずに来ました。なぜならタイムラグがあるから。
しかも震災があって、おそらくデザインというものに関して筆者はまた悩んだのではないかと。
ドキドキしながら検索しようと思います。日本に帰ったら是非ここで紹介される店舗に足を運んでみたいです。現在も進行していることを願いつつ。

このブログも書籍化してくれる人おらんかな。。。あったらドッキリやな。。。

水曜日, 5月 28, 2014

TTIPって。。。

Iは間違えて打ったのではありません!
TTIP: 環大西洋貿易投資パートナーシップ (Transatlantic Trade and Investment Partnership)。要はTPPのアメリカーEU版らしいです。

http://ec.europa.eu/trade/policy/in-focus/ttip/

今日僕は知りました。みなさん知ってました?
2国間 FTA (Free Trade Agreement)の話はよく比較で出てきたのにこっちの方がもっと参考にすべきだし学ぶことが多いのではって思ったんやけど。。。
しかも交渉開始に向けた内部手続きは去年の2月にスタートしてるみたいで。
こういうを報じると多様な議論を生むと思うのになぁ。まったくシラナンダ。
知らなかった僕が恥なのか、知った僕を褒めるべきなのか、知らぬが仏の方がよかったのか。わかりまへんが、今晩のビールのあてが増えました。難しくて酔いがすぐに回りそうですが。。。

日曜日, 5月 25, 2014

ヒミツの訓練??

金曜日のこと。住んでいる地域一帯にboil water alertなるものが発令された。
以下のURL参照(英語)
http://www.kgw.com/lifestyle/health/City-issues-Boil-Water-Alert-for-all-of-Portland-260435871.html

要は「水質悪化!蛇口の水飲むべからず」って感じです。
日本だと塩素を入れて何とかしてますよね。夏の大阪の水の塩素臭さなんてこれとの戦いの結果ですから。
気温が上がればバクテリアの活動も活発になるし、一定量そこらへんの川に居ることなんて当たりまだし、まぁ僕に言わせればふーーーんだったんです。今はもう解除されてるようですし。

でもちょっと穿った見方をしたい僕。
味噌は3日前(20日から)も対象だから処理するようにとの御達しだったんです。でも、どうもそれならもうちょっと早く情報がリークしてもいいはず?隠せば隠すほど質の悪い話になるわけだし。

ひょっとして裏のメッセージでこれって訓練??って。
街中のスーパーのボトルの水が売り切れ(水の備蓄の参考資料)
お湯を沸かすためのみなさんの必要以上の電力消費(必要電力の資料)
街の動揺やクレームみたいな反応(危機管理)
他にも意外なところで「あっ、これアカンやん!」的な。例えばペットの水は?農作物に与えてもいいの?など。

冷静に起きてる事象を分析すると、
数日だけ。しかも週の終わりの金曜日。事前連絡の皆無。
うーーーん。変だよ。仮のそうだとしてなぜ??
今年の夏の気象予測?テロ対策(飛行機の中で天然痘やパンデミックウイルスの飛沫感染のように川に猛毒の薬剤を投下したら終わりですしね。。。)?

まぁ、なぞは尽きないのですが。予防接種としての効果はあったのではないでしょうか?
僕は地震バックに水の備蓄があるので特に焦ることなくすごしましたが。人によってはかなり困ったんではないでしょうか。あと飲食系の人たちやスーパー側。

面白く観察させていただきました。
最後に、水飲めないからビールの割引を実施しろと友人にクレームつけた僕は変ですか??

月曜日, 5月 19, 2014

3Dプリンター

最近世間を賑わした3Dプリンター。
ちょっとこれについて今日はコメントを残しておこうと思います。

というのも、うちの研究室には3Dプリンターが既にあってバリバリにプリントしてます。
さらに言うと、3Dスキャナーもあります。
なのでこの一連の作業について実際に体験したこから今回の日本での銃をプリントした出来事について少し深く考えることが出来ます。

まず、「3Dプリンターで銃をプリントすること」と「3Dプリンターでプリントした部品から銃を組み立てること」の違いを理解しないといけません。
前者の場合は単に銃の形をしたプラスチックの塊で弾を詰めることも撃つことも出来ません。3Dスキャナーは表面情報を得るだけで内部までは再現できません。
後者はプラモデルを組み立てるのと同じです。ただ部品が本来メタルである部分がプラスチックで再現(プリント)されたものなので、ちゃんと構築できれば撃てます。

要は何十もしくは何百といった部品をせっせとプリントして組み立ててようやく完成です。

部品のデータが無い場合、拳銃を分解してスキャンして得られたデータをスライスして試行錯誤の末に上手くプリントするファイルを得てさっき述べた「要は…」の段階まで行くのです。
ここでスライスについて説明しましょう。これはIKEAから見つけてきた以下のエッグスライサーの写真が分かりやすいと思います。



3次元の立体を2次元にしてそのデータをもとに、プリンターで笑点の大喜利で座布団を重ねるように印刷していきます。
このスライス作業。どうスライスするかによって出来に影響します。コンピューターの性能によってその速度が変わります。ようはいいパソコンが必要です。

