女子ワールドカップもいよいよ終盤。
順調に勝ち上がっている代表。
日本での報道とか知りませんが、なんとなく大丈夫か的なイメージだったりするのかなとか。如何せん生で観たカメルーンが日本で辛勝と報道されていたり。変なギャップを感じるからです。
他国が点取りまくって圧勝した相手に1-0で勝ったりとか。もありましたし。
僕はなんか物凄い高度なチャレンジをしている気がするんです。それは優勝するために。
一試合の勝った負けたの積み重ねですが、初出場でとりあえず勝て!とかグループリーグ突破を目標にとかでなく、確実に目標は「連覇」のはずなんです。それなら、それを実行する戦い方があるはずだと。
緒戦のPK以外は試合の早い段階(10分以内)に点を決めている現状。これが作戦通りに実行できてたら凄くないですか!?
そんな目を持って僕は土曜日の対オーストラリア戦を楽しみにしようと思います。
そして準々決勝の組み合わせ。
FIFAのHPよりキャプチャーしました。
歴史に経済とか現在の国際政治とかを照らし合わせてなんともよく出来たマッチメイクやなと。
そういう意味でも楽しみ方は満載ですね!
GO なでしこ!!
水曜日, 6月 24, 2015
日曜日, 6月 14, 2015
26-7冊目2015(212-13)
クリスマスには焼き魚にローソクを 単行本
中川 剛 (著)
幻冬舎 (2009/06)
寂しさの力 (新潮新書) 新書
中森 明夫 (著)
新潮社 (2015/3/14)
一件似ても似つかないような2冊ですが大きな共通点を感じたので一緒に記録します。
剛さんの本は幼少期見てきた両親とくに父親について記したものです。約一世代僕より上とはいえ、育った環境これがパンチの効いているのなんの。僕らの世代では共感できる部分もかなりあるかもしれませんが、今の世代なら小説とか漫画でもイメージしがたいのでは。
ここで出てくる描写をみながら、中川家のネタの原型というか元が分かった気がしました。
中森さんの本は剛さんの本同様に自分の成長過程もありますが、そこから俗に言う成功者の生い立ちに迫っていきます。坂本竜馬・ヒトラー・ディズニーにスティーブ・ジョブスなど。そしてアイドルや哲学者まで。それぞれ中川家のような貧乏とは違うが性質的に似たある種の負の部分を抱えている。そしてそれを中森さんは「さみしさ」と言う言葉で表現した。
こういった環境が生きる糧・原動力となって、激しく駆動した結果が皆さんの知るところになる彼らの業績なのだと。でも、これが僕たちが目にしたしているようなプラスに機能するかしないかは別問題で、マイナスに向けば(ヒトラーはこちらかもしれません)犯罪などに向かってしまう。
今現在読み進めている本の中からその言葉を使わせてもらうと「理不尽」環境と運の化学反応によって生まれたある種の理不尽さによる結果なのでしょう。その理不尽な環境にどう生きたか。深く回想し考えてしまいました。今現在のように生きているということを。
個別に書くと、
剛さんの本:ダウンタウンのやってのけた事のすごさをまた感じました。何組の芸人が影響を受けてきたのか。まさか中川家もその一つだったとは。
中森さんの本:読書体験について最近考えることが増えたんですが、この中でも感じました。そして本棚という存在と可能性に。それを踏まえて電子書籍と紙の本についてあらたな視座をもらいました。あと完璧さを追求と欠点を含んでいるといことの大事さ。質と人気の狭間。おもしろいですね!
僕の生い立ちをまとめるとどうなるのかな?25歳以降は確実に「酒にまみれた人生。以上」で終わりやな。。。
木曜日, 6月 11, 2015
25冊目2015(211)
美味しんぼ 111 (ビッグコミックス) コミック
雁屋 哲 (著), 花咲 アキラ (イラスト)
小学館 (2014/12/10)
第110巻からの続きでここにその感想も載せました。基本的にはそこで記した感想と同じです。
読んだ本・その26(169)
だだ、この111巻には話題になった鼻血の回が含まれているということ。この件に関してなどを含め今回感じたものを記そうと思う。
魚介類や農作物のモニタリングによって検出される放射能の強さ。基準値以下でも消費者は買ってくれないと。もちろん食事に関しては内部被爆になるので、ここの判断があってよいと思うんです。
でも、放射能以外の食品添加物の存在などに気を配らないで放射能だけを槍玉に挙げるという態度は改めるべきなのでは?なんて僕は思います。
正しく恐れるという行動をとるためにすべきこととは何か?
