木曜日, 4月 24, 2014

読んだ本・その14(157)

アフター・ザ・クライム 犯罪被害者遺族が語る「事件後」のリアル [単行本]
藤井 誠二 (著)
講談社 (2011/2/25)

少し長いですが引用します。

<ニュースは「事件以後」を伝えることがほとんどない。事件や事故が起きた時の発端か、帰結の一瞬だけだ。放物線を描いた事件のほんの一瞬、それも「伝える側」によって加工され、定型化されたものだ。逆に言えばそれがニュースなのだ。事件がニュースとして伝えたれる時、それを類型化したり、背景を推測することによって事件は消費されていく>

60ページ目と早い段階にでてくるこの一文。これにレジストするため、単に消費するだけではなく身になるものとするため、この本は存在するのだろう。

被害者。加害者。遺族などを含めた関係者。法曹界関係者。警察。
それぞれがそれぞれの立場での振舞いや発言に、当事者性と客観的視座が交錯しながら、過去の自分の行動・発言と自分が受けたそれらに思いを馳せ自戒し納得し読み進めました。

毎日流れる情報の海を泳ぐことで精一杯。でも果たして何かを学んでいるのか?
毒餃子事件ってどうなった?
佐村河内問題は?
今福島原発は?
チベット問題は?
クリミアは?
パンデミックインフルエンザは?
都構想は?
STAP細胞は?
結局は結論すら何も知らず日常をも消費しているのか。

僕たちは消化不良にならない程度の日常の出来事に拘って生きてたりもする。ただそれは時間や自身の手で最終的に消費できてしまうのかもしれない。
ただここで描かれる被害者の方たちは消化できないずっと晴れない事と共に生きている。加害者が罰受けさらに死刑になっても。無が有にはもどらない。そのゼロに何かを足してもゼロから始まった事実は変わらない。その現実。

ふと立ち止まって色んなことを考えるきっかけになります。
ビールを片手で消費しながら何を考えたか。。。思い出せない自分は浪費家です。

火曜日, 4月 22, 2014

市場調査

うむうむ。やはりマーケットの動きは停滞のようだ。
うむうむ。やはりみんな考えることも同じなようだ。

うむうむ。有無有無。
4年前に感じたことは正しかったのかも。

山の登り方を変えるか、山自体を変えるか、海に出るか。
逆算でいくか。加算でいくか。

投資先。頭一つ。いまひとつ。
今いくよくるよ。どやさどやさ。

ぼちぼち考えよう。

金曜日, 4月 18, 2014

ちょっと気味悪いねー。

今日もメキシコの方で大きい地震があって、昨日茨城南部であって、チリでも大きいのあって日本に津波の警戒が出て、ちょっとまえにはカリフォルニアで揺れてて。

環太平洋で地震のキャッチボールのようになってる。エネルギーが小出しで抜けてるのか、前触れなのか。

近々届くものあるので避難バッグの中身リフレッシュしておこう。
想定外はもう想定内なので要注意だけど平常心!!!
なんじゃそら。。。

水曜日, 4月 16, 2014

読んだ本・その13(156)

国力とは何か―経済ナショナリズムの理論と政策 (講談社現代新書) [新書]
中野 剛志 (著)
講談社 (2011/7/15)

TPPの議論が出てきた初期、農業の話題が多い中でビデオニュース・ドットコムに出ていた中野さんの話を聞いて「ほー!」とこの問題について理解できたのを思い出します。

「ナショナリズム」という言葉を聞いた時「愛国」という言葉がすぐに連想されるような気がします。
ここではそういった愛国がどうだ云々ではなく、経済活動の主体をどうみるかそこで内向的・外交的といったような意味でとらえるとこのナショナリズムは理解しやすいのかもしれません。

