月曜日, 8月 31, 2015

31冊目2015(217)

盆栽の誕生 単行本
依田徹  (著)
大修館書店 (2014/4/28)

盆栽って結構ドラマやアニメなどでご高齢の方が趣味でやってるというのを観るんです。波平さんとか白い巨塔の東教授とか。

老人の趣味的なイメージなんですよね。実際に敬愛している高齢の知人が盆栽をやっておられたりで。

でも現代のプチ農園的な個人で小規模のプラントで自己消費と言うトレンド。こっちだったら庭でトマトやきゅうりなどを盛んに育てる光景を目の当たりにして、ふと。

盆栽ってなんぞやと思ったのです。

これがまた、サブカルチャーの面白さを体現した文化なのだと感心しながら読みました。

室町時代まで遡るんですよ。でもその当時は盆栽とは呼んでいない。いろいろな体裁があり武士階級(将軍や天皇まで含めた上層階級と言う意味)の趣味だったんですって。これはチョコレートやカカオが貴族階級のもであったの似ているなって。
江戸期に中国の内政、明朝と清朝の変遷で明から亡命してきた人々が宇治での煎茶会(抹茶でない!)で鉢植えを鑑賞しながら茶を楽しむあたりで盆栽にという呼称が誕生。
それが江戸期に入って庶民へ。もちろん徳川将軍家や天皇家の方々、明治維新の政治家や実業家も愛好しているのはいるのですが。

その都度その都度、適応に適応を重ねて廃れることなく生き残ってきた歴史。
盆栽を美術としての存在に上げようとした人々が居たり。
面白いのが絵画や彫刻・土器のように蔵や倉庫に置いとけない。人の手入れが必要で人から人に受け継がれる。そして今まさに鉢の上で息をしている生命。

盆栽は所有者の苦楽を共にするのかなって。だからハマるとやめれない。そこに存在する生命の前に自分は責任をどんな状況でも責任を持たないといけないから。かつ、枝を切ったり整えたり自分の表現でもある。ちょっと仏教的な世界観を感じました。

自分も所有できる機会を持てるようなタイミングがあったら贅沢なのかなって思いました。盆栽の世界観と向き合える空間。

そら、高齢者の趣味になってしまうかも。新進気鋭の盆栽アーティスト。情熱大陸の匂い!?そんな僕は圧倒的に平熱大陸です。

火曜日, 8月 25, 2015

脳 能 のー No!! 長いよ。。。

アキレス腱の事故から2か月。リハビリ的な事も始まり近日中にギプスから解放される。
ドラゴンボールで悟空が亀仙人のじっちゃんの亀の甲羅を脱いで「おー、軽くなったぞー!」と狂喜乱舞するような絵を想い描きそうだが、現実は筋トレの世界にようこそ。亡くなった筋肉を再生するためのスタートラインに立ったに過ぎないと言う。
なんとも、「おら、ワクワクすっぞ!!」と言う悟空的マインドセットの僕には楽しい毎日の始まりなのだけど、普通の人にはキツイよねー。

そのリハビリでの出来事。いままでふくらはぎを使わずにブーツを纏いテクテク歩いてきた結果、あらゆる動作にお尻の筋肉とハムストリングが連動するという。
助け合いや非常事態が常態化した結果本来回復を意識すべき箇所がなんとも不感に。

びっくり!!

そこの筋肉の回復と共に甘やかされた歩き方の補正も意識しないといけない。
あーーー、この怪我の大変さと主治医が「you need to find a good physical therapist」と言った意味を噛みしめ踏みしめるのです。出来たことがここまで出来ない。なかなかの経験です。
35年分のふくらはぎはiPS細胞(STAP細胞!?)の現実版に初期化されました。
使わない(同等に使えない)意味を感じます。

でもね年末にサッカーボールを実際にフィールドで蹴るのが目標なのでがんばりますよ。
ハーフマラソンとかも走ってやりたいと思ってますよ。
人体の凄さと生きる楽しさや達成感を感じる機会ですから。
これ、リア充とか言うなら、言ってる人は本当のリア充を知らないホモサピエンスだと思う。

なーーーんてな(和久さん!?)



本を読んだり購読してるモノに目を通したり、動画を見たりウエブサイトを漁ったり。その過程でメモを取ったりするのですが。。。あー、漢字を正確に書けないことが増えてきた。

読むこと音に出すことは問題ないのですが、書くことが何とも弱体化している。

この件(ケンでなくてクダンなんだけど漢字は同じなのよねー)を、文字化しようと思ったのは今しがた「魅力」の「魅」が書けなかったから。勉と魅が混ざったようなお化けのような漢字しか記せない。でも頭に浮かぶ「アトラクティブ」。オーマイガー!!

