水曜日, 6月 25, 2014

新しい考え方が必要な時!?

ワールドカップに関して少しだけ。

日本代表。ドイツ大会の再現のような結果でした。でも僕はあの時ほど落胆はしていません。
圧倒的な力の差を感じたのはあの時と同じなんだけど、ここから代表自体がどういった道を進むことが次のワールドカップで成功する道なのかよく分からない。
どんなことにでも通じるようなことに見えて、それが一番今回考えさせられること。
これに似たことはヨーロッパの大国が予選で姿を消している姿と状況は別だけど抱えている問題は同じなのではと思ってしまう。

たくさんの選手が海外にでて経験を積んで集合した今回のチーム。ここの底上げで言うと間違いなく前回よりもあがっているのだと思う。でもなぜ勝てないのか?
イタリア・スペイン・イングランドといえば世界中の選手がプレーするのを憧れるサッカーリーグを抱えている。でもそのリーグが代表チームに反映されていないのかな?なんて。
世界中の国々の選手のレベルに貢献してしてしまっている?

組織、チーム、結束、コミュニケーション、信頼、作戦といった個の次元とは違うのもが勝敗を分ける時代になってきた?
これらの問題は上手く回っているうちは明るみに出ないけど、いったん噛み合わせが悪くなるといっぺんに露呈するものかも。
なんとなくそういったことが上手く機能しているチームが予選を突破している気がする。ここで機能してるというのはそういう事態にならないようにしっかり準備が出来ていた、または大会に向かうにつれてうまくはまっていったという意味で。

この組織の上でヘッドコーチの役割が以前にも増して大事になってくるのでは?
僕は日本人の監督で勝負するべきだと思った。
個々の蓄積した経験を収集して反映させられる監督。そうなると言葉の壁というのは大きな障害になるのではないかな。

機械や企業が色んなものを肩代わりしてくれるようなった研究環境。個人のスキルに頼って結果を出すレベルからチームプレーになっていく部分。このアンカーをしっかり出来る存在。そこで必要になってくるのはさっき述べたようなキーワード群だと思う。

まだ明日最後のグループステージの試合が残っているけど、今回の大会はエポックメイキングな大会なのかもって。
そして何か今後の世の中を指し示してしているような気がしてならないので、ふと記しておこうと思ったのでした。

自分の役割をうまく掴めてない僕自身は予選にも参加できない弱小チームっす!!

追記(06/26/2014)
1) どんなに自分たちのサッカーとかいってもやっぱり対戦相手ありきだとおもう。自分のやりたいことをするための柔軟性・対応力・適応力・観察力・分析力とかが必要なのかな。
2) コロンビア戦の日本の攻めを見ていて思ったこと。悪くないは良くもない。これは肝に銘じておきたいな。

土曜日, 6月 21, 2014

読んだ本・その24(167)

被差別の食卓 (新潮新書) [新書]
上原 善広 (著)
新潮社 (2005/6/16)

同じ著者の「日本の路地を旅する」を読んだ後に、この本のことを知り読んでみたいと思っていた本。知り合いの本棚で見つけ、お借りすることができ読む機会に恵まれました。

アメリカから始まりブラジル・イラン・ブルガリア・ネパールとまわり日本で締めくくられます。

食。生きるうえで必要不可欠な行為。生活に密接していて当然。それが集落・地域で形成される食文化となる。この人間の営みの側面だけ見ると、観光などでこれらは資源になりうる。しかし生活に関わる分宗教などの影響を色濃く受けて当然。そして差別という人間行為もまた関わって当然。

フライドチキン・オクラって日常触れるもの。でも地域やルーツを辿ると由来は被差別の食卓
ハリネズミなんて聞いたら地域の伝統料理っぽく聞こえるかもしれないけどこれもそう。
豚や牛は屠殺を行っていた階層の話を知っていればホルモン・油かす・豚足・こうごりといった食文化も納得できる。
飽食の時代というがこういった食事が一般に広がったり廃れていくのは、差別というのもへの意識の変化と考えると豊食の時代なのかもしれない。

以下メモ。
美味しいソウルフードとは母の作るのも。奴隷の廃止と移民という概念。浄・穢の概念。この概念から好まれる好まれない動物がありそれはその者たちの生態系から生まれる。仕事の有無から生じる、食べるのため生きるために人々が選ぶ職業。貧困・差別・無知の関連、それを断つための教育の持つ意義。イラク人の持つフセイン大統領へのイメージ。不可触民という概念と日常で見られる人の行動。名前の由来。ベジタリアンという行為と宗教との関係性。

これらの雑感は全てではないが他の様々な本を読んでてもリンクすることが多かったりするので、この種の事案と持っている歴史的や文化的な意味などは他分野にまたがっているのだなと。それか僕自身が深層心理で持ってる関心事なのかもれない。

