金曜日, 12月 31, 2010

2010年の総括

日本は年が明けたようですが、こちらはあと6時間後です。
本当に早かった一年でした。

今年の総括です。
まず今年立てた目標を省みます。

1つ目、2年またぎの目標の「自分の手で」。
はい、これは未だ未達成です。まずそのためのデータ集めが予想外に苦戦しました。
理想と現実。この間を今年はすごく感じました。知恵を絞ることなどで何とか見つける、落としどころや解決法。今後も頭を使っていかないといけません、本当に。
来年ここを去るまでに絶対にやら無いといけないので、これは確実継続と言うか使命ですね。

2つ目。一歩踏み込む。
意識していた時は割りに出来ますが、日常の中で常に意識できませんでした。
思考停止とまでは行かないけど、人間も持つ堕落・面倒くさい・したくないと思う「平衡性」(最近思ったルール)にやられました。
うーん、これもダメ。

3つ目。本の書評。
これは出来たと思います。読んですぐに書くことが出来、かつ50冊読めたら100点でしたが80点はつけれると思います。

目標達成率は2割ぐらいでしょうか、トホホ。
自発性は割りに出来るのだけど、意識や外的要因に起因する目標を立てることの難しさですね。これをやり切れるようになったら素敵ですな。

その他は、新たな出会いがありました。人との出会いとは偶然ですが、それを拾えることが出来たのは本当に良かったです。色々な話を聞く機会を持て考えるチャンスを得られたのはスーパー収穫でした。人脈は金脈ですね。自分は他の人に「金脈」と思えるような人になりたいものです。

今年の春先ぐらいから意識し始めた研究者としての「説明責任」。
終盤にいいチャンスをもらえて実行でき、かつその難しさを学べたのは自分のキャリアにとって最高の経験でした。漫談家ではないですが、上手にかつ面白く説明できるように日々独り言ですね。

全体として色々新たに感じ・ポジションも変わり、いい意味で転換の一年だったのかなと。いい一年でした!!
いつもながら多くの人に支えられました。この場を借りて本当にありがとうございました。

さて、仕事納めをして帰って飲みに入りましょう!!

2010年バイバーーーイ!!

火曜日, 12月 28, 2010

書評 その42

印象派の誕生―マネとモネ (中公新書)
著:吉川 節子
出版社(発売日):中央公論新社 (2010/04)

美術館にはまった去年。中でもモネとゴッホの絵がとても自分的には好きで、それらがカテゴライズされる印象派ってどんなんや!?って言う感じで買うしました。

僕にはまだ知識が乏しいので、この本中に出てくるような見方が出来るようになるまでには相当な年月が掛かると思います。でも「なるほどー」と思うことがたくさんありました。

アトリエの絵があるんですが、その中に飾られている絵は誰のもの?
時代の考察や筆者が絵に込めた意味とは?
などなど、こんな風に見れたら面白いだろうなと思いました。

写真の影響と言う項があり、人間もモノとして撮ってしまう写真とマネの絵について書いてありました。
僕は写真では表現できないような絵の持つ「人の視覚」的な表現が好きで、風景画を見てスゲーと感じた辺りから絵画と言うものに興味を持ちました。人物画の持つ質感や表情など。
でも、写真を見て絵を描くことが出来る世の中で、そのモノ→写真→絵画の変換と言う作業の凄さを感じました。
あと、すごいなぁと思ったのが、手紙という方法でみんなが連絡を取り合っていたこと。
今のネットやe-mailの無い世の中で、人とのつながりって考えました。

表現したいことを何であらわすか!?ということも考えました。
社会批評を絵に込めたりしてるところの解説で、ふとそれを絵で表現する理由は!?と。
漫才でも漫談でも、あるいは文章でも良いわけで。そんなことを思うと「手段の中に目的が内蔵される」という宮台さんか宮崎さんが言った言葉が頭をよぎりました。

また違う角度で絵をみれるような”気が”しました!!
芸術は爆発だー!!