グローバルとインターナショナルやネイションとステイト。これらの似たような意味が指す対象を理解すること。そして現在の世界や経済状況。それらを踏まえて「我が国」がどういうアプローチ(政策)を取るのがベストなのか。それが中野さんのいう経済ナショナリズムという事になります。

一番感じたのはクローバリゼーションって色んなものが薄まっていくことなのかなと。そしてそれは単に薄まって平等になるのでは、さまざまなそれ自体に差という勾配をもつレイヤー(枠や層)を生み出し、そうごに呼応しながら、ダイナミック変化していく。帰属意識、富、個人などなど色んな事・モノを。

大変な世界に生まれたものです。

マクロに物事を見据えるのって「ふーーーん!」感じることが多いですね。おもしろかった!
でも家にあって読めてない各種本を読んでいたらもっとおもしろかったのかなって後悔も。

でもまぁ、TPP (Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)を環太平洋戦略的経済連携協定って読んでることにだれも違和感ないのかね?
環太平洋ってPan Pacificだと思うのだが。Trans Pacificって名前からしてアメリカサイドと東アジアサイド(どう考えても日本)の事ってイメージできてしまうんだけど。。。
わしゃ変なのか??

火曜日, 4月 15, 2014

つらつらつれづれつぶやくつまらないことども

先日飲み屋で知り合いと話していた。彼らはカナダからこっちに来て一年。旦那さんは主夫なのだ。そしてライフスタイルの話になった。
「幸せの尺度」と「資産の有無」や「客観的に観た現在置かれてる状況」は必ずしも重ならないよねって結論で落ち着いた。

僕は現在の職と生活の自由度に大変満足している。これはお金を払ったからといって交換できるのではない。しかし今、このままでいいのだろうか。先について思うをめぐらせることが多い。

将来設計として先にビジョンを持ち、明るい方向に進むべきなのだが、将来の見通しからして今以上の満足度は何によって得られるのかが浮かばない。
日常を、やるべきことをルーティーンとして消費している今。不満も何もない。かつ数年先までは安全が確保されている。だが、確実にだんだんフラットに向かっている。飽和しそうだ。

現状維持がベストなのだろうが、無常でり移ろい行くこの世界と自分を含め取り巻く空間の老いという摂理。これらを排除できない限りそれは限りなく不可能に近い。

とみに最近感じる日常内に無数に起きる小さい多幸感。人との出会いや人との時間、仕事での出来事などなど。感情の起伏が激しいのもあるかもしれないが、そのあとに引き戻される我がさらにこのような感情を増幅させているのかもしれない。

この現状は幸せだ、だからこそいけない。このままでは。
雷が頭に起きるような点と向き合わなければいけない事は分かっている。その雷のための今創造しうる限りのオプションを揃える過程の途中だが、どうなることやら。

One should die proudly when it is no longer possible to live proudly.
人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、 誇らしげに死ぬべきである
- Friedrich Nietzsche (フリードリヒ・ニーチェ)

これは手厳しい。今きっと定期的にくるあれだわ。さてお笑いでも観るかー!!!!

火曜日, 4月 08, 2014

読んだ本・その12(155)

プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実 [単行本]
朝日新聞特別報道部 (著)
学研パブリッシング (2012/2/28)

この連載が毎日読めるのならずっとやらなかった朝日新聞デジタルの無料登録をしようかなと思います。しかももう6巻まで出てるんですね。これは第一巻になります。貸してくださった知人に感謝!