そして、それを踏まえた上で各人が決めた行動は尊重しないといけない。
かつ何が出来るか考えること。福島は日本の一部にしないで受け入れること。
時間軸はリアルタイムと平行しているので2013年とかでこんなにも問題がまだあるのかという現実。そして、それを知らない人のほうが多い。
ツールが漫画であれ、この福島の真実というシリーズがあったことはとても意義があったと思います。
最後に、鼻血に関して。
この取材を通じて取材班(このシリーズに関わった人たちも)は何度も福島に入り、立ち入り禁止区域や福島第一原発敷地内にも入っている。そして末巻の資料にも双葉町民の健康被害に関してなされた調査報告の資料も載せている。ここで身体のだるさや鼻血などの症状の報告について触れている。
もちろんだから全てが真だとは言いません。でもこれらのことを踏まえたら鼻血の描写があっても何の差支えが無いと思うのは僕だけかなと。
報道した側・非難を向けた人たちはここの取材班並みに現地に入ったのって?
ここまでのプロセスを理解しないで、単に一つのことでワーワーいう。こういった態度1つ1つに復興が進まない現状や昨今議論されていることに対する反応が映し出されているのではなんて思ってしまいます。
僕自身震災以降日本に帰っていないしその空気感を肌で感じることは出来ていない。それは圧倒的な発言のウイークポイントであると思う。でも、それ知るために努力も何もしない日本に住んでいる人たちより何かを言うことは出来るんじゃないかなと。
これからも何らかの形で支援・関心を維持したいです。まずは日本酒でも買いに出かけよう。
雁屋 哲 (著), 花咲 アキラ (イラスト)
小学館 (2014/12/10)
第110巻からの続きでここにその感想も載せました。基本的にはそこで記した感想と同じです。
読んだ本・その26(169)
だだ、この111巻には話題になった鼻血の回が含まれているということ。この件に関してなどを含め今回感じたものを記そうと思う。
魚介類や農作物のモニタリングによって検出される放射能の強さ。基準値以下でも消費者は買ってくれないと。もちろん食事に関しては内部被爆になるので、ここの判断があってよいと思うんです。
でも、放射能以外の食品添加物の存在などに気を配らないで放射能だけを槍玉に挙げるという態度は改めるべきなのでは?なんて僕は思います。
正しく恐れるという行動をとるためにすべきこととは何か?
そして、それを踏まえた上で各人が決めた行動は尊重しないといけない。
かつ何が出来るか考えること。福島は日本の一部にしないで受け入れること。
時間軸はリアルタイムと平行しているので2013年とかでこんなにも問題がまだあるのかという現実。そして、それを知らない人のほうが多い。
ツールが漫画であれ、この福島の真実というシリーズがあったことはとても意義があったと思います。
最後に、鼻血に関して。
この取材を通じて取材班(このシリーズに関わった人たちも)は何度も福島に入り、立ち入り禁止区域や福島第一原発敷地内にも入っている。そして末巻の資料にも双葉町民の健康被害に関してなされた調査報告の資料も載せている。ここで身体のだるさや鼻血などの症状の報告について触れている。
もちろんだから全てが真だとは言いません。でもこれらのことを踏まえたら鼻血の描写があっても何の差支えが無いと思うのは僕だけかなと。
報道した側・非難を向けた人たちはここの取材班並みに現地に入ったのって?
ここまでのプロセスを理解しないで、単に一つのことでワーワーいう。こういった態度1つ1つに復興が進まない現状や昨今議論されていることに対する反応が映し出されているのではなんて思ってしまいます。
僕自身震災以降日本に帰っていないしその空気感を肌で感じることは出来ていない。それは圧倒的な発言のウイークポイントであると思う。でも、それ知るために努力も何もしない日本に住んでいる人たちより何かを言うことは出来るんじゃないかなと。
これからも何らかの形で支援・関心を維持したいです。まずは日本酒でも買いに出かけよう。
りあ充ってやつ!?
