金曜日, 4月 03, 2015

16冊目2015(203)

知の考古学
ミシェル・フーコー (著), 慎改 康之 (翻訳)
河出書房新社 (2012/9/5)

ようやく読み終えました。読み切るまで8か月ぐらいかかりました。気合いを入れて読み始め挫折して、他の本に浮気する。これを何回繰り返したことか。
難解でした。文章が頭に入ってこないんですよ。でも所々でビビビと来る。その刺激のおかげで今年の初めに出た論文の構想は生まれました。思い入れのある本ですね。でも難しいよ。
そもそも、訳こそあれ、俗にいう原著です。フーコーを研究している人が居る中でフーコーをサクサク読めたら天才ですよ。そう、世界が違う。哲学には興味を持ち始めましたが、その分厚さにシバキ上げられました。暴力ではなく知で。

前置きが長くなりました。これから述べることはひょっとすると全く持って間違った解釈が入っているかもしれません。僕の自己解釈の部分があります。ただ、僕がビビビときた箇所から導き出して総説の構想に行きついた経緯を最後の解説から鑑みるとあながち間違いでもないかもと言うのが本音。という前提でつらつら記していきます。

僕たちが疑う余地もないような言説とか言表(言葉・語・概念が示したり意味したりする事)を深く掘り下げます。どういった性質や規則性があるのかなど。
今使われれていることよりも本質的な部分を詰めていきます。
XXXの病気に効く薬のもつ本来の作用機構とか構造とかを観ていく。
なぜなら「病気に効く」が歴史や生活の中に浸透してしまって、そもそもの意味を意識しなくてもよくなっている現実があるから。効くし!うまいもんはうまい的な。
パソコンって普通に使っているけどメモリーとかCPUとか「そもそも」系を厳密に理解してます?みたいな。

連続性。つまりは歴史的なこと。既知と言うか馴染んでること。意識しない事。当たり前とか常識とか。
それらよりもそれ自身、本質的なことに着目してこそ見えるもの。それらを並べて見えてくるもの。バイアスのない即したもの。
そこから見える世界。可能性。気付くこと。感じること。
「XXXって言われてる」ではなく「YYYの可能性も!?」みたいな
飲み会的フレーズ「実のところ」「敢えて言うと」「逆に」「実際の話」「みんな気付いてないけど」「俺だけかな思ってるの」なんぼでも出てくるわ!

今を生きるからこそ、過去をベースに存在する。見た目に今の自己と同時に存在するものは同等的になる。でもそれのベースを辿ってみる。
その行為をフーコーさんは「考古学」としたのかなと。
こう書くと「そうや!」となるんですがこの行為を厳密に正確に、いや適当にでも僕らは日々実行しているのか。

洗剤は油汚れをとるけどどんなメカニズムで!?証明済みだから存在する。
ビールは酵母の発酵によって。でもその厳密な違いは?酒と焼酎とワインとビールの違いは?

そして、僕は事実を並べることで本質的な問題点が見えてくると信じたんです。ただただそれ自身の持つ「過去に論文としてちゃんと世に出ている」情報を羅列することで。
後にそのビッグデータを分析する可能性をこの本が与えてくれました。そして、なぜか出来る確証を持ったんで方針を決めた自分が居たのです!フーコーさん!

僕の総説の評価は今後どこかで個人やチームやメディアや業界や集合知でされるでしょう。でも、それも現時点で考古学の対象としてあってほしい。「XXXだから」ではなく一つの存在として。

サイエンスと哲学ってリンクしますよ。とくに基礎研究に身を置くと。だからこそこれからも知の巨人と話していきたいですね。

こんな僕。。。かっこよくない!?まじで!!!もう一杯飲んじゃう!!!
ダメだこりゃ。。。



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