火曜日, 4月 17, 2012

本の感想7,8(その73,74)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書), 福澤 諭吉 (著), 斎藤 孝 (翻訳), 筑摩書房 (2009/2/9)


最初の本は委員会でおなじみ三宅先生の書かれたもので、記者時代からの実体験をもとに当時の政治のダイナミクスを描いてあります。
2冊目はもう有名、明治のベストセラー・学問のすすめの現代語訳版です。市民・学者に向けて当時の明治の大きな変化においてどうあるべきか々向き合うべきかを書いてあります。

当時の政治家のやる駆け引きの凄さを三宅先生の本を読んで「すごいなー」と。そして一見自分の権力欲との戦いように見えて、その中に「日本をどうしたい」といった大きな命題が内蔵されていたのかなと思いました。もちろん主権を回復する、経済復興、日米安保、沖縄返還など大きな出来事があってその渦中におられたそう感じるのかもしれません。しかし、原発問題、震災復興、TPPなど将来振り返って大きな出来事になりうる昨今、当時のような「気概」のある政治家がいるのかな?とふと疑問になり不安になりました。

開国と言う流れの中で外国という比較が出てくる故に、自国に対してとういった感覚が必要なのか?
その心構え・必要なもの・考えなければならないものを記したのが、この学問のすすめという本だと言うのが自分の解釈です。内容は今読んでもまさしくその通りだということばかり、むしろ今ほど読むべき状況ではと思ってしまいました。「平和ボケ」と言われる現代と江戸時代の鎖国は実は同じで、今はまさしく状況的にこの書が出された時期と似ているのではと感じます。定期的に読み返したいと思います。

この両者(政治家と国民)について別件のようで物凄くリンクしているというのが感想です。
政治家が悪いといいつつ、選ぶのは国民。そして政治家とうのは単なる肩書きで、もとは国民。つまり志ある者がなるべきもの。まずは自分はから変わろうと意識して・考えて・行動することですね。

さて、今日もがんばろう!ってもう昼まわってるやん。はよ働け!

月曜日, 4月 02, 2012

本の感想5,6(その71,72)

日本語のゆくえ [単行本], 吉本 隆明, 光文社 (2008/01)
仏教教理問答 [単行本(ソフトカバー)], 宮崎哲弥 サンガ (2011/12/22)

先日他界された吉本隆明氏の本。かなり前に買って塩漬けになっていたのを読みきりました。
この本の中で出てくる「芸術言語論」なる論に完全にははまりました。

僕は英語を話すのではなく英語で何を話すかと言うことに重点を置いてきました。日本語英語でもいいから伝える。日本のことを聞かれても政治であれ文化であれちゃんと伝えたい。そのためにはまず日本語。その上に英語と。
でも、その日本語のスキルと言う点で完全にこの芸術言語論はスッパっと僕のマインドに入ってきました。テクニカルな部分はもちろん、知識・教養も当然。さらに内面としての感受性。ここも上げたい。

そこで認識・感覚を伝えると言う点で、仏教と言う悟りはかなり深く噛んでくるのではと。
僕は宮崎さんと脳科学者の苫米地さんの影響で仏教(特に中観というもの)にはまり、以後海外でよく聞かれる宗教の問いに仏教と答えるようになりました。

宮崎さんの本は、仏教用語がたくさん出てくるし難解かもしれません。でも生きるや死ぬといった根源的な問いを対談形式で考え・深めておられます。

この作業には、感じたものを表現するというプロセス。言語の仲介が必要となります。
仏陀やナーガールジュナ、空海に法然に親鸞といった方々の表現・思考を僕たちは言葉を介し理解しています。

何も仏教だけではなく日常もそう、この文章も言葉・言語を介してます。
その言語とは。日本語とは英語とは。
この問いはとても深くて。

僕の今の理解は「僕にとって日本語は言葉、英語は言語」。発することから読み書きへ移行した日本語と、字面の解釈から聞く・話すのプロセスの英語。異質なプロセスだからこそ悩み苦しみ、その結果楽しさや喜び、それ以上の問いを与える。

言葉と宗教というなんか交じり合わないけど底の部分で混じっている感じが僕にはとても感じれたのでこの2つの書はセットにしたいなと。

表現。喜怒哀楽。
もっと上手く表現して理解して笑って過ごしたいですね!