ほとんどの本はアマゾンで買ってこっちに送ってます。
その履歴から興味深い本が出てきて、ついついカートに保存してしまいます。
あとはメディア等で取り上げられた本などからの派生。
そして、興味の湧いたモノに関連したキーワードの検索から。
こうやって買う本が絞られていきます。それで十分多岐にわたる本を選べてると。
先日こちらにある紀伊国屋書店に行きました。アマゾンで見かけた本や聞いたことある本などが並んでいます。
そんななかで何これって出会う本たち。僕の上記のサーチによってまず出会うことがないであろう本が現れます。そして手にとって「おもろそうやな」でお買い上げ。
それがこの投稿の前に書いた2冊(23-24冊目2015(209-210))なのです。
アマゾンで出会うランダムもあれば本屋に足を運んだ事で起きるランダム。
どちらが記憶に残るかとなるとやっぱり後者だろうと。
こういった原体験の大切さをまさに予想外のところから学んだ事実。
ちょっとニヤリって感じですね!こういったことがあるから人生はおもしろくなっていくだろうって。
元気でましたよ!
だから今日も飲みに出かけるのです!!言い訳やん!!
その履歴から興味深い本が出てきて、ついついカートに保存してしまいます。
あとはメディア等で取り上げられた本などからの派生。
そして、興味の湧いたモノに関連したキーワードの検索から。
こうやって買う本が絞られていきます。それで十分多岐にわたる本を選べてると。
先日こちらにある紀伊国屋書店に行きました。アマゾンで見かけた本や聞いたことある本などが並んでいます。
そんななかで何これって出会う本たち。僕の上記のサーチによってまず出会うことがないであろう本が現れます。そして手にとって「おもろそうやな」でお買い上げ。
それがこの投稿の前に書いた2冊(23-24冊目2015(209-210))なのです。
アマゾンで出会うランダムもあれば本屋に足を運んだ事で起きるランダム。
どちらが記憶に残るかとなるとやっぱり後者だろうと。
こういった原体験の大切さをまさに予想外のところから学んだ事実。
ちょっとニヤリって感じですね!こういったことがあるから人生はおもしろくなっていくだろうって。
元気でましたよ!
だから今日も飲みに出かけるのです!!言い訳やん!!
水曜日, 6月 10, 2015
23冊目2015(210)
春画に見る江戸老人の色事 (平凡社新書) 新書
白倉 敬彦 (著)
平凡社 (2015/1/17)
タイトルが示唆するように春画を解説していきます。
そこでおもしろいのは春画はフィクションであると言う点。エロ小説みたいなものです。でも、小説には時代背景が色濃く反映するので解説が可能になるわけで。現代の子が20年ほど前の小説読んで「携帯電話使えばええのに。」と思うそれがミソ!みたいな。
読み進める中で変な描写だったリがあったりすのです。完全なエロを目的としているのなら萎えるような。
ストーリー性とかとは違った描写が。そこの解説がふーーんとは思うのですが、そういったものなんかないなと。
最後の解説をよんでなるほど納得!どちらかというと笑いのために使われたツールの一つであったと。
そこに描写される老爺や老婆の姿。なるほどと。
この点に関しては最後にしてやられた感じでとても勉強になりました。使用目的の理解。
どんな文化やトレンドにも大事です。
かといって全てが全てそうではなかったのも真理でしょう。
現代のエロビデオ。熟女ものや爺さんの男優さんもいるわけで。
読んでいる途中は現代のポルノはようやく昔に追いついた!?なんて思ってました。
規制と自由と時代とテクノロジーの相互作用ですね。そんな視点で色んな物事の歴史を辿ると違うレイヤーが引けるかも知れないと思いました。
最後に。この本が世に出たのは今年の1月。そして筆者は昨年10月に他界されていたのです。
その事実を知る前まで、文体がなんか上からというかドライだなと思っていたんです。
そう書いている筆者がここで描かれる老爺的立ち位置であり、自分を観て出てくる言葉もあったのだろうと。そうするとまた文体の謎も腑に落ちたのでした。
この読書体験はちょっと得がたいものなりました。筆者・白倉さんへ感謝です。そして、ご冥福を心からお祈りする次第です。献杯。
ってまだ今日は飲んでませんが。。。