書評 その41

この本は是非とも読んで欲しい本です。

罪と罰
著:本村洋 宮崎哲弥 藤井誠二
出版社(発売日):イースト・プレス (2009/4/16)

光市母子殺害事件の被害者・本村さんが宮崎哲弥さんと藤井誠二さんと行った鼎談の本です。

死というものを取り巻く物事についてとても考えさせられます。
自分の死という事象は考えることがあります、でも最愛の人が死ぬ殺されると言うことまでイメージしたことはありませんでした。

本村さんの言葉はいい表現方法が浮かびませんが、お坊さんの説法を聞いているような感じに僕はなりました。
本当に闘うと言うことの大変さがひしひしと伝わってきました。

死刑制度というものをどう考えるのか、少年法をどう考えるのか、精神鑑定をどうかんがえるのか、報道をどう考えるのか、裁判員制度をどう考えるのか。
死と向き合うことは、その回りのことと真剣に対峙しないといけない。なんとかしたいのなら。

差し戻し審で議論の的になった弁護団を話を見ていて、ドラマのことが浮かびました。
弁護士・検事・刑事という職業を主役にしたドラマがあります。その中でこの3つは対峙したり協力したり。ただ主人公の職にスポットがあたります。この3つ全てとフェアに向き合わないといけない。
どの目線に立つのか?

どこに落としどころを持つのか、そしてそのありべき姿とは何なのか?
それを読めたことは僕には良かったです。感じたことがとても多かった。
かわいそうと思うのでなく(当然そういった感情を経て)、じゃーどうするべきなのか。
思考停止になってはいけない。

是非読んでみてください。

M-1グランプリ2010感想

笑い飯おめでとう!!


とうとうM-1終わっちゃいました。なんかやっぱり寂しいですね。


筆者採点(予選順位)    順位(予選)       最終順位   筆者(予想)
銀シャリ 80点        パンクブーブー     笑い飯        敗者復活
パンクブーブー 79点    笑い飯          スリムクラブ     ハライチ
笑い飯 78点         スリムクラブ       パンクブーブー   銀シャリ
ピース 78点          ピース          ピース        笑い飯
ハライチ 77点        銀シャリ         銀シャリ       ナイツ
ジャルジャル76点       ナイツ          ナイツ        ジャルジャル
スリムクラブ 76点      ハライチ         ハライチ       スリムクラブ
カナリア 75点         ジャルジャル      ジャルジャル    ピース
ナイツ 74点          カナリア         カナリア       カナリア



僕の予想の当たり具合とかは見ての通りです。なんじゃこりゃ笑

以下には自分が感じたことを述べたいと思います。


まずライブでも書きましたが、お客さんがすごく緊張していた気がします。カナリアとジャルジャルが掴みっぽくやった挨拶と言うか(本来なら多少クスリとあるんちゃうかな)で「シラー」ってなって。
思わず僕は「うわぁー」って言ってしまいました。
聞いた話だと緊張してるお客さんも笑いすぎるお客さんもやりにくいそうな。
でも、お客さんは悪くなくて。難しい所ですが。だから今回は大丈夫かなって思いました。


ジャルジャルとスリムクラブは、僕にはどうしてもコントのように見えてしまって。
特にスリムクラブ(ライブ19:21参照)に関しては、2人が向かい合って会話をしていてお客さんを見てないのとかも気になり。
でも、あんなに間を取ってやるという発想は斬新で。その間で僕はあまり反応できなかった。

銀シャリのあのネタは、以前に見たことがあって「あー、これで来たのか」と。
ただカナリアがドレミで銀シャリはABCって言うのでネタの構成が被るなぁと(カナリアの時にまさかと思ったらホンマになった)。
でも、僕としてはコントっぽいコンビが続いたからコントラストで受けると思ったのが予想外。
僕自身はとても思いろかったんやけど。

ナイツはどんな感じに仕上げてくるのか楽しみにしていたんですが。
3回目って言うので、マンネリ化っぽくなりそうで変化を求められるのではと言う点で。
でも僕的にはちょっと残念。自身が時事ネタ漫才があまり好きでないのあるのと、前半後半で被せてくるっていう絵が見えてしまって。3/4ぐらいで何となく先が見えたというか。
ここで感じたことは、お客さんがナイツで漫才の口というか空気になったような気がしたこと。
銀シャリを応援していたので、ナイツと順番が逆だったらとか思ってしまいました。

