土曜日, 12月 26, 2015

42冊目2015(228)

ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書)
波戸岡 景太  (著)
講談社 (2013/6/18)

久々に入ってこない本でした。原因は分かっているのです。そう僕自身。
タイトルにある「ラノベ」こと「ライトノベル」が全くの守備範囲外・エアポケットだったので。
「涼宮ハルヒの憂鬱」がこれにあたるらしい。が、名前だけ知っていて全く内容が分からないんです。
僕が予想するに日本を離れた2005年から今に至るまで、ある意味での浦島太郎状態が今回の敗因です。しかし、考えることはとても多くありました。

僕の思春期(ここでは小学校後半から大学卒まで)見ていたサブカルチャーやオタクという存在があり、それを批評していた上の世代が居た。
今ラノベを書いているのはまさに僕と同じ世代で、書かれている作品は同世代を楽しませるのではなく思春期の若者へ。その若者が僕らの時代にはなかったネットやSNSというツールによって自分たちの世界自身も発信する。そこで起きるケミストリーにより生まれる若者文化。

2つの点
自分のが消費者で無くなり下の世代の消費行動に触れた。
サブカルチャーの形成過程が自分の経験則と変わっている。

これが分かってようやくぽつんと佇んでしまった自分の存在を理解できました。つまり変化に対応できてないんですね。今のオタクと僕の当時のオタクは字面の奥に広がる空間は違うのだと。

安直な言葉になるけど希望かと絶望とか日常とかスクールカーストとか。僕が理解するために落とし込んだラノベの世界観を理解するのに苦しむのは、理屈と肌感覚の差なのかもしれません。

村上春樹と村上龍の両氏の作品にも言及していてこのあたりは入ってくるのです。でも、彼らが現代を含めた上で描く世界への解説も入ってくるのです。
きっとそれは筆者らが消費した世界からの流れ(僕のそれも含まれる)が自然に投影されているからかもしれません。

今の若い世代が投影されたサブカルチャーの理解は今後その世代と一緒に仕事したりする中で不可欠な要素になりうるという。このようなことは戦後にもあったようです。しかも当時は世代に加えアメリカという存在もありましたし。そこで大事なのは自分の空間が下の空間に当てはるとは決して限らない、しかもその変化の速度がとても速くなっている。

断絶という遠くはなれたものを理解する大変さ。久々に頭をどつかれたようでした。
人の考え方とか国家間の文化とか言語とかの違いに寛容になろうとか言っていて、自国の世代間の断絶に絶望するとは。灯台下暗しでした。

あっ、そういえば今日はコンタクトしてなかった。。。




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