木曜日, 12月 31, 2015

15年くん行っちゃうんだね。。。

もうあと9時間ほどで16年です。変化の一年でしたねー、15年は。
2015年に立てた目標を振り返って。まぁー、これはなんとも中途半端な達成感ですわ。

「スーパーサイヤ人計画」と題打ってみたものの、初期の悟空のようにたまになれたかなぐらいです。
心技体の一年ですね!!と言っておきながらアキレス腱負傷と言うあきれた結果に。
オリジナルの研究で論文3つといいながら全てもうそこまで来ながら終わりきれないオリジナルの無さ。
唯一の救いは休肝日を前よりも多く作ったことぐらいですかねー。

でも、毎年の事ながら自分の予想を離れた事から大きく学んだり成長したりがたくさんありました。これがまさしく変化の一年と言う言葉の由来です。
さっきも出てきた怪我。なんともこのおかげで人間成長したと思います。気付けなかったものにたくさん気付けた。そして自分の性格もちょっと再確認でしたり。強くなったものです。
そして、働く環境に小さい変化がたくさん重なってその都度のその都度うまく微調整しながら過ごした日々。で、気付いたらちょっと違った景色に。おおー悪くない!いいぞオレ!


今年は「周りの状況が現状を規定する」という言葉が僕にガッチリはまった気がします。だた、その確定される現状をどうより良いものするかで結構考えれた、そこで自己も変化を起こせて準備ができた。これが良かったんだと思いました。変化とは内から生まれる意思とか半ば強制的に起きる外的要因による。これは水と油みたいに混じらないような感覚で居ました。現実は空のように繋がっていて連動していて。よく考えたら分かるのに気付いていない。気付けたと言う事実。いい経験を来年も継続出来るようにしたいですね。

さー、来年はどうなることやら。年が明けたらぼちぼち物思いにふけりましょう。
ってことで、夜は飲む!!
バイバーイ!2015年。ありがとー!





火曜日, 12月 29, 2015

44冊目2015(230)

本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間 単行本
ピーター・メンデルサンド (著), 山本貴光 (その他), 細谷由依子 (翻訳)
フィルムアート社 (2015/6/27)

完全にしてやられました。本当にいい意味で。当初イメージしてた本と全く違う展開に笑らけてしまった。そしてガッチリ引き込まれます。

小説を読むことを前提にして書いていますが、ノンフィクションでも仕事やスポーツ・アートなど相対化すれば無数に接点を作れるぐらい面白いフックがたくさんあります。

時々僕自身が使う「無意識の意識化」の意識化をされたかんじです。
五感によって起こる脳の処理能力と想像力・柔軟性と言った可塑性の部分。これらがいかに読書によって刺激されているか。なるほどですよ全く。注意と集中と散漫のケミストリーと言っていいのかな。

そして大事な点はこれらレトリックの公開。少し表現を荒くすると「洗脳(=没頭)する方法」の公開とも言えるかも。僕はここれがこの本の大きな意義としての無意識の意識化なのではと終わりに差し掛かった時に頭をよぎったのでした。この逆転と言うか表と裏の関係を意識できたのはとても収穫だったかも。

いやー、2回3回読み直すべきだと思った本ですね。そしてノリは深夜、それもド深夜にやってそうな。
装丁の面白さが抜群なので是非手にとってください。あまりに興味がありすぎて原著をアマゾンでポチっとorderしてしまった。。。
あーーー罪な本!!思考するって面白い!!飲みながらならさらに幸せ!!

43冊目2015(229)

ソーシャルデザイン (アイデアインク) 単行本(ソフトカバー)
グリーンズ (編集)
朝日出版社 (2012/1/10)

何かが動き出す廻り出す時。ウキウキ感がありませんか?
その感覚がなぜ仕事やシステムやイベントに生かせないのかなって思いません?
そんな楽しい成功体験がたくさん載っています。「そんなの」と思うな馬鹿げたことから、「賢いな」と唸るものまで。
友人たちと飲みながら食べながら面白半分ででる「X&*%$したらおもろいやん!」的なノリ。それを実行に移せる人がどれだけ居るのかなって。それを移せた人たちの物語。

「あそび」がそれを作り出すのだと僕は感じました。
そしてただ「あそぶ」でなく「真剣にあそぶ」。これがこれからのコンセプトかもしれません。
本の中で出てきた「目の前の"what"でない深い部分の"why"という問い」というフレーズ。
前に読んだ「ヒップな生活革命」という本を思い出しました。むっちゃこの本と似てるんだけどちょっと違う。行き着くゴールは同じ、でも山の登り方が違う感じ。これから目指すべき社会の形がぼんやり浮かんできますよ!