3Dプリンターについて。これもwindowsがhome edition, professional editionそしてenterprise editionとあるように性能が違ってきます。
オールインワンで完成したものを買うのか、組み立てるのかにもよります。
僕たちは組み立てましたが、組み立てるために特殊な工具が必要でそれらも購入。
その作業だけで2週間ぐらいかかったのではないでしょうか。

プリントも大きさやスライスで何度も失敗しようやく完成。最初の印刷したものが出来るまで一ヶ月ぐらいかかりました。そしてもちろんそんな安いものではない!!時間と費用が必要です。

さてここまで見てきてそんなに簡単なものではないというのが感じられたなら、あの銃をプリントした事件を考えてください。
きっと彼は相当に苦労してあの試射までいったんだと思います。そしてとってもうれしかったんだと思います。だから冷静な判断が出来ず動画を上げちゃたんじゃないでしょうか。
警察はこれらのプロセスを踏まえて取調べしないと、今後の有益な情報は得にくいのではと思います。
巷で語られる3Dプリンターの問題点もこれらを踏まえて考えてみてください。
結局はどんな技術も誰がどのような目的で使うかです。肺移植に3Dプリンターを使って上手く成功を収めたケースもあったようですし。

最後の一枚は、僕たち研究室から発表したタンパク質の構造とねずみの骨をプリントしたものです。緑の方は印刷に30時間かかってます。


さて今日は何をプリントしようか?STAP…おっと失礼。。。それはできません!

木曜日, 5月 15, 2014

読んだ本・その19(162)

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力 [単行本(ソフトカバー)]
スーザン・ケイン (著), 古草 秀子 (翻訳)
講談社 (2013/5/14)

友人が面白いといっていて(それは原著の英語版)興味がありつつ、訳版が出たのでそっちに流れてしまいました。原著にチャレンジしていかないといけないのは分かっているんですがね。。。

そんな私情はさておき、この本とてもいい本です。正直言ってみんな読むべきだと。
各人の感じ方は違うにせよ読中・読後きっと、身の周りの人たち(職場・友人・恋人・親族)を見回し改めてそれぞれの関係性などに思いを馳せるのではないのでしょうか。
僕自身現在に至るまでを注意深く振り返りました。そしてキャリアパスを考えていた時なのでタイミング的にもバッチリでした。

最初に言っておかないといけないこと、それは本章は内向型が善で外向型が悪というようなものではないといこと。
世間一般で思われがちな内向型の持つイメージの再検討。そして、その本来の内向型を踏まえた上での対となる外向型から構成される人間の性質とはなんだろうっていう問いがなされます。

最初の舞台はハーバードビジネススクールから始まります。アンチテーゼとなる外向型を見るためです。そこから科学的な論拠やさまざまな事例(西洋と東洋の持つ違いの一例としてアメリカで過ごすアジア系アメリカ人の項があったり、ウォール街のトレーダーの話があったり)を踏まえつつ、内向型が定義され昇華していきます。

大事なのは気質・先天的に備えたもの(僕は元をなすもの言う意味で基質という感じの方がしっくりきます)と後天的な性格の違いを理解すること。そうこの2つによって俗にいう人の性格は構成されるということです(なので僕はさっき敢えて違いを出すため性格ではなく性質としました)。
この2つの区分もTPOで様々なパラメータを備えるので単純に外外/外内/内外/内内って訳でもないということです。この多様性が十人十色といった個性を生むのでしょう。

自分の悟り(性質)を悟ること。
ルールを作る側なのか/作られたルールの中で力を発揮する側なのか。こういった自己分析(本の中ではセルフモニタリングと言ってます)は大事ですね。

そして改めて思ったこと、自分は内向型な基質の人間だろうとう見立てが正しかったということ。
僕は得てして外向的だと言われるほうです。そう言われる理由も分かります。でも僕にはそう振舞うのは自己の内向性を強化するための一つの方法論であって、もとは考えがち・悩みが・やっかい・質の悪い・根暗な部類の人間なのだとずっと思っていました。9章の話はもうまるで自分のように読み入りました。
基質と性格。言ってみれば僕は内外の組み合わせなのだと。それを築いてくれた両親の育て方と出会えたメンター(恩師)の方々に感謝の気持ちでいっぱいになりましたね。
なんてラッキーで豊かな人生を送れているのだろうかと。すべて偶然のマッチングだとしても。。。

子育て、学校教育、職場環境、クリエイティブとは、’発表の仕方か内容かの関係性などなど。
示唆にとんだ役に立つ本だとおもいます。興味があれば是非。

酒というfactorとの関係性。うーーーん。中向性だな。。。なんじゃそら。。。

水曜日, 5月 14, 2014

失敗とミスのケミストリー

「失敗から学ぶ」と「ミスから学ぶ」は同じなのか?
「失敗を恐れずに」と「ミスを恐れずに」は極めて近い気がする。
でもミスと失敗との間にはグレーな溝があるのではとふと思った。

失敗は大きな枠として映る反面、ミスはここの事象のよう。
失敗はミスを内蔵するとでも言うのだろうか。
「ミスが続いても最終的には成功した」のミスを失敗に置換するとどうもギコチナク感じてしまうのは僕だけだろうか。

事の発端は自分の仕事を振り返っている時にミスと失敗に対する抱くイメージの違いに気づいたから。

失敗を繰り返すことで「おかしい!?」といって気づいた事は山ほどある。
ミスをしたせいで思わぬ結果を得たことも結構ある。

この場合に二つの言葉に互換性は薄いような気がする。でも、ミスを失敗に置き換えることは問題ないかも。

どっちにしても人生なんては2つの相互作用であり、2つを経験するための行動というものがあるから存在するんだが。なんか面白かったので記しておこうと思った。

誤りとすれば両者に共通するかも。過ちになるとちょっと違うか。なんか結論は禅問答みたいになってきたけど、その時々で自分がどっちの言葉を選択して内に落とし込むのか考えてみるのは面白いかも!

