木曜日, 11月 28, 2013

10年ひとくくり

今日研究室に向かっている時にあっ!って思った。

2003年のこの時期は学部3回生で4回生の研究室の行き先が決まる頃だったような気がする。いや、もう決まっていたかな。そうこの時期から研究室というところで実験を始めるようになったのだ。

まるまる10年。大学院に入学した2005年3月からカウントするのが正しいのかもしれないけど、厳密にはここからカウントするべきだと思う。

キャリア10年。もうM-1グランプリにはエントリー出来ない。そして若手から中堅へ。

そう考えると、年末にまた今年の総括で書くけど今年は一人の研究者として大きく成長したと思う。もちろんまだまだ修行は足りないが一歩を踏み出した気はする。
そして自分が関わっり世に出た論文の数がトータル10本になってよかった。

10年で10本。うん、悪くない。

今日はサンクスギビングデー。
この10年の収穫を祝い、そして明日からまたがんばるか!

つまり。。。

飲むべし!!

水曜日, 11月 27, 2013

数珠つなぎ

「類は友を呼ぶ」と言いますが昨日それを深く感じました。
そして津田大介さんと糸井重里さんの対談で出てきた「綺麗な水にはホタルが舞う」という言葉を朝に目にして更に深く腑に落ちました。

すごい人の周りにはすごい人がいるんですよね。
面白い人の友だちは面白いんですよね。

今まで幾度と無く感じてきたけどやっぱりそうなんだと。
そしてそういう人たちがどう接点を持って繋がったのか。
これから機会があれば必ず聞いていきたいなと。
自分への肥やしに。

そのためには日々の足し算をがんばろう。それは知識・経験などの積み重ね。
自分対してだけでなく、周りの人への思いやりとか共感とかも大事な足し算。
十分足し算できていたら、人との出会いや環境の微妙の変化で大きな掛け算に。
掛け算は自分でするんじゃない。掛け算をしようと思っている人に掛け算に機会はないだろうな。
しっかり足元見て足し算をしっかりしていこう。
得られた掛け算をしっかり俯瞰しながら次の足し算。

そういえば昔x(-1)の法則ってのを書いたけど、これも忘れないように!

足し算と掛け算でこかで聞いてとても感動したんだけどどこだったか思い出せない。
その時の感動を昨日また実体験に近い形で感じれた。

感謝でごじゃる!!

とりあえず帰って引き算だな(飲酒。。。)

日曜日, 11月 24, 2013

カエルは帰るために何を変える?

このブログを読んで思ったこと。
http://mitsuhiro.exblog.jp/20999166/

人もきっと同じなんだろうなと。
ただ本来その人の持っている性質的なものは同じで、一見大きく変わったように見えるけど環境の変化と正面衝突した結果、表に出てきてしまうってことのような気もする。

その周りの変化に気付いてやってる人気付かずにやってる人。
さらには本人の変化や力だと勝手に思い込んでしまって現状を観ている人。
その変化に不安を抱く人自信を持つ人。

きっとまだまだ幾重にもパターン解析出来そうだけど、自分と周りを上手く調整しながら快適に過ごす。そのために考える。時には前に出たり引いたり。

これだけ意識しても現状維持や1歩後退の時もあるしねー。

だから人生には時にカオス的な出来事、不確実性や不確定性みたいなもの「偶然」が織り込まれていて、シャッフルされるようになっているのかいねー。

こんなルール誰が作ったんや!!

だから僕は何にも囚われず思いのまま自由に生きてくんだ!!

といっても君の周りの環境が目に見えない形で君の人生に影響をだなぁ。。。

なーんて、ぐるぐる考えてみた結果パソコン内のファイルやデータの整理をし始めた日曜の午後である。何か明日変わるか??

タイトルに深い意味はありません。。。

土曜日, 11月 23, 2013

老い!オイ!追い!

数時間後に気が変わって仕事に行くかもしれないけど、まったり。
まぁ一本空けたので行かないかな。。。でもやりたい実験が昨夜浮かんだし。。。
適当に。

色々youtubeを見ながら

実は歳をとる、いや、歳を重ねるってええなぁと。

その代わり、今を全力で生きないとその意味や価値は薄れるけど。それも歳をとらないと分からないけどね。

目の前の出会いや、自分の想いに恥ずかしがらずに向き合って生きて行きたいね。
きっとそれが与えられた生を全うする最高のリアクション。

さて、仕事いこうかなぁ。。。

木曜日, 11月 21, 2013

本の感想2013 No35 (その135)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) [新書]
輪島 裕介
光文社 (2010/10/15)

ここ最近は本の代わりに仕事関係の資料読みが多く、その上読み止しの本は読んだ所までの内容があやふやなので一度リセットしたせいで余計に、読むのが億劫になっていたのでした。

僕はもともと音楽には疎い人なので本の中に出てくる人の名前は知っていても、曲自体ののイメージは湧かないしちょっとこの本は大変でした。
以前友人に談志師匠の本を貸したとき落語のこととかよく分からないから難しかったと言わたのを思い出し、なるほどーこういうことかと腑に落ちたのでした。

