火曜日, 3月 31, 2020

言葉を定義する言葉でなく、行動に定義を与えるための言葉?

ロックダウンという言葉が注目を集める日本の状況をみながら、日本がやろうとしてるロックダウンが本当に必要なロックダウンなのか?

僕の住む西海岸ベイエリアは今言えばロックダウン中である。とは言っても電車バスは動いている。バーはクローズしてるがレストランはテイクアウトのみで何とか営業している。スーパーマーケットはsocial distanceを守りながら営業してるし、散歩等の必要最小限の運動は許されている。厳密に発表された当時の言葉はShelter in placeだった。仕事場も特性上誰かが来て動物の管理を最低限しないといけないのでローテーションを組んで回している。この時も厳密にはshutdownと言わずにrampdownという言葉を使っていた。

ゼロサムや白黒や1か0かではなく、出来る人はやる!そして実行する!である。今でも覚えている、3/15の日曜の夜から急転直下で状況が変わり、shelter in placeが実際に始まったのが19日の木曜日。その間メールのやり取りやオンライン会議など上司と呼ばれる人たちは相当にしんどい時間だったと思う。でも、それをやるのである。そしてやったのである。全米で先がげてやったのだ。それから後のニューヨークでの出来事を見るに、やるかやらないか。決断するかしないかである。

そして何度でも書くけど、 ゼロサムや白黒や1か0かではない。ちゃんと買い物は出来るし、郵便物も届く。もちろん飲食業界や旅行業の人などの苦労は理解している。でも、100%全員を救済できる術なんて、一年間話し合いをしても作れないと僕は思う。

取りこぼしの補填はちゃんとすると言えばいいじゃないか。言われたら信じようじゃないか。だってもう他人事ではないだろう。

交通機関を止めるには根回しや通達が?とりあえず休日ダイヤにしようよ。
店を閉めたら経営が?テイクアウトは維持して、利用できる人は利用しようよ。
テイクアウトにしたら容器やらの準備が?家から自分のどんぶり鉢や皿を持って行って食べたら自分で洗おうよ。ゴミ減るやん!

ワーストケースはそれが起きた時にはもう終わりだから、 シュミレーションでワーストケースを考える。 ロックダウンと言う言葉の定義をゴチャゴチャ言わずに、ロックアウトをしないためにも何が可能か不可能か考えて、準ロックアウト的な行動を頭使って始めようや。都市封鎖の是非でなく、都市封鎖的状況の程度の是非をしようや。そこには強制力はなくても要請で各人が節度と常識と知識と知恵を駆使してできるんちゃうの?海外がやってる例を精査しながら。。。



知らんでホンマに。海の向こうの引きこもり真っ最中がお送りしました。。。

木曜日, 3月 26, 2020

生態系ご近所さんは。。。

早く寝ると早く起きる。当たり前だが。
日の出前の外が明るくなる時間に聞こえる声がある。

カーカー!

カラスの声だ。引きこもり指令がでて約一週間。植物や動物は人間の行動をどう思っているのだろうか?

カラスなんてこのコロナのあおりを受けて残飯にありつけてないのでは?
それはネズミやアリやハエもそうか。
植物は人間に踏まれたり荒らされたりしないからむしろハッピーなのか?

コロナは食物連鎖ならぬ地球連鎖・人類連鎖だろう。
祖国に帰った人がウイルスを持ち帰ってしまう。残った人は心配をかけてします。
誰も悪くナイ。誰も良くナイ。仕方ナイ。

カラスはカーカー毎朝何をしゃべっているのだろうか。とても気になるけど、カラスはカラスで大変なんだろうな。はい、僕は元気で非日常を楽しんでます。。。どーも!



日曜日, 3月 22, 2020

結果的に or 意図的に

3月7日に僕が好きなお店の歴史が幕を閉じました。

それは突然やって来た。当日店の前を通ったら「本日で閉店です」という立て看板。テクテクと仕事場に歩く僕には一瞬の出来事。「え、嘘でしょ?見間違えや、帰りに確認しよう」と先に進みました。

帰りに通りがかると長蛇の列。朝の出来事が事実だったことに気付く。中に入りたいがかなり待たないと入れない。幸い2週間ちょっと前に行ったのもあったし、残念だけど仕方ないと腹をくくり店の写真を撮って帰路につく。