笑い飯は鳥人と型が似ていて、おもしろかったけど僕にはしっくりこなかった。
もっとちょけてくれるんかなって思っていたけど…。

ハライチは去年おもしろとおもったけど、ボケの方が「タダ言うだけ」(すんませんちょっと上からで汗)に感じて。
陣内さんがやるようなVTRや音声や、第二回のR-1(浅越ゴエさんが優勝した回)の予選でプラン9のヤナギブソンがやっておられた「XXな○○」となるようにあらかじめ準備した紙を舞台上でランダムにXXと○○を引き「偶発の造語」に突っ込むという型でもやれるやん。
ボケの役割を今回どう改善してくるのを注目していました。でも、僕には同じに見えたなぁ。
期待していたので残念やった。

ピースは漫才と言うのは初めて見たんやけど、なんかイメージしていたのと違った。
又吉さんがロン毛になっててビックリした!

敗者復活。僕はパンクブーブーの2連覇でおしまいというシナリオだったので、ドキドキした。
僕的にはおもしろかった!

得点を付けていて本当に感じたのは、審査員の方々スゴイなと。
僕は5点とかの差がつけられない、チマチマしたものになってしまう。そしてどうしても前のコンビとの比較になって、それをさかのぼっての比較が出来なかった。

審査員の顔を抜いたワイプいります?僕はあれは無意識に笑うという幅を狭めるような気がする。
というのも、抜かれた審査員が笑っているところで自分が笑ってないと「あれ、これをおもしろいと思ってないことは変なのかな!?」って。その逆もあって審査員が笑ってないと「あれここで笑ってる自分はレベル低いんかな!?」って。ヒトには価値観や経験があってツボが絶対に違うと思う。そんな中で共通の落としどころや想像に引き込めるかが技術だったりするのかなって解釈しています。

最終決戦の笑い飯。終盤に向けてドンドン崩れていって僕は受けました。
でも、自分的にはあの粗い発想を作り出したスリムクラブが2002年の笑い飯に見えて、最後に新しい価値観が勝つのもありかなと思って、スリムクラブと予想した。
結果は笑い飯!!
僕の友人は松ちゃんの「勝たしてあげたかった」的なコメントはアカンやろうと。
分かる気もするし、2002年のあとの放送室でそのようなコメントをしていたのも聴いた記憶がある。
でも、松ちゃんも9回やった審査員といううのと結婚して子供さんが生まれたこととか、色々な要素でああいう気持ちになったんかなと一人察しています。真実は藪の中です。

僕自身は笑いのツボの関係であまりグッとこなかった回でした。
でもやっぱりお笑いっておもしろいなぁーと。そしてまた、ライブに足を運びたいと思いました。
生はやっぱりすごいですし、テレビでは伝わらない空気。また感じに行きたい。

演者の皆様、ありがとうございましたー!!

