水曜日, 9月 26, 2007

母国語

日本にいる間に色々な人に話した内容を1つ。

よく「英語ペラペラやろ!?」「すごいな英語しゃべれるなんて」と言われました。
それに対する僕のコメントは「そんな凄いことではないですよ」
当然「謙虚」なコメントに取られそうですが本当に凄いとは思っていません。

もちろん「しゃべれる」「外国語を上手く扱える」ことはいいことだと思います。
でも僕は、「上手な日本語」「綺麗な日本語」を話せる人の方が断然カッコイイし尊敬できます。

テレビなどを見ていて語彙力のある人の話はカッコイイし、言葉遣いが悪い人には不快感を感じます。
敬語を正しく使える人や、話の中で慣用句などを適切に使える人になりたいと僕は思います。
だって、日本人だから。

言葉は悪いですが、「頭がいいから英語がしゃべれる」のではなく「頭が悪くても英語はしゃべれる」が正しいと思います。それは、語学は慣れが大きな要素を持っていると僕は思うからです。現に英語をじゃべれる人は結構いると思います。
第二外国語である限りその英語は日本語の思考を元に構築されると思います。
その日本語がしっかりしていない英語は所詮「しゃべれる英語」で「自分の考えを上手に伝える英語」あるいは「相手の言いたいことを正確に理解できる英語」ではないと思います。

その人の英語がその人の日本語を超えることはないと思う。
「しゃべる」ことは第一歩やけど「しゃべる」だけでコミュニケーションはできないと思う。
言語はその人を正確に相手に見せてしまう道具だと思う。

英語は話したいですが、それ以上に日本語をしっかり話せる人間になりたいです。

環境

アメリカに戻りました。

高湿度で熱帯夜、最高気温は30℃オーバーの大阪。
空気は乾燥して最高気温23℃、最低気温11℃…

寒いよ、喉痛いよ、風邪引いたよ!!

今までそんなに違いを感じない春先に移動することが多かったせいか、そこまで環境の変化を感じませんでした。しかし今回はスゴイ。

人間は色んな環境の中で過ごしているんですね。人間の適応能力はやっぱりすごい!!

僕の適応能力がんばれ!!

木曜日, 9月 20, 2007

目標と現実

PHP新書から「 「場の空気」が読める人、読めない人 」と言う本が出版されています。

今日この本を少し立ち読みしていてびっくりしました。
先日書いた「ありがた迷惑」にかなり近い内容の文章が載っていたのです。
「あなたの周りの「場の空気」が読めない人」の例として「独りよがりな思いやりで相手に迷惑がられる人」の項目にバッチリ。自己満足という言葉まできっちり出ていました。

かなり笑ってしまいました。相当に自分は今の流行で言う「KY」だったよですね。
その自分が目指しているのは「空気の読める人間になりたい」と言う…。なんじゃこら(笑)
正直なところ「なんでやねん」って気分ですが、真摯に受け止めようと思います。

でも本からではなく、いろいろな方との会話を通じて自分の中で思考を重ねて、この考えを得られたという事実は評価したいと思います。話を聞いてくださった方々本当にありがとうございます。こうやって日々考えて成長していこうと思います。

それにしてもまだまだ修行が必要ですわ。がんばれ、おれ!!

火曜日, 9月 18, 2007

気付く

よく「親孝行をしたいときには親はいない」と言う言葉を聞きます。
これはすごい本質を突いていると思いました。

いつも当たり前に思っていたことが無くなって、その存在の大きさを実感し自分の浅はかを痛感する。
あるいは「そうやったのか」と気付いた時にはその出来事は終わっているのです。そして気付いてから修復に取り組んでも手遅れなことが多いと言うことです。

もっと日々アンテナをはって色々なサインを拾える人間になりたいなと感じました。

ありがた迷惑

みなさんは人のことを考えて行動していますか!?

友達や好きな人が喜んでもらえるように、相手の気持ちを考えて行動することは非常に大変で体力を使います。何がその人にとってプラスになるのかなどを一生懸命考えるのは大変だからです。

ただその行為が相手にとってどれだけ役に立っているのかの判断は難しいです。
時にはその行為が迷惑になることもありうるってことです。

迷惑となる時は自分のことよりも相手のことを真剣に考えすぎたあまりに起きるとおもいます。
つまり、自分は人のことを考えているという自己満足になっているということです。その自己満足の状況では結局、相手よりも自分の為になっていると言うことだと思います。
人にとって良い事だろうと自分の感情を押し殺して、相手とすれ違いになることほど悲しいことはないです。

自分を犠牲にしてでも相手にとってよいことを考えることは素晴らしいことだとおもいます。
しかし、自分の考えと相手への思いやりがいいバランスであることが最も大事な部分ではないかと最近感じました。

自分を完全に殺して生きる人生なんてやっぱり楽しくないし、人と上手く付き合えない人生も楽しくないです。

こんな風に考えすぎる人生も楽しくないから、肩の力を抜いていこう!!

受け手

私たちは人に対して言葉を発してコミュニケーションを取っています。
話し手がいて受け手がいて成立します。
そして、会話の内容はしょうもない話からまじめな話まで、無限に存在しています。

ある物事に対して意見をぶつけて相手を納得させるといった行為は皆さんされていると思います。
その意見は話し手の経験や考え方をもとに形成されていくもので、それを堂々と人に話せる人間になることは大事だと思います。
話すことで受け手が思考を重ねて、考え方を正しい方向に進めることができれば非常にその会話は意味のある物になります。

ただ最近切に感じたことは、発する内容も大事ですが「言い方」もかなり大きな要素になると言うことです。

どんなに正論を吐いてもキツイ言いかたで相手を傷つけてしまっては、受け手が拾える内容は不安の方が大きくなると言うことです。
言ってる内容に正しさを求めることには気が向きますが、相手の受け取り方などには配慮が向かなかったことを経験しました。
どんなに正しい意見も相手が真摯に受け取ってもらえるからこそ意味があるのだと。

今後はその辺りも気にしながら人と話していきたいです。

日曜日, 9月 09, 2007

平和

日本に帰っています。

レストランや喫茶店に行くと、テーブルや椅子にカバンで席を取ったまま注文に行っている方々がいます。
深夜12時にまだ人がいっぱい歩いています。

アメリカでは見ない光景です。日本って安全なんだなと

でも最近外国人をよく街で見かけるようになりました。ほんの数年前からは比べ物にならないぐらいに。
かれらはどのように感じているんでしょうか?

でも客観的に遠方から日本の事件をると日本はかなりおかしくなってきていると思います。平和とはいえない世の中になりつつあります。

でも、日本に戻るといつも慣れ親しんだ平和スタンダードで過ごしている僕がいます。
だって安全な空気や雰囲気ですもん。

って平和ボケできることが平和の象徴なんですかね。

葛藤

自分の意見や考え方を持っています。
色々な人と話したり議論したりしてそれが正しいのか改めなければいけないのか己に問いかけ悩み考え答えを出して形成してきた財産です。

自分の抱く感情自分の想いを素直に表現したいときに、必ずしも自分の意見考え方を無視することはできません。

意見考え方にそって自分を押し殺すのがいいのか、意見考えを放棄してでも自分に正直に生きるのがいいのか。

考えているうちに時間が解決してくれるのか、底なし沼にはまっていくのか。

生きることは本当に大変です。全てを放棄したくなります。でもそんな簡単じゃない人生だからこと楽しいのかもしれないですね。

また一回り大きくなりますか笑