ただ腑に落ちない点がある。その店いつも相当に賑わっている優良店。経営で窮地にってのはあまり考えられない。。。なんでや!?
そんな疑問をよそに近所の飲み屋で一人飲んでいたら同僚がメッセージをくれた。あの店最後やでって。僕の飲み歩きを認知してくれてくれてるから送ってくれたのだろう。嬉しかった。やっぱり顔を出そうとそれなりに飲んでいるにも関わらず足を運んだ。

店内は変わらぬ込み具合。濃厚接触や。ビールを一杯頼み知り合いの従業員の人を探す。おった!、でも忙しそう。彼と話すタイミングを計りつつ、周りの会話に耳を傾けなぜ急な閉店になったのかを探る。もう一人の僕を認識してくれていたサーバーさんに会ったの訳を訊ねた。

どうやら従業員にとってもこの閉店は青天の霹靂だったようだ。そして知り合いにも聞くと店を維持するための家賃の値上げを要求されたそうらしい。この手話はよく聞く話でで仕方ないなと。でもこんなに流行ってる店を潰す愚かな地主は居るのかとも思いつつ、居るんやろうなーと。最後の挨拶が出来て良かったと思い家に帰る。

そして今。外出禁止に営業自粛の僕の住む町。急に仕事を首にされる話もよく耳にする。果てさて、あの店のオーナーさんはこの状況を予期して店を敢えてあの時期に閉めたのなら何というファインプレーなんだろうと。解雇になった従業員も急とはいて、今の混乱の中でなく比較的余裕がある段階で失業保険を申請できているはずである。

これは結果かもしれない偶然かもしれない意図的かもしれない。事実は分からないけど。良い店の終わり方は何とも良い終わり方になったのである。

人間万事塞翁が馬とは言うけど、続いている人生でそう思う事もあれば閉店した店や引退した人、あるいは不幸にも人生の幕を閉じてしまった人にもそれは当てはまるかもしれない。ここでの人間は個人の人間だけでなくそれを取り巻く人間、humanではなくhumansなんだと職場の閉鎖の前日にその店の前を通った時に感じたのでした。

今の非日常もそう思える日が来るように生きていこうと思います。思いを書き上げた日曜の昼下がり。さー、昼酒じゃ!!

金曜日, 3月 20, 2020

2020年 3冊目 (346)

ミスター味っ子 全19巻
寺沢大介  (著)
Kindle版

小学生の時にテレビ大阪で観ていたアニメ。印象的な回が結構あって(駅弁の回、味皇さんが城を突き破る回など)印象にはすごく残っているけど全体のストーリーはハッキリと覚えていなかった。

動画サイトの発達で当時観ていた記憶を呼び起こすようにほとんどの話は結構前にフォローしていた。

が。。。なな、なんとー!この原作とアニメ版が全く違う2つの世界であることに今回衝撃を覚えたのでした。。。!!!

原作の良いところとアニメ版の良いところ。どちらが良いとは言えないけど、アニメ版はよりスリリングでちょっと濃い目。余すとこなくキャラクターを活用した構成なんだと。対して、原作はもっと純粋というか素材のうまさと言うか。売れるとか流行るとかの意味をなんか考えました。

今の時代なら原作でも十分流行ると思う。でもアニメ版の当時だとちょっと濃い味ぐらいでちょうどいいと思えるぐらい他のアニメがたくさんあった。平日のゴールデンタイムにアニメが30分の枠で普通に流れていた時代を今振り返るとすごいなって。

その世代が今社会の中心を担う世代になっている中で、あの当時のマーケティングが今と圧倒的に違う事を感じます。映画と原作。ドラマと原作。時代の中で生きる作品。

今回の衝撃は相当でした、やっぱり覗いてみると言う行動は必要ですね!アニメ版を観返そうと思ってます。

実際に実行されている方もすでにいますが、料理漫画の料理再現シリーズは YouTubeの素材として相当面白いと思います。自分がやれと言われればやりたいけどtoo shy shy boyなんで。。。しゃっせー!

木曜日, 3月 12, 2020

こんな時期だからこそ映画...あえて!!