そんなんでニヤニヤしてる僕が女性だったらミス失敗なのに。。。
うーーーん、これはどっちだ。。。??

金曜日, 5月 09, 2014

読んだ本・その18(161)

騎手の一分――競馬界の真実 (講談社現代新書) [新書]
藤田 伸二 (著)
講談社 (2013/5/17)

僕はあまり競馬に関して明るい方ではないので興味を持って購入しました。
コンセプトは実績のある(成績を残している)筆者が23年間過ごしている競馬界に一言といった感じです。

騎手と乗る馬はどうやって決まるのかや馬主・調教師・厩舎といった関係性などそもそも的な部分に関する描写があったのがとても僕にはよかったです。あと海外と日本の競馬の関係性なども。
1つの章が武豊さんについて書かれているのも印象的でした。

色々な騎手について筆者の評。人間性や技術的なものまで。鞭の使い方なんて叩けばいいでは絶対ないだろうと思ってはいましたが、いざ読んでみるとなるほど。実際に競馬を見たくなります。
まして成績のいい騎手でさえ勝率は1.5~2割というのはびっくり。野球の3割よりも低いんですね。

そしてきっとこれは相対的に考えて競馬界だけではないと僕は思うのですが、組織的な問題と海外という存在との関わり方というが筆者が一番伝えたいことでした。

JRAの体質そして彼らが導入したエージェント制度。読んでいて筆者の不満が十分伝わり、そして僕は理解したく思いました。
あと、日本人はどうも外国人騎手を崇拝するというのもよく分かります。日本人が外国で受ける経験と、外国人が日本に来て受ける経験。同じぐらいの技術水準だとしても圧倒的に後者の方が恩恵を受け、前者は辛酸を舐める。うーーん、分かる気がします。野球にしてもサッカーにしてもそうだったりしませんか?これは何なんでしょうね。英語をしゃべるとかもきっと当てはまるような気もします。もちろんこんなのがないフェアな分野はあるでしょうが。でもえてして日本人自身の問題のような気がします。なんなんでしょうね。集団的だからでしょうか。
昔に比べて失敗に対する寛容度が下がったというのも競馬界だけではなく社会全体そうではないでしょうか。
今の社会をそのまま反映しているようなきがしました。が、救いは筆者のような声をあげる人が居て本を出すことが出来るということでしょうか。

日本に帰ったら競馬にでも行きますか。万馬券とか出たらどうしよ。。。全部飲み代で消えるんやろうな。。。

月曜日, 5月 05, 2014

読んだ本・その16,17(159,160)

官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか (幻冬舎新書) [新書]
植島 啓司 (著)
幻冬舎 (2013/11/29)

タイトルだけ見るとなんと!って感じでしょうか。
愛やセックスと言うとなんか怪しげなように聞こえますが、生殖活動と交尾と変えてしまえは昆虫か生物学の本にみたいですね。

そう、元を辿っていくと子孫を残し繁栄させるためにする行為として愛やセックスを再考しよう!です。

昔、月亭可朝さんが一夫多妻制で選挙にでました。落選されてしまいましたけど。戦国時代とかいった歴史の時代では側室とかありましたよね。まぁ力のある人がいっぱい女性を抱えてセックスして子供をたくさん作っていたんです。
一般家庭もたくさん子供がいました。この場合は労働力として家族にフィードバックされるのです。
本によれば民族によっても色々ルールがあったようです。
天皇制が維持できたものこういった事象の賜物でしょう。
これらを踏まえてどういった人がモテるのかの考察がされていました。

翻って、現代の愛の形セックスの形。物凄く変わってきているのが容易に感じれるでしょう。
根本としての恋愛・人を愛するということはどういうことなのか?セックスの定義とは?
そういった問いを投げかけてくる本です。

読みながら岡田斗司夫さんの著書フロンが脳裏に浮かび、現代のAVが提供する様々な非日常的シチュエーションの数々の需要など考えました。
国の安定は人口の問題でもあるのです。子育てのしやすい社会というのも大事ですが、ここにあるようなセックスとは愛とは恋愛とはとい本質的なことに頭を巡らせるのもいいのではと思います。

非常に興味深かったのは最後の方にあった「キスフレ」という概念。
うーーーーーん。欲しいかも!でも、それ以降を我慢できる自信がないなぁ。。。って何を告白しとるねん。。。



陸軍中野学校極秘計画―新資料・新証言で明かされた真実 (学研新書) [単行本]
斎藤 充功 (著)
学研パブリッシング (2011/03)

敬愛する勝谷誠彦さんがよく口にする「軍事を知らずして平和は語れない」。
大東亜戦争の最中その軍事のど真ん中で工作活動を行う人材を世に送り出した陸軍中野学校。
多くの人が聞いたことのあるこの学校が実際どのような概要だったのかを知る人は少ないと思います。
この本はまさに陸軍中野学校の学校案内とでもいった感じでしょうか。

