月曜日, 12月 31, 2018

2018閉店ガラガラ

今年最初の投稿の主たる部分をそのママまずは掲載したい。

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2018年
100%言える事。

変化と適応

これから起こりうる未来がどのようになるのか予測できないけど、描いている理想と向かい合う(会う)であろう困難、そして試される適応能力。

今のところ、個人的に調子の上がらない傾向が強い年明けの中「ついてる」と思えるラッキーを回収できてるので、求めず自重しつつ最大限のアクティビティーを出せるように。

なので今年の目標は
年末に何とかなったなー!って遠い目で笑いながら酒を飲めるようなマインドセットで過ごす。

難しいけど簡単。なせなら気持ち次第。
簡単だけど難しい。なせなら心が折れるかもしれないから。

センサーを張り巡らせて酒の助けを求めつつ向かい合いますか!One more beer please :)
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結果なんとかなったなーと思う。
でも、ここまで思うように事が進まないとは思ってなかった。
あとマーケットにおける自分の評価と足りないことを露骨に知れた事は今後の財産だと思う。

七転び八起きとは言うが、転んだ時点で何かとプラスにこじつけれた。
その都度その都度、期待をエネルギーをもって向かえた。
上手くいかない時の向かい合い方はかなりがんばった方だった。
よくもまぁ、心が折れなかった。  

そして人生の中で人の暖かさや有り難さが身に沁みました。
僕らしく生き抜こくことの中から恩返しを必ずしようと思います。

2018年。忘れられない一年になりそうです。
2019年。好きになれるように努力します。
ありがとう!  

木曜日, 12月 13, 2018

2018年35冊目(328)

多動力 (NewsPicks Book)
堀江貴文  (著)
Kindle版・幻冬舎 (2017/5/26)

一つ前に読んだの乃が美の阪上さんの本と根底の所では同じマインドがこの本には詰まっていると思う。実際に、ここで書かれていることは僕自身が意識してたり目指したいと思っている考え方でもあったりする。なのでとてもおもしろく読んだ。

注意すべきは「ホリエモン語録」でもあるということ。ホリエモンが言いたいことをしっかり咀嚼しないと現代社会の荒波の中でもみくちゃにされて「こんなはずじゃなかった」「言ってたのと違う」ってなると思う。本の中にある質問力と同様に読解力が必要になると思う。

1から100を目指すには抜群な考え方だと思う。面白い点は堀江さん自身が「おもしろさ(0から1)」を求めで多動であるという事なのかもしれない。

どうやねんって思う人もいるかも知れないけど、如何せん服役という状況下でもやってのけた実績がエゲツない説得力だと僕は思う。
まぁ、言いたいことをまとめてみるなら。。。ここで一曲聞いてください。反町隆史・POISON(実際、ドハマリな気がするのは僕だけかもしれないが。。。)

水曜日, 12月 12, 2018

2018年34冊目(327)

奇跡のパン 日本中で行列ができる「乃が美」を生んだ「超・逆転思考」 単行本
阪上 雄司 (著)
KADOKAWA (2018/11/19)

筆者は言う「無知こそが原動力だった」と。確かにパンを焼くというパン屋としてはゼロからだったと思う。しかしビジネスという意味ではイチからだった。

作るべきもが明確にイメージできて、それを具現化するための問題点を捉え試行錯誤できる忍耐力。たとえそれがどんなに無謀に見えたり常識を逸することだったとしても。そして、決めた山に向かっての登り方を過去の経験をもとに体現できたからに違いないのだ。人の出会いなどの運も引き寄せれるのも才能だとも思う。

このゼロからに見えて実はイチから。このゼロとイチの間に横たわる大きな違いに気づけるか。イチに気づかすゼロと思っている人。イチと思い込んでいるゼロの人。人に歴史ありです。そして歴史というか道は延びる。イチを百まで続かせる事への挑戦。

あー、もっと必死に取り組まなと思わせてくれました。
ほんで、ホンマにこのパン美味しかった。このストーリーを踏まえてまた食べたいっす。次回は恵方巻きのようにかぶりつたる!!!下品でスンマヘン。。。

月曜日, 12月 10, 2018

2018年33冊目(326)

21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ
佐々木俊尚  (著)
Kindle版

僕は左翼とか右翼とか言った分け方が時代が価値観が多様化した時代背景にあってなくて、保守とかリベラルというのも簡単に括れるものでは無くなってきていると思っていました。

この本は政治的な考え方を歴史から振り返って現代に求められるべき主張というより立ち位置を浮かび上がらせていこうという試みに見えました。その過程で国家とは愛国とは自由とはを考えていきます。
読中読後に思ったのは、今まで真剣に過去の主義主張で起きた出来事の良かったところ悪かったところを顧みて次につなげる作業ってほとんど出来てないなという事。
反省する。傾聴すして主張する。議論の基本のないいがみ合い。セロサムでしか考えられない人間の性とでもいうのでしょうか。その中途半端の上に新たな出来事が起きる繰り返し。戦勝国の反省と戦国の総括から次が握手をすることでフラットにできるのではないかと。
仏教的な無常さ。明日は我が身であること。その認識。まず立ち止まって考える。そのためにこの一冊はタイトルの通りの優しいリアリズムだと思います。

そして今回初めてkindle版で電子書籍として読みました。僕は紙の本派ですが、以前自分がここで可能性を見出した読み放題のシステムを使ってこの本に出会いました。
まさしく、この本のリアリズム的な使って見て考えるを実行できたので余は満足です。
使い放題は可能性の解放。飲み放題は金欠時の神オプション。間違いない!

火曜日, 12月 04, 2018

M-1 2018がおわってしまったぞー!

M-1は霜降り明星の優勝で幕を閉じました。最年少のチャンピオン、おめでとうございます!

テレビをライブで観た後にABCラジオの放送を聞いて、その他もろもろの番組やラジオも拾いながら、もうしばらく余韻を楽しめそうな今日この頃。

今回特に感じた事を残しておこうと思います。
笑わせるという事実と笑わせる技術。ラーメンで言うと味と量みたいな。この2つのバランスの難しさ。これに尽きると僕は今回想ってます。
おいしさ重視と言いつつやっぱり量が気になったり、量がと言いながらもおいしさにこだわったり。満足感か満腹感ともいえるかな。志らく師匠のジャルジャルへのコメントがその一端なのかもと思います。

この量にあたる笑いの量が現場のスタジオでしか体感できない分、テレビで見ている感想との小さな感覚の差を生んだ気がしてなりません。去年はその量が分かりやすいお客さんだったのかなと。たぶんABCラジオの放送を聞いてラジオの方が観客の受け具合がよく伝わってきたのがテレビを見てなんかしっくりこなかった謎をクリアにしてくれました。

あと、えみくじが今回はかなり演者さんをかき回した気がします。順番の妙。でもこれもネタの選択と同じく運の部分。それを味方に付けたから霜降り明星は優勝したんだろうなーって。

これらの要素は日常生活や色んな分野でも当てはまると思うので何とも深いM-1に今年はなりました。

ここからおっさんの戯言。
しがないおっさんの採点表では「かまいたち」が良かったんです。
プラスマイナス来てほしかった。
和牛の2本目は僕にはまるで寓話や童話のような深さを感じた。
一つのコンビにだけ僕は言及したい。ゆにばーす!来年の革命をみせてくれー!

演者・審査員・すべての関わった皆さんお疲れ様でした。楽しい時間をありがとうございました!!あと最低2回は観直すんやろうな。。。

日曜日, 12月 02, 2018

M-1 2018がはじまるぞー。。。!!!

まだ放送までまだ時間あるのに緊張してます。。。
何年ぶりに日本でリアルタイムでみるドキドキ。。。
楽しみやし怖いっす。。。

しがないおっさんの独断による直感予想です。
これは何となくしとかんと。

1:かまいたち
2:和牛
3:敗者復活(プラスマイナス)

伸るか反るか。選ばれた・耐えた10組は日本一の漫才師だと僕は思います。
予想は当たろうが外れようが関係なく、たくさん笑いたい。
運を引き寄せて勝ちを掴んでください。素直に笑って感動して共感してお祝いします。
漫才最高!!Good luck :)

金曜日, 11月 23, 2018

ひ・み・つ

新しいもの発表する時、それは世の中の人に知れるとき。
練習の必要でその過程を経るものもあれば、思い浮かべたアイディアを実践で試す時が本番の時もあると思う。

棋士・羽生善治名人が2006年のNHK・プロフェッショナルの中で、初めて使う手を森内名人との対局で使い勝利を収めた。その後にこの手はもう通じないと思いますと語っていた。

僕がラクロスをしていた大学生時代、公式戦で使うフォーメーションや作戦を練習し時に練習試合言う名の実践で試したりする。練習試合の相手は試しても影響のない相手だ。だから、どこと試合してるとかは相手がスカウティングしに来ることもあるので秘密だったりするだろう。実際に当時なんてどうやってそんな情報を得るかなんて限られている。だから時に仕入れた情報を元にスカウティングにうちにチームとして出かけて行ったことがあったような記憶がある。

それを思うと、今の時代はそんな「練習試合などで試すこと」は果たしてどこまできるのだろうか。個人や団体として情報をSNS上がったりして見つけ出すことはそこまで難しいことではないように思える。それが組織としてしっかり専用の練習場など囲い込みが出来てない限り。

そんなことを思いながら、この世で最初に披露するし「ぎゃふん」と言わせることは個人でない場合に現在どこまで可能なのかな。

何かを作り出すことって意外な面で難しさがあるなと思ったのでした。
これは秘密でない秘密のアッコちゃん!!この一文は忘れてくれー。。。

水曜日, 11月 21, 2018

2018年32冊目(325)

スター・ウォーズによると世界は 単行本
キャス・R. サンスティーン  (著), Cass R. Sunstein (原著), 山形 浩生 (翻訳)
早川書房 (2017/11/21)

常々サブカルチャーは時代を反映するものだと感じてきた。それは作品群がどのような影響を受けたかを時代の変遷と重ねながら論考する色んな本を読んできたからだと思う。ウルトラマンや仮面ライダーシリーズなどを扱った本。食文化やアニメなどに関するのもあった。
そんな中、継続する作品として長きに渡り(現在も進行形で)世代を超えて語られるこのスターウォーズに関するこの本は正直他とは違う印象を感じた。

著者がこの物語の面白さや深さをあの手この手と多角的に解釈してゆく。マーケティング、政治経済、憲法論、文化論に道徳・宗教・家族論。逆にスターウォーズを使っていろんな出来事の理解にも使うという。となんとも守備範囲が広い。大谷選手ではないがまるで投げても打ってもである。メタファーにアナロジーに。隠喩的な解釈の仕方が多彩にできてしまうのだ。はじめに(P15)にある「スターウォーズは現代の神話である」というのがそれの象徴かも知れない。

現代の政治状況を理解するにはとて良い教材のように僕は感じた。トランプ大統領は生まれてしまったダースベイダーなんて視点で話を書けそうだし、実際に本の中ではレーガン革命や2008年のオバマ陣営の選挙戦をスターウォーズで説明しているし、実際なるほど思って読んだ。

ではジョージルーカスが最初からこの神話をすべて書いたのか?そこがミソで
ある。最初の構想がよかったのは間違いないが、よいオチに沿ってストーリーが膨らんでいった側面も間違いなくあったと思う。まるでお題に応える大喜利のように。だからこそ人々はこの話で「ああだったら」と2次創作で楽しむこともできるのかもしれない。

ここまで来て何が言いたいかと言えば、スターウォーズすげー!って事ではない(すごいのは事実やけど)。
最初のエピソード4が公開されたのが1977年。そして最新作は2017年。伝統を守りつつ最新の技術を加えながら40年も続く話だからそれだけ接点があるのだろう。かつ時代も廻ってきたんのだろう。

こんなモノを今後どうやって作るか。今後も残すか、いや残せるか。
商いにも研究にも創作にも文化にも応用できるのではないかと。物語や理念など言われるがそれは作るのか生まれるのか。そういった視点に目を向けるために今一度スターウォーズなのかもしれない。僕そう思ったのだ。
敢えて言うと、今も続いているキン肉マンは日本のスターウォーズなのかもしれないと思ったの事を最後に加えておきたい。

一日で全話コンプしたいけど飲みながら観たくなると思うと。。。
僕にフォースを!!