問題を解決するためのソーシャルデザイン(better design for the greater good / 大きなよいことのためのデザイン)。深いwhyのために必要なちょっと変わった考え方。それを得るために何をすればいいのかな?

興味を持った人はこの問いを考えるアクションを起こすことだと思いますよ!

僕の場合はdrink first the think aboutというポリシーなので。。。

土曜日, 12月 26, 2015

42冊目2015(228)

ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書)
波戸岡 景太  (著)
講談社 (2013/6/18)

久々に入ってこない本でした。原因は分かっているのです。そう僕自身。
タイトルにある「ラノベ」こと「ライトノベル」が全くの守備範囲外・エアポケットだったので。
「涼宮ハルヒの憂鬱」がこれにあたるらしい。が、名前だけ知っていて全く内容が分からないんです。
僕が予想するに日本を離れた2005年から今に至るまで、ある意味での浦島太郎状態が今回の敗因です。しかし、考えることはとても多くありました。

僕の思春期(ここでは小学校後半から大学卒まで)見ていたサブカルチャーやオタクという存在があり、それを批評していた上の世代が居た。
今ラノベを書いているのはまさに僕と同じ世代で、書かれている作品は同世代を楽しませるのではなく思春期の若者へ。その若者が僕らの時代にはなかったネットやSNSというツールによって自分たちの世界自身も発信する。そこで起きるケミストリーにより生まれる若者文化。

2つの点
自分のが消費者で無くなり下の世代の消費行動に触れた。
サブカルチャーの形成過程が自分の経験則と変わっている。

これが分かってようやくぽつんと佇んでしまった自分の存在を理解できました。つまり変化に対応できてないんですね。今のオタクと僕の当時のオタクは字面の奥に広がる空間は違うのだと。

安直な言葉になるけど希望かと絶望とか日常とかスクールカーストとか。僕が理解するために落とし込んだラノベの世界観を理解するのに苦しむのは、理屈と肌感覚の差なのかもしれません。

村上春樹と村上龍の両氏の作品にも言及していてこのあたりは入ってくるのです。でも、彼らが現代を含めた上で描く世界への解説も入ってくるのです。
きっとそれは筆者らが消費した世界からの流れ(僕のそれも含まれる)が自然に投影されているからかもしれません。

今の若い世代が投影されたサブカルチャーの理解は今後その世代と一緒に仕事したりする中で不可欠な要素になりうるという。このようなことは戦後にもあったようです。しかも当時は世代に加えアメリカという存在もありましたし。そこで大事なのは自分の空間が下の空間に当てはるとは決して限らない、しかもその変化の速度がとても速くなっている。

断絶という遠くはなれたものを理解する大変さ。久々に頭をどつかれたようでした。
人の考え方とか国家間の文化とか言語とかの違いに寛容になろうとか言っていて、自国の世代間の断絶に絶望するとは。灯台下暗しでした。

あっ、そういえば今日はコンタクトしてなかった。。。




41冊目2015(227)

餃子の王将社長射殺事件 単行本
一橋 文哉  (著)
KADOKAWA/角川書店 (2014/11/28)

12月中ごろに少し新たな情報が出ましたが未だに色々と謎の多い未解決事件です。
ちなみにそのニュースと関連することはこの本の中で言及されていたと言うことは補足しておきます。

色んな視点でこの本は楽しめるかもしれません。
警察がどのように事件を捜査するのか。暴対法による闇社会の変化。中国マフィアの実情と中国の実態。無関係のようなニュースや事件の繋がり。などなど。