工作のための資金作り
戦後(ポツダム宣言受諾後)に企てようとした計画・皇族護持工作とマッカーサー暗殺計画

外国ではCIAやMI6とかKGBとか当たり前のように名前を聞くこうインテリジェンス機関(諜報機関)といった組織。
日本にだけはやってこないなんて皆さん思ってたりするのかな?
ウクライナのEU加盟なんてCIAの工作だっていうのはよく知られているわけですし。
映画SPに出てくるようなテロを未然に防ぐってどういうことか。それを踏まえた特定機密法をどう考えるか。
中野学校の関わった史実をどのように感じ、このような機関の意義をどう考えるかはあなた次第でしょう。

印象に残ったのは本内に出てくる「国滅んでなんの再建ぞ」という言葉。どこを見て行動するのがbetter/bestなのか。
あと、日本に亡命していたバー・モウというビルマの国家主席の話。これは日本が攻めた国々との関わり合いを思索するのに面白い記述でした。
さらに、この学校の卒業生が高齢化して記録としてこの学校のことを残すのが困難になっているという事実。震災の記録の保管とかといった問題とシンクロしました。

シリア・中東にウクライナ。チベット・新彊ウイグルやタイなどなど。
世界を見渡せば一触即発の所がたくさん。平和な今のうちにしっかり考えてみませんか?
何を?非常時に酒を確保する方法。。。

日曜日, 5月 04, 2014

読んだ本・その15(158)

先週の月曜から昨日まで格好良く言うならビジネスとリップでした。こうした旅の時は移動時にたくさん本が読めるので好きだったりします。

若き物理学徒たちのケンブリッジ: ノーベル賞29人 奇跡の研究所の物語 (新潮文庫) [文庫]
小山 慶太 (著)
新潮社 (2013/10/28)

物理や化学の教科書に出てくる単位名がたくさん出てきます。
そう、それらを発見した科学者たちの軌跡(奇跡)がケンブリッジにある研究所とその所長を中心にして綴られています。

細かい意味など発見の過程などはバックグラウンドがないと理解・消化少し難しいかもしれません。
でも僕はそんなことではなく、
現代のようにメールやインターネットがない時代に科学者たちが手紙でやりとりし、船で数ヶ月掛けて行き来し、議論し今の僕たちの世界を定義しうる単位を発見した。しかも若干20台の30前半の今の表現で言ってしまうと若い科学者たちが。純粋な興味と好奇心の下に。
という事実を読んで感じてほしいです。

わくわくしながら、自分のやってる仕事について思いをめぐらせました。その時代の科学へのアプローチにうらやましさを感じつつ。

原子に関する発見が数多く記載されます。この時、彼らが原子力という技術の現状を予測することはなかったのです。
そして、はっきりいって当時の科学は金持ちの道楽だったのです。
だからこそ科学としてありえたのだと。
現代の高校生くらいからがバリバリ実験してノーベル賞級の研究をガンガン発見していた。
今のように教育が制度化・義務化されてない当時だからこそ、若い力が開花したんだと。
大学院生に当たる年齢で教授という職についていた時代。

今の科学を考えるに当たり読むべきだと思います。そして読んでよかった。

今回の旅で改めてアイアンマン3を飛行機内で観た時、映画の最後の方に出てくる言葉。
「最初はみんな純粋に科学を探求する、でもいつしかそれを忘れ変わってしまう。」といった趣旨だったと思う。
将来のことを考え、この本を読み、学会で刺激をうけた僕の頭にはズドンとくる言葉。
さて明日からまた働こう!その前に今日はゆっくり飲もう。。。

木曜日, 4月 24, 2014

読んだ本・その14(157)

アフター・ザ・クライム 犯罪被害者遺族が語る「事件後」のリアル [単行本]
藤井 誠二 (著)
講談社 (2011/2/25)

少し長いですが引用します。

<ニュースは「事件以後」を伝えることがほとんどない。事件や事故が起きた時の発端か、帰結の一瞬だけだ。放物線を描いた事件のほんの一瞬、それも「伝える側」によって加工され、定型化されたものだ。逆に言えばそれがニュースなのだ。事件がニュースとして伝えたれる時、それを類型化したり、背景を推測することによって事件は消費されていく>

60ページ目と早い段階にでてくるこの一文。これにレジストするため、単に消費するだけではなく身になるものとするため、この本は存在するのだろう。

被害者。加害者。遺族などを含めた関係者。法曹界関係者。警察。
それぞれがそれぞれの立場での振舞いや発言に、当事者性と客観的視座が交錯しながら、過去の自分の行動・発言と自分が受けたそれらに思いを馳せ自戒し納得し読み進めました。

毎日流れる情報の海を泳ぐことで精一杯。でも果たして何かを学んでいるのか?
毒餃子事件ってどうなった?
佐村河内問題は?
今福島原発は?
チベット問題は?
クリミアは?
パンデミックインフルエンザは?
都構想は?
STAP細胞は?
結局は結論すら何も知らず日常をも消費しているのか。