火曜日, 11月 13, 2018

筋力と有酸素と体重

テクテク歩くことが多いついこの頃。ラップトップや本などがガッチリ入ったリュックを背負って日常歩いてますが、家に帰ってまたは出かける前にテクテク歩きに行くことも。最近は後者の場合は軽い鉄アレーを持って歩いています。

この鉄アレーwalkingの際に思った事「歩くって結構腹筋を使ってるなー」って意識が出来て、やっぱり走るって全身使うことになるのかなどつらつら考えていました。そこで、今日はしっかり走ってみようと。
歩くときに負荷をかけてくれた鉄アレーにありがとうを告げ走り始めて数分。なんじゃこら、全く負荷を感じない。
さらに数分、息は切れ汗は流れ、走ってる感は満載なんだが全く負荷を感じない。
さらに数分、あの負荷は鉄アレーあっての事で歩く・走るの行為では発生しなと認識。
Uターンして帰宅。鉄アレーを手に取り走らずに歩く。
おーーーなるほど!!負荷あるやん!!

そして歩きながら色々考えた。

体重が重い人のダイエットはジムに通って筋トレに励んだりハーハー息を切らせながらランニングなどせずに、せっせと歩くだけで十分よいのではないかと。
体重の重い人が仮にやたせた人と同じ筋力だったとしたら、歩くだけでやせてる人より何十キロという負荷を乗せて歩いているのと同じだろう。それは息も切れるししんどいに決まってる。
50キロの人に50キロ持って歩くけ!と言ったらもう少し軽いのからでええんちゃうとなるが、その50キロがそもそも肉体に備わっていたら(肉襦袢みたいなものだ)どうもこうも無い。

体重が減り筋力に変わっていくある時点にきっと肉体的に最適解があるんだろう。それ以降は、筋力に見合った負荷が必要になるから。
それでいくと、筋力のない痩せた人がジムに通うのが一番理にかなっているように思う。最適解としては、多少歩くといった程度の日常の活動に過度の苦痛が無い人は軽くジム通いで良いのかもしれない。
走らんでも歩くだけで十分に自分の身体を知れそうだ。さっきの体重の重い人ではないが下手に走って膝を痛めたなんて愚の骨頂なのかもしれない。

いや、おっさん!!鉄アレー持って走れよ。。。あ、ホンマですねー!!

水曜日, 11月 07, 2018

2018年31冊目(324)

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界 単行本
スコット・ギャロウェイ (著) 渡会圭子(訳)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

僕はこの本を読んで全くぞっとしなかった。でも人によってはそうなのかも知れない。そして、その中に情報流出とかプライバシーが言ってる人がどれぐらいの割合なのか知ってみたい。

便利とはなんなのか? タダより安いものは無いし、無料という言葉に弱いのは人間の性である。その場合「質」に文句をつける人はいない。だってタダだから。その態度は実際に正しいのだろうか?
この本で4騎士とされる企業のもをこの世の中で一回も使ったことない人はどれだけいるのだろう。実際にいると思う。ただその人たちは一度どれかに触れた時点で0度以下で静かに冷やされた水が刺激で一気に氷るようにように、この四騎士に取り込まれてしまう気がする(リーチすると言えばカッコいい)。
それぐらい当たり前に日常に溶け込み(ユビキタスといえばカッコいい)、便利という名で色んなモノと紐づけされてる(ネットワーク化といえばカッコいい)現状を認識しないといけない。防犯カメラによる監視社会どころの話ではない事を。でも誰も多くを語らない。なぜなら、便利だし無いと困るからだろう(社会のインフラとなるとカッコいい)。
僕はテクノロジーに取り込まれていることを受け入れている。だからぞっとしなかった。けど改めてその使い勝手に(ユーザーインターフェースといえばカッコいい)躍らされて、便利さを安心感のように感じ使っている(ロイヤリティと言うとカッコいい)使いこなしている。

そして、現実に使いこなしている姿はクールでカッコいいのだから仕方がない。

ドラゴン桜で桜木先生は「搾取されたくなかったらルールを作る側になれ」といった。
これは搾取とは思わない。でも搾取みたいなものだとは思う。
で、ルールを作る側になるには今のルールを知る必要がある。だから、言えるのはぞっとせずに読んだ方が良い。もう遅いから。使いこなしてるのでなくシステムに取り込まれ飼いならされストロー効果のように自分の利便性以上の果実を吸われているかもしれない事実を知るべきだ。本の中でもあるが親や恋人や友人よりも自分の欲望や好奇心に満ちた言葉を受け入れて答えているのは四騎士で、彼らは僕をよく知っている知りすぎているんだ。ああ恥ずかしい。

実際にルールを作った人たちは「出来ないであろうことを、創造し表現し口にして無理と思わず実行した」から出来たのだ。絶望と希望は紙一重なのかもしれない。僕は希望と楽しさに乗っかりたい。そして可能な限りこの便利さを使いこなすしのが、せめてもの抵抗だと思う。
あ、忘れてた。4騎士は酒飲めない!その点で勝ったちゅーねん。。。

木曜日, 11月 01, 2018

2018年30冊目(323)

空間へ (河出文庫) 文庫
磯崎新  (著)
河出書房新社 (2017/10/5)

最近てくてく歩くのだがふと自分の生まれ育った地区を歩いてみようとぐるりと回った。当時あんなにも大きく感じた街は今の僕の視線と歩幅では容易に歩ける町だった。地震と台風のせいでビニールシートが掛った屋根、補修中の家、人の気配の無いボロボロの長屋などが思ってる以上に多くて驚いた。近所の家々も売りに出たり解体して更地への作業中だったりこの災害の大きさを感じた。そして、思った。日本ではヨーロッパのようなリノベーションは向いていない。木造と石造の根本的な違いを痛感した。耐久性・解体性・可燃性の差。それは先日ベルギーの石畳と城壁の残るの町並みを実際に歩いたから余計にである。そしてこの本の「世界のまち」を歩く前に読んだからこそ注意深く街を観察できたのだと思った。

建築やデザインに関してずぶの素人の感想なので何とも言えないけど、この本は終盤の「年代記ノート」からが筆者の胸の内を感じる醍醐味であると思う。
ただ、1960年から始まる記述の中で感じたのは、焼け野原となった(あえて上の言葉から言えば焼けたから生まれた)日本の中に蠢くエネルギー的なものと街・都市の持つ空気感があるからこそ建築論の面白さや深さが生まれたのかなと。

僕には記されている論や考察など今の時代の話として十分に語られ議論されても良いような内容に感じた。ただ広告の看板・電気エネルギー・モータリゼーションという部分が時代なのかもしれない。看板はサイバーに、自然エネルギーや省エネといったクリーンという議論(快適な生活の基礎を支える必要な不可欠な電力需要の話が全く議論にならず語っていることが僕には馬鹿らしくて仕方ないが。。。)、カーシェアリングや自動運転に車を持たない世代へと、建築やデザインの対象となる存在は変化しているのかなって。

今も当時も同じような「混沌とした時代の空気感」があるように思うし、建築やデザインへの期待やエネルギーを僕には感じる。けど、成長してゆく都市と成長しきった都市というベースの違いが大きな差かもしれない。今こそタイトルある「空間へ」なのかもしれない。

今の日本は木造だったから作れたんだと。古い街並みを残すことにヨーロッパの事例を引き合いに出すのは実は間違っているのだと。で、今の日本のビル群は木造的に捉えるべきなのか石造的に捉えるべきなのか。おもしろい観察対象ができました。
この新たな認識を持てた事は僕にとって新たな建築でありデザインとなった!!!なーーんて、言うてみた。。。

木曜日, 10月 25, 2018

結果に至るまでに

今年のワールドカップの日本対ベルギー戦の2失点目。あの失点に至るまでに小さいミスが重なっていた。まず中盤で長谷部選手のパスが香川選手に当たって相手ボールに、その後のこぼれ球を乾選手がクリアするも外に出しきれずフィールド内にボールが戻り相手ボールに。そして失点。小さいパスミスとクリアミスが続いてしまった。

ドーハの悲劇の最後の失点。NHKの番組でラモスさんが今でも悔いていると言っていたパスミス。ボールキープするか近い距離の安全なパスを選択できたけど、再度を走る選手に出したパスが相手に奪われルーズボール。そこからあの失点へ。

2つとも不用意な中盤でのミスから。だからパスミスをしてはいけないと言うのではない。
結果に至るまでに小さい積み重ねが成功にも失敗にも関わってくるなと。

色々と思い悩む現在。小さい決断を重ねていかないといけない状況でふとこの2つの事を思い出して、今の自分に投影したのでした。リスクをとる所、安全に進む所、しっかり事後処理やケアをする所。よいアウトカムにするために。AIのように頼むで僕の脳みそ!

