水曜日, 4月 29, 2015

眺めていたある街の景色の向こう側

統計的なものを踏まえて書くともっといいのかもしれないけど、単純に色んな点が線になったので記してみようと思う。

こちらに来て思ったことは「車椅子の人をかなりの確率で見かける」。バスや路面電車などでも。
1) その人たちへの公共交通機関の設備が揃っている。
2) ある意味でそういった人たちでも積極的に外へ出かけれる土壌がある。
3) 車椅子(電動の新しいものから従来の型まで)の価格が高くない、あるいは補助金等で安く買える。
などなど考えていました。

今日ふと。そういえば若い人って基本的に見ないなと。

職場的が病院エリアなので敷地内では見かけるのですが、スーパーマーケットや交通機関に街角だとある程度の年齢層以上の人が大半な気がする。

ではなぜ。
この人たちはひょっとして朝鮮・ベトナム・湾岸戦争等で負傷した方々なのでは?
軍と言う職に従事していた以上、精神的にも肉体的にもタフであると勘案すると、街に出かけること生活を全うすることは当然可能であるのでは?

年齢層も上手く当てはまる。
地上戦から空中戦にある程度移行する過程で負傷者の種類も変わってくる。

完全な自己的な考察に過ぎないのですが、悪くない仮説なのではと思ったので。
でも、そうなるとちょっと考えてしまいますね。この方たちの負傷の上に今がある。接し方とか考えるべきですよね。

金曜日, 4月 24, 2015

17冊目2015(204)

私が弁護士になるまで (文春文庫) 文庫
菊間 千乃 (著)
文藝春秋 (2015/1/5)

菊間さん弁護士になってたんやー。
めざましテレビの朝のレポーターのイメージが強く、ビルからの転落事故から復帰なさった辺りまでの記憶しかなく、その後言われてみれば消えたに近かった。こうなられていたんですね。

タイトルにあるように、ちょっと司法試験の合格への道に詳しくなります。
僕自身は予備校時代の二年間、特に二浪目を思い出しました。

興味深く読んだのは「すべての思考は記憶力に始まる」という箇所。
学習指導要領が変わった時、ゆとり教育になった時、言われたのが考える力などといった詰め込み教育からの離別。僕は必ずしも詰め込みは悪くないと思う派です。

大人になってリテラシーが付いてからだと、暗記が詰め込みとは違うのを理解した前提で向き合えますが、子供には大人でも高度なことを押し付けても?と思います。
詰め込んだ上でそれを上手く繋げれる授業を出来る先生が居れば鬼に金棒。でも、何も無いのに考えろと言うのもねー。
小さい時に覚えたこと(覚えさせられたことも込みで)って結構覚えてると思うんですよ。

ここでのポイントは覚えたことを理解し他のものとリンクさせ自由に引き出せるということ。
思考のために覚えておかないとどうしようもないことをどう残すか。
そういったことをちょっと考えさせられました。

司法関係にお世話になったことが無いのでちょっと当事者性を持てないので、実際に法律に真剣に向き合う機会が来た際、この本の記憶が蘇れば素敵だなと。
とりあえず、かかわりの深い酒税は少し勉強しようかな、飲みながら。。。あほか!!

水曜日, 4月 08, 2015

意識の無意識化

新しい寝床に移って4か月。
最近前に比べてノイズが減ったなって。
移った当初、生活音にうるさいなって。
でも、今思うと前の住処はハイウェイの傍でもっとうるさいと言えばうるさい。

そこでハッと。
ノイズキャンセリング!
環境に慣れるというのは無駄を意識しないようになるプロセス。
だって日常なんて情報で溢れている。リテラシーとかいって、その取捨選択を日々してる。意識してるだけでそれだけあるなかで、いかに日々無意識があるか。

でも再三ここで無意識の意識化と言ったことを書いている自分が居るので、なんか新鮮でやられたような。パラメーターとかチューニングできてこそ見える世界。

環境を変えると微妙に変わるその設定。
最近感じるなんか前と違うケミストリーはそれなのかも。
マインドセットって変えてみるものですね。

引っ越ししてよかったって思ってます。寝床だけを変えてその他は特に変わらない。
面白い経験です。
それを変わらないあの飲み屋で書く。
くぅーーーー、明日もぼちぼちいきましょう!