さて今日は何を食べようか。僕の食卓は手抜き適当のオンパレードだ’。。。

金曜日, 6月 20, 2014

立方体の秘密はね。。。

ここ数週間ぐるぐるぐるぐる頭の中で回っていたこと。

自分・距離・深さ・色からなる4面体

どれが固定されてどれが流動的でどれが大事でどれが弱いのか。
自分を除いた3点は対人。色には自分も含まれるかもしれないけどそれは自分に集約しよう。

ぐるぐるぐるぐる考えていたものがついに弾けた。飛び散った。
ぐるぐるぐるぐる考えて弾け飛び散って出た結論。分からない。
答えは分からない。つまりは。詰まって。突っ込んで。

4面体を包むもう一つのものの存在を意識するのかしないのか。
思うと毎年この時期に必ずこの種の壁に出会うなぁ。毎年まいとしまいとし姉妹都市。

わかりまへんから始まる問答どうも。
はてさてはてさて。攀じ登りましょう。なにか景色が開けると思って。

月曜日, 6月 16, 2014

読んだ本・その23(166)

上岡龍太郎 話芸一代 [単行本]
戸田学 (著)
青土社 (2013/9/20)

敬愛する上岡師匠、小学生高学年から師匠の番組を観て笑いというより話術を楽しんだという感じでしょうか。

この本、たまらない人にはたまらなくつまらない人には文字の羅列と映るでしょう。師匠との関係性で成り立つと思います。

僕の場合は前者。2,3章に収録されている師匠が舞台でやった講談の文字起こし。もう文章からあの師匠の語り口が脳に甦ってきます。文字を読み脳で復元吹き出る笑い。読み終えてこの本なんと5刷!!それだけファンが居るのだなぁと実感したのでした。

前半は芸人としての龍太郎師匠がどうやって生まれたか、そこから師匠は何を目指しどんな芸を追い求めたのか。頻繁に出てくる人とのつながりの数々。最近とみに感じますが大事ですね。特に僕はテレビでの影響が大きかったので6章を面白く読みました。
以前ダウンタウンDXで師匠がゲストの回でダウンタウンに対して「最近の笑いには教養がない」という話をしていました。それはこの書を読んで師匠の発した言葉の意味が分かった気がしました。実際に僕はその師匠の意味を汲みたいなぁとも思いました。

最近ダウンタウンの浜ちゃんから感じてたツッコミの本質的なも。ツッコミ論とはいかなくても振りがあってボケがある。この何気ない言葉の誘導に関すること。自分でうまく表現できなかったもやもやを例えまで含めて書かれていて、ありがとうございますーって感じでした!

これを読んでノック師匠が他界されそのお別れ会での上岡師匠の弔辞を改めて聞き直しましたが、あれは上岡龍太郎師匠の最高傑作の話芸だなと改めて感じたのでした。おもしろかった。

普段当たり前にしゃべっている日本語ですがこれも文化でもあり言語でもあり芸でもある。
僕のジャパニーズ・イングリッシュは。。。コメディーだな。。。

水曜日, 6月 11, 2014

読んだ本・その22(165)

言える化 ー「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密 [単行本]
遠藤功 (著)
潮出版社 (2013/10/5)

率直な読後感は一言「ええ会社やなぁー」。
働いてみたいなと思ったと同時に実は今の職場に似た空気感なのかもなんて思いました。

内容はタイトル通りそのヒミツを明らかにしていく。
まず会社のスローガン「あそびましょ」。遊び心を持って小ネタ的なくだらなさの追求とでも言うのでしょうか。でもこの「くだらなさ」って大事な気がします。なぜなら人に笑いを与えるというとてつもない要素を含んでいるから。

この「あそびましょ」には自由に伴う責任が発生する。その責任に臆することなく、失敗を恐れずにチャレンジする。そこからしか学べないことがある。
ここまで言うのは簡単なんですがやっぱり失敗と責任は怖いものです。そこでこの会社には失敗に対する評価の仕方が確立している。なるほどって思いましたね。そこまでちゃんと練ってこそ実行できるのだと。

若手の育て方。当人がやばいと感じ追い込まれるまで放置するようです。でも、そこまで行かないと見えてこない世界がある。パラダイムシフト。これは僕も経験があるのでよく分かります。上司が上司でなくmentorであること。納得かつ肝に銘じようと思いました。

この本のタイトルにある言える化。察しはつくと思いますがアイディアや考えを上司に言える体系。これを実行するために必要なこと。それは上司の「聞ける化」だそうです。でもそうですよね、聞く人がいるから言えるんです。

でもここで書いたことって、良好な人間関係を作る時や大切な人との間でみんなしてることなのでは?
それを企業という規模で実行している。この相対化が難しいんですよね。でもこうやってやってる会社がある。218-19ページにある社員さんの集合写真から滲み出る空気。で、最初の言葉「ええ会社やなぁー」と。

とにかく工場に行ってみたくなりましたね。この本も遊び心が詰まってましたし。アメリカでガリガリ君流行らんものかねー。だれか作ってくれませんか??ガリガリ君ビール味??