土曜日, 10月 20, 2018

枠の内側と外側

先日たまたま単行本のゴルゴ13を手に取って読んだ。

僕はアメトーークのゴルゴ13芸人で興味を持ち、アニメとして放映されたゴルゴ13をほぼ全部見た。あまたある単行本は機械があれば手に取るという、ここ数年にファンになったニワカである。

その単行本のある一話を読んでいる途中で「あ、これはアニメで観たやつや!」と気付いた。そしてアニメで観た本編はその回の終盤の話であった。
あの話が始まるまでにこんなにバックグラウンドがあって、しかも濃い国際情勢の話が広がっていたなんて。

原作のドラマ化やアニメ化。その原作を忠実に再現しているものはどれだけあるのだろう?もちろん構成上難しいのもあるであろう。だがそれは言い換えれば、文字を脳内で変換する作業への敗北なのかもしれない。

最近は興味の関係か海外の本が翻訳されたのを読む。ただ英語なら原著を読めないわけではない。一度その原著と訳書の2冊を読み比べることをした本がある。「本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間」である。先に日本語を読んで英語版を読み始めた。この本は本の構成上比較しやすいものだったので、かなり原著の通りで英語の表現を学ぶことが出来た。でも、たぶん2/3ぐら読んだ段階で興味を持った友人にあげてしまった。

原著・原作を手に取り読む。この意識は忘れてはいけないなと思ったのでした。それに呼応するように、ある質問を受けて過去の文献にあたる機会を得たのは偶然だったのか必然だったのか。過去に戻って訊いてみよう!趣旨が変わってきた。。。

金曜日, 10月 12, 2018

阪神タイガースと財務省

金本監督の退任が決まりました。僕としてはあと一年は勝負させてほしかったなと。
采配云々はあると思う。でも生え抜きの若手の数は出てきてるし、正直今年はシーズン前に予定していたであろう打線の軸が全く機能しなかったのは多いな誤算であっただろうし。

これはトップの問題なのかシステムの問題なのか。僕はなんとなく後者の問題がする。阪神戸とい球団の持つ体質というか癖というか。

財務省の文書改ざん問題。あれは改ざんがなぜ起きたかの方が問題で、それが二度起きないようなシステムを構築することが一番大切なはずなのに、責任問題が橋の中心で終わってしまった感が僕にはしてならない。

トップの責任とトップを変えるというのは必ずしも一致しないと思う。
システムの議論をもっとすべきだと切に感じる。

対処でなく根治

今回の辞任を受けて2つを同じような出来事に感じたのでした。
金本さんお疲れ様でした!!

水曜日, 10月 10, 2018

2018年29冊目(322) + 本と映画

自分の中に孤独を抱け (青春文庫)
岡本 太郎  (著)
青春出版社 (2017/4/8)

予定では並行して読んでいる磯崎新さんの本と一緒に感想を書こうと思ってました(磯崎さんのはまだ読み切れていない)。建築家と芸術家。似て非ぬけどある種の交換可能に感じる2つの職。その二を並行して読むことで何か面白いものを感じれるのではと。が変更することにしました。予めだったから。一緒に書き記したい本と映画に今関係する気がしたから。

僕はあまり映画を見る機会を持ててなくてよく映画の話になるとついて行けないことが多い。この一か月ほど長時間の飛行機移動が多く、その中で普段は観ない映画をたまにはと観たのがきっかけで12時間のフライトで4本観たりで計15本も観てしまっている。快挙だ。新作から一世代前のまで。名前は知ってるけど観てなかったのを割とみた。
本を読むのは好きだけど、自分の中で考え消費して落とし込むことが殆どで、人と同じ本について語り合う事などめったにない。人がどんな本を読んでるかなんてよっぽどでないと分からないのが基本で、有名なもしくは売れた小説など以外は「読んだ?」などと聞くことはめったにない。
それと違って映画はなぜか話題になる。時に観てない方が珍しいことも。映画は見た感想を割と気楽に話し時に議論したりで深く共有することが出来る事が多いように思う。評論などでも映画の引用は本よりもされやすいように感じる。AIや広告の最適化の例として「マイノリティーレポート」が引用されているのをよく目にしていたけど、正直昨日初めて観た。これが2002年に2054年の未来として描かれていることに驚いた。なぜなら一部はすでに現実社会に存在している。当時の演者は演じながらどのような感じだったのか気になる。
今回15本も観て映画の持つメッセージ性や問題提起の力をとても感じた。そしてそれが友人や人と話す共通の材料になりうる。本を読んで発する言葉も映画を見て発する言葉も内から出るものだけど、それが人にリーチして返りがあるというの上での映画の価値はおもしろい。

そして、この岡本太郎さんの著書。遮二無二生きろ。現状維持せず進め。悩みもがけ。世間の常識や権威を疑え。自分と何か考え詰めてろ。どう生きたいか思い描けそして実現ししてしまえ。怒号のような彼の声が聞こえてきそうです。実際に彼はその筋を通そうと懸命に生きた。芸術家というより活動家だったのかもしれない。166ページから「受け身でなく、積極的な気構えで鑑賞する」とういテーマが始まる。そして次の項では「すなわち鑑賞する、味わうというのは、実は価値を創造することなんだよ」と。映画や本の読み方で己の価値・解釈を作ってみろと。映画によって僕が感じた人々との語らいはこの作業があってこそで、その会話を通じまたさらに自分と向き合う。それは岡本太郎が求める闘争の一つであってよいはず。

日本にいる日本人もきっとそのように生きているんだと思う。でも外から自国をみたらいい。外に自国を語ればいい。出来るなら。世界と話せるのがすごいんじゃなくて、考える上で世界も参考にできることが一歩であると思いたい。それらをつなぐからメディアなのだろう。メディアを使い倒してやりたいなと。その1つ映画を見る時間を増やしたいなと思ったついこの頃でした。はい、ピンク映画ももちろんです。

月曜日, 10月 08, 2018

2018年28冊目(321)

話芸の達人 ―西条凡児・浜村淳・上岡龍太郎― 単行本
戸田学 (著)
青土社 (2018/8/23)

よく人間の才能や能力を議論する際に出る遺伝か環境か。
大阪人のしゃべりが達者なのは小さい時からお笑いの文化があるから。
などなど、環境の要因の話はよく語られますが人に影響を受けるというのも大事な要素で。

凡児先生の話は初期のパペポで触れられているのを聞いたけど、実際にその人となりを知ったのは今回が初めて。そして、関西の朝の声の代表である浜村さんの事もちゃんと知ったの初めて。そしてそこには影響を与える側と受ける側の関係が至る所にあった。
あと時代背景として、落語に浪曲などがもっと日常にあり漫才も今のような漫才コントのようなのもではなくきっと「じゃべり」が主体であったのも、一人話芸の達人を生む環境だったのかもしれない。あと視聴者の顔が見えないラジオという場がその鍛練の場として今以上に身近だったのもあるだろう。169ページに「凡児=落語、浜村=浪花節、上岡=講談といった三通りの芸脈が流れているのが面白い」と。今なら身近なのは落語だけなのは時代なのかもしれない。面白かったのは田原総一朗の司会ぶりを話芸として評している所。あの方の司会は確かに政治芸なのかもと腑に落ちたのでした。

さて、今後このような話芸の達人が生まれるのか?僕の答えはイエスな気がする。
原点に触れる作業をネットが容易にしてしまうだろう。映画・Blade Runner 2049のなかで生身の人間とバーチャルとどっちが好きなの?的な下りがあった。VRを駆使しすれば今は亡き談志師匠の落語をあたかも寄席に居るように聞ける日が来るかもしれない。現に人間国宝の桂米朝師匠のアンドロイド(米朝アンドロイド)が高座で落語をするプロジェクトは存在するわけで。感化された自分がそれを話す友達がバーチャルだったらそれはきっと虚構なのかもしれないけど。

話芸。なんだかんだで喋ってなんぼなスキルやけど、単純明快な作業だからこそその上手さは人を魅了うするんだろうなと。あえいうえおあお。。。

月曜日, 9月 17, 2018

2018年27冊目(320)

「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
エマニュエル・トッド  (著), 堀 茂樹 (翻訳)
文藝春秋 (2015/5/20)

地政学
当たり前なのだけどユーロという枠の中にいてもなお他国とのパワーバランスを意識しないとけない。
日本の各都道府県も本来ならフランスがドイツ・スペイン・ギリシャを語るように近隣の県について思いを巡らしてもいいはず。でも県民性のようなソフトな話題に。
こういった本から世界の歴史や成り立ちについて学ぶのはとてもおもしろいと思った。世界史の個々の聞いたことのある事象(ナポレオンやビスマルク)がすっと理解できた。第二次世界大戦へ向かう流れも。
なのなかでロシアって国の存在。改めて考えさせられます。彼らは強国なのか実はしょぼいのか。太平洋を挟んだアメリカとロシア。大西洋を挟んだアメリカとヨーロッパ。地続きのヨーロッパとロシア。その中の日本。
世界だけを見ていれば良いとは言わないけど、世界は虎視眈々と一刻一秒駆け引きしながら動いているんだから日本人も巻き込まれてない我関せずはどないなん?って。
2015年のでた直後に買ってたんやけど、今読んでも十分にスリリングで現・フランス大統領の名前が出てくるところなんか示唆的でした。
さぁ、いざ世界へ!関空たのむで!

火曜日, 9月 11, 2018

2018年26冊目(319)

「流域地図」の作り方: 川から地球を考える (ちくまプリマー新書)
岸 由二 (著)
筑摩書房 (2013/11/5)

この本は確か去年の北関東で起きた大規模な水害の時にニッポン放送のボイスの中で宮崎哲弥さんが紹介してアマゾンのカートに入れたと記憶してます。
そして今回の西日本の災害を受け今読まないと思い購入しました。

ここで提唱されてる流域という概念は自分はどの川の氾濫に備えればよいのかを知る上でとても役に立ちます。ハザードマップだけでは感じれない分布から避難の際の何故も分かるのではないでしょうか。

これに加えて資金のない地域や都市計画がうまく出来てない場所、貧富の差によっても(フィリピンなどであったハリケーンの被害など)大災害ではクリティカルの差が出てくるんだと思います。自分の身は自分で守る。それを踏まえるうえでこの概念を知っておいて損はないと思います。それと同時に自然環境への関心も生まれると思いますし。

探検ぼくの街的に地図でも作るか!!でもあの実家の近くの川沿いを。。。まずはgoogleからだな。。。

視覚か聴覚か

sonyがウォークマンを発売して、ディスクマンにMD playerそしてiPodと音楽をイヤホン(最近はヘッドフォンまで見かける)で聞くようになった。その時に自分の世界に没入しての歩行者含め自転車などでの事故が増え「そんなに音楽聴きたいなら家で聞け!」ナンゾいわれていた時代。昨今は歩きスマホなどディバスを片手に読み物やSNSで楽しんでいる人たち。

聴覚を支配された人と視覚を支配された人はどっちが危険にさらされているのか?

