火曜日, 7月 29, 2014

片付けと整理整頓

パズルのように結構な数のピースを改めて眺める。
そこから物語と言えば言い過ぎだが、ロジカルにかつエキサイティングな話を構築するのがある種仕事でもある。
見つけるだけ。書くだけ。でないのがこの仕事の胆だろうか。
と言いながらほかの職も同じような側面を抱えているは重々感じている。

そのパズルたちの数とピースのばらつきにちょっと面をくらってしまった。
絵にかいた餅とはこのことで、もう餅を味わうところまで頭が勝手に先に進んでいた事を知ってしまった。
全然全然うまくまとめれない。
まとめれないというより、まとめるべき優先順位・ルールが存在しないと言うべきだろう。

ちょっと困り果てながら。求めすぎているかも。過大評価してるかも。まだスタートに立ってない?など冷静に状況を分析し始める本人がいる。

要るか要らないの判断。この話にはこれは入れない方がいい。仲間はずれになって一人宙ぶらりんの数字や表や曲線。捨てると言えば語弊があるが、これは世に出すためのリストラ。でもアフターケアを考える。だってそれは十分な重さをいつどこで起きるかわからないに連鎖反応のために持っているから。
新成人に送るスピーチのようにそのモノたちへビジョンや意義を吹き込み社会の現実とすり合わせる。

そんな作業をしてる自分もそんな社会に組み込まれたピースに過ぎない儚さは心にしまって、今を最大限に楽しむべ目の前の風景にメスを入れすべてを把握すべく格闘している。医学部生が将来の希望に期待を抱きながら初めてメスを持つのとは似ても似つかない。でも医療や科学というETの点のような接点でなぜが関連があるように錯覚する仕事観。

一見おなじで、全く異なるプロセス。それを踏まえた連続と不連続(今日から読みだした本の中に出てきたワード)の相関に頭をくらくらさせながら(酒のせいでないことを祈る)、この数か月のズボラを恥じるのである。

実際に何かをすると言うこと。それはいったいどいうことなのだろうか。
ただ、やってるふりをごまかしごまかし繕っていたツケを今から払うのだと。
そして、それを見て見ぬふりをしていてくれたであろう番頭さん。明日しれっと会う時に平常心と共に感じるいい重圧を昇華させようではありませんか。

あーーーーーーー。はーーーーーーーー。
絶対酒臭い。。。

金曜日, 7月 25, 2014

読んだ本・その28(171)

パテ屋の店先から―かつおは皮がおいしい [単行本]
林 のり子 (著)
 アノニマスタジオ; 新装増補版 (2010/11)

料理・調理や食材・素材といった食文化を含めた多岐にわたる関連語句。
それらの言葉は僕たちにその意味を伝えてくれる。そして僕たちは脳でそれらを食し味わいながら解釈し理解する。
でもそれらの言葉によって隠れてしまった本質的・根源的な歴史的要素。

立ち止まって「待てよ」って頭を使う作業が乏しくなってしまった情報がフロー化した現代。
まるで小学校の時の国語の時間。英語を習い始めてすぐの時。辞書を開いて意味を求める作業を、やさしい文章で問いかけてきます。何か忘れていたものを思い出すといった具合に。

そんな素敵な本。なんと元は1987年に出版されたもの。これは新装増補版で20年の月日を経て2010年に新たに息吹を吹き込まれた本でした。

落語ではないですが、古典というのは廃れない。それを思い知らされたのでした。
90年前半の生化学の論文たち。それにも同じことが当てはまる圧倒的な知への探求を感じる時があります。温故知新とはうまくいったものです。ちょっとそんなサーチをのんびりしたくなりました。

僕の文も古くなりますがこのように生きるのでしょうか?カビがきれいに食べてくれるんやろうなぁー。。。

月曜日, 7月 21, 2014

読んだ本・その27(170)

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書) [新書]
夏井 睦 (著)
光文社 (2013/10/17)

