金曜日, 11月 10, 2017

2017年31,32冊目(291-292)

円周率の謎を追う 江戸の天才数学者・関孝和の挑戦 単行本
鳴海 風 (著),‎ 伊野 孝行
くもん出版 (2016/11/8)

アルゴリズム図鑑 絵で見てわかる26のアルゴリズム 単行本(ソフトカバー)
石田 保輝 (著),‎ 宮崎 修一 (著)
翔泳社 (2017/6/6)

アマゾンの本の内容紹介では「関孝和を題材にした初めての児童書」とありますが、大人が十二分に楽しめます。
当時の江戸の空気(徳川家は4代目の時期)の中で数学という学問を学ぶという行為の難しさを感じれます。漢文で書かれた本を写本し学ぶ。今のコピー機やパソコンのある現代では考えられない話です。そして円周率が3.16位となっている事実からどのように円周率を正確に求めるかという問に立ち向かっていく主人公。
本の中で「楊輝算法」という書に出会い、正確な円周率の値が記されているのではと胸を躍らせ見つけた数値は3でした。「円周率は3だ。ただの3だ!」と落胆します(P108)。
ここにこれが児童書として意味があると思いました。
確か一時メディアで話題になった”円周率を3で良しとするか3と教える”という話。
現代と関孝和の3に対するギャップはおそらく円周率の性質である無理数ぐらい遠く長いものでしょう。
この永遠に続く数字こそに意味があって、それを3にしてしまうはおそらく学問の全否定になるように気がします。その円周率をπで表せる記号の含む表記。代数。これこそが関孝和が正確な円周率を求めるために思いついた方法論なのですから。西洋と隔離させた島国の中で独立してこの方法論を思いつた関孝和。この事実は世界の数学界に大きなインパクトを与えるのです。

ちなみに関孝和がこの世を去ったのは1708年。哲学者カントもゲーテも、音楽家モーツァルトもシューベルトもまだ生まれてません。哲学者ホッブスが他界したのは1679年。これだけで十分に彼の好奇心の偉大さを伺えるでしょう

なんでも答えを求めがちな世の中ですが、義務教育だからこそ3.14が3としない事を教えるからこそ教養なのだと思います。そうあるべきだと。
自分がどうあるべきかを相対化するとても良い機会を得た気がしました。

そんな土台の上に知らないけど使っているアルゴリズム。特にセキュリティーの箇所は勉強になりました。これだけを手に取っていたら読むのにむっちゃ時間がかかった気がします。

人生も連続する数字の連なりと同じです。みんなで広げよう、友達の輪!!!

日曜日, 11月 05, 2017

2017年29,30冊目(289-290)

ひとはなぜ戦争をするのか (講談社学術文庫)
アルバート アインシュタイン (著), ジグムント フロイト (著), 浅見 昇吾 (翻訳), 養老 孟司 (解説), 斎藤 環 (解説)
講談社 (2016/6/11)

35歳までに必ずやるべきこと ポケット版―運をつかむ人になれ 新書
重茂 達 (著)
かんき出版; ポケット版 (2008/9/2)

一見まったくつながりがなさそうな両書。ふとした感覚でリンクを見つけたので一緒に書きたいとおもいます。

前書。そもそもこんな大御所2人が書簡で戦争についてやり取りをしていたなんて。オリジナルは「ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡 単行本 – 2000/12」
そのまたオリジナルは「Why War? Albert Einstein's 1932 letter to Freud and Freud's response Pamphlet – 2010 by Albert Einstein (Author),‎ Sigmund Freud (Author),‎ Milton B. Blouke (Preface)」
最近まで世にちゃんと知られていなかったのかとまず驚きを禁じえませんでした。
そして言えることは、この地球上ではこの書簡で議論された問に対して根治療法では対症療法でしか対応できていないでいるということです。つまり全く当時と変わっていない。
アインシュタインは「国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。(13ページ)」と言い、
フロイトは「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」と締めくくる。
国連やEUやあまたの機構がこの役割を果たそうとしているが実現できない平和。
国家の単位での取り組みに内蔵されている個々人が認識を共有できない限り難しいのではと思った時に、後書にぶつかりました。

この本は友人が貸してくれた本で、こういった自己啓発本も時に読むと忘れてた過去に意識しようとしていた考え方を思い起こさせてくれるなーと思っていました。
この本に書かれてる本は僕がそうありたいと思うことが大半ですが、それは特別なことでなく一般的な3大宗教の経典や論語や身近な道徳書でさえも言及されていそうな常識的な立ち居振る舞いではなかろうかなと。こんな人間であったりこんなボスでありたい。みんながそのように生きれれば社会はなんて健全なんだろう。

そんな健全な世を促す書が溢れているのにも関わらず、100%にならないのが世の常。そうだとすればフロイトやアインシュタインの求めた戦争のない社会は一生やってこないのだろうか?矛盾のようで実はこれは理解や許容といった本来リベラリズムが持っているような考え方ではないでしょうか。diversity(多様性)のある世の中。

脳機能学者の苫米地英人さんがtwitterで
「悟りを目指すのは誰よりも人の役に立ちたいという利他が本来の大乗なのに、ジョブズが禅をやったのは自分の健康と精神の安定の為だし、マインドフルネスがアメリカで流行ってるのもストレス軽減とか自己生産性向上の為。西洋に行くと皆利己に変わる。それが日本でまた流行るのは日本人の利己化を象徴 (https://twitter.com/DrTomabechi/status/926793180502036480)」
とあるのを見てまたこの2つの本との関連性を感じました。

具体的な言葉で綴れないけど、やはり1つか2つ僕達自身が新しい概念を作り上げないとフロイトとアインシュタインの想いを身にすることは出来ないような気がしました。
この東アジアの緊張下だから手にとってみると何か感じることがあると思います。
だから今日も自分にできることを可能な限りやるしかないのだと。そして最後は一杯(いっぱい?)飲むんだろう。。。