今日混み合う車中。一人でも多く乗れるように詰めてくださいとのアナウンスのなか熱心にスマホを覗き文面をタイプする人たちにを見て思ったことである。

彼らの聴覚は生きているはずだか集中というのは雑音をキャンセルするのだと。
人は主に視覚から情報を収集するが果たして今の現状は良いのだろうか?
目線の先にあるネットの世界を通じて取り合うライブのコミュニケーションも大事かもしれない、でももっと今いる自分の周りにあるライブの情報を処理する方が現在をより善く生きれる気がする。

グーグル・フェイスブック・アマゾンなどに個人情報が云々カンヌン言われる時代だが、個人のメールやSNSでのやり取りを公共の場、特に混み合った車中などでは赤の他人に容易に覗き見されることの方がもっとリスクだと僕なんかは思う。
企業が必死に組み立てるセキュリティーに文句言いながら、自分といえばなんとも無防備ではないのか。

読書も言えば同じなのだか、この述べた2つとの違いは何なのだろう。
昔などおっさんが電車で読むスポーツ新聞の風俗欄が堂々と露出していてた時代は懐かしいのかもしれない。こんなことをつらつら考えれたのは使ってる人がいるとはいえスマホのおかげとなると皮肉と矛盾をダンロードしたみたいじゃのー。。。

火曜日, 9月 04, 2018

2018年25冊目(318)

習慣の力 The Power of Habit (講談社+α文庫)
チャールズ・デュヒッグ  (著), 渡会 圭子 (翻訳)
講談社 (2016/2/19)

この本は独立できた際にオフィスの本棚の見えるところに置いておきたいと思った。そんな時々、意識したり思い返したりすべき内容でした。

習慣という個人に帰属しそうで、しかも「何物でもないようなナニモノ」。
このほぼ無意識にいかに回されているか。いや、この無意識「が」or「で」に回されているか。
この習慣がルーティーンになるとイチロー選手の影響もあるかもしれないがプロフェッショナルに聞こえる。そんなかっこいいルーティーンを意識する以前に染み付いた自分の習慣を見つめ直すことからでしかその山に登れない。

企業や組織を含めこの習慣が運命を左右してきたのかを認識できます。
そして大事なことはその習慣は変えることが可能であること。
脳内の事とかストレスとか生き方とか危機管理とか流行とか。
現象には理由がある。その理由を考えられるか。
時にそれは苦痛でしかないし、厳しい現実を受け入れなければならない。
でも、習慣って身から出た錆であり染み付いた最高のスキルだったりする。

成功を一攫千金とするなら習慣は必要ないかもしれない(そうとも言えないのが面白いけど)、でも成功の道筋には「お前の常識オレの非常識」と「価値や意思といったボンヤリの具体化」があってそれを経ないと(経た人が)成功は感じれないのではと。
だから日常と自己に向き合わないといけない。その先に他人・集団・組織と波状も。

やめろとか、続けろとか。あきらめた、やり遂げたとか。
この安直な声かけや評価でない本質的な変化が定着した時に凄さとその逆の恐ろしさをこの本は教えてくれました。

いっぱい書いても書ききれないぐらい響くことがあって。習慣を受け入れてもらえたり、備わってた習慣が無意識に機能したりとか。今の自分を振り帰りつつ未来に向けて想いを馳せたり。。。とにかく、僕には響き過ぎました。
何かオチを付けないといけない、短くまとめないといけないと思う。
この習慣。それは。。。変えていこうよ。。。なのでビールもう一杯!おい習慣というより反射!!!!

水曜日, 8月 29, 2018

右からか左からか

僕はアンチスマホなんですが、非常時の備えとしてiPod touchを常備しています。
きっかけは東海岸にほぼ手ぶらで出かけた時のこと。帰りの飛行機の時間をメモるの忘れて現代の航空券にはXXXX.comとしかなく電話番号が分からず、昼過ぎの飛行機という情報を頼りに24時間前に発券できるシステムを使って辛うじて耐えた経験から購入しました。
wifiがないと最小限のファンクションという点がアンチスマホにフィットしたからです。

さてこのディバイス。
「iPhoneの電話機能が無いやつ」とみるのか「iPadの小さい版」とみるのか。
この捉え方の違いは結構大きい差ではないのかと。ふと。

僕は前者を説明として後者が実際の機能として使ってます。
後者の意識を持ってない人、または持てない人はスマホが無いと生きられない人じゃないかなって僕は思います。もちろん、仕事上スマホが必要な人が一定数存在するのは承知です。

でも可能なら無い生活を過ごしたいです。ビールが無い生活は!?
そんな人も一定数。。。それって。。。明日は休肝日。。。か!?

木曜日, 8月 23, 2018

つらつら物思い

最近またM-1を観なおしたりしてるのですが、去年の回を見てあっ!って。
外れて欲しい予感が。
和牛 = 笑い飯
期待されながら勝てないというサイクルになってしまうのでは。。。
去年の和牛の一本目を見て、奈良県立歴史博物館のネタをしてる笑い飯がダブってしまった。逆神となってこの予想外れてほしいなー


ふと素数について考えた時7の存在って面白いなって。5の持つ明確さと違った倍数中の奇数と偶数が表れかた。161は素数でなくて163は素数。
と、書きつつ。この話の走り書きが僕のメモに。なにを思って書き記したのか。。。分からん!!


実際に考えてみて、一緒に行動すること。これをいざ実践しようともうと結構難しい。しかし、これをシレっとできている番組がある。探偵ナイトスクープ。
ナイトスクープの凄さは依頼者特に子供に考えさせて実現させるところ。
子供が考えるピュアな考え方。それを実現する大人。
この構図に新たな発見だったり、子供たちの苦悩や葛藤そして喜びへのプロセスを観れる。これが共感を生むんだなって。
依頼を受けて大人がサクサクとやってしまったら5分で終わるような依頼を子供が勇気を振り絞って依頼し、それを全力で受け止めてあげる。
人を育てる過程もきっとこういう向き合い方があるんだろうなー。

火曜日, 8月 14, 2018

2018年24冊目(317)

「集合と位相」をなぜ学ぶのか ― 数学の基礎として根づくまでの歴史 単行本
藤田 博司  (著)
技術評論社 (2018/3/6)

数学の本だけあって数式も出てくるし、専門でないのでぼんやりとしか理解できない箇所も多々ありました。でも、数学者がこの世の中を数式で同表記しようしたか。そこに用いられる概念。そして数がもつ連続性をどのように表現し証明しようと試みたのか。

以上・以下・未満を●や○で示す開区間や閉区間という考え方。最近飛行機の検索で大阪や東京で国際線のサーチをかけると「伊丹と関空」「羽田と成田」の乗り換えが間で入ったりする検索結果が。これは大阪や東京といった集合の中の異なる点を見出す、または2つの空港をある集合の中に収めることで一つとみなす。こんな検索の妙にさっきの●と○の概念は使われているのでは!?なんて感動したり。

3次元の点(x, y, z)を直線上に乗せ、ある一点を0として2次内で表記するような写像という考え方。これは僕も経験のあるタンパク質の結晶構造解析で使っていることちゃうの!?と思っていたらその記述が。やっぱり!!

いまこの現実の中で何気なく使われている概念の土台を体感できた気がしてます。
数式内で使われる不等式といった記号によって集合や区分を示せるからこそプログラムが書けそれによりAIが正確に機能する。コンピューターの言語とは?と聞いたことがあっても実際にイメージできる感覚を持って思いを巡らせたのは初めてでした。

境界や集合を示したりするこういった数学的な考えはバイオロジーをイメージする中で必ず役に立つだろうとかなり確信を持って思いました。今からもっと勉強を。。。その気になるプログラムか数式を作ってくれ!!!

月曜日, 8月 06, 2018

2018年23冊目(316)

コンビニ外国人 (新潮新書)
芹澤 健介  (著)
新潮社 (2018/5/16)

なぜ人は国外に職を求め出ていくのだろうか。僕の場合は最初から求めていたわけではではないが、求めるように変わっていた。アルバイト以外で日本でまだ一度も働いたことのない身としても外から日本で働くということを覗くような感じで読みました。

大阪で実際に働いている外国人の人たちと接したけど「なぜ日本で働いているのか」「どのようにようにしてやって来たのか」なんて想像力を働かせることができなかった。
そして今回知りました。日本語学校やビザに関して。アメリカのビザのことは知っているけど日本のビザに関して全く知らなかった。アメリカと比較すると留学に関して寛容というか簡素なビザシステムだなって。そのシステムによって何が日本にもたらされているのか。労働力。でもそれは本末転倒な話で。海外に日本人は出ていかなくなったと言われる昨今、じゃー出ていかなくなったのに人手不足。この人手不足の原因はいったい。

コンビニで働く外国人から芋づる式に考えさせられる事象が多数出てきます。そもそも労働や勉強といった根本的なものまで。
まだ日本という国を求めたり目指してくれる外国人がいるという日本のもつ資産によって成り立っているわけで。アメリカの資産もそうで皆が目指してくる訳ですが、今この国が掲げているのは「America first」なわけで。アメリカのビザに関してはHとJ以外はあまり詳しくないので、留学に関するビザは僕も知り合いなどに聞かないといけないけど、 僕の認識では労働のビザ含め発給はどんどん厳しくなっていると思う。

職が学業といった具体的なことでなく、なぜ人は国外に出ていくのだろうという問は今度じっくり考えてみたいと思いました。
って、次回かよ!いや、今僕は外国での生活に手一杯なもんで。。。

月曜日, 7月 30, 2018

2018年22冊目(315)

教養としての聖書 (光文社新書)
橋爪 大三郎  (著)
光文社 (2015/3/17)

ああ、確かに教養って感じがする。これが読んでる時に思った感想です。
成り立ち・流れ・地理関係・登場人物の名前と関係性・旧約新約の違いといった基本情報を知るだけで、日常との意外なつながりを感じれます。
そしてこの解説的な本でさえ内容の複雑さというか、ややこしさというか、時に意味不明さや、理不尽さを感じ取れます。
古い書物がうえの「解釈」の問題。その一説を切り取って語ることの危険さ。
語弊はあるかもしれませんがそら揉めます。はっきりせーへんねんから。
歴史的に見て糞新しい日本の憲法でさえ解釈で揉めるんですから。
が、故の神の存在なのでしょうか。
読み込む気は起りませんが、覚えておきたいことは多かったです。
世の中の作りは複雑だ。ままならない。それでええのか。ええんやろう。
Drink first and then think about...

火曜日, 7月 24, 2018

2018年20,21冊目(313, 4)

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫) 文庫
岡本 太郎  (著)
青春出版社 (1993/8/1)

自分の運命に楯を突け (青春文庫)
岡本 太郎  (著)
青春出版社 (2016/4/9)

太陽の塔の内部公開に参加し、岡本太郎さんが考えてた万博そして世界観を知りたくて。三部作のうちの2冊です。3冊目はあえて一緒に読んでみたい本があるのでそれと繋げてみようと。でも、この2冊で岡本太郎さんとはを十二分に感じれました。

奇才のイメージとはかけ離れた人間・岡本太郎がそこにいました。
そもそも奇才でもなんでもなく素直に自分らしく生きた結果、周りが描いた像がそれだった。だけ。
根底にウエットとドライが共存していて、その極性の境目まるで汽水のようなところが世の岡本太郎像だった。そう僕には見えました。
汽水の意味を知らないとその豊かさが分からないように。
ウエットがドライっぽく、また時にはドライがウエットっぽく。言ってしまえばどっちでもない。なぜならスジであり、生きることそのものだから。
そんな岡本太郎の言葉は人間的というよりヒト的。
それをやり切った人。岡本太郎。

自分らしく生きたいならスジがある。それを通すのは苦である苦でしかない時がある。やめてもいい。言うても誰も気にしない。結局気にするのは自分本人。なら苦に堪えむしろ楽しむ自分となれ。それがまた自分らしいのだ!!!