日曜日, 6月 07, 2015
22冊目2015(209)
なぜ世界でいま、「ハゲ」がクールなのか (講談社+α新書) 新書
福本 容子 (著)
講談社 (2014/8/21)
僕は基本的にこういったモノの見方がたまらく好きなので楽しく読みました。ただアマゾンの星は低いです。敢えて言及。
僕は祖父も親父もその毛ではなく"気"のある家系なので、この問題のある意味当事者かもしれない。
まえまえから感じていた事、自分が当事者になったらこうありたいと思っていたことは間違っていなかったと思ったのが読後感です。
それは「ハゲを受け入れる」こと。
潔さって素敵であり、素直であることや受け入れることって良しとしません?それに比べて、往生際の悪さや無駄な抵抗と言った意地を張るのはイメージよくないでしょ。一般的にね。
お題は「ハゲ」なのですが、これは髪型とか服装とかといった外見の本質、それも物理的に制限のかけられた身体へ出来事に対しての向き合い方の指針と言っていいと思うのです。そう言った一般的な人が人をジャッジするという前提での。
誰しもよく見られたいし、格好良く振る舞いたいんです。
突きつけられるのは自分が思ってるイメージと世間の抱くイメージ・世間体ってやつと時代のトレンドとの差です。その狭間でどう振る舞うかの選択の問題なんだと。
そこに迷うからこそビジネスが発生するんです。本書に「髪の文化人類学」や「ハゲノミクス」と言った項が入ってることの意義です。僕はなるほど思いましたよ。
ハゲだ差別だとか言うのではなく、人間は老いるもの。経済はそんなことでもズカズカ儲けの種にすることを忘れないという前提で、「起きたことの中でかっこよく生きる」という術。ファッション誌の役割にも言及したり。その見方で言えば至極全うですよ。
P194に出てくる「失った機能を数えるな、残った機能を最大限に生かせ。」
これなんて納得そのもですよ。清潔とか前向きとか。そこに文化や宗教とか規則とかを知ったうえでの立ち居振る舞い。
人は素敵になれるんです。格好良く生きれるんです。小さいことでくよくよするな!
そして、そんなことでしょうもない評価を下さないカルチャーが本流となればいいね。
それが起きていると感じる現代。
最後は帯に書いている言葉を。。。
「潔い!!」
「もう一杯!!」
(6/8/2015少し修正しました。)
福本 容子 (著)
講談社 (2014/8/21)
僕は基本的にこういったモノの見方がたまらく好きなので楽しく読みました。ただアマゾンの星は低いです。敢えて言及。
僕は祖父も親父もその毛ではなく"気"のある家系なので、この問題のある意味当事者かもしれない。
まえまえから感じていた事、自分が当事者になったらこうありたいと思っていたことは間違っていなかったと思ったのが読後感です。
それは「ハゲを受け入れる」こと。
潔さって素敵であり、素直であることや受け入れることって良しとしません?それに比べて、往生際の悪さや無駄な抵抗と言った意地を張るのはイメージよくないでしょ。一般的にね。
お題は「ハゲ」なのですが、これは髪型とか服装とかといった外見の本質、それも物理的に制限のかけられた身体へ出来事に対しての向き合い方の指針と言っていいと思うのです。そう言った一般的な人が人をジャッジするという前提での。
誰しもよく見られたいし、格好良く振る舞いたいんです。
突きつけられるのは自分が思ってるイメージと世間の抱くイメージ・世間体ってやつと時代のトレンドとの差です。その狭間でどう振る舞うかの選択の問題なんだと。
そこに迷うからこそビジネスが発生するんです。本書に「髪の文化人類学」や「ハゲノミクス」と言った項が入ってることの意義です。僕はなるほど思いましたよ。
ハゲだ差別だとか言うのではなく、人間は老いるもの。経済はそんなことでもズカズカ儲けの種にすることを忘れないという前提で、「起きたことの中でかっこよく生きる」という術。ファッション誌の役割にも言及したり。その見方で言えば至極全うですよ。
P194に出てくる「失った機能を数えるな、残った機能を最大限に生かせ。」
これなんて納得そのもですよ。清潔とか前向きとか。そこに文化や宗教とか規則とかを知ったうえでの立ち居振る舞い。
人は素敵になれるんです。格好良く生きれるんです。小さいことでくよくよするな!