それに関わる酒とは…

本の感想3,4(その69,70)

ラーメンと愛国(講談社現代新書), 速水 健朗, 講談社(2011/10/18)
リトル・ピープルの時代(単行本), 宇野 常寛, 幻冬舎(2011/7/28)

前書はラーメンの変遷とそこにどう文化や歴史的な出来事が関与したか。後書は村上春樹と言う作家の存在とウルトラマンから仮面ライダーやエバンゲリオンが意味する時代の変遷を見る。
乱暴に言えばサブカルチャー・食文化に内在される時代の変遷を追っています。しかし、これがとても深いのです。

ラーメンが普及するのと小麦粉と敗戦。経済発展と地方のご当地ラーメン。中華料理とインスタントラーメン。僕自身が上手く表現出来てないけど、こんなにも時代の変遷に対応して語れるラーメンと言う存在はスゴイ。
ウルトラマンシリーズ。僕は今もってウルトラゼブンが描いた世界はすごいなと思っていて、もう一度ちゃんと見たいと思ってます。子供の頃見ていたアニメ・漫画にこんなにもメッセージがあったのかと感じるはここ5年ぐらい。
パタリロの深さ。ゴジラと原爆。もちろんここで出てくるウルトラマン。改めて読み直したいドラゴンボール(セル(細胞)と名前をつけた深さ、人造人間の下り)。そしてリトルピープルの時代は僕に仮面ライダーの凄さを教えてくれました。


さて、文化とは?カルチャーとは?サブカルって?時代に存在し受けるもの。そこに内在する訳。ラーメン。アニメ。それは逆にリアルに世の中を反映するものかもしれない。無意識に共感している僕たちの消費行動。
この2つの本はとても示唆に富んでいます。そして、震災後どういったものが繁栄されたモノとして出てくるのか。2年後3年後に感じるかもしれないし、今リアルタイムで感じれるかもしれない。それには、色んなものへの嗅覚。

ラーメン。されどラーメン。アニメ。されどアニメ。サブカル。だからこそサブカル。今を生きる実感をどこから感じますか??

本の感想1,2(その67,68)

はい。久々に書評します。ちょっと思考を変えて本と本を繋げてみましょう!
(月曜日の夕刻に書評!?今日は太陽が照りいい日で、職場に向かう途中にドロップアウトしてしまいました。夜か明日はかなりの早朝から働こうと思います。でも夕酒は…、あっ!)
空気の研究(文春文庫), 山本 七平, 文藝春秋 (1983/10)
ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社プラスアルファ新書), 適菜 収, 講談社 (2011/8/19)

空気の研究はとても有名な書で僕が3歳の時に書かれた本にもかかわらず、今読んでもかなり新鮮と言うか深いです。
ゲーテの警告はゲーテの残した格言と言うか言葉を現代の状況を批評する形で引用しています。

空気。感じますか?酸素・窒素と二酸化炭素で成り立つ空気に色をつける空気。状況的にはタブーになったり。
震災後と震災前での空気は違うと思うし、その空気感をどう感じるか。
文中にイタイイタイ病の下りがあります。これを原発に大阪維新に増税に。相対化するといかに空気が席巻してるか分かります。怖いのが、その空気は白黒(話題のオセロの黒ではなく)・ゼロサムになりがちな気がする。
意思表明と結論の作る勾配の差を議論し何がいい「方法」かを戦うはずが、色付けの論になる。
そこには空気。なぜとか言えない聞けない。
今の過渡期にこそ読む本かなと思います。

さて、そこにどうゲーテが噛むのか!?
噛むのはゲーテではなく筆者が提起した「B層」。
このB層とは書から引用すれば「知的程度がそれほど高くなく、知識層・権力層(この層は僕が意訳。書内では筆者はA層と規定あり)から投下された」メッセージをそのまま鵜呑みにしてしまう層」。
小泉郵政選挙で動いた民意とでも言うのでしょうか。
馬鹿にするな!僕はそれに該当しない。知的程度とは何事みたいなご意見は出るでしょう。それは逆に言うとどこまで「知的好奇心を正確に持っているか」になると思います。

放射能。さてどこまで本質を理解していますか?何が危険で何が安全?もちろんこういった「細分化」においてB層に居る自分も居ます。
「テレビや新聞で言ってるから。」は一世代前で今ではそこにネットが入る。
そう知というものが幅を持つ時代になってしまった。

そこでどう振舞うかが結構大事なB層。なぜなら専門性ではない。だけど大事なのは知っている。
だからこそ蔓延する「空気」。だれが空気を作るのか??

一見2つの異なるトッピクに見えるけど、とても2つの書はリンクしてるように思えた。
ゲーテの本の前半で響いた言葉は「知識でなく教養を」。知る行為を昇華する。それにより出来た線は空気のにも耐えうる。的に感じたのでした。
(ゲーテの後半は筆者が逆にB層を誘導しているように感じたので、面白いですけど…というのが僕の感想。でも、ゲーテの言葉はスゴイ!)。

さぁ、今のクウキを吸って何層か考えて…。
酒のまなやってられない僕はZ層!?