月曜日, 12月 27, 2010

固相化された時間

M-1に関しては明日書きます。

今日仕事の関係で遠心機を使いました。
15分
事実として15分遠心機は回り、待つわたしがいる。

その15分をどのように使うかは自由であり、当人の行動次第で価値は1時間以上になりえる可能性がある。
時間という概念をふと深く考えた瞬間だった。

時間と質との関係。効率。
個々の改善次第でとてつもない「時間」を生み出せるのではないか!?
でも、遠心のように制御できない時間の枠が存在する。

その間でどのように自分はときを感じるのだろうか。

以前に時間の概念に関して書いた記憶があるけど、この遠心機のような「固相化された時間」への感受性を今日感じた。

時間を感じるという概念。
時間を意識する概念。
時間を過ごす概念。

時間とは何なのだ。生を感じること、死へ向かうこと。
存在。自己。

とりあえず目をつぶろう、どれぐらいの「時間」の経過が起きるのか。
飲みすぎはいけませんね。小銭の神様みえるかも…

日曜日, 12月 26, 2010

M-1グランプリ2010ライブ

18:42 観客が相当緊張している気がする。

18:47 観客の緊張がヤバイ。審査員の方々もビックリしているんじゃないかな。拍手も遅かったし。

19:02 銀シャリとネタ被るんとちゃうかな!?審査員のワイプいるかな!?75点

19:03 審査員やさしいですね

19:10 今年はむずかしい。76点

19:29 80点。YMCAの入れる場所が変わっていた

19:14 現場と会場の空気が違う。パンクブーブーがその空気を知らないのはどうなるか

19:21 コントに見えるのば僕だけかな…。76点

19:36 時事ネタなのがぼくには。74点

19:45 78点。むすかしい

19:56 77点

20:05 78点

20:15 79点

20:31 2002年の笑い飯みたいやった。

20:42 気持ちは該当者なし。でもスリムクラブな気がする。

21:00 笑い飯おめでとう

M-1グランプリ2010予想

敬愛する先輩のご好意で今年も生で見れます。本当にありがとうございます!

独断と偏見の予想です!!

敗者復活
ハライチ
銀シャリ
笑い飯
ナイツ
ジャルジャル
スリムクラブ
ピース
カナリア

根拠は愉快犯の勘です。さぁ、どうなるか!!

月曜日, 12月 20, 2010

書評 その40

誰も知らなかった賢い国カナダ (講談社プラスアルファ新書)
著:櫻田 大造
出版社(発売日):講談社 (2003/5/21)

9月にトロントに行った時に「カナダって面白い国やなー」って思って興味を持っていたので、何か手頃な本は無いかと調べたところ、出会った本がこの本でした。

政治のシステムに関してはとても詳しく解説がしてあって、道州制を考えるに当たってカナダをしっかり検証するのは意味があるのではと思いました。
そして読めば読むほど「へー」って部分が多く、国境と言う線を越えただけでアメリカとこんなに違うのかと驚きます。
ナイアガラの滝で徒歩でアメリカ-カナダ国境を越えた今年。そう、本当に線をまたぐと全てのルールが変る。このラインを意識できないと言うことは、今の日本人にとって大きなマイナスのように感じました。

出版が2003年なので、現在との比較をすると色々と見えてくるのかもしれません。
カナダの枠を知るという点では十分すぎるのでは思います。

まだフランス語圏の都市に行ってないから、機会があれば来年でも行きたいなと思います。
ビール節約でお金ためるか…、それはやっぱ出来ん!!

書評 その39

大淘汰の時代 「メガ再編」後に生き残る企業・消える企業 [単行本]
著:須田 慎一郎
出版社(発売日):講談社 (2010/1/29)

須田さんの本は個人的に好きでよく読みます。この本は色んな業界で起きている再編や変化についてとても分かりやすく書いてあります。

航空業界・金融業界をはじめ、昨今の激安商戦そして自分がお世話になっているビール(飲料)業界。
その背景にあるあのリーマンショック。そして巨大な2つの国、アメリカと中国の存在。

各業界で起きていることの本質は同じで、それは競争と言う名の淘汰。
なぜ競争が激しくなったのか?国際化と金融危機(経済)。
本当に時代の流れを予測することについて考えさせられました。

今はまさに電子書籍による出版業界がこの枠に当てはまるのかなと思ったりします。
そして、自分のやってる研究ではどういうことに対応するのかなと考える機会を得れたのも良かったです。
それ以前に「働く」といことの定義から考えていって競争を余儀なくされる企業で働くってホンマたいへんやぁと。その反面で、この競争の無い「働く」って何があるのかなどいい思考の実験にもなりました。

淘汰されないようにがんばろーっと。

日曜日, 12月 12, 2010

2010 M-1グランプリ

決勝進出コンビ(ネタ順)
カナリア (よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
ジャルジャル (よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
スリムクラブ (よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
銀シャリ (よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
ナイツ (マセキ芸能社)
笑い飯 (よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
ハライチ (ワタナベエンターテインメント)
ピース (よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)

この季節がやってまいりました。

進出者に関する話の前に、残念なニュース。今年が最後のM-1とのこと。
今年で10回目。大きな節目なのかもしれません。私的な感想を以下に。

本音のところで「あー、それもありかもな」って思う自分がいます。でも、とても残念。

肯定的な意見を思う理由は、なんか最近の番組構成に不満があったから。おそらく4回目以降大きく見せ方が変ったように感じる。4回目までは有明のパナソニックセンターが会場で、敗者復活は会場のすぐ外やった(僕も2回敗者復活を見に行ったからよく覚えている)。その時のイメージは純粋なネタ番組。カメラワークとかがネタを中心になってた。でも5回目からの会場がテレビ朝日になって敗者復活の会場も巨大化(神宮球場とか大井競馬場)してから、セットは派手になり演出が増えて芸能人の観客の笑い顔を頻繁に抜くような「視聴率」を意識したような作りになった感じが僕にはする。そして、その僕が定義する演出が自分には本当に不愉快だった。これが肯定意見の理由。

