月曜日, 7月 30, 2018

2018年22冊目(315)

教養としての聖書 (光文社新書)
橋爪 大三郎  (著)
光文社 (2015/3/17)

ああ、確かに教養って感じがする。これが読んでる時に思った感想です。
成り立ち・流れ・地理関係・登場人物の名前と関係性・旧約新約の違いといった基本情報を知るだけで、日常との意外なつながりを感じれます。
そしてこの解説的な本でさえ内容の複雑さというか、ややこしさというか、時に意味不明さや、理不尽さを感じ取れます。
古い書物がうえの「解釈」の問題。その一説を切り取って語ることの危険さ。
語弊はあるかもしれませんがそら揉めます。はっきりせーへんねんから。
歴史的に見て糞新しい日本の憲法でさえ解釈で揉めるんですから。
が、故の神の存在なのでしょうか。
読み込む気は起りませんが、覚えておきたいことは多かったです。
世の中の作りは複雑だ。ままならない。それでええのか。ええんやろう。
Drink first and then think about...

火曜日, 7月 24, 2018

2018年20,21冊目(313, 4)

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫) 文庫
岡本 太郎  (著)
青春出版社 (1993/8/1)

自分の運命に楯を突け (青春文庫)
岡本 太郎  (著)
青春出版社 (2016/4/9)

太陽の塔の内部公開に参加し、岡本太郎さんが考えてた万博そして世界観を知りたくて。三部作のうちの2冊です。3冊目はあえて一緒に読んでみたい本があるのでそれと繋げてみようと。でも、この2冊で岡本太郎さんとはを十二分に感じれました。

奇才のイメージとはかけ離れた人間・岡本太郎がそこにいました。
そもそも奇才でもなんでもなく素直に自分らしく生きた結果、周りが描いた像がそれだった。だけ。
根底にウエットとドライが共存していて、その極性の境目まるで汽水のようなところが世の岡本太郎像だった。そう僕には見えました。
汽水の意味を知らないとその豊かさが分からないように。
ウエットがドライっぽく、また時にはドライがウエットっぽく。言ってしまえばどっちでもない。なぜならスジであり、生きることそのものだから。
そんな岡本太郎の言葉は人間的というよりヒト的。
それをやり切った人。岡本太郎。

自分らしく生きたいならスジがある。それを通すのは苦である苦でしかない時がある。やめてもいい。言うても誰も気にしない。結局気にするのは自分本人。なら苦に堪えむしろ楽しむ自分となれ。それがまた自分らしいのだ!!!

現在、自分が置かれる状況の中で太郎さんの本を読めたのは良かったです。
これでいいのだ!!

2018年19冊目(312)

納豆に砂糖を入れますか?: ニッポン食文化の境界線 (新潮文庫)
野瀬 泰申 (著)
新潮社 (2013/9/28)

食文化の広さ深さを知れます。
という細かい文化の描写で示すにはもったいない本だと思った。
その面白さは2つある。

1つ目。各項のニュースソースはネットを経由した読者からの投稿に重きがあるということ。集合知である。単にそれだけだと、わりと散見できるネットコミュニティーの話になってしまう。ここで忘れてはいけないのは、その読者のコミット欲求をくすぐる筆者の問い設定だと思う。AIが仕事を奪うという話はよく聞くが、この本で出されてる問いの設定と、読者の「自分の知の共有によって得られるフィードバックの可視化」が面白さのエッセンスでは。

2つ目。最終稿に実際に筆者が旅に出る中で問いを実際に解いて行く作業。
言ううならば枕が効いての本文である。その実体験の中に描かれる食の境界であり飛び地に歴史や繋がりを体感するのである。

もしこれらの作業が以前に読んだ方言の本にあればと思った。
面白さとは問いの設定であり、設問の解き方のライブ感なんだなと。
改めて自分の仕事にもつかえそうだなと、今この文章を書きながらニヤニヤしたのでした。その場の閃きかよ!!

土曜日, 7月 14, 2018

成長を取り巻く要素たちみたいな感じ

ワールドカップのノックアウトラウンドを観戦しながら思ったこと。

1)良いキーパーはすぐに立ち上がる
スーパーセーブはもちろんそのキーパーの凄さを反映するとは思うけど能力の凄さはセーブ後もしくは反応後にすぐに立ち上がってボールとオフェンスの位置を把握してセカンドアタックを防ぐ。これに僕は感動しました。