現在、自分が置かれる状況の中で太郎さんの本を読めたのは良かったです。
これでいいのだ!!

2018年19冊目(312)

納豆に砂糖を入れますか?: ニッポン食文化の境界線 (新潮文庫)
野瀬 泰申 (著)
新潮社 (2013/9/28)

食文化の広さ深さを知れます。
という細かい文化の描写で示すにはもったいない本だと思った。
その面白さは2つある。

1つ目。各項のニュースソースはネットを経由した読者からの投稿に重きがあるということ。集合知である。単にそれだけだと、わりと散見できるネットコミュニティーの話になってしまう。ここで忘れてはいけないのは、その読者のコミット欲求をくすぐる筆者の問い設定だと思う。AIが仕事を奪うという話はよく聞くが、この本で出されてる問いの設定と、読者の「自分の知の共有によって得られるフィードバックの可視化」が面白さのエッセンスでは。

2つ目。最終稿に実際に筆者が旅に出る中で問いを実際に解いて行く作業。
言ううならば枕が効いての本文である。その実体験の中に描かれる食の境界であり飛び地に歴史や繋がりを体感するのである。

もしこれらの作業が以前に読んだ方言の本にあればと思った。
面白さとは問いの設定であり、設問の解き方のライブ感なんだなと。
改めて自分の仕事にもつかえそうだなと、今この文章を書きながらニヤニヤしたのでした。その場の閃きかよ!!

土曜日, 7月 14, 2018

成長を取り巻く要素たちみたいな感じ

ワールドカップのノックアウトラウンドを観戦しながら思ったこと。

1)良いキーパーはすぐに立ち上がる
スーパーセーブはもちろんそのキーパーの凄さを反映するとは思うけど能力の凄さはセーブ後もしくは反応後にすぐに立ち上がってボールとオフェンスの位置を把握してセカンドアタックを防ぐ。これに僕は感動しました。

2)胃がキリキリするような試合の経験値
この積み重ねによってメンタル的に強い選手が生まれるのかなと。代表選手になるような人たちの大部分は中高の時から全国大会や地区予選の上位で緊張した試合を経験してきたのだと思う。そんな選手たちがW杯の舞台で「経験」と語る。それは、本当に精神的にも肉体的にもそして人々の視線・期待度的にも追い込まれるような試合っていうのはそう簡単に体験できないんだと思う。
高校サッカーの決勝よりJリーグのチャンピオンシップよりアジアカップの決勝よりワールドカップのラウンド16の方がキリキリするんだろうなって。でもチャンピオンズリーグやプレミアリーグの終盤などを経験してる選手たちはまだ近い日常としてこの空気感が身近なのかもしれない。レベルが上がるには一つ一つ目の前に現れた胃がキリキリする経験をモノにして次回にはニヤニヤ出来るような強さが必要なのかなって。自分もそのような体験ができるチャンスを逃さず捕まえれるようにしたいです。


ベルギーは前のワールドカップからタレントのある若い世代の集合体として注目され今回はベスト4へ躍進。
イングランドースウェーデン戦の解説を担当されていた山本昌邦さんがイングランドの若い世代の育成について話しておられました。果たしてイングランドもベスト4へ。
育成プログラムの重要性とそこで育った選手たちが世界のトップチームで経験を積む。
日本では海外組とは言ってもそれはあくまで海外のクラブを意味するだけでその中でトップクラブで不動のレギュラーといった枠ではない。海外へ行くのが特筆すべき事でなくなりJリーグ自身のレベルの上昇し海外の選手がやってくるようなリーグになってようやく、ベルギーやイングランドがやったような有機的な育成になるのかなって。今回かなり成熟した日本サッカーを観れた気がするので、その先の洗練された日本サッカーを目指してほしいです。僕もJリーグを観に行ったりできる事からしていかないと。

金曜日, 7月 06, 2018

代表監督と日本語英語とスターなどなど

僕はこんな素晴らしい経験をした西野監督に4年後を目指してほしいと思っていたし、外国人新監督の話が出てきて辟易した。果たして、西野監督の帰国後の記者会見を観て考え方が変わったのだった。印象的だったのは「ユース・オリンピック・クラブそしてワールドカップとほぼ全てのカテゴリーの監督を経験できた。」とうい言葉。なるほど。そんな稀有な人にはもと俯瞰的に日本のサッカーのために働いてほしいなと。なんなら、海外とくにヨーロッパや南米でクラブの監督してさらに経験の極みを目指してほしい。そういう意味で西野監督にはお疲れさまでしたと心から感謝を述べたいです。新監督に関しては日本をよく理解した言葉の障壁の低い監督に就いてほしいと願います。そのサポートと経験のフィードバックを西野監督にはお願いしたいです。成熟してきた日本サッカー。海外の友人たちと話すのが楽しみです。


リベンジする。
これはアスリートも含め日本人にとって馴染み過ぎた外国語ではなかろうか。
西野監督もロシア現地での記者会見で使っていたのを覚えている、というよりそれがこの文章を書くきっかけです。
リベンジ(Revenge)。辞書を引くと「動詞:復讐する、仕返しをする、リベンジする / 名詞:復讐(心)、報復、仕返し、腹いせ、あだ討ち、遺恨」となるが、日本語英語的には「雪辱、やり返す、次は負けない、再チャレンジ」的なもう少し丸いニュアンスになるのだろうか。
アメリカで13年ほど住んだがあちらでこのrevengeを聞いたことはあっただろうか?たぶん無いし、あったとしたら日本人からだと思う。意味的に使ってよいのかずっと疑問に思っていた。スポーツについて色んな人と話したし、自分もサッカーをしていたけど負けた相手と戦う際に使った言葉といえば、
beat(相手に対して), win(自分たちが), this time / time to (今回の戦いを強調して)
みたいなのが多かった気がする。challenge や try といった言葉も多かった気がする。小さい言葉のニュアンスの違いって結構あって、これてリアルな経験によってでしか埋めれない気がする。日本で使うリベンジをそのまま英語のもつrevengeと訳されていいとは僕は思わない。それを踏まえてリベンジって使うのやめません?って僕は敢えて言いたい。


ロナウド・メッシ・ネイマール
3人とも強烈なスキルを持つスーパースターだが各人の持っている空気感が全く違う気がする。今回に関しては
ロナウド:強
メッシ:柔
ネイマール:演
って感じだろうか。
負けたけど強いロナウド。勝ってるのにナヨナヨしく映るネイマール(よくコケるから!?)。負けがなんかしっくりくるメッシ。
なんだろうこの違いは。
あくまでもすべて個人的な感想で僕にはそう映っているだけで、またシーズンや大会によっても変わると思う。これからも見ていきたいなと。

火曜日, 6月 26, 2018

ワールドカップとゴミ拾いとエトセトラ

日本のごみ拾いがBBCでも取り上げられて、セネガルサポーターといったほかの国々にも広がっているようです。その行為自体は尊いことで僕の友達もrespectってメールをくれました。
スポーツ観戦をしたことがある人ならどんなごみが試合後に出るかイメージできるはず。スタジアム内での購入したグッズの袋や飲食類の容器類。持ち込んだスナック等の食べかすとか袋とか。壊れた応援グッズ。
ただ僕はふと思うのです。根本的に自分のごみは持ち帰る。あるいは、ごみを出さない努力をする。根本的な行動を個々人が意識すべきでは?
こういった啓蒙も同時に発信すれば色々変わっていくのかなって。


スイスとブラジルの試合を観ていたときのこと。11番のValon BEHRAMI選手が激しいディフェンスで中盤で頑張っていました。実況の方が彼を「潰し役」と表現しました。相手を潰すという表現はここでは「止め役」「抑え役」だと分かりますが「潰し役」と言う表現には選手自身のハードワークとマッチアップする選手の力量が想像できます。
今では収まってしまったアメフトのタックル問題。そこで交わされた言葉も「潰す」。もしこれを英語で表現していたら?
defense / stop / block / crash / screw / destroy
僕の脳みそではこれぐらいしか出てこないけど使う単語で意味合いが大きく変わる。そして確実に僕がサッカーで聞いた潰すはアメフトの潰すと意味の強度が異なった。言葉の豊かさと怖さを感じたのでした。


チームが波にのって「嵩にかかる」瞬間ってあるなって試合を観てて感じます。このスイッチって入れようと思ってONにできるものではないのでなんか面白いけど怖いなとも。


自国に大きな実力の高いサッカーリーグがある国、基本的にヨーロッパの国々にとって日本のような海外組てきな表現ってどうなるのかなって。自国リーグが強くて海外組となるとしょぼく捉えられるスポーツって日本にあるのかな?いつかスタメン11人全員がJリーグで海外の国々でもJリーガーが主力でプレーするような未来がくるといいなー!

日曜日, 6月 24, 2018

2018年18冊目(311)

カラスの教科書 (講談社文庫)
松原 始  (著)
講談社 (2016/3/15)

度々ここでも記してきたカラスの話。
あんなに急に増えたカラス。こいつらの生態が少しでも分かれば少しはあの黒い集団の事が分かるかなって。

そして、実際にかなり分かりました。そして、なぜポートランドであんなにカラスが増えたのか?それがおそらくホームレスの増加と相関があるんだろうなと強く思えるようになった。街が汚くなったとも思っていたけど、これもカラスにとって餌の多さを反映することになるし好都合だったのだと。現象には必ず理由がある。ではこのカラスが増えたことによる次の影響を次は考えてみたいなって。

「カラスは賢い」「カラスが人を襲う」「カラスがごみを漁る」といった「あるある」の答えは彼らの生態を知れば納得できるしカラスによる被害もちゃんと知れば防げるなとも。実際に街で鳴き声を聞いて「あっ、ハシブト(からす)!?」って思ったり、やたらと鳥が鳴き聞こえる「カア、カアー」で「あれ縄張りで何かあった?」とか。サッカー日本代表を応援する携帯電話auのCMの冒頭は足が3つあるカラスから始まります。日本サッカー協会のマークである八咫烏は古事記・日本書紀で登場し足が3本となっている。このことを知ってるとCMの冒頭のカラスが八咫烏だからサッカー代表だ!って。これに気付いた時は一人ニンマリしましたよ。 あとキン肉マン・完璧超人始祖編のカラスマンの周りで鳴くカラスの「ネバー・モア」がアメリカ合衆国の作家エドガー・アラン・ポーの作品「大鴉」(おおがらす、The Raven)に由来することも知りました。なるほど!
今朝も小さい鳥の声がたくさん。あっ、巣立ちの時期かなって。他の鳥の鳴き声にも興味が出てきます。 やっぱり少しでも知ろうとする事がどれだけ多くの知のドアを開けてくれ新たな好奇心の場を与えてくれる。楽しい!