金曜日, 4月 03, 2015

16冊目2015(203)

知の考古学
ミシェル・フーコー (著), 慎改 康之 (翻訳)
河出書房新社 (2012/9/5)

ようやく読み終えました。読み切るまで8か月ぐらいかかりました。気合いを入れて読み始め挫折して、他の本に浮気する。これを何回繰り返したことか。
難解でした。文章が頭に入ってこないんですよ。でも所々でビビビと来る。その刺激のおかげで今年の初めに出た論文の構想は生まれました。思い入れのある本ですね。でも難しいよ。
そもそも、訳こそあれ、俗にいう原著です。フーコーを研究している人が居る中でフーコーをサクサク読めたら天才ですよ。そう、世界が違う。哲学には興味を持ち始めましたが、その分厚さにシバキ上げられました。暴力ではなく知で。

前置きが長くなりました。これから述べることはひょっとすると全く持って間違った解釈が入っているかもしれません。僕の自己解釈の部分があります。ただ、僕がビビビときた箇所から導き出して総説の構想に行きついた経緯を最後の解説から鑑みるとあながち間違いでもないかもと言うのが本音。という前提でつらつら記していきます。

僕たちが疑う余地もないような言説とか言表(言葉・語・概念が示したり意味したりする事)を深く掘り下げます。どういった性質や規則性があるのかなど。
今使われれていることよりも本質的な部分を詰めていきます。
XXXの病気に効く薬のもつ本来の作用機構とか構造とかを観ていく。
なぜなら「病気に効く」が歴史や生活の中に浸透してしまって、そもそもの意味を意識しなくてもよくなっている現実があるから。効くし!うまいもんはうまい的な。
パソコンって普通に使っているけどメモリーとかCPUとか「そもそも」系を厳密に理解してます?みたいな。

連続性。つまりは歴史的なこと。既知と言うか馴染んでること。意識しない事。当たり前とか常識とか。
それらよりもそれ自身、本質的なことに着目してこそ見えるもの。それらを並べて見えてくるもの。バイアスのない即したもの。
そこから見える世界。可能性。気付くこと。感じること。
「XXXって言われてる」ではなく「YYYの可能性も!?」みたいな
飲み会的フレーズ「実のところ」「敢えて言うと」「逆に」「実際の話」「みんな気付いてないけど」「俺だけかな思ってるの」なんぼでも出てくるわ!

今を生きるからこそ、過去をベースに存在する。見た目に今の自己と同時に存在するものは同等的になる。でもそれのベースを辿ってみる。
その行為をフーコーさんは「考古学」としたのかなと。
こう書くと「そうや!」となるんですがこの行為を厳密に正確に、いや適当にでも僕らは日々実行しているのか。

洗剤は油汚れをとるけどどんなメカニズムで!?証明済みだから存在する。
ビールは酵母の発酵によって。でもその厳密な違いは?酒と焼酎とワインとビールの違いは?

そして、僕は事実を並べることで本質的な問題点が見えてくると信じたんです。ただただそれ自身の持つ「過去に論文としてちゃんと世に出ている」情報を羅列することで。
後にそのビッグデータを分析する可能性をこの本が与えてくれました。そして、なぜか出来る確証を持ったんで方針を決めた自分が居たのです!フーコーさん!

僕の総説の評価は今後どこかで個人やチームやメディアや業界や集合知でされるでしょう。でも、それも現時点で考古学の対象としてあってほしい。「XXXだから」ではなく一つの存在として。

サイエンスと哲学ってリンクしますよ。とくに基礎研究に身を置くと。だからこそこれからも知の巨人と話していきたいですね。

こんな僕。。。かっこよくない!?まじで!!!もう一杯飲んじゃう!!!
ダメだこりゃ。。。