その一方で否定的に思う理由は、芸人の方々の笑いに対する取り組みやM-1に対する情熱を、自分なりに予選や敗者復活などをM-1リターンズなどを見に行って本当に感じ尊敬するから。
一年かけてライブなどでネタを繰りながら、決勝用の2本を作る。僕は好きな千鳥のライブで色々なネタを見せてもらって、友人とその後の飲みであれM-1かなとか話していたのを思い出す。
きっと戦場であろうM-1に勝つという目標設定が出来なくなるのは。とても芸人さんにとってこの先大変な苦悩になるのでは?と思ってしまう。

演者側と運営側の変なギャップがこの「終幕」の原因じゃないのかなって思ってしまう。

大阪だとABCや今宮戎、上方といった冠の付くお笑いのレースが結構あり、そこで勝つことが評価になる。M-1はそれの全国版の巨大規模、しかもハイコンペティティブ。その意味はとてもスゴイことだったと思う。

僕はお笑いが短時間の大量消費っぽくなったように感じるので、それを思うと今回の判断は妥当なのかもしれない。M-1というイベントを”存在として”現状維持でOKといったイベントに出来ない今の世の中の流れがあるのかなと思うのでした。


今年の予選で少し驚いたのは、準決勝が1日だけでおそらく残った人数も過去に比べて少なかったように思います。
残ったコンビで印象深いのはピース、銀シャリ、カナリア。
ピースとカナリアはよしもとファンダンゴテレビで4年前ぐらいにやってた番組でアシスタントとして出ていたのを思い出すから。ピースは月曜日のチュートリアルの回に、カナリアは麒麟の木曜日の時に(笑い飯と千鳥とのローテーションだったはず)出た時に。
銀シャリはなんと言ってもオールザッツ漫才。
勝手にM-1に出るまでに成長したんや~って感慨深く思ってしまいます(おまえ誰やねんって感じやけど)。
ジャルジャルはめちゃイケの絡みもあるし、ここで取ったらおもしろいことになるだろうなと。
ナイツは今年は取りたいやろうね。はらいちはどんな感じに変っているのか楽しみ。
スリムクラブははじめて見ることになるから期待したいです。
笑い飯…。どんな風にいちびってくれるんかなって期待します(本人たちは絶対に取りたいと思っていると思われますが)。

さー、どうなるか楽しみですね!!

木曜日, 12月 09, 2010

接点

僕はある病気に関連したタンパク質の研究をしています。
リサーチセンターのある病院にはいろいろな方が働いています。
いつもフロアをキレイにしてくれている掃除のおばちゃんがいます。
彼女はとても親切でいつも仲良く話をしてくれます。
いろいろな話をしますが細かい仕事の話をすることはまずありません。内容を言うこともなければ訊くこともない。でもお互いの共通認識として「タンパクを扱ってなんや研究をしていることは知っている」。

今日、僕がその病気に関する論文をまとめているフォルダーを整理していたら時のこと。
彼女がそのフォルダーに反応しました。Osteogenesis imperfecta(日本名は骨形成不全症)とい病気で僕たちは略してOIといいます。
「OIやってるの?」と言う彼女。彼女は冗談が好きなので、何か面白いフレーズを略しOIと言っているのかと思って、何を言うのか期待していました。
次の一言「Osteogenesis imperfectaやろ!?」
僕は「えっ!?知ってるの!?」って言ってしまいました。
彼女の知り合いに不幸にもその病気に罹っている方が居るとの事でした。

それを研究している当事者。それを身近で体験している当事者。
お互いそれを同じ時間を共有しているにも関わらず、専門性と言う名の壁によって知ることが無かった。
何をあなたはしているのですか?簡単な質問だけど実はどこまで話すかって難しい。
研究者は一般人にも分かるようにと思う。一般人は研究者の話をどう聞いているのだろう。僕にとってはとても刺激的な出来事でした。