僕たちは消化不良にならない程度の日常の出来事に拘って生きてたりもする。ただそれは時間や自身の手で最終的に消費できてしまうのかもしれない。
ただここで描かれる被害者の方たちは消化できないずっと晴れない事と共に生きている。加害者が罰受けさらに死刑になっても。無が有にはもどらない。そのゼロに何かを足してもゼロから始まった事実は変わらない。その現実。

ふと立ち止まって色んなことを考えるきっかけになります。
ビールを片手で消費しながら何を考えたか。。。思い出せない自分は浪費家です。

火曜日, 4月 22, 2014

市場調査

うむうむ。やはりマーケットの動きは停滞のようだ。
うむうむ。やはりみんな考えることも同じなようだ。

うむうむ。有無有無。
4年前に感じたことは正しかったのかも。

山の登り方を変えるか、山自体を変えるか、海に出るか。
逆算でいくか。加算でいくか。

投資先。頭一つ。いまひとつ。
今いくよくるよ。どやさどやさ。

ぼちぼち考えよう。

金曜日, 4月 18, 2014

ちょっと気味悪いねー。

今日もメキシコの方で大きい地震があって、昨日茨城南部であって、チリでも大きいのあって日本に津波の警戒が出て、ちょっとまえにはカリフォルニアで揺れてて。

環太平洋で地震のキャッチボールのようになってる。エネルギーが小出しで抜けてるのか、前触れなのか。

近々届くものあるので避難バッグの中身リフレッシュしておこう。
想定外はもう想定内なので要注意だけど平常心!!!
なんじゃそら。。。

水曜日, 4月 16, 2014

読んだ本・その13(156)

国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書) [新書]
中野 剛志 (著)
講談社 (2011/7/15)

TPPの議論が出てきた初期、農業の話題が多い中でビデオニュース・ドットコムに出ていた中野さんの話を聞いて「ほー!」とこの問題について理解できたのを思い出します。

「ナショナリズム」という言葉を聞いた時「愛国」という言葉がすぐに連想されるような気がします。
ここではそういった愛国がどうだ云々ではなく、経済活動の主体をどうみるかそこで内向的・外交的といったような意味でとらえるとこのナショナリズムは理解しやすいのかもしれません。

グローバルとインターナショナルやネイションとステイト。これらの似たような意味が指す対象を理解すること。そして現在の世界や経済状況。それらを踏まえて「我が国」がどういうアプローチ(政策)を取るのがベストなのか。それが中野さんのいう経済ナショナリズムという事になります。

一番感じたのはクローバリゼーションって色んなものが薄まっていくことなのかなと。そしてそれは単に薄まって平等になるのでは、さまざまなそれ自体に差という勾配をもつレイヤー(枠や層)を生み出し、そうごに呼応しながら、ダイナミック変化していく。帰属意識、富、個人などなど色んな事・モノを。

大変な世界に生まれたものです。

マクロに物事を見据えるのって「ふーーーん!」感じることが多いですね。おもしろかった!
でも家にあって読めてない各種本を読んでいたらもっとおもしろかったのかなって後悔も。

でもまぁ、TPP (Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)を環太平洋戦略的経済連携協定って読んでることにだれも違和感ないのかね?
環太平洋ってPan Pacificだと思うのだが。Trans Pacificって名前からしてアメリカサイドと東アジアサイド(どう考えても日本)の事ってイメージできてしまうんだけど。。。
わしゃ変なのか??

火曜日, 4月 15, 2014

つらつらつれづれつぶやくつまらないことども

先日飲み屋で知り合いと話していた。彼らはカナダからこっちに来て一年。旦那さんは主夫なのだ。そしてライフスタイルの話になった。
「幸せの尺度」と「資産の有無」や「客観的に観た現在置かれてる状況」は必ずしも重ならないよねって結論で落ち着いた。

僕は現在の職と生活の自由度に大変満足している。これはお金を払ったからといって交換できるのではない。しかし今、このままでいいのだろうか。先について思うをめぐらせることが多い。

将来設計として先にビジョンを持ち、明るい方向に進むべきなのだが、将来の見通しからして今以上の満足度は何によって得られるのかが浮かばない。
日常を、やるべきことをルーティーンとして消費している今。不満も何もない。かつ数年先までは安全が確保されている。だが、確実にだんだんフラットに向かっている。飽和しそうだ。

現状維持がベストなのだろうが、無常でり移ろい行くこの世界と自分を含め取り巻く空間の老いという摂理。これらを排除できない限りそれは限りなく不可能に近い。

とみに最近感じる日常内に無数に起きる小さい多幸感。人との出会いや人との時間、仕事での出来事などなど。感情の起伏が激しいのもあるかもしれないが、そのあとに引き戻される我がさらにこのような感情を増幅させているのかもしれない。

この現状は幸せだ、だからこそいけない。このままでは。
雷が頭に起きるような点と向き合わなければいけない事は分かっている。その雷のための今創造しうる限りのオプションを揃える過程の途中だが、どうなることやら。

One should die proudly when it is no longer possible to live proudly.
人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、 誇らしげに死ぬべきである
- Friedrich Nietzsche (フリードリヒ・ニーチェ)

これは手厳しい。今きっと定期的にくるあれだわ。さてお笑いでも観るかー!!!!