なんて面白い本だろう。頭を殴られたような。機会があれば是非読んでください。なんと言うのでしょう、これは教養本です。

実際に経験した筆者の経験を下に仮説を立て、実験(自分を使って、人の変化を見ながら)し根拠を調べ、さらに今の食生活に疑問を投じることも含め文章化する。
あー、科学者とはこうあるべきだ。そうありたいと思うんですよ。なので特に感銘したのかもしれません。

ここで出てくる科学的根拠の大半は専門家じゃないと理解できない類のものではなく、原理的には高校生の教科書レベルで十分フォロー出来る。
この本の胆は学問の横断的リンクとでも言うべきでしょうか。多岐にわたる話(論拠)が隙間を埋めるかのごとくそれぞれがそれぞれを補完する。なんて理想の書なのだろうか。

そもそも的な実体験からスタートして、見聞きしたことある文化の話、哲学的問、進化論、生態学、考古学、医学、生化学、世界史、文化人類学、動物学、植物学。。。
もう多岐にも多岐の分野のオーケストラですね。
しかも圧倒的に「そうか言われてみれば。。。」の話ばかり。
ここで敢えて「罠」という言葉使いたい。
医学の罠。サイエンスの罠。常識の罠。もう常識への問いかけです。
言えます。食生活変わりますよ。いや、それは言い過ぎかな、でも絶対に意識します。肉食であれビーガンであれベジタリアンであれ。どんな人でもそもそも僕たちヒトと言うものが備え持った生きるための機能を意識するから。

過去に読んだ本たちとの接点もたくさんありました。チョコレートの世界史や地球を救う農業などなど。

面白いのが、人にさんざん変わっているオカシイと言われてきた僕の食・飲み生活。
この本をもって僕は全くおかしくない。本当にこの本のように僕の身体が適応してしまったのなら。そして、そうなら僕はこの自身のシステムを最高だと断言できる。

書ききれない程に脳を刺激します。是非!
えっ、なんでそんなに推すのかって!?それは。。。
自分の変わった生活を変わってないと完全に理解してもらえそうだから。。。
ってやぱり自分は変なんやん!!
って知ってますよ!でもそれが実は普通なんです。。。うーーーーん、読め!!

木曜日, 7月 17, 2014

おぬしだれや??

昨日ふと自分でも考えていたこと。そしてある会話の中で同じ事象の話になった。

友人を3つにカテゴライズできるということ。

A)普段会う時もう酒が入っていてほとんど素面の僕をみた事がない集団。
B)基本的に僕の素面と接する集団。
C)両方を均等とまでも行かなくともそれなりの頻度で会う集団。


A)はもうプライベートの関係。一緒にワイワイするひと。
というのも僕って仕事場を離れたり運動をしてる時以外って基本飲んでいる。
B)は職場やサッカーなど。
C)はA)B)が被っている友人。

本人は常に自分でありそれ以上それでも以下でもでない。でも接する人はきっと印象違うんやろうなぁー。

じゃー、本当の僕ってどれ、これ、あれ、それ!?
かしこまりましたー。

金曜日, 7月 11, 2014

読んだ本・その26(169)

美味しんぼ 110 (ビッグコミックス) [コミック]
雁屋 哲 (著), 花咲 アキラ (イラスト)
小学館 (2013/8/30)

手元にある単行本「美味しんぼ110巻」。今は遠い過去のような話題だがこの本(漫画だとは思わない。含んでいるメッセージは切実だから)を読んで、僕が定期購読している津田大介さんのメルマガ“メディアの現場 vol123「美味しんぼ」はなぜ紛糾したのか”を読んで自分の感じたことを合わせて、消化して記しておくことは意義があるのではと思ってつらつら書いてみようと思う。

まず手元の美味しんぼにはメディアで話題になった鼻血の描写は含まれていない。それまでの話題。主に風評被害・現地で暮らす人の苦悩と葛藤などが描かれている。大きな問題提起として、郷土料理が食べられなくという事実があると思う。放射能で汚染されてしまった土地。そこで育つ郷土料理の核となる動植物。それらが安全だと証明する苦労は風評被害で自明なため、この事実はあまりにも重すぎました。