悲劇の極致は喜劇といいますが、喜劇でなかったのが残念です。

イギリスのBBCのドキュメンタリーで菅元総理がでて居たのを思い出しました。その中で正確な表現は覚えてないですが「真実を知ってもらえれば分かってくれるはず」といったニュアンス。
そしてあとがきにある「4月以降国の原発対策が杜撰だった点を首相に帰す報道が続いていた。(中略) それへの違和感だった。ことはそう単純ではないのではないのか」

あー、なるほど。この本を読んで腑に落ちた気がします。

国家のトップとして責任という重荷がある以上、すまなかったでは済まされないことはたくさんあるでしょう。
でもこの書の中で描かれる官邸内のようす。SPEEDIの経緯、非難区域設定、放射能に関すること等々。

不作為・無責任
しだいけど出来ない、出来るけどやりたくない

といった言葉がずっと頭の中をぐるぐる回りました。有事に平時だったんでしょうか。
たくさんの小事の判断ミスが積もり積もった結果。
判断ミス。判断を下す材料が間違っていたら判断を誤ります。

まるでSTAP細胞のようだと、ふと。この問題もこういった検証が必要なのでしょう。
今日小保方さんが会見するようですね。

そして、ここに出てくる科学者の方々のようにありたいとも切に感じたのでした。
有事の際の僕、果たして。。。 
不安しかない!!





木曜日, 4月 03, 2014

save as 日常 to 脳

思考実験しました。

一日8時間睡眠で16時間活動したとして、僕が使っているカメラで高画質の動画でこの16時間を具に記録する場合、約90G必要になる。
世界の人口が72億人だから90x72億で6480億G。つまり一日約6.5億T(テラバイト)あればこの地球上を風景をある程度残せる。
つまりこの場合人間の世界は高画質で残した場合6.5億Tの情報量ってことになる。

アマゾンで2Tのハードディスクが1万で売ってたんで、約30兆円って感じですか。
一日30兆円分の情報が人間世界で流れている。
脳は90Gの情報を毎日処理している。

画質を落とせばもっと少ない容量で残せるから厳密にはもっと低容量でOKなんだろうけど。そうするとイメージ1兆円あったら何とかなるのかな。

このビッグデータを使ったら世界の繁華街や東京の電車の中なんてかなり正確に再現できたりするんじゃない?いろんな事件や出来事の現場を丸々再現できるかも。
とはいっても人口つまりはアングル数の多い都心部などに限ってになるけど。

時間の中でただ存在している場所なんて山ほどあって、それらも自然というタイムスケールの中で変化している。でも人間はそれに気づいていないだけ。やっぱり見えてない世界の方が圧倒的に多い。
僕らは単に起きてるだけで数十Gを処理してる。いや消費してる。おもしろいね!

物理空間から情報空間。
最近このフレーズが頭から離れなくて、何か自分の仕事に応用できる大きな可能性を感じてやまないのです。

こんなことを寝れなくて考えていた僕はおかしいのか!?

火曜日, 4月 01, 2014

読んだ本・その11(154)

倍音 音・ことば・身体の文化誌 [単行本]
中村 明一 (著)
春秋社; 四六版 (2010/11/1)

敬愛する評論家・宮崎哲弥さんの番組「宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ」に筆者の中村さんが出演している回を観て面白いなぁと思ったのが購入のきっかけでした。動画は探せば今でもあるのでは?

まず倍音というのが何から始まり言語・文化へと広がり最後は人間と音・音楽とはと解いていきます。
僕は以前に音のライブラリーという考えを投稿したことがあったので、ここでの話がとても腑に落ちるのもばかりでした。

感じたことは、「人間の意識下で感じてないもの」と「身体的に感じているもの」の重なり合う海の中で僕たちの感情は生まれているのでは?

その根源となる音。そして音と音との間。
それらによって構成される言語・音楽。大きく捉えると文化。
そしてその空間に生きる人と、それを認識する脳。
脳によって身体的または意識的に消化され、反応することによって発せられる音。
この情報としての音。物理的であり情報的である音という存在。

アートや最新のテクノロジーに関する評論などで目にする「物理空間から情報空間へ」という提起。
このストリームの根底で仏頂面で佇んでいるこの音。
何とかしたい僕がいますね。

お笑いコンビの組み合わせ。西洋的・日本的といった差異。
少し違った視点で日常の音を聞いてみませんか?

尺八。吹いてみたいです。