2)胃がキリキリするような試合の経験値
この積み重ねによってメンタル的に強い選手が生まれるのかなと。代表選手になるような人たちの大部分は中高の時から全国大会や地区予選の上位で緊張した試合を経験してきたのだと思う。そんな選手たちがW杯の舞台で「経験」と語る。それは、本当に精神的にも肉体的にもそして人々の視線・期待度的にも追い込まれるような試合っていうのはそう簡単に体験できないんだと思う。
高校サッカーの決勝よりJリーグのチャンピオンシップよりアジアカップの決勝よりワールドカップのラウンド16の方がキリキリするんだろうなって。でもチャンピオンズリーグやプレミアリーグの終盤などを経験してる選手たちはまだ近い日常としてこの空気感が身近なのかもしれない。レベルが上がるには一つ一つ目の前に現れた胃がキリキリする経験をモノにして次回にはニヤニヤ出来るような強さが必要なのかなって。自分もそのような体験ができるチャンスを逃さず捕まえれるようにしたいです。


ベルギーは前のワールドカップからタレントのある若い世代の集合体として注目され今回はベスト4へ躍進。
イングランドースウェーデン戦の解説を担当されていた山本昌邦さんがイングランドの若い世代の育成について話しておられました。果たしてイングランドもベスト4へ。
育成プログラムの重要性とそこで育った選手たちが世界のトップチームで経験を積む。
日本では海外組とは言ってもそれはあくまで海外のクラブを意味するだけでその中でトップクラブで不動のレギュラーといった枠ではない。海外へ行くのが特筆すべき事でなくなりJリーグ自身のレベルの上昇し海外の選手がやってくるようなリーグになってようやく、ベルギーやイングランドがやったような有機的な育成になるのかなって。今回かなり成熟した日本サッカーを観れた気がするので、その先の洗練された日本サッカーを目指してほしいです。僕もJリーグを観に行ったりできる事からしていかないと。

金曜日, 7月 06, 2018

代表監督と日本語英語とスターなどなど

僕はこんな素晴らしい経験をした西野監督に4年後を目指してほしいと思っていたし、外国人新監督の話が出てきて辟易した。果たして、西野監督の帰国後の記者会見を観て考え方が変わったのだった。印象的だったのは「ユース・オリンピック・クラブそしてワールドカップとほぼ全てのカテゴリーの監督を経験できた。」とうい言葉。なるほど。そんな稀有な人にはもと俯瞰的に日本のサッカーのために働いてほしいなと。なんなら、海外とくにヨーロッパや南米でクラブの監督してさらに経験の極みを目指してほしい。そういう意味で西野監督にはお疲れさまでしたと心から感謝を述べたいです。新監督に関しては日本をよく理解した言葉の障壁の低い監督に就いてほしいと願います。そのサポートと経験のフィードバックを西野監督にはお願いしたいです。成熟してきた日本サッカー。海外の友人たちと話すのが楽しみです。


リベンジする。
これはアスリートも含め日本人にとって馴染み過ぎた外国語ではなかろうか。
西野監督もロシア現地での記者会見で使っていたのを覚えている、というよりそれがこの文章を書くきっかけです。
リベンジ(Revenge)。辞書を引くと「動詞:復讐する、仕返しをする、リベンジする / 名詞:復讐(心)、報復、仕返し、腹いせ、あだ討ち、遺恨」となるが、日本語英語的には「雪辱、やり返す、次は負けない、再チャレンジ」的なもう少し丸いニュアンスになるのだろうか。
アメリカで13年ほど住んだがあちらでこのrevengeを聞いたことはあっただろうか?たぶん無いし、あったとしたら日本人からだと思う。意味的に使ってよいのかずっと疑問に思っていた。スポーツについて色んな人と話したし、自分もサッカーをしていたけど負けた相手と戦う際に使った言葉といえば、
beat(相手に対して), win(自分たちが), this time / time to (今回の戦いを強調して)
みたいなのが多かった気がする。challenge や try といった言葉も多かった気がする。小さい言葉のニュアンスの違いって結構あって、これてリアルな経験によってでしか埋めれない気がする。日本で使うリベンジをそのまま英語のもつrevengeと訳されていいとは僕は思わない。それを踏まえてリベンジって使うのやめません?って僕は敢えて言いたい。


ロナウド・メッシ・ネイマール
3人とも強烈なスキルを持つスーパースターだが各人の持っている空気感が全く違う気がする。今回に関しては
ロナウド:強
メッシ:柔
ネイマール:演
って感じだろうか。
負けたけど強いロナウド。勝ってるのにナヨナヨしく映るネイマール(よくコケるから!?)。負けがなんかしっくりくるメッシ。
なんだろうこの違いは。
あくまでもすべて個人的な感想で僕にはそう映っているだけで、またシーズンや大会によっても変わると思う。これからも見ていきたいなと。