火曜日, 4月 08, 2014

読んだ本・その12(155)

プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実 [単行本]
朝日新聞特別報道部 (著)
学研パブリッシング (2012/2/28)

この連載が毎日読めるのならずっとやらなかった朝日新聞デジタルの無料登録をしようかなと思います。しかももう6巻まで出てるんですね。これは第一巻になります。貸してくださった知人に感謝!

悲劇の極致は喜劇といいますが、喜劇でなかったのが残念です。

イギリスのBBCのドキュメンタリーで菅元総理がでて居たのを思い出しました。その中で正確な表現は覚えてないですが「真実を知ってもらえれば分かってくれるはず」といったニュアンス。
そしてあとがきにある「4月以降国の原発対策が杜撰だった点を首相に帰す報道が続いていた。(中略) それへの違和感だった。ことはそう単純ではないのではないのか」

あー、なるほど。この本を読んで腑に落ちた気がします。

国家のトップとして責任という重荷がある以上、すまなかったでは済まされないことはたくさんあるでしょう。
でもこの書の中で描かれる官邸内のようす。SPEEDIの経緯、非難区域設定、放射能に関すること等々。

不作為・無責任
しだいけど出来ない、出来るけどやりたくない

といった言葉がずっと頭の中をぐるぐる回りました。有事に平時だったんでしょうか。
たくさんの小事の判断ミスが積もり積もった結果。
判断ミス。判断を下す材料が間違っていたら判断を誤ります。

まるでSTAP細胞のようだと、ふと。この問題もこういった検証が必要なのでしょう。
今日小保方さんが会見するようですね。

そして、ここに出てくる科学者の方々のようにありたいとも切に感じたのでした。
有事の際の僕、果たして。。。 
不安しかない!!





木曜日, 4月 03, 2014

save as 日常 to 脳

思考実験しました。

一日8時間睡眠で16時間活動したとして、僕が使っているカメラで高画質の動画でこの16時間を具に記録する場合、約90G必要になる。
世界の人口が72億人だから90x72億で6480億G。つまり一日約6.5億T(テラバイト)あればこの地球上を風景をある程度残せる。
つまりこの場合人間の世界は高画質で残した場合6.5億Tの情報量ってことになる。

アマゾンで2Tのハードディスクが1万で売ってたんで、約30兆円って感じですか。
一日30兆円分の情報が人間世界で流れている。
脳は90Gの情報を毎日処理している。

画質を落とせばもっと少ない容量で残せるから厳密にはもっと低容量でOKなんだろうけど。そうするとイメージ1兆円あったら何とかなるのかな。

このビッグデータを使ったら世界の繁華街や東京の電車の中なんてかなり正確に再現できたりするんじゃない?いろんな事件や出来事の現場を丸々再現できるかも。
とはいっても人口つまりはアングル数の多い都心部などに限ってになるけど。

時間の中でただ存在している場所なんて山ほどあって、それらも自然というタイムスケールの中で変化している。でも人間はそれに気づいていないだけ。やっぱり見えてない世界の方が圧倒的に多い。
僕らは単に起きてるだけで数十Gを処理してる。いや消費してる。おもしろいね!

物理空間から情報空間。
最近このフレーズが頭から離れなくて、何か自分の仕事に応用できる大きな可能性を感じてやまないのです。

こんなことを寝れなくて考えていた僕はおかしいのか!?

火曜日, 4月 01, 2014

読んだ本・その11(154)

倍音 音・ことば・身体の文化誌 [単行本]
中村 明一 (著)
春秋社; 四六版 (2010/11/1)

敬愛する評論家・宮崎哲弥さんの番組「宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ」に筆者の中村さんが出演している回を観て面白いなぁと思ったのが購入のきっかけでした。動画は探せば今でもあるのでは?

まず倍音というのが何から始まり言語・文化へと広がり最後は人間と音・音楽とはと解いていきます。
僕は以前に音のライブラリーという考えを投稿したことがあったので、ここでの話がとても腑に落ちるのもばかりでした。

感じたことは、「人間の意識下で感じてないもの」と「身体的に感じているもの」の重なり合う海の中で僕たちの感情は生まれているのでは?

その根源となる音。そして音と音との間。
それらによって構成される言語・音楽。大きく捉えると文化。
そしてその空間に生きる人と、それを認識する脳。
脳によって身体的または意識的に消化され、反応することによって発せられる音。
この情報としての音。物理的であり情報的である音という存在。

アートや最新のテクノロジーに関する評論などで目にする「物理空間から情報空間へ」という提起。
このストリームの根底で仏頂面で佇んでいるこの音。
何とかしたい僕がいますね。

お笑いコンビの組み合わせ。西洋的・日本的といった差異。
少し違った視点で日常の音を聞いてみませんか?