一つ疑問が残ると言えば、これだけ雑食なカラスの糞。あまり臭くなかった記憶が。うーーーん、筆者の方にメールでもしてみようかな?
でもこの問いは面白くないかもだって臭わないからね。。。
お後がよろしいようで。。。

月曜日, 6月 11, 2018

2018年16,17冊目(309,10)

人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)
トーマス トウェイツ  (著), Thomas Thwaites (原著), 村井 理子 (翻訳)
新潮社 (2017/10/28)

イベリコ豚を買いに 単行本
野地 秩嘉  (著)
小学館 (2014/3/31)

タイトルだけを見るとこの二冊に共通ることは動物ぐらいかもしれない、でもこの2冊の中で語られる物語は同じエッセンスを含み且つ学ぶとは生きるとはどういう事かを教えてくれる。僕は教材として使いたいぐらいだ!

何かを知る。何かをする。この単純かつありふれた日常の行為を「うわっつら」でなく「本気」でするとこの本のようになる。何故そうなるか?それは詳細と向き合わない限り本当の事は分からないから。そして、その過程には必ずその道で詳細と向き合っている先人に出会うのだ。そして、その先人たちはみな「うわっつら」でなく「本気」というより「真摯」なのだ。

ヤギになるといっても、どうする事が「ヤギになる」のか。ヤギの生態、ヤギの行動、ヤギの動き、ヤギの構造、ヤギヤギヤギ。でも、その前に人間の生態・行動・動きがヤギとどう違うのかを知らないといけない。ヤギの前にヒトにサルやゴリラについていや進化について考えないといけない。しかも食事も違うわけだし。そして筆者は4足歩行をするための義足を着け、草を消化するための方法を考え出し、ヤギの群れに混じって行動し、アルプスを実際に越えたのだ。たくさんの協力者の力を借りて。

イベリコ豚を買うのはお金さえあれば買うこともできるだろう。でも、買ったものがホンモノのイベリコ豚かなんて食品偽装なんてされたり、ビールと発泡酒・第三のビールのように法的な定義が入り無知なら見た目で分からないこともあるだろう。口蹄疫や鳥インフルエンザなど疫病がはやると簡単には農場には入れない。当たり前だけどそんな問題も単に金額通り輸入された商品を買って食べて美味しいと言うだけなら想像もできないだろう。筆者は最終的にスペインへ行き、農場の人と知り合い、輸入し、加工し捌くまで達成して真の「イベリコ豚を買う」ことを実践した。たくさんの協力者の力を借りて。

ヤギになった筆者はイグノーベル賞を貰い、イベリコ豚を買った筆者はスペインで確固たる信用を得て感謝された。

どんな小さなことでも深く知ろうとした瞬間にとんでもない勉強と作業が必要になる。それには近道が無いけど走り切ると知った知識と経験は汎用性の高い応用が利く一生使えるモノになる。それを改めて教えてくれるような2冊でした。
美味しいイベリコ豚を食べながらヤギのプロジェクトのような面白いことでも考えるか。そういう行動は早い方ですけどなにか。。。!?

日曜日, 6月 10, 2018

定額

あっ、文庫版が出てる。
アマゾンで色んな本を検索したりするのですが、今日一日でこの出来事が3つもありました。
文庫になった僕の醍醐味は「文庫本へのあとがき」や新たな解説文を読めること。
出版した時の空気を経てその本の位置づけを知れる楽しさです。

月額読み放題や見放題。
正直そない一か月で読んだり見たり出来んと。確かに今これをなった時にすぐにアクセス出来たり、漫画なら単行本を1からドラマなら1話から休日などを使ってコンプすることが出来る。そんな利点でしかこのオプションを見れなかった。
でも、これなら僕の醍醐味を気兼ねなしにできるなー。新しいものへの出会いの可能性・過去のアーカイブへのアクセスだけでなく、本当のバラ売りにこれは有益かも!?って。だって、過去の想いで2.0ってなかなか出来ないから。

うーーーん、例の3冊は書店で見つけられたら。。。立ちよ。。。試しよ。。。困ったなー。。。

水曜日, 6月 06, 2018

2018年14,15冊目(307,8)

「世間」とは何か (講談社現代新書)
阿部 謹也  (著)
講談社 (1995/7/20)

消されたマンガ 単行本 – 2013/7/22
赤田 祐一  (著), ばるぼら (著)
鉄人社 (2013/7/22)

アメフトのタックルの話が大盛り上がりで日々あらゆるメディアで語られている現状に嫌気がさして来た折、この「世間」に関する積読されていた本と目が合って落としどころが見えないこの熱狂の答えがあるのではと思ったのでした。

万葉集の時代から夏目漱石の時代の各時代に描かれる「世」を観ることで捉え難い世間を理解してみようという試みの記録です。人間関係や人間を取り巻く煩悩や生死観といったウエットな要素や時代背景や文化などドライな点の配置によってもわっと包まれているそれ。世間。こう書いてしまうと元も子もないようだけど、この歴史という縦を貫く空気の道が世間を理解するうえで大事なんだと。

なぜなら消されたマンガで消された理由を知るために現在の基準と異なる時代の空気感を嗅ぐ必要があると感じだから。サブカルチャーは時代を映すと僕は思っていて、作り手は自分の感性と世間の空気感との空気勘を表現するだろうなって。

その微妙なズレが問題になったりする原因だと思うけどこのズレというのが世間との距離。これが思っている以上に見えるようで見えない。事後的に起きる反響もあるわけで。
昔なら世に出なかった?どう転んでもいずれ世に出ていた?
チームの世間。大学の世間。業界の世間。社会の世間。
秩序と共に存在するようで閉鎖的なような開放的で。しかも1年単位でなく1日単位でそのルールがシレっと更新されたりするからさー大変。

「世間」とは何かで筆者は西洋から入ってきたsociety (社会)とindividual (個人)の持つ概念と世間との違いの指摘をする場面がある頻度で出てくる。きっとこれが肝でこの感覚の消化度合の違いが教育や世代間で生じてるのではと思ったり!?

世間を読んで生きる必要は無いと思うけど、世間の空気は知っておいて損はなし。

僕はこの世間とうまく対峙できるのだろうか。。。果たして。。。その前にまず対峙するつもり!?そう、それ!!

土曜日, 5月 26, 2018

これこれしかじか

雑誌は読者と共に年齢を重ねると聞いたことがあるのですが、最近それをラジオでも感じます。ラジオから流れるリクエスト曲が自分の10代20代のそれなのだ当時深夜のリクエストの番組でしか流れてないようなのがシレっと流れてくる。テレビよりもラジオの持つ広がりと「僕は聞いてる」「僕は聞いてた」的なある種の閉鎖的なコアなファンイズムと言うのかな。流れてる曲を聴きながらニヤニヤしてしまいます。

日本に居て小さな居酒屋でも入ると必ずお通しがでたり「箸と小皿」が用意される。ビールだけというのが異星人の異邦人的な環境でどうも出来ませんこの国においては飲むことと食べることは切り離せない空気がデフォルトなのかと。飲むだけとなるとちょいとオサレナbarだったり。いやいや、もっとふらっと酔う気に行きたいんですけど。そこで掲げよう「立ち飲み復興論」を。2020年を前にふらっと飲める文化の復興から海外の客人とのコミュニケーションへ。ふらっと立ち寄れる立ち飲み。これmustだと思うのですが。。。

センサーやビッグデータやいろんな事を知ろうとする技術。それを使う上で必ず立ちはだかる個人情報。便利をとるのかプライバシーを取るのか。世の常として完全なエエトコ取りなんてできない。そもそも、何かを使ってる時点でそのシステムに使われている現実を直視すべきで。Facebookと情報の抜き取りの問題。あえて言うなら、そんなのも気付かずにのうのうと使ってたんかい!って僕なんかは思います。モノを使うことの背後にある便利と不利益(不便でないのがミソ)、義務教育で分かるような命題を考えようやと思ったりします。仏陀の手のひらや籠の中の鳥のようなテクノロジーの中の自分。使われてる以上に使ってみるという概念。知らない世界へようこそー

木曜日, 5月 24, 2018

2018年13冊目(306)

日本発「ロボットAI農業」の凄い未来 2020年に激変する国土・GDP・生活 (講談社+α新書)
窪田 新之助 (著)
講談社 (2017/2/21)

AIが仕事を奪うという言説をよく耳にする昨今、是非この農業で起きている変化を知ってほしいと思った。ここで起きていることは農業だけでなく漁業や医療そして一般の職業にも間違いなく波及してくるだろう。それは職を奪うという単純な良い悪いでなく高齢化社会と労働力不足という課題と対峙するために。

以前に「ベテランの勘を数値化することで次世代に伝承できる」というコンセプトで農家との共同プロジェクトで職人さんの判断を具体的なパラメーター(温度や湿度やタンパク量など)に落とし込むプロジェクトの記事を読んだことを思い出しました。

このデータを集めるという作業と解析する作業。ここにビッグデータとディープラーニングの接点。解析したデータ(アイディア)を使うという行為。ここでテクノロジーやIoT (Internet Of Things)との接点。そもそもデータを回収する場面ではこのテクノロジーがビッグデータと接点を持つわけで。要は個々のテクノロジー(ドローンなど)とビッグデータとディープラーニングなどごちゃまぜにしてAIと見なさいこと。個々の良さを上手く融合していくことがこの本で議論されているAI農業であると言う。

これによって「増やせること」と「減らせること」が分かるということに意義があるのだと。無駄を減らす・効率化を上げるという最大化に必要な要素を設定する。そして、テクノロジーによる自律があることで今まで使えなかった夜間を活用できるという。

なるほど!確かに!と食い気味になった僕は然るべきだと自分では思ってます。

こう見てくると過去に産業のパラダイムシフトで起きたことが新たに起きるだけだと。蒸気機関により出力がうまれ工場の稼働を上げるために三交代をしたりベルトコンベアが生まれたのと同じで、新たな置き換えの時期なのだと。ここにもちろん法的整備が入ってくるので、僕はよく自衛官の活動の法的根拠で議論されるネガティブリスト的な整備で進んでほしいなと思うのです。