そして、そんなことでしょうもない評価を下さないカルチャーが本流となればいいね。
それが起きていると感じる現代。
最後は帯に書いている言葉を。。。
「潔い!!」
「もう一杯!!」
(6/8/2015少し修正しました。)
金曜日, 6月 05, 2015
リズムとリズミカルと音感のケミストリー
高校野球漫画の名作ドカベンに最近はまっています。
観ていた当時から好きだった登場人物、ずらずら殿馬ずら。
秘打・白鳥の湖が有名なように、音楽が彼にとってのキーワードになります。
ある回で打席に入った殿馬がいつものように投手のリズムを取ろうとした時に言った言葉
「こいつはリズムがバラバラずらよー。きっと音痴に違いないずら。」
他の回では
「やつの球は4拍子ずら」
おもろい!!ビビビと来ました。
スポーツにリズムはあってしかり。それ何拍子とかで表現する。なかなか面白い視点だなって。
先日TEDxの地元のイベントに参加しました。
どのトークも個性的で示唆に富みつつ感動と感激を与える。脳みそがくたくたになりました。
ある一人のスピーカー。彼はミュージシャンで自分の過去に受けた差別的な経験を歌にのせというよりリズムに乗せ歌いました。
ラップと言えばそれまでになってしまう。
僕にはもっともっとリズムと表現と言う深いモノを感じました。
表現の中にpolitical correctnessといったフレーズが入ってくる。そうですよね、だって彼の訴えや想いは難しいissueに対してですから。
でもそんな言葉をリズムに乗せるとすっと身体に入ってくるんです。
浪曲が昔は政治的演説としての役割を果たしのが腑に落ちます。
人に届けるためのメッセージが乗ったリズム。パワーを思い知りました。
漫才やトークにもリズムがあって、スポーツにも人に訴える言葉にもリズムを見いだせる。
サイエンスにリズムを。遺伝子・タンパクの流れにもリズムを。
いや、
サイエンスにリズムが。遺伝子・タンパクの流れにもリズムが。
そのビートを殿馬のように「4拍子ずら」とTEDのスピーカーのようなビートで伝えれたら。
聴覚と音楽の底力に唸らされたついこの頃でした。
今日のビールは少なくとも2-pintsのラップだぜ!!
cheers!!
観ていた当時から好きだった登場人物、ずらずら殿馬ずら。
秘打・白鳥の湖が有名なように、音楽が彼にとってのキーワードになります。
ある回で打席に入った殿馬がいつものように投手のリズムを取ろうとした時に言った言葉
「こいつはリズムがバラバラずらよー。きっと音痴に違いないずら。」
他の回では
「やつの球は4拍子ずら」
おもろい!!ビビビと来ました。
スポーツにリズムはあってしかり。それ何拍子とかで表現する。なかなか面白い視点だなって。
先日TEDxの地元のイベントに参加しました。
どのトークも個性的で示唆に富みつつ感動と感激を与える。脳みそがくたくたになりました。
ある一人のスピーカー。彼はミュージシャンで自分の過去に受けた差別的な経験を歌にのせというよりリズムに乗せ歌いました。
ラップと言えばそれまでになってしまう。
僕にはもっともっとリズムと表現と言う深いモノを感じました。
表現の中にpolitical correctnessといったフレーズが入ってくる。そうですよね、だって彼の訴えや想いは難しいissueに対してですから。
でもそんな言葉をリズムに乗せるとすっと身体に入ってくるんです。
浪曲が昔は政治的演説としての役割を果たしのが腑に落ちます。
人に届けるためのメッセージが乗ったリズム。パワーを思い知りました。
漫才やトークにもリズムがあって、スポーツにも人に訴える言葉にもリズムを見いだせる。
サイエンスにリズムを。遺伝子・タンパクの流れにもリズムを。
いや、
サイエンスにリズムが。遺伝子・タンパクの流れにもリズムが。
そのビートを殿馬のように「4拍子ずら」とTEDのスピーカーのようなビートで伝えれたら。
聴覚と音楽の底力に唸らされたついこの頃でした。
今日のビールは少なくとも2-pintsのラップだぜ!!
cheers!!
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