火曜日, 4月 15, 2014

つらつらつれづれつぶやくつまらないことども

先日飲み屋で知り合いと話していた。彼らはカナダからこっちに来て一年。旦那さんは主夫なのだ。そしてライフスタイルの話になった。
「幸せの尺度」と「資産の有無」や「客観的に観た現在置かれてる状況」は必ずしも重ならないよねって結論で落ち着いた。

僕は現在の職と生活の自由度に大変満足している。これはお金を払ったからといって交換できるのではない。しかし今、このままでいいのだろうか。先について思うをめぐらせることが多い。

将来設計として先にビジョンを持ち、明るい方向に進むべきなのだが、将来の見通しからして今以上の満足度は何によって得られるのかが浮かばない。
日常を、やるべきことをルーティーンとして消費している今。不満も何もない。かつ数年先までは安全が確保されている。だが、確実にだんだんフラットに向かっている。飽和しそうだ。

現状維持がベストなのだろうが、無常でり移ろい行くこの世界と自分を含め取り巻く空間の老いという摂理。これらを排除できない限りそれは限りなく不可能に近い。

とみに最近感じる日常内に無数に起きる小さい多幸感。人との出会いや人との時間、仕事での出来事などなど。感情の起伏が激しいのもあるかもしれないが、そのあとに引き戻される我がさらにこのような感情を増幅させているのかもしれない。

この現状は幸せだ、だからこそいけない。このままでは。
雷が頭に起きるような点と向き合わなければいけない事は分かっている。その雷のための今創造しうる限りのオプションを揃える過程の途中だが、どうなることやら。

One should die proudly when it is no longer possible to live proudly.
人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、 誇らしげに死ぬべきである
- Friedrich Nietzsche (フリードリヒ・ニーチェ)

これは手厳しい。今きっと定期的にくるあれだわ。さてお笑いでも観るかー!!!!

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