一点不満があるとするなら、「IoTの時代には因果関係の意味が希薄になること。まさしく結論さえわかれば理由はいらないのである。」とある点である(55ページ)。これが意味することは分かるが、やはりこれが進むと根治より対処であるように結局もっとよい解決策を探す事が出来なくなるように僕は思う。これは基礎研究とは言う問題と同じで。この原因の解明にも上記の技術は確実に入ってくると思うので、その部分は捨てて欲しくなかったと思いました。

僕にはここで紹介される技術は人間が成長していく過程で見られる変化と同じように感じました。成長は生き物に与えられた可能性だと思う。なのでAIとどう仲良くなるかを一般の人ももっと考えるべきでないだろうか。自分の仕事にも応用できる部分はないか見つめなおしたいと思います。

果てさてこんな僕は機械は酔っぱらわないのを理由に機会を駆使してもっと酒を楽しむ機会を作れるのか!?なんて。AIが酒を飲んだらどんな風に酔うのだろうか。。。これでこの文章は人の手で書かれていることが証明されたかも。。。

火曜日, 5月 22, 2018

2018年11,12冊目(304,5)

広く弱くつながって生きる (幻冬舎新書)
佐々木 俊尚  (著)
幻冬舎 (2018/3/29)

知の体力 (新潮新書)
永田 和宏  (著)
新潮社 (2018/5/16)

本を手に取った時がタイミングといつも思うのですが、この2冊を連続で読めたことこそタイミングだなって。
この2冊の中に綴られた言葉のすべてに響く人は在るのか分からないけど、言葉のどれかに引っ掛かるだけでも考え方に新しい切り口を与えてくれるのではと思います。

今自分が直面している「この先どうありたい」かを考える上でのX軸(人との繋がり)とY軸(自分とは)を見つめなおす機会を頂けた気がします。

フレキシブルであるべき事と譲ってはいけない事。自分が今現在そう感じてる決断に対して逆でもいいんじゃない?とスリット入れる作業をなんか怖くてできなかった自分がいました。でも実際の自分はやってみる前に考えることすら避けていたんですね、これが。

そう感じたので少し立ち止まってみようと思います。要る拘りと要らない拘りを整理してみよう。たとえアクションを起こしたとして、その結果何も変わらないかもしれない。ひょっとしたら「やってもうた!」と思うかも。でも考えた事実や行動が広がりを持たせてくれるちゃうかと。
考える人は石造で動けないけど、考える葦はゆらゆらと浮いている。ぼちぼちですわなー。

筆者らの示す線を感じながら自分の線が漸近線っぽく且つユニークな線になれたらと思います。ちょっと違った見方の世界へどうでっか!?
でもまずは一杯。これが僕のスタイル。Drink first. Then think about.

月曜日, 5月 21, 2018

2018年9,10冊目(302,3)

大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌 (幻冬舎新書)
辨野 義己  (著)
幻冬舎 (2012/11/30)

ウンチのうんちく 単行本(ソフトカバー)
左巻 健男  (著)
PHP研究所 (2014/5/24)

思えば小さい時から変わってなかったこと。それは「よく屁が出る」。特に食後や寝起きはガス爆発である。で、ある時ふと「このガスの出所はどこぞや!?」と。
よくビールを飲むのでそのガスがガスに?でも僕は「ゲボーーー」と失礼なゲップをしてしまう胃の構造のようで、そのガスが腸にまで行くとは。。。

で思ったのが、僕の腸内フローラ何かようわからんけどガス発生する菌主体!?と思うに至ったのです。あと他にも思う節が。学生時代に部活動バリバリの時は1日5食でほんまによう食べててたのが、今では1日1食で十分、夜はビールという「liquid diet (飲む食事)」という生活を続けてはや6,7年。ビールを確実に栄養に変換できる菌が僕の腸には居るのでは。。。

これらの疑問を解くべく2冊を手に取ったのでした。

牛には胃が4つあってそれぞれの機能のおかげで草しか食べないのにあんなに大きくなれるように、おそらく僕の生活に適応した腸内フローラだったんだろうなと推測は出来そうですが、良くもまぁあれでそれなりに元気に過ごしてたなって思います。

いやはや、食生活の大事さを実感しました。うんち君と食べたものとの関係性は気付いていましたがこれも読んで納得。面白いとかしかいえません。あと「現代思想・微生物」を読んで以降、意識して味噌汁やチーズ(発酵食)を摂るようにしてから、体調が特に飲みすぎの人に見られるらしい(異なる友人2人に指摘されました)鼻が赤くなる肝臓などの内臓系が不調のサインが本当にみるみる解消されたのでした。もしあの時にさらに乳酸菌を含む食品・ヨーグルトなどに手を出していれば(一時カルピスは飲んでいたのにな。。。)もっと体調は改善されたのかもなんて思ってしまいます。とはいっても食事も毎日の事ですし続けることの大事さですね。

腸内細菌の研究に分子生物学の関与やNASAが宇宙へのプロジェクトに際しておならの研究をしていたなどを思うと、物事をどうリンクさせるか思い巡らせれるかでほんの数十年という期間に大きく理解は進むのかなって思いました。基礎研究の知的好奇心を作る人と使う人のバランスを維持したいですね。

さて明日もうんち君を観察したいと思います。最近調子がいいんですよこれが。
最後に、手術の電気メスがおならに引火して爆発を防ぐために手術前に下剤を飲むって言うのを読んでコントが浮んだ僕は炎上ですか。。。

水曜日, 5月 09, 2018

2018年8冊目(301)

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)
ダニエル・ピンク  (著), 大前 研一  (翻訳)
講談社 (2015/11/20)

自分が苦悩することもあるが楽しみながら熱意をもって向き合っている研究という職。
その取り組み方を自分自身で意識して言葉でもって他者に表現できるようになったのはここ7年とかそれぐらいかな。
この働き方、それこそがモチベーション3.0だったんだと気付くのは第4章あたりからだったと思う。

自分がその手の働き方をすっと受け入れれただけでなく確実にボスや職場の環境がそれを後押ししたのは間違いない。ただ同じボスと環境に居ながら思いの外この3.0的にできてないような人もいるのも事実(あくまでも僕から見てで当人は最大限3.0なのかもしれない)。

僕はこのような職場を作りたいと思うのでどうしたらそれが実現できるかを思いながら読みました。まず自分が体現し他者に機会を設け受け入れる。この受け入れる作業がまずは大変だろうなと。そして周りを納得させるために論より拠を示す。
などを思うとなんてあの職場はよく出来ていたのかと只々驚きしか覚えません。

働き方改革の肝はこの本にある「自律性(オートノミー/autonomy)」だと思います。
そして本書で述べられるモチベーション2.0の罠にはまらない。意外とこれから始める方が消去法でいつの間にか3.0の環境になっているのかもしれません。

自分の仕事を見つめなおす点でもお勧めです!そもそもこの本の感想も確実にモチベーション3.0だったりするのです。。。オートノミー乾杯!!!

火曜日, 5月 08, 2018

2018年7冊目(300)

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書) 単行本(ソフトカバー)
佐々木 閑  (著), 宮崎 哲弥 (著)
新潮社 (2017/11/24)

仏教の基礎研究

これが僕の簡潔な感想です、そしてとても為になりました。なぜなら自分の職業としての基礎研究に思いをふけ少しかもしれませんが立ち止まれたからです。
基礎研究の意味、求めるべきものなど。あとそれを追求する環境なども興味深かった。
そして自分の歩む方向性を再度見返し確認できた気がします。

本書の中にも出来ますが仏教は科学の関係性。本書では似て非ぬものとされていたと記憶してますが、読後も僕はやはり関係性があると思います。求める解や目指すべきものは違うのは読んでいてよく分かりました、ただその方法論というか構造というか。未熟ですが考えていきたいと。

この本を読み始めたのは3月29日。シアトルにイチロー選手が先発出場したマリナーズの開幕戦を観に行く旅程にてでした。イチロー選手の野球に対する取り組みもまた、僕にはここで議論される修行のように感じました。引退と現役。野球への執着と言う面でみるとイチロー選手の取り組みは仏教的には涅槃には程遠いのかもしれません。ただフレームを仏教という枠から野球=人生/引退=死とアップデートした場合、それは仏教的構造を帯びると思います。現にマリナーズと生涯契約を交わした現在、こういった意味からの解釈も面白いのではと研究者の視点から見てしまいます。

1から始まるのか、0から始まるのか。0から始まっているのか0から始まっていたのか。先に進むという事は必ずしも数が増えることではなく、何かに近づく漸近するって事なのかもしれないですね(次回書くモチベーション3.0の影響が出てます。。。)。

とりあえず今からアルコールとの接触を図ります。。。飲みたい!!(←煩悩。アウト!)

金曜日, 4月 13, 2018

2018年5,6冊目(298,9)

方言の日本地図-ことばの旅 (講談社+α新書) 
真田 信治  (著)
講談社 (2002/12/19)

いい日本語を忘れていませんか―使い方と、その語源 (講談社プラスアルファ新書) 
金田一 春彦  (著)
講談社 (2002/10)

前著は属性
後者は歴史性
言葉の横の広がりと縦の広がり。

日本というカリフォルニア州と同じサイズの中で辿れる言葉尻と分布の関係。
日常使う通な言い回しに内蔵された歴史的風土。

言葉とはなんとも身体性がるのだと。
そんな中でいま必死で使っている英語。
ぼくのアメリカでのボス。彼はスイス出身でラテン語を学んだ経験を
「全く役に立たなかったけど、英語を使う上でその言語の構成の意味を学べたのは役に立っている。」
って言った(僕の記憶が正しければ。でもニュアンスは合ってる!はす!)。

テクニカルな日本語に触れてもっと日本を深く知りたくなりました。
毎日ネンデヤネンと暗唱するか。。。なんでやねん!!

日曜日, 4月 08, 2018

どこで力を発揮するのか

いつもワールドカップ前に起きる監督解任騒動。今回も出ています。
僕の意見は反対。
なぜなら、監督選考の時に「実際のワールドカップでの指揮官経験」ってのを重要視していた。そして、ベスト16の試合でドイツを延長まで苦しめたアルジェリア代表の指揮官であったハリルホジッチ監督を迎えた。そのドイツ戦を生で見ていてすごいええ試合やったのを鮮明に覚えている。
これで解任なら本末転倒やん。で、解任したは良いけど誰にするの?
南アフリカ大会の時も当時の岡田監督を散々解任やって言っておきながら結果出せば(勝てば)名将だと。あの時は今までのシステムを完全に変えて守備的に変更してそれが機能して結果につながったと記憶してる。
日本のサッカーを確立したりしたいならしっかり計画していかないと一生出来ないと僕は思う。目先の結果に踊らされない振る舞いも必要だし、ファンも我慢が要るんじゃないかな。
いい加減日本人の監督をしっかり育てる時期に来てるとはずっと思っているけど、今回、本当に解任があるならそれは今の日本の至る所にみられるようなダメさ加減にリンクしてると思う。
ハリルさん僕はあなたのワールドカップ本選での采配を楽しみにしています!