僕はこの新型コロナが広がり始めた辺りにずっと頭の片隅にあった映画があります。
World War Z (https://www.youtube.com/watch?v=HcwTxRuq-uk)というBrad Pittが主演の映画で人がゾンビ化していく映画です。ここでのゾンビから身を守る、どうやって囲い込みをするかが今の感染症対策に似ているように感じたからです。

で、つい先日この映画の記憶がもう一つの映画とごっちゃになってることに気付いたのです。そもそもこの映画を観た時に「パンデミックや」と思うに至ってすでにそれに関する映画を観ていたという伏線があったので、この映画がすっと入ってきたのだと。
その伏線となった映画はContagion(https://www.youtube.com/watch?v=C-ADAwfrwGs)という映画で本当に原因不明の感染症によりパンデミックになるという話です。

約一か月ほどどこのメディアでもtwitterでもだれもこの2つの映画に触れていないのが僕は少し驚きです。
映画とは非日常を楽しむ空間だと僕は思っている反面、その非日常をいかに現実に落とし込んで想像力を働かせるか貴重な材料提供とも。この2つの映画のおかげで僕はこの新型コロナに関して2月の頭の段階でかなりリアリスティックに捉えて、本来なら日本時間の今日3月13日に日本にいるはずだった旅程をキャンセルしました。

考え過ぎだったで終わって欲しかったけど実際に「パンデミック宣言」です。
検査の是非が方々で議論されてますが、僕は無駄な検査はしない派です。重篤症状者や高齢で症状が疑われる人優先派です。

40代ぐらいの人が心配で検査で陽性が出て「罹患してますが重篤化の可能性は引くと思われるので帰って自宅で静養してください、外部との接触も完成拡大になるのでやめてください。あと、帰りは人との接触を避けるよう上手に帰ってくださいね」と医療従事者に言われ「分かりました」って素直に帰る人なんていないと思うからです。未知の物への恐怖と安心は結び付きやすいでしょう。でも、だからこそリテラシーをもって優先順位を決めて考えて行動する大人であるべきだと思います。

必要以上に怖がらない、でもしっかりと準備する。少しでも早く鎮静化するのを願うばかりです。少しでも経済に貢献すべく、僕は今日も昨日も明日も夜は飲み屋にてアルコール殺菌実施中ですです、はい。

金曜日, 3月 06, 2020

2020年 2冊目 (345)

東京大学物語  全34巻
江川達也  (著)
Kindle版

東京大学物語を全話読んでみた。もしこの漫画をリアルタイムで読んでいたら僕にどんな影響を与えていたのだろうか?と考えるほどインパクトのある物語でした。なんだかんだ受験戦争の中を過ごして来たので共感というか接点があってグイグイ読みました。ただ、途中でリアルすぎてなんか気持ち悪くなるというかクラクラしてきたのも事実です。

 これを読む大分と前に筆者の江川達也さんがこの本について話しているのを聞いてたことがあったので現実の終わらない日常の描写がクラクラさせたのかもしれません。ただ、その終わらない日常は現実。東大に入ろうが入ってからが始まる。何かが始まれば終わる、終われば始まる。残るものっていったい何だ。こんなん妄想だと言えばそれまでだか、そんな世界に生きてる人も実際に居る。そしてそんな頭のおかしい人がすぐ近く隣にいるかもしれない現実。

 みんな裏で何やってるかなんて分からんし変態ばっかり、と言っている自分の変態さと向き合っているのか?趣味言うかオタクと言うかマニアと言うかプロと言うか専門家と言うか素人というか。そんなもん人が貼り付けた札で、貼り付けた人の価値観によっていい意味にも悪い意味にも変わる。そんな暗澹たる現実をどう生きるのか。なんか今思い出してもクラクラしてきます。

 漫画って大人が色んな感情やテーマを持って書いてる。それらを受けるように売れるようにこねくり回しながら作品は出来ていくわけだけど、そんなもんを子供が読んで伝わるかもしれないが、テーマを完全に拾えるわけがない。この肌感覚で子供には十分なんだと思う。手塚治虫先生の鉄腕アトムだってウルトラセブンだってとんでもない社会背景が織り込まれてるわけで。子供と一緒に大人が大人になって何かチクチクした棘を感じれるもの。それが漫画の凄さだとこの物語を見て思ったのでした。強烈なオチのの後の現実描写で各人が抱える頭の中に抱える妄想。ゆとり教育ってそんな口にするのが恥ずかしい事を恥ずかしくないと知り互いに理解し合う事なのかもね。

 少なくとも僕の学生生活はここまで無茶苦茶ではなかったと自分のフィルターを通して感じている。他人の評価は知らんけど。