さて内容ですが終盤になるにつれて面白さが出てきました。

演歌のルーツは浪曲にあり、また演歌は「演説の歌」だということ。そう昔は日本的な歌調というものではなく一つのスタイルとして、言ってしまえは平家物語を琵琶法師が語り部として全国津々浦々を回ったイメージでしょうか、歌謡曲的な要素とははなれていたこと。そして一時までは実際そう言った類のものであったこと。
レコード歌謡(ここでは現在の演歌というスタイルまだ確立していない)は他の古典芸能(浪曲ふくむ)と違ってGHQ下によって検閲の対象外となって、西洋的な音楽が普及する。それのアンチテーゼとしての曲のジャンル「艶歌」。そう左翼的というか政治的な背景もあった。
宇多田ひかるの母・藤圭子が艶歌(演歌と言う表記は意図的に後に広がる)に与えた影響。今のアイドルという地位の走り。今のアイドルが歌う歌から創造する、この変遷はおもしろいなぁと思った。
そして経済成長を進む日本明るい部分の裏返しの部分貧しさや土着といった文化表現の背景にそって任侠映画などと共に演歌(艶歌)のジャンルが確立する。
そこから現在までの歌謡曲の変遷を辿っていくと、演歌は演歌として存在したのではなく歴史の中で生まれた1つのスタイルで、必ずしも演歌=日本の心とひとくくりに出来ない流れがそこにはあるのでは?という問題提起

といったところでしょうか。
あとへーーって思ったのは

与作は音楽番組の応募曲がきっかけで生まれた。
川の流れのようにの作詞は秋元康

改めで文化(音楽や芸能、お笑いなど)の後ろにある社会的な流れ背景の影響って面白いと思った本でした。
カラオケでもいくか!笑

火曜日, 11月 19, 2013

とらいある(一応おわり)

手を変え品を変えチャンレンジしてきたこのトライアル。
新たな方法も見事にうまくいきませんでした。
今回の結論としては、

生体内・細胞内で観察されているのをシンプルな試験管の中で再現するのが難しい。その理由として僕が扱っているターゲットととなるタンパク質の持つ性質がその困難を生んでいる。

と言った感じです。もう少し間接的な方法から再度練り直そうと思ってます。
ちょっとダイレクトに答えを急ぎ過ぎたかもしれません。
でも誰かが証明すべきことだし、きっと同じことをやっている人も同じ困難にぶつかっているはず。
山は越えられる人の前にしか現れないと信じて前向きに行きます。

このトライアル企画は一旦終了で、しばらく時間を見ながら作戦を練りながらこのプリジェクトは必ず終わらせようと思います。

僕がよく引用するゲーテの言葉、

人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。
できるけど、したくない。

今回「できるけど、したくない」をやった結果「できると思っていたことが出来ないことに気付いた」このlearning experienceはすごくよかった気がします。
やってみないとできないことも分からない。
この一歩を踏み出せる人と踏み出せない人の差ををゲーテは揶揄していたのでは。。。
なーんて偉そうに考えてしまいました。

なんで上手いこと行かへんねん!って切れるボスもいるでしょうし、結果や僕の提示したにトラブルシュートの議論に付き合ってくれたボスを含めみなさんに感謝ですね。自由にやらせてもらえるって贅沢ですね。

さぁ、がんばりますか!

そこでしか会わない人々

昨日drawingのクラスを終えて、家にビールが無いのと読み止しの資料をか片付けるべく行きつけの飲み屋へ。

2杯目も半分を飲み干し、さてかえるかーと思っていたところ。

「コンニチハ!ドクターヨシさん!ゲンキ?」

と聞き覚えの声が、見上げるとPたーさんという僕の知り合いというか友人が。
かれとは確か3年ほど前にこの店で出会い、それからポツリポツリとこの飲み屋で偶然遭遇すると言う関係で今まで仲良くしているのである。

いつも彼の父とその友人の3人で現れ、テーブルに一緒に座り四方山話をするのである。
そのお父さんと友人は両方とも軍で働いていて日本に住んでいたことがあるので結構日本のことを知っているのである。

昨日は為替の話から、当時は1ドル360円の頃に日本いたという話から沖縄と大東亜戦争の話に。
そこら沖縄と本州の関係とか基地の話とかになり、がんばって身振り手振りでなんとか説明したけど、いかんせん日本語で分かっていても上手く英語で説明する単語が浮かばない。
これは日ごろから何て伝えるかのイメージを鍛えておかないといけないなと再確認。
でも面白い時間でした。よく知ってはったなぁー。

もう一つ面白かったというか興味深かったのは、Pたー氏。
彼は上手に日本語を扱うのですが、いきなり僕にスペイン語を話し始めた。そこで僕が「チャオ!」って言ったら流暢にイタリア語を。ニヤニヤしながら「ボンジュール!」と言うとフランス語を。
まぁ、言っている内容は分からないんやけどおそらく日常会話はできるんだろうなぁーと。
こそで「コリアン、プリーズ!」といったら、少し考えて「カムサハムニダ!!」
すげーなーこの人はと。言語に関してはお父さんもびっくりのようで「こいつはこれだけはすごい」と言っていた。聞くと5か国語はしゃべるんだと。