そして色々なことを話しました。僕はあくまでも研究という「知」の部分を。彼女は経験と言う「身」の部分を。
そしてお互いの考え方、感じ方、アプローチ、認識、問題点など有益なディスカッションをしました。知ってるからこその倫理や差別といった考え。一般的な考えから出る疑問や対処法。その落としどころ。
改めて研究者がやるべき説明責任(accountability)の重要性を感じました。
僕は機会があればその知り合いの方にに会わせて欲しいと言いました。
それは研究者としての説明責任と、実際に取り組むべき課題との間をこの目で確認し埋めるために必要なプロセスだと思ったから。
実際に会えるか分からないけど、現実としての「病気」を感じた上で現場としての「研究」に落とすことが出来るのか。言葉がよくないけどなんか楽しみです。

ひょんな出来事。そこに生じた接点。
この空間の中で僕はどれだけの情報をシェアし有益に使えているのだろう。
日常の中で起こる小さく見えそうな行動とそれをするタイミング。
これは記しておくべきと布団に入ってから感じて起きた、小さな行動でした。

うーーん、生きるそして感じるというのは大変やけどおもしろい!

木曜日, 12月 02, 2010

焦点

サンクスギビングの休暇に友人とロスにサーフィンしに行った時に感じたことを。

サーフィン中に左目のコンタクトレンズを失う。
右目のコンタクトレンズのみの状態で過ごす数時間。

4つの視界が広がる。
右目を閉じると、ほぼ何もかもぼやけて見える。
左目を閉じると、輪郭がはっきりした世界。
両目を開けると、変なコントラストの利いた視界。
両目を閉じると、音だけの暗闇。

いったいどれが正確な認識としての世界なんだろう。

見えているというのはいったい何なのか。
目が悪いから分からない。それは目がいいことが前提となっている世界。
視覚というより光を受ける受容体としての目と反映する脳。
コンタクトレンズと言う数ミリの厚さの中で曲がる霞む世界。

僕は何を見ているのだろうか。

水曜日, 12月 01, 2010

書評 その38

関係する女 所有する男 (講談社現代新書)
著:斎藤 環
出版社(発売日):講談社 (2009/9/17)

以前に流行った「地図をよめない*+&%」とは違うと筆者が本の中で語っていますが、かなり色々な側面から性(ジェンダー)というものが持つ男と女という「領域」(僕はあえてこう表現したい)について解説してくれています。

これは面白かった。過去の経験や自分の身の回りを振り返り納得する点も多く、そこからさらに深く考えるともっと面白いんだろうなと思いました。

生物学的視点、母子的視点、そして環境的な視点。
それぞれが空間的広がりのなかでオトコ的なものオンナ的なもの範囲というか概念を含み、そことの交差の中で生まれてくる定性的パターン。
そして特筆すべきは、筆者が精神鑑定といった精神科医の観点からこの話を見ていることだと思います。

少し話は飛びますが裁判員裁判に関する不安点で、宮崎哲弥さんなどがよく指摘されている「判決に精神鑑定が関係した場合の裁判員の判断」と言うのがあります。
この書には精神科医の分野で使用されたりするのかなと思うような用語が出てきます(分野外なので憶測かつ想像ですが)。読んでいてニュアンスは理解できるけど100%の理解は果たして難しかったと言うのが感想です。
新書と言う知的好奇心のトライでさえも難しい分野。それを裁判員として専門的知識がない人がフェアに鑑定結果を理解できるのか…。
かなり不安に感じたのが正直な所です。なので、ここで記しておこうと思います。

話を戻して、自分の存在としての定義としての男。これが色々なモノから成立して「きた」んだなと。身の回りを見渡して感じる次第です。これは僕はとても面白い本でした(全てに賛成ではなかったです、天皇制に関する辺りとか…)。
これが絶対ではないけ思うけど、こういう観点を知れたことはよかったと思います。

書評 その37

「アメリカ50州」の秘密 (PHP文庫)
著:株式会社レッカ社 (著, 編集), 松尾 弌之 (監修)
出版社(発売日):PHP研究所 (2009/8/3)