水曜日, 3月 21, 2018

2018年4冊目(297)

タネが危ない 単行本
野口 勲  (著)
日本経済新聞出版社 (2011/9/6)

種子法に関して「コメが消える」とか色んな話題が出ていますが、まず売られている種がどういうものなのかをしっかり理解するためにもこの本はオススメです。タイトルにある「危ない」はこの種子法の危ないという言説とは全く異なる意味での警鐘の「危ない」です混同しないように。僕も「種子法がー」と言う言説に立たない事もここに追記しておきます。

理科で習った遺伝の法則をもう一回学ぶことになります。そしてこの法則がいかに食卓に並ぶ野菜や果実まで支配しているか。厳密にはこの自然の摂理を農業に適応させているか。
次に自然淘汰というダーウィンの進化論の意味を考えます。いかに僕たちが適応してきたのかではなく如何にこの淘汰されるべきものを農業に利用しているのかを。

GMOや遺伝子組み換えに対して嫌悪を示す人。僕はそれは個人の志向なので構いません。でも基本的な分子生物学を学ぶと昔ながらの交配という手法で育ててきた野菜とそれとの違いを明確に説明できてほしいと願いします。
それはベジタリアンの方にも今回にも強く今食べている野菜がどれだけコントロールされて作られているかを知った上で謳ってほしいなと。

食は生命活動の根幹です。その安定供給に使われている先人たちが培ってきた叡智。
現代のバイオテクノロジーに即し応用している技術。
ここを切り離さずに考えた上で種とはやミツバチ問題を考えるとこの本のタイトルの意味がすっと入ってきます。そして種子法に関する議論もより理解できると思います。

最近特に感じていた「中学校の理科の知識がしっかり身についていれば十分なサイエンス・リテラシーを身につけられるので」はという考えを補強してくれた気がします。

人生の中で撒いた種を回収できた時。ドラゴンボールで ヤジロベー が仙豆をしこたま食べて満腹でもがき苦しんだようになれると幸せだなー。ってどんな幸せやそれ!

月曜日, 3月 12, 2018

枠の中の1時間。

昨日からday light savingが始まった。サーマータイムってやつで時計の針が一時間すすんだ。
日本時間で土曜日、日付で言うなら昨日、東日本大震災から7年。

今年の3月11日と言う日に思ったこと。
1時間の変化があったとしたら何がどう変わっていたのだろう。
たった1時間かもしれないが、電車の走行位置、人の移動、原発内での出来事などなど。

自然の流れや呼吸を人間が作り出した単位で作った時間という枠。
無意識に枠に縛られているようで意図的に枠を動かしたり。
自然そのものの動きは操れない原理原則で進んでいく。
どこに行くのだろう。どこかへ行くんだろう。
枠があろうがなかろうが。タイマーの音によって枠に戻された僕。次はいつ枠から出れるかな。
そのいつかに献杯。

火曜日, 2月 13, 2018

2018年3冊目(296)

空の旅を科学する 単行本(ソフトカバー)
伊藤恵理 (著)
河出書房新社 (2016/9/2)

車の自動運転が将来実現するかと言われている昨今。車の事故がこの自動運転でどれだけ改善されるか分からないけど、自動車事故よりも圧倒的に低い確率でオートパイロット(自動操縦)がなされている所がある。



何十人から数百人を乗せて地に足をつかず飛んでいる飛行物体にこれが安定飛行時とはいえ適応されている事実をもっと感動したいと思ったのでした。

筆者の興味(研究)対象への関わりとともに航空管制というシステムが分かっていきます。
「空は1つ」が筆者のモットーなのですが、ここにイントロ的に使った飛行機と自動車の間るある決定的な違いが反映されている気がします。

いち研究者として海外との繋がりなど僕自身が思う部分とオーバーラップしたり。
空港や飛行機が好きな僕としては食い気味で読んでしまいました。あーー、旅に出たい。
次回から機長が話す説明をしっかり聞きたいと思います。
キャプテン!!ビールを飲みながらですがちゃんと聞いてますさかいに。。。

金曜日, 2月 09, 2018

2018年2冊目(295)

CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見 単行本
ジェニファー・ダウドナ (著),‎ サミュエル・スターンバーグ (著),‎ 櫻井 祐子  (翻訳)
文藝春秋 (2017/10/4)

物事が急に大きく進むこと。
些細なきっかけがとんでもない広がりを見せること。

そんなX軸とY軸の両方が同時に起きた出来事。それがこのクリスパーという技術がここまで大きくなった背景だと思う。

さらに言えばZ軸の初期には人との繋がりや作業を遂行できる人材の存在など人間ドラマのような偶然の出来事があります。こういったストーリーも成功体験の話にはつきものです。

ただ今回の件でZ軸が果たした大きな役割はその技術を世界中の研究者が容易に試せることと医学系分野での永遠の命題「病気の治癒に応用できる」という二つによってブーストしたんだと思います。

あの不動産王が大統領になったように。
youtubeによって世界中の人が知る人になったOO太郎の動画のように。
ほんのわずかな期間に自分が予期しないことに関わってしまっている。生命倫理という重い課題についてのコンセンサスを定めるという。

バタフライ効果を生む最初の羽の運動をバタフライ自身はきっと意識してないと思う。
でも自分が見つけた研究成果が生んだ大きな課題を発見者自身がどこまで責任をもって取り組めるのか。その部分を強く感じ共感し果たして自分もそうなったとき出来るのかと。

クリスパーという技術が分かる以上にそれがどれだけのインパクトがある事かを筆者の葛藤やアクションから読者は読み取ることが出来るんじゃないか。
第七章の核兵器の轍は踏まないに込められたメッセージはとても示唆に富みます。
両者とも物理学者と生化学者が知的好奇心と自然科学の謎に取り組んだ結果だから。

自分も生化学者だけに個人的に最近下びな生化学の力を自分の色んな経験を踏まえ再確認しました。将来どんな発見に関わるか分からないけど最後まで責任を感じる研究者でありたいと。

さて自分のXYZ軸。うーーん気持ちは4次元。spaceXいまどんな気持ちか教えてくれ!!

月曜日, 1月 29, 2018

思い出と変化

フジテレビでやっていたTEAMという少年犯罪と少年法を扱ったドラマを観た。僕はリアルタイムでも観ていてなぜかとても印象に残っている。

僕自身は浪人生で予備校から帰宅後の夕食の時に観ていたんだと思う。今思うと浪人という立場で模擬試験ラッシュやセンター試験へ向かう季節であり、心の中の葛藤や苦しみ不安や自分への苛立ち不甲斐なさ受験というシステムへの不満や理不尽さといった爆弾になりうるものを抱えていたんだろう。当時はそんな意識はきっと無くて目の前のことで一杯一杯だったけど、無意識に その自分の境遇をドラマ内で描かれる少年たちとマージしていたのかもしれないとふと思った。

だからとても印象的に覚えているんだと思う。

今回改めて観て思ったこと。自分の過ごした思春期にあった・流行った事々。あれは一体今思うと何だったんだろうって。なんか空想の出来事のようで本当の出来事だったのかなって。
(エアマックス刈り・親父狩り・ガングロ・コギャル・パラパラとか)

被害者側の権利や学校裏サイト的な話、引きこもりや無差別殺人と言ったその後議論を呼ぶようなトピックを扱っていることには只々感心しました。

観ながら色んなことが思い出されたりして、しばらく物思いにふける時がありそうな気もします。。。
あと確実に感じたのは、年をとったんやなー。。。おっさん万歳!



木曜日, 1月 25, 2018

黒い葉っぱ

目を凝らさないと分からないけど気づいた瞬間ゾッとする景色。
夜のクロに紛れて木々にまるで葉っぱのように居座っているカラスたち。
カーカー鳴くでもなくひっそり息を殺したようにとまっている。
歩道に白い点が無数にあるのをみて「カラスの糞か」と思った時に上から新たな点が加えられる瞬間を目にし見上げた結果である。

朝や夕方にカーカー鳴いているカラスたち。思うと夏には鳴いていなかった気がした。

そこらじゅうに巻き散らかされた糞のは木々の下に。しかもそれらの木には葉がついていない。
秋に路面を赤や黄色・オレンジに染めたから。

ふと。常緑樹にすればカラスの被害は減るのかも?夏はカラスはどこに居たんだろう?

何気ない日常にナンダカンダ原因と結果をみたいついこの頃である。

木曜日, 1月 18, 2018

2018年1冊目(294)

選択の科学 単行本
シーナ・アイエンガー  (著), 櫻井 祐子  (翻訳)
文藝春秋 (2010/11/12)

この本を去年の末に手に取れたのは幸運だったと思う。なぜなら今一度自分が歩んできた道を思い返す時間を与えてくれたから。

今まで一体いくつもの選択をしてきたのだろうと細かく考えると気が遠くなるけど、現実思いに至るのは「ターニングポイント」と思われる決断をした時のこと。
なんであの決断をしたのかと思い返えすした時、ここで論じられる選択を取り巻く種々の要素が確かに存在していた事に気付く。そして、自分はその中で今思っても最良の選択をしてきたなって。
何故出来たのか?おそらく自分として「どうしたい」という絶対的価値と「こうした方がよい」という相対的価値をうまく咀嚼できていたからだろう。今思うと結構な驚き。入試でさんざん選択肢を外してきたのにね。。。

自己の意思決定に関わる要因の他に、意図的あるいは無意識に選択肢を絞ったり広げたりといった選択肢自体を取り巻く環境もあるわけで。
毎日が謎解きや懐疑的にもなりそうやけど「自分にとって」気にかけるべき点が改めて分かったのと、そこらじゅうに無意識な選択ゴロゴロあるという事実を脳にしすせたことは有意義でした。

これから来る選択にどう向き合うか。まずは自分自身を整理しないと。
選択の結果こんな文章になったけどこれでよかったのか?知らんがな。。。

金曜日, 1月 12, 2018

2018年

新年が始まって約2週間。15日の小正月を経て感覚的に平常モードになるんだろうけど今日はセンター試験初日。暦以上に現状や環境に心理も移ろっていくんだろうなー。

2018年
100%言える事。

変化と適応

これから起こりうる未来がどのようになるのか予測できないけど、描いている理想と向かい合う(会う)であろう困難、そして試される適応能力。

今のところ、個人的に調子の上がらない傾向が強い年明けの中「ついてる」と思えるラッキーを回収できてるので、求めず自重しつつ最大限のアクティビティーを出せるように。

なので今年の目標は
年末に何とかなったなー!って遠い目で笑いながら酒を飲めるようなマインドセットで過ごす。

難しいけど簡単。なせなら気持ち次第。
簡単だけど難しい。なせなら心が折れるかもしれないから。

センサーを張り巡らせて酒の助けを求めつつ向かい合いますか!One more beer please :)