津田さんのメルマガは問題になった鼻血の場面の前後に起因する描写を、津田さんたちが実際に取材した実感に基づいて比較・議論したものである。この内容は以前ここでも紹介した「福島第一観光化計画」に収められているものと被るものであります。

そう、じゃー福島の真実って何??ってこと。

鼻字の描写には議論の余地はあるけど、それまでに描かれている真実にはちゃんと向き合わないといけない真実がある。
津田さんたちはフェアな立ち位置として「鼻血問題」と向き合った。そんなメディアを定期購読できていたことを誇りに思う。
でも朝日新聞社が出しているプロメテウスの罠しかり手元にある美味しんぼだったり、本来僕たちが向き合わないといけない筈の問題以外のところで、盛り上がり冷めてはないか?

今朝も福島で揺れた。震源の深さ10キロだったと記憶している。

待ってくれないよ。待ってくれてるんじゃない?もっともっともっともっと本気で向き合わないと駄目じゃない?鼻血のあった美味しんぼという認識しかないんじゃない?この福島の真実の回一回でも見たことある人どれぐらいいるの?福島含め東北に震災後足を運んだ人はどれぐらいいるの?被災地の物品とかどうしてる?読んでるあなたはどう?何かしてる?何もしなくていいと思ってる?世界中で悲劇はいっぱい起きてるけど、日本国内でもあるんだよ?

僕はもどかしくて悔して仕方がない。
だからこそ自分にできることをします。自分ができる範囲で継続的に。
なにもそれが偉いとかそんなんではない。色んなものが永遠に続かない世の中だからこそ。

ダブレットを手にして、作業ができる場所が広がった弊害の顕著たる投稿。でもこれもいち記憶として良しとしよう。。。何様!???笑

読んだ本・その25(168)

デザインのめざめ (河出文庫) [文庫]
原 研哉 (著)
河出書房新社 (2014/1/8)

オリジナルの本は2001年に出版されたものです。それが文庫本になって今年の頭に新たなエッセイを加えて10年以上という月日とともに再登板です。

登板という言葉を使ったのは、この本を読むと至る所に宿る「視座」「モノの見方」という点が今読んでも圧倒的な面白さとともに的を得ているからです。

2001年といえば大学という空間に自分の中でようやく身を置くことができ華やかなキャンパスライフなどと絵にかいた餅をホクホク食べていた時です。
そのころにこんな本を手に取るなんてミジンコ以下の小さい種ですら頭に無かったと思います。

一つの話はページとして3ページほど。その中に「なんて面白い視点で物事を捉らまえるのか!」そしてキレのある文末のオチ。
狐に抓まれたように読んでしまいます。が、それは大きな罠。一つ一つを噛みしめ味わい落とし込まないとこの本の醍醐味はないのでは。

職業上こういった視座は意識していますが、切込みがシャープなんですよ。
そうそれがデザインという、人の裏をかいたり感動を与えたり気持ちよくしたり。
つまりは無意識の意識化。
つまりつまりは万人の視界に埋もれている盲点にニヤニヤできる楽しさ。

サイエンスとデザイン
デザインとサイエンス

ニヤニヤできる日が来たらと図や表を眺めたいと思います。
デザインのめざめ。
目が覚めるようなタイトルだと気づきますよ!

水曜日, 7月 02, 2014

日常の非日常と非日常の日常

ふいに起きる変わったことに心躍らせたり深く考えさせられたり。それは日常という平衡状態から見える世界。しかしこの非日常を受け入れるか流すかは本人の判断に依存する場合も多い。

面白いことが重なったり深く落ち込んだり考え込んだりしている時、それは日常と乖離したアンバランスな世界。いつもなら必ずするであろう事を飛ばしてしまう。特殊状態化における見落とし怠慢。

前者と後者の行ったり来たりで少しずつ深化・進化していくのだろう。
でも、特に後者でのミスは時に致命的になるなと思うついこの頃。
なぜしたのか?なぜしなかったのか?つもならしないのに。いつもならするのに。
いつもを知る=自分を知る
自分探しは自己探求というのが本来持つ意味なのかもね。