尺八。吹いてみたいです。

土曜日, 3月 22, 2014

読んだ本・その10(153)

エキストラバージンの嘘と真実 スキャンダルにまみれたオリーブオイルの世界 [単行本]
トム・ミューラー (著), 実川元子 (翻訳)
日経BP社 (2012/11/22)

ドキュメンタリーの映画を一本みたような感覚に陥ります。
歴史的背景、生産者、消費者、バイヤー、ルールを作る側、世界的な流れ。
これらが一本の線になります。線とはスーパーで目にするオリーブオイルへの眼差しです。

一定の間隔で起こる食に関する問題。食の安全やら偽装表示などなど。

良いオリーブオイルがどんなものかと言うことを理解するということは、それを得るためにはどれぐらいのコストが必要かということを想像できるということにつながると思います。

農業から商業、そして産業へのプロセス。そこに資本主義といった経済構造が介入すると言うこと。
冷静に考えると良いものを安く手に入るという事実を立ち止まって考えると言う作業をいかに出来ていないという教訓を感じました。
この作業の中で、良いものを可能な限り低価格またはたくさんの人にと熱意を持ってがんばっておられる人に出会い、商品を手に入れる。
ここに現代の情報化社会というメリットがある気がします。

これは相対化すると、食品に限らずすべての商品につながるのだと思います。
ワインや日本酒。お米や野菜。雑貨にいたるまで。
感じることが多すぎて付箋まみれになった本でした。

以下は感じたことの羅列
・ ワインと同様にオリーブオイルにもちゃんとした法的な規制がヨーロッパの国には存在する。酒税のような法でなく質を規制する日本酒とか焼酎の法をつくればいいのに。
・ 植物性オイルと動物性オイルのせめぎあい。オリーブオイルとバラー・ラード。アメリカにおけるマーがんりん市場とバター。でふと、ちっちゃい時マーガリンって使ったけど、これってアメリカからの。。。??っ手思った。
・ チョコレート(カカオ)と同じでこのオイルも宗教的なもの貴族的なものの影響ってあったんだね。日本でこれに近いものって何だろう?米かな?
・ どこの世界でも既得権益。大企業や政治化の介入ってあるうんだね、やっぱり。
・ サイエンスが関われる側面って気づいてない・築いてないだけで実はたくさん眠ってる。

いい本です!原著は英語です。2011年12月に出た本。アマゾンで月間ベストブックに選ばれたそうです。日本でこの手の本書いてもアメリカのように消費者に届き評価を得れるのかな。意識。
うーーーーん。色々考えますね!
さて書いたらこの本で紹介されているいいオリーブオイルを扱う店のページにアクセスして思い切って購入しようと思います!たのしみだ!
お勧めです!星3っつですーーーーー!!

金曜日, 3月 21, 2014

いいともー

安倍さんいいとも初出演ってことで!!おもしろいなーと思う僕です。
色々批判も出てますね。僕の主観は、えーんちゃうの??祝日やし。
報道番組には出てバライティーに出たらアカン理由はないし。
もっとも、たくさんの政治家さんバライティー出てますやん。
あー、首相だからか。
ぶっちホンって故・小渕総理がズームイン朝に電話かけたこともありましたっけ?
あー、いいともだからアカンのか?
ダウンタウン・デラックスに出る?
一応たかじんのそこまで言って委員会はバライティーですよ。故・たかじんさんがずっと言ってましたから。
なんかね、そんなことでいちいちごちゃごちゃ騒ぐ前にもっとやることあるんちゃう?
批判してる人、皆さんは選挙行ったの?都知事選の投票率低かったよ?
出てる場合か!仕事しろ!って言ってる人。
会社で給料泥棒してないよね?
公人だからってのは分かるけど。僕にはほんとうにしょうもないなぁー。議論自体が。
消費税が上がるために国民へ親近感を与えるためって記事もあったけど、そんなんで親近感沸く国民っているの?馬鹿にされてるんです国民自体が。
あー、書いててあほらしくなってきたけど。これアップしていいかな?
いいともー。

木曜日, 3月 20, 2014

おけー、グラス。。。

先週のある夜ずっとgoogle glassについて考えいた。
僕はこれが本当に欲しくて欲しくて仕方ないんです。去年発表された時のモニター募集にも真剣に応募したんですよ。

それで、使用にあたり良い点悪い点があって。それをつらつら書こうと思っていたんですよ。

でも、今一番最も適した使い道が浮かんだんです。最高の。

小保方さん!
Google glass付けて全ての実験のプロセスを記録して、youtubeにアップしましょうよ。
ユーストリームかニコニコで生放送しましょうよ。
googleさんこれ最高のプロモーションですよ。

結果でしか世の中や人を納得させることは出来なんです。
くやしかったらやってみろの世界なんです。
競争なんです。

そこで負けたら。そこで否定されたら。そこで侮辱されたら。

結果で黙らせるしかないんです。

他の機関の報告を待つ。第三者の調査。
そらそれも大事ですよ。でも、不正が無いオープンな形で自分で再現すればいいんです。

google glass
医療やサイエンスでものすごく力を発揮するはず。
で、もちろんエロ業界でもちからを発揮するはず。

これで解決できると僕は思います。

結論。むっちゃgoogle glass欲しいです!!!!1

金曜日, 3月 14, 2014

一言。。。

パラリンピックの報道少ないぞ!!
こっちのオリンピックの方が選手ごとにストーリーがあって、勇気や感動をたくさんもらえると思うのに!!
アメリカでも少ないような気がする。。。
いや言ってしまえば世界的にか。。。

今現在、日本の成績は
金3・銀1・銅2

ロシアすごい!
金25・銀21・銅18

アメリカ
金1・銀7・銅8

イギリス
金1・銀3・銅1

中国や韓国はメダルの獲得は今のところない模様。

調べたらバンクーバーの時もロシアはたくさんメダル取っていることが判明!