日曜日, 6月 08, 2014

読んだ本・その21(164)

おどろきの中国 (講談社現代新書) [新書]
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著), 宮台 真司 (著)
講談社 (2013/2/15)

大御所3人の鼎談とでも言うのでしょうか。少し難しい箇所もあるかと思いますが中国という国・中国人の基質がどういう国なのかよく分かります。

まず決定的に感じたこと歴史の勉強の必要性。事柄の羅列でなくなぜそれが起きどうのような結果ををもたらし何への布石になったのか。
それぞれのストーリーがすっと入った時、そこに広がす世界は「そういうことか!」という理解になるのだと。
日本と中国をめぐる歴史の事案の数々。改めて不明を恥じました。

一番「ほーーーー!」っと思ったのは中国をユーロのように捉えた方が良いという事。
中国国内は文字である漢字を共通使用しているだけで、音が異なる言葉(あえて方言とは使わない)が多数存在するということ。まぁLINEのスタンプみたいな感じでしょうか。
それを踏まえるとユーロのような各地域の集合体であると。だから過去の中国は清や明や秦といった名前で区別される。だからこそ統一という戦争の歴史。それをまとめるための共産主義・中国共産党の支配。先ほど述べた漢字と言葉の持つ側面から生まれる科挙という上級公務員試験制度。
すべてが「なるほど!」腑に落ちます。

そこで日本を見ることへの意義がすごく出てきます。
江戸時代という長い長い幕府支配。漢字と仮名を組み合わせたことと識字率の関係性。
日本がなぜこんなに安全保障オンチなのか。国に対して期待することが他の国々と違う点。
などなど。

他に面白かった点は、
長い歴史の中では中国の方が圧倒的に日本よりも先進国であった時代が長いということ。日本が上に立って欧米列強的に中国よりパワーを持った(ように日本自身が感じてた?ともいえますが)のは、本当にここ数十年(大東亜戦争前位から)の出来事である。
それを踏まえてなぜ中国の近代化が遅れたのか。
日本人は字を知らないと言葉を知ったような気分なれないというような言葉の関係性。同音異義語の存在するおもしろさ。大喜利なんてまさにこれの最たる例かななんて思ったり。
最後に、満州国がどうして出来たのか。
あと3章の歴史問題をどう考えるかは僕には絶品でした。謝罪という言葉がよく両国の中で話題になりますが本質的な態度としての謝罪。これは日常生活色んなところでも役に立つ考え方を提示していてくれています。

昨今の中国との関係を見るにつけて、相手のことを知るという点でこの本は面白いと思います。
さて相手に知ってもらうために今から漢文で書き直すか。。。

木曜日, 6月 05, 2014

予知夢

僕の好きな曲の名前です。ガリレオのサウンドトラックの最後に入ってる曲です。

今日改めてこのタイトルを見て、改めてこの前見た夢を記しておこうと思いました。


夢の中の夢。

テレビからニュース速報が流れ、北朝鮮から拉致されていた同胞が帰国しその方たちの名前が順番に流れる。
そこをみながら「あった!!」とある方の名前をを見た瞬間に声を出し、泣きながら知り合いに「よかったですね!!」とだけテキストを送る。

そこで目が覚め、あれは夢なのかと思ってテキストの送信履歴をチェックしようとする。

そこで現実世界へ。実際に自分の携帯の履歴を見るがもちろんそんな軌跡は残っていない。
そもそも家にテレビはないのだ。。。

だけどこれは予知夢であり正夢になってほしいと思った。
早くでも慎重に。特定失踪者の方々を含めた全員の帰国を心から望むのです。

予知夢。今日もヘビーローてしょんだ。

火曜日, 6月 03, 2014

読んだ本・その20(163)

ナガオカケンメイとニッポン [単行本]
ナガオカ ケンメイ (著)
創美社 (2009/11)

知人からお借りした本です。文は2005/11-2009/08の期間に筆者のブログ「ナガオカ日記」の中から「日本」というキーワードに関するものをピックしたものです。文体と構成のせいもあると思いますがさくさく読みきりました。

筆者が立ち上げたプロジェクトとの推移とそこで筆者の感じたことの記録ですが、読み進めるにつれてどうも僕には仏教的な文章に見えてきました。空、無常、縁起といった言葉がしっくりくるような所が多々ありました。

テーマであるデザインについて思いを巡らせる筆者。時に自分が生きるやサイエンスについて考えるような解に似ていたり。ちょっと感覚的な部分がなんか自分と被っている気がした。

デザインの持つ本質とは?
デザインの中からデザインを探していないか?
人との関係背の中で自分や社会が成り立っている。
何か根本的なことが雑になっている自分を恥じた。
オープンした店を見るよりも、つぶれた店を回るのだ。そこには無理が現実となった状態がある。
当たり前だけど出来ないことを積み重ねることで、幸せは作れる
(本より)

まだまだたくさんぐっときた箇所はありました。こう表現するのかなんて悔しかったりも。

本の中に出てくるプロジェクト等に関して一切検索せずに来ました。なぜならタイムラグがあるから。
しかも震災があって、おそらくデザインというものに関して筆者はまた悩んだのではないかと。
ドキドキしながら検索しようと思います。日本に帰ったら是非ここで紹介される店舗に足を運んでみたいです。現在も進行していることを願いつつ。

このブログも書籍化してくれる人おらんかな。。。あったらドッキリやな。。。