火曜日, 9月 11, 2018

視覚か聴覚か

sonyがウォークマンを発売して、ディスクマンにMD playerそしてiPodと音楽をイヤホン(最近はヘッドフォンまで見かける)で聞くようになった。その時に自分の世界に没入しての歩行者含め自転車などでの事故が増え「そんなに音楽聴きたいなら家で聞け!」ナンゾいわれていた時代。昨今は歩きスマホなどディバスを片手に読み物やSNSで楽しんでいる人たち。

聴覚を支配された人と視覚を支配された人はどっちが危険にさらされているのか?

今日混み合う車中。一人でも多く乗れるように詰めてくださいとのアナウンスのなか熱心にスマホを覗き文面をタイプする人たちにを見て思ったことである。

彼らの聴覚は生きているはずだか集中というのは雑音をキャンセルするのだと。
人は主に視覚から情報を収集するが果たして今の現状は良いのだろうか?
目線の先にあるネットの世界を通じて取り合うライブのコミュニケーションも大事かもしれない、でももっと今いる自分の周りにあるライブの情報を処理する方が現在をより善く生きれる気がする。

グーグル・フェイスブック・アマゾンなどに個人情報が云々カンヌン言われる時代だが、個人のメールやSNSでのやり取りを公共の場、特に混み合った車中などでは赤の他人に容易に覗き見されることの方がもっとリスクだと僕なんかは思う。
企業が必死に組み立てるセキュリティーに文句言いながら、自分といえばなんとも無防備ではないのか。

読書も言えば同じなのだか、この述べた2つとの違いは何なのだろう。
昔などおっさんが電車で読むスポーツ新聞の風俗欄が堂々と露出していてた時代は懐かしいのかもしれない。こんなことをつらつら考えれたのは使ってる人がいるとはいえスマホのおかげとなると皮肉と矛盾をダンロードしたみたいじゃのー。。。

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