なんか違う各国の位置関係が見れて面白いですね。
障害者の方がスポーツを楽しめる国。素敵だと僕は思います。

がんばれ日本!!もっと注目しよう!!

木曜日, 3月 13, 2014

僕個人の意見として

STAP細胞の件。

報道等を辿ると越えてはいけない線をまたいでいたようですね。残念です。
それはそれとして当人・学位を授与した大学・担当部署など責任を取らないといけないと思います。
これはもう色んな所で上がっている糾弾そのままです。

前回のエントリーに関連しますが、その写真の使いまわしがどうだのコピペがどうだと言うことより僕が本当に知りたいのはこの「STAP細胞」の存在自体が本当に嘘なのか?と言うことです。

仮に100回やって1回うまくいったのかもしれません。その1回の時の写真を使いまわしていたとして、なぜその1回が成功したのか?
ハーバードの先生は論文撤回には反対しているとの報道です。そしてSTAP細胞の論文がNature誌にでた直後にこの研究グループは更なる応用を進めることに成功したという報道もあったことを記憶しています。
そもそもこのハーバードのグループはちゃんと作れているのか??
ここの部分の報道が皆無なような気がして、日本国内のゴタゴタのうちにアメリカ側が特許等を含めあらゆるものを整備してしまったらなどと思ってしまうのです。
iPSの時のようにヘマは打たないぞと。

研究者の資質としての部分と実際の結果・科学的な側面とをごっちゃにしないでちゃんと調査報道をしてほしいのです。といっても上手く作れる方法を見つけ出したグループはもう論文書いて投稿の準備をしていて、極秘扱いで話してくれるとは思わないのも事実ですが。。。

福岡紳一さんの書「生物と無生物の間」のなかに、今回とまったく同じような実験データを誤魔化して再現性が取れなくてラボから去った人の話が載っていたと思う。
それの結論も科学としての概念的な事実の発見と科学者の資質を分けて考えるような下りがあったのを覚えている。

まさに、今起きているように。ごっちゃにしないで。僕は切に思う。

火曜日, 3月 11, 2014

おぼえてますかー??

一時テレビなどで取り上げられた言葉。

「人肉検索」

中国のネット上で行われているらしい、まぁプライベート晒しとでも言うのでしょうか。
いまや僕に言わせれば「日本のネット上やマスコミ」でという文言を付けてもいいんでないでしょうか。

STAP細胞。

いろいろ話題が上ってます。
いち科学者として考えるところもあります。
でも、ネットもマスコミもよってたかって「人肉検索」してるようにしか僕には写りません。

匿名性なものばっかり。調査報道として実際に再現性に挑戦している人とかに取材した記事とかあまり見たことないし。

なーーーーんか。なーーーーーーーーーーーーんか。方向性が間違ってる気がします。

月曜日, 3月 10, 2014

献杯

どれぐらい同じような状況の方がいるのかちょっとわかりません。でも結構珍しいケースだと思います。

僕はまるまる約4年日本に帰っていません。
震災後、一度も日本の大地を踏んでいません。
まるまる3年国外から日本を見ています。

なんだかんだ数週間日本に帰る人が海外在住の日本人の方の大半ではないでしょうか?仕事であれプライベートであれ。

さて、僕のような状況の人"割合"と日本に住む東北以外の人がこの3年間に被災地へ一度でも足を運んだ人の数の"割合"と比べた時。

勝手な予想、比率的にはあまり変わらないんじゃないでしょうか。

別に行ってない人を批判するするつもりは毛頭ありません。でも、その間に海外にいったりユニバーサルスタジオにいったり東京ディズニーランドにいったりするのもいいけど、今まさにそのときにしか感じれない何かは東北にしかないと思うんですよね。だから僕はもったいないなぁって。

僕は決めています。帰り直接東北によってみようと。可能な限り最初に踏む土地はかの地に。
数年分の何かを感じたいから。

三回忌。
ここから東北に向けて。
献杯します。今晩。行きつけで。

がんばろう。東北。日本。そして僕自身。

火曜日, 3月 04, 2014

まさかお前やとは思わんかった。。。

先日ふとライフラインについて考えてみた。
電気・水道といった災害時に言われるものではなく今の自分が生きていく上でのライフライン。
いや、ライフ必需品とでも定義したほうがいいのかもしれない。

家やお金とかそういったものも。こっちで暮らすためにもビザとか。今の楽しい生活を享受できる大事なエネルギーであるビールも言ってしまえばそれである。
で、出た結論それは、

めがね。。。

正直これがないとまず「見えない」。
つまり危険も安全も判断しづらい。何をするにもストレスである。
五感という本来備わったもをメガネがないと確実に1つ失う恐怖を感じてしまった。

災害時にすぐに行動できるように一つ脱出バッグパックを部屋の片隅に置いているのだが、そこにメガの予備を入れてないことに気付き、すぐに一つ潜ませた。

こんどメガネを着けずコンタクトレンズもはめず、一日行動してみようと思う。
ちょっと怖いけどやっておく価値がありそうだ。

そして、両親が僕の視力が低下した時に見せた悲しい顔を思い出した。

めがね。

何事もないように僕の耳と鼻の上で僕がお前を一生手放せない事実を知りながら、同じ視野を共有していたのか。憎いね~。