でも一番グッと引き込まれるのは「王将がどのように発展したか」だと思います。
マーケティング、ユニークなサービス、社員教育など参考になるような成功例が溢れています。
ただその反面、急激な成長と言うのは歪を生み「ブラック企業」といわれても仕方ない側面も多々読み取れました。
経営者側の熱と社員の熱。上に立つと言う意味と働くと言う意味。一見すれば普通な対を成すものなのですが「世代間の持つ考え方」が掛け合わさるとねじれが生じる。もちろん経営者も代替わりがあり、それによる世代間や個人の考え方の影響も反映される。
これらの齟齬の積み重ねが「ブラック企業」となり、今回の事件に繋がったのかもなど思ってしまいました。そして筆者はこれを「企業テロ」と括っています。

真相を読み解くには上に挙げた色んな視点から辿っていかないといけない。生きるということは同時にどう反応するか分からないプロッティングを知らず知らず埋め込んでいるのだと思い知らされました。
創業者自身から現在の「王将」という存在そのものが産んでしまった射殺事件かもしれません。

グローバル化は否応無しに世界のルールで迫ってきます。今回の場合は中国が関連国でしたが、TPPによってこの手の「ルールの主導権」問題は見えないところで起こるのかもしれませんね。

あと確実に言える事。途中で絶対に餃子が食べたくなります。。。

日曜日, 12月 20, 2015

内弁慶の泣き所

この前の日曜日に5 kmのfun runを走るという半年ぶりのちゃんとした運動をしました。
といっても5K。されど5K。
まだ左足一本で身体を持ち上げるだけの筋肉が戻ってないけど、目標が無いとグダグダするので思い切って登録したのが始まり。
結果は途中歩くことなく32分で完走できました(パチパチ!)。

フルマラソンは3回完走したし去年もハーフマラソンを走ったけど、この5Kは今までに経験した走るという行為から感じ得たもと違う、新たな感情をもたらしてくれました。

結構負けず嫌いの性分で、抜かれると追い越したり前に走ってる人を目標にして追い抜いたりしながら今までレースに参加してました。

それが今回。。。
追い抜かれても追い抜けない。筋肉無いからスピードでまへん。
目標を定めても追いつけない。筋肉無いからスピードでまへん。

むしろ。。。
完走することが目標と言い聞かせ。
歩かないという事が目標と言い聞かせ。
ランナーたちでも歩いてしまったりしんどそうな顔をしてる人を見ては「きっと何かあって、何かを決してこれに参加したしたのかな」などと感情移入してしまった。

今まで考えた事もない人それぞれの胸の内に思いを馳せる自分が居ました。
よくよく考えるとそんなの当たり前で何をするにも人それぞれの理由があるに決まっている。でもなぜか、色んな場面で「なにしてんねん」的な。「こんなんなるやったらやるなよ」とか。「うわーーー、無駄してるなーーー。」とか。思ってしまう人間でした。
やるならちゃんとせーよ!とか偉そうに上から思ってました。

初めて肉体と感情の完全な乖離を経験してからの5Kはそんな自分のしょうもない業をあぶりだしてくれました。

5 kmの道のりはなんともいえない道のりでした。けがの功名ではないですが、経験しないとわからないものです。来年はまたハーフに挑戦したいです。

追伸。まー、走った後のビールの旨いこと。。。

日曜日, 12月 06, 2015

m-1 2015

ネタの部分だけ観れました。以下率直に思ったことを少し。

・結構ダークなネタの設定が多かったような。それのせいでお客さんの空気が何度か重くなったようなkがした。
・その前後の関係で跳ねたり思ったより伸びなかったコンビもあったような。
・漫才の完成度やスタイルに加えて、いやそれ以上にお客さんの笑いの数と熱が採点に影響したのかなと僕は採点をまとめた表を見て思いました。

その日一番良かった組が優勝する。これはやっぱり変わらないんでしょう。その出来が何なのかが審査員9人の基準によってバラけるわけですし。ネタの後の審査員の方々のコメントを聞けたらまた感想は変わるかもしれませんしね。

決勝のネタ、僕はジャルジャルが好きだった。銀シャリには取って欲しかった。タイムマシーン3号は残ると思った。

トレンディーエンジェルさんおめでとう!