水曜日, 6月 06, 2018

2018年14,15冊目(307,8)

「世間」とは何か (講談社現代新書)
阿部 謹也  (著)
講談社 (1995/7/20)

消されたマンガ 単行本 – 2013/7/22
赤田 祐一  (著), ばるぼら (著)
鉄人社 (2013/7/22)

アメフトのタックルの話が大盛り上がりで日々あらゆるメディアで語られている現状に嫌気がさして