こんな博学な彼。現在、無職。

今はお父さんに仕事を手伝っていいるらしい。仕事が見つからないと言っていた。
職に就けるというものタイミングで、どんなにスキルがあっても見つからないもんなのだなぁーと現在職があることを改めて感謝したのでした。

11時には帰る予定が午前様。でも、楽しいひと時でした。

その感謝もつかの間。起きて外を見ると雨。仕事いきたくねー。


日曜日, 11月 17, 2013

夢のなかの喜怒哀楽

昨日はあ早く眠りについたのですが、夢をたくさん見て笑ったの怒ったのも覚えているのですが、一番びっくりしたことを記しておきます。

小学校の頃食い入るように見ていた「とんねるずのみなさんのおかげです」。
情けねぇが大ヒットしていた時、そのCDのB面「こんな男でよかったら」という曲がなぜか子供ながらに好きで、みなさんのおかげですでもちょこちょこ終わりの方で流れていた気がする。この曲。

夢のなかでそのエンディングのシーンを大人なって見てる所で目が覚めると、なんと

涙が流れていました。。。

ちょっと焦ってびっくり。その後、笑けてきてんけどなんか不思議のな時間だったので記しておきます。

改めてみたけどなんかージーンとくるなぁ。。。

悲しいこと
胸にしまい
きみは涙 こらえてる
なくしたもの
追いかけても
夢は 帰らない

こんな男でよかったら
話 聞かせてよ

かれでも そうだよ さみしがりあ
抱いてあげよう
だれでも おんなじ さみしがりあ
笑 ってごらん

やさしとか
ふれあいとか
いつもとてもむずかしい
素直なまま
できることを
きみと みつけたい

こんな男でよかったら
心 ひらいてよ

だれでも そうだよ さみしがりや
抱いてあげよう
だれでも おんなじ さみしがりあ
笑 ってごらん

だれでも そうだよ さみしがりや
抱いてあげよう
だれでも おんなじ さみしがりあ
笑 ってごらん

傷つくほど
やさしさを
信じられる気がするよ
いいことしか
ないなんて
人生 つまらない



さぁ、がんばって生きよう!

木曜日, 11月 07, 2013

とらいある(update-6)

この作戦。。。
暗礁に乗り上げています!!!

AとBの関係性。
2人はできていると踏んでいた、色んな状況証拠があった。でも決定的な証拠がない。
Aに聞いた。できてるのか??友達以上恋人未満という。
Bに聞いた。できているのか??できてないっすよ。

みたいな。。。
実験1でばらつきが出たので(以前のアップデート参照)、そのばらつきを確かめるために実験2で過去に報告されている2つのもの準備して試し打ちをした結果、これがくっつかない。
これが成功しないと実験1使った物たちを流しても、結果として怪しい可能性があるから。

くっつかない原因の予想は、アリには象はみえるけど、象はアリの存在に気付かない。
2つの間には大きな体重の差(分子の大きさの差)があるので、検出できないという可能性が。

そこで実験3を計画。まぁ厳密には実験1の応用版でこの2人の親密度をちぇっく。
ところがこれもうまくいかない!!

うーーーーーん、何かがおかしい。
今その原因を究明中です。

モノのクオリティが悪い。それか新しい仮説の存在。実験系の問題。などなど。

以前に報告されている状況証拠を読み返す作業です。
うーーーー!!簡単に行くと思った実験ほどこんなことが起きるのだ!!

考えるという行為は、人間に与えられた最大の楽しみだ
結果には必ず原因がある・・・
現象には必ず理由がある
仮説は実証して初めて真実になる。

などとガリレオの湯川先生の真似をしてみました。。。

火曜日, 11月 05, 2013

シャペロン

不条理という言葉からアルベール・カミュが浮かび生と死から生きるへとグルグル。
眠れない。
前に目を向けること。後ろを振り返ること。
この二つを同時にした時はじめて線上の点である自己を感じる。
今、この自己は不条理に満ちている。
明るく希望に満ち活気を帯びた自己と、暗く悲しい後悔に満ちた何も出来ない自己。
人はどう生きるべきなのか。いや、どう生きたいのか。
素直にといってもそれは自己満足を帯び、素直に受け入れられるとは限らない。
一年前に貰ったあるメールを思い出す。
nucleus, proton, electrons and neutron
うまいなぁ。
才能がある人(秀才となるのかな)とは人が当てることが出来ない所に矢を投げれる人。
天才とは人には見えない(予想もできない)所に矢を投げれる人。
生きることは不条理は秀才にも天才にもシェアされた現実。
生きる上では気付かない(天才)無視できる(秀才)なんて定義するのかな。
何ができるかなんて分からないけど与えられた生をとにかく必死に生きよう。
ありがとう。有難し。thank you. thanks. think