完全に能力が衰退している。その原因は使用頻度の低下でしょう。
日本語で文字を書くななんてメールやこのブログ、そして行きあたりのメモ。
報告書なんて在米科学者では英語ですわな。

能動的に記そうとする脳への刺激と言うのを決して忘れてはいけないなと。


継続って当たり前に出来ていること。いや、それは継続でない。日常や無意識。出来なくなってこそ気付く。出来ないことへの態度。
きっとこれが僕の今回の肝。
戦後70周年の安倍さんの談話の中で「若い世代に謝罪を継続させるのどないやねん!」と言うことを言って下さったのが肝のように。

現実をちゃんと見ようよ。
何が出来るか、何をすべきか。
そんな難しいことじゃないのに。。。
難しく捉える人がいるから。。。おもしろいねー!!
でもね、本当に追い込まれたら難しくなんて捉えられないよ。だって、だってだって。走れないしまとに歩けもないからね。。。

じゃーーー、もう一杯!!あー、幸せー!!

木曜日, 8月 20, 2015

狐に抓まれたら緑?赤?グリーーんだよ!!

わ!!!

ここ数日暑くて。ねー。そのせいで時刻表通りにすすまない。わかります。

で、で、で。

遅れてると思われるトレイン。ネットで常にいつ来るか観てました。

はい。はい。はいはい!!!

急にね、遅れてない前提で画面から消えたよ!!
知ってます。その状況をキャプチャー出来ないので何もかも捏造できるの。
でもね、消えた!
で、数分後にね。本来あるべき時刻表通りに列車きた!!

きたーーーー!!

ちゃうやん。その遅れてた云々。。。
まー。でも時刻表を信じた人が生き残り、ネットで安楽死ですよ。

はーーーー。でもね。これ健全!本来のタイムに戻すのがベスト。
ネットに何もギャランティーはないんというね。

わらけて。てくてく帰りますよ。

これが日本でなくてよったね。
これが休日でなくてなくてよかったね。
寛容でよかったね。

あほかのあほかをいうあほか。そのじてんであほのきわみじゃーー。

あーーーーーー。おもろいね。
おこるより楽しもう。

でも、trimetあかんでーーー笑

いま酔ってます。後に編集したら言及します!!8/20/17 12:23 am!!! NO max くるはずやってんでー

月曜日, 8月 17, 2015

ウエルカム!狭間。間。アメマー!!

家訓!!

非は認める勇気を持つ。
非を正直に認めたら受け入れる。
相手の事を思いやり、想像する。
周りと相手の状況を理解する。
過去にくよよくよするより、未来に希望を抱く。



これを提示されて反抗期ならごめんなさい。でも、みんなそうだよね!って言う道徳の教科書的な文言だとおもう。

ここからーーー。

天津の大爆発。みんなの反応。あれはね。あの爆発。ハリウッドみたい!想像が現実だ!
ピッか!閃光とともにキノコ雲。原子爆弾が落されたらあれよりもすごいんだね。それをした国と受けた国があって、時間が過ぎてるね。した国は明確に謝ってないのに、違うところから謝れって。
何を受け入れて。何に反論して。何か基準で。
周りとパワーバランスをよく見なよ!
でも正直に生きないと。嘘はダメだよ。
そんなの幻想さ。
じゃー、何が真実で誰が何を守るんだよ。
未来を見ようよ。
そんな状況で未来を見れるかよ。
人それぞれ立場があるから。
エンドレスの会話に。。。

鹿児島の川内原発。
節電の広告のないこの夏の電力需要。地元の経済。技術の維持。桜島の危険度。何も清算出来てない東京電力と福島第一原発。風評被害。決まった東京五輪。危機管理。
エンドレスの会話に。。。


家訓!!

非は認める勇気を持つ。
非を正直に認めたら受け入れる。
相手の事を思いやり、想像する。
周りと相手の状況を理解する。
過去にくよよくよするより、未来に希望を抱く。

これを提示されて反抗期ならごめんなさい。でもねーーー。


一つの答えをを導き出すために。。。
あらゆる当事者をなだめるために。。。
最適解を探して奔走するために。。。
しがらみで視界が不明瞭なために。。。

色んな意見を知ったうえで行動できるために!!
なんか、普通が普通でないところでごちゃついてるよね。

寛容。

寛容。

それをできなアカンYO!!
いいんDAよー!!

