木曜日, 11月 01, 2018

2018年30冊目(323)

空間へ (河出文庫) 文庫
磯崎新  (著)
河出書房新社 (2017/10/5)

最近てくてく歩くのだがふと自分の生まれ育った地区を歩いてみようとぐるりと回った。当時あんなにも大きく感じた街は今の僕の視線と歩幅では容易に歩ける町だった。地震と台風のせいでビニールシートが掛った屋根、補修中の家、人の気配の無いボロボロの長屋などが思ってる以上に多くて驚いた。近所の家々も売りに出たり解体して更地への作業中だったりこの災害の大きさを感じた。そして、思った。日本ではヨーロッパのようなリノベーションは向いていない。木造と石造の根本的な違いを痛感した。耐久性・解体性・可燃性の差。それは先日ベルギーの石畳と城壁の残るの町並みを実際に歩いたから余計にである。そしてこの本の「世界のまち」を歩く前に読んだからこそ注意深く街を観察できたのだと思った。

建築やデザインに関してずぶの素人の感想なので何とも言えないけど、この本は終盤の「年代記ノート」からが筆者の胸の内を感じる醍醐味であると思う。
ただ、1960年から始まる記述の中で感じたのは、焼け野原となった(あえて上の言葉から言えば焼けたから生まれた)日本の中に蠢くエネルギー的なものと街・都市の持つ空気感があるからこそ建築論の面白さや深さが生まれたのかなと。

僕には記されている論や考察など今の時代の話として十分に語られ議論されても良いような内容に感じた。ただ広告の看板・電気エネルギー・モータリゼーションという部分が時代なのかもしれない。看板はサイバーに、自然エネルギーや省エネといったクリーンという議論(快適な生活の基礎を支える必要な不可欠な電力需要の話が全く議論にならず語っていることが僕には馬鹿らしくて仕方ないが。。。)、カーシェアリングや自動運転に車を持たない世代へと、建築やデザインの対象となる存在は変化しているのかなって。

今も当時も同じような「混沌とした時代の空気感」があるように思うし、建築やデザインへの期待やエネルギーを僕には感じる。けど、成長してゆく都市と成長しきった都市というベースの違いが大きな差かもしれない。今こそタイトルある「空間へ」なのかもしれない。

今の日本は木造だったから作れたんだと。古い街並みを残すことにヨーロッパの事例を引き合いに出すのは実は間違っているのだと。で、今の日本のビル群は木造的に捉えるべきなのか石造的に捉えるべきなのか。おもしろい観察対象ができました。
この新たな認識を持てた事は僕にとって新たな建築でありデザインとなった!!!なーーんて、言うてみた。。。

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