アイオワに移動になった高校時代の友人宅へ遊びに行く際に、どんなとこか知っときたいなと思って探したら出てきた本。

大まかにアメリカという土地(州)に関して知るのにはいいかもしれません。
僕としてはもうちょっと深い部分まで書いてくれていたらいいのになぁーと思いました。

この本を読んで思ったことは「アメリカの歴史」をもう一度しっかり勉強したいなと思ったことです。
南部と北部の関係。西部開拓といったところ。そしてアメリカ大陸開拓。
イギリスやフランスなどとの関係。
その辺をちゃんと理解できたら、もと基本的な感覚がクリアになってこの国を見れるのかなと。

なんか無性にアメリカ横断ウルトラクイズが見たくなった…。
桃鉄のアメリカ版もってるし一人でコツコツやるか!?

書評 その36

ほんとの野菜は緑が薄い
著:河名 秀郎
出版社(発売日):日本経済新聞出版社 (2010/7/9)

そもそも植物って!?ということを考えさせてくれます。
何も手入れしていないのに実る果物。肥料とか与えてないのにね。なんで?
だって、植物だから。

そう僕らが口にしているものの多くは産業として作られている野菜や果物。
その観点から、自然の野菜を作る。そしてそれがどのような点で流通している野菜と違うのか。
とても面白かったです。

僕には農業を営んでいる友人がいます。ブログの右のリンクにも貼ってありますが
シゼントトモニイキルコト
を見てみてください。彼から聞いた話や飲ませてもらったトマトジュースの話を思い出してふとどんな栽培か尋ねてみました。

彼から貰った返事の中に出てきた言葉を使わせてもらうと「有機農業」をやっているとのこと。
そしてそれは不耕起&無農薬。でも肥料使用しているとのこと。でも化学肥料ではなく堆肥、貝殻、糠、籾殻などとのこと
この本で出てくるのは「自然農法」。これは無肥料かつ除草もほぼしないというもの。

前者でも十分魅力的なのに、後者になるともっと大変そうに感じる。
そしてふと感じたのは、知識がないと自然農法は「ほったらかしで大丈夫!?」みたいなイメージを抱かれるのかもとか勝手に思ったり。
自由と管理のイメージと、自然と管理のイメージは必ずしもイーコールに取られないのかなって。

ここで以前に記事にした環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)との関係まで考えると、とてもとても事は複雑になってくる。
安全なものを食べたいのと安く買いたい。
安全なものを売りたいのと儲けたい。

そんな間で消費者のリテラシーが必要な時代なのかなと思います。

僕は機会がここに出てくるような野菜や食品を一度口にしたいと思います。比較対照を得るために。
あー、農業って深い!!

書評 その35

思想地図vol.4 特集・想像力 (NHKブックス別巻)
著:東浩紀 (編集), 北田暁大 (編集), 宇野常寛(編集協力) (編集)
出版社(発売日):日本放送出版協会 (2009/11/26)

書評 その30の続編です。今回のテーマは想像力。

想像力って言葉は使うことはあっても、ふと立ち止まってその持つべき意味を考えるのってなかなかない気がします。
この本で取り扱っているのはアニメ、小説、芸術から政治的な話から子育てまで。

「感じたこと」「考えていること」と「方法」「表現」といったモノとの間を埋めるため、或いは行き来するための道とでも言う感じに思った。
その周りには固定観念や常識的なモノがあり、さらにその外枠に大きな環境や文化的なものがある。
前回テーマだったアーキテクチャからの延長線な気がしました。

その表現の独自性的なモノがサブカルチャーとか言われるものになる。
それには特異的なモノが結構あったりするけど、それには表現したい主体があるとでも言うのか。
そして表現されたモノの間の関係性。

どうしてだろうと考える際の「想像力」と感じたもの表現するために考える「想像力」
同じ言葉でも持っているニュアンスが違う。

なんかとてもまた難しいけど刺激的な本でした、というかだった気がします。
少し読んでから時間が経ってしまったのが後悔…。もっと色々書けた気がするなぁ。

こういった本を読み色んな行動や経験をして思うのは、やっぱり物事のリンクを導き出すというプロセスは面白いです。また脳の可塑性って最高!