知らぬが仏。無知の知。これらは寛容の極限かも。
そうじゃない優知の輪。知るが神の領域的な。説法を受けてもええやん!
なぜなら。井の中の蛙なんですよ。
知らないことの方が圧倒的に多い!!

そうでないと言う人ほど。。。うーーん、よくしゃべる。ぼくもか!!

それこそ家訓の「周りと相手の状況を理解する。」を考えて。冷静に色んな事知らないやん。「知ってる!!」というあなたがいたら。
もうそれはどうぞ。はるかかなた。さかいくにとおる。ひっこしのさかい。さいやたいち。

世界のエアポッケトにようこそ。想像力と興味本位の渓谷へ。怪我してもええやん。体験しましょう。理想と現実の狭間と言う現実と理想を。

その前にある課題。もう一杯を早く訊きに来てくれ!!

炎上したら!?燃え上がれガンダム!!

up後にかなり編集しました。もう一杯頼んで。文書は難しい。8/17/2015 10:30 pm pacific timeもう編集はないです。。。たぶん。。。なは!

金曜日, 8月 14, 2015

印象は印象派。本質は興味本位から。

手元の電子辞書を開く。入力する言葉は

anniversary

僕の脳内のライブラリーにあるように「記念日」と言った語意が表示されるのは当たり前として、目に留まった字面。

毎年(anni)巡ってくる(vaese)

あー、言語は人間の感情と言う手垢を拭うと普遍性を持った存在なんだと。


8月15日である。
談話が出たり、ちょっと良くも悪くもキリットする日。
そんな日の3日まえのこと、職場の人との会話。
「8月15日がくるね。70年目だよと。」
そこで彼女は70年目の表現に「70th anniversary」を使った。
思わず笑いながら「それは勝ったからやな」。
アニバーサリーという持つ意味に敏感に面白おかしく反応してしまった。70年目を祝うのかいなと。

そこから落ちていった言語のエアポケット

連想される感情が単語には存在し、それを結構な頻度で意識せずに過ごしている。
そんな中で合われたanniversary。まれは眩いポジティブなイメージを持ったアニバーサリー。少なくとも僕には。そして多くの日本人にとって。
でも、会話の中で「10回忌」といった出来事にanniversaryをアニバーサリーとして使わないというEnglishの経験則に触れることが出来た。
それは純粋に毎年(anni)巡ってくる(vaese)なんだと。

これを知らずにこっちの紙面をみて70th anniversaryが目に飛び込むこと。
政府の談話のこっちの新聞社の翻訳に70th anniversaryと使われていたらということ。
日本政府の英語訳に70th anniversaryでない表現が使われていたらということ。

言語の息遣い。吐息を感じた面白い経験でした。
終戦記念日っていうのもよくよく考えるとねー。無意識の意識化。

やはり今日はアニバーサリーよりもanniversaryであることが英霊の方々への敬意でありつつ、国のために殉じた方々への敬意はanniversaryよりもアニバーサリーでありたいなと。

献杯!!(飲むんかい!!)

火曜日, 8月 04, 2015

やーーまだー!!って本気で葉っぱを咥えて言えるズラか?

漫画の世界、小説の世界、ドラマの世界が現実に追いつくことにワクワクする時があるとすれば、それはこれから始まる高校野球甲子園大会でしょう。

早実の清宮君でしたっけ(ごめんなさい、調べるとすぐ出てくるんでしょうけど、ちょっと面倒で。。。)。
高校一年生でスゴイ成績を残しているとか。
まるで、山田太郎じゃないですか。

ヌンチャク打法とかでyoutubeで話題になった埼玉の高校生。
まるで、殿馬一人じあゃないですか。

あと、むっちゃ足の速い高校生。ナイジェリアのお父さんとのハーフだとか(お母さんだったらごめんなさい)。
ハーフというかそういう外国人の気配。まるでクリーンハイスクールのフォアマンじゃないですか。
俊足といえば。まるで、いわき東の足利くんじゃないですか。

ドカベン的な尖がった個性的なキャラ。現実に。いいですね!
想像できる脳が現実に変えていく。それが人間の営みだとすれば。
甲子園はカオスですね!

なんか、ふと思ったのでした。
そんなアホなの前で立ち止まって、まぁ漫画からのこじつけですけどそんな遊びができた自分の想像力に。。。カオス!!まだ2杯目だぞ。。。