土曜日, 5月 26, 2018

これこれしかじか

雑誌は読者と共に年齢を重ねると聞いたことがあるのですが、最近それをラジオでも感じます。ラジオから流れるリクエスト曲が自分の10代20代のそれなのだ当時深夜のリクエストの番組でしか流れてないようなのがシレっと流れてくる。テレビよりもラジオの持つ広がりと「僕は聞いてる」「僕は聞いてた」的なある種の閉鎖的なコアなファンイズムと言うのかな。流れてる曲を聴きながらニヤニヤしてしまいます。

日本に居て小さな居酒屋でも入ると必ずお通しがでたり「箸と小皿」が用意される。ビールだけというのが異星人の異邦人的な環境でどうも出来ませんこの国においては飲むことと食べることは切り離せない空気がデフォルトなのかと。飲むだけとなるとちょいとオサレナbarだったり。いやいや、もっとふらっと酔う気に行きたいんですけど。そこで掲げよう「立ち飲み復興論」を。2020年を前にふらっと飲める文化の復興から海外の客人とのコミュニケーションへ。ふらっと立ち寄れる立ち飲み。これmustだと思うのですが。。。

センサーやビッグデータやいろんな事を知ろうとする技術。それを使う上で必ず立ちはだかる個人情報。便利をとるのかプライバシーを取るのか。世の常として完全なエエトコ取りなんてできない。そもそも、何かを使ってる時点でそのシステムに使われている現実を直視すべきで。Facebookと情報の抜き取りの問題。あえて言うなら、そんなのも気付かずにのうのうと使ってたんかい!って僕なんかは思います。モノを使うことの背後にある便利と不利益(不便でないのがミソ)、義務教育で分かるような命題を考えようやと思ったりします。仏陀の手のひらや籠の中の鳥のようなテクノロジーの中の自分。使われてる以上に使ってみるという概念。知らない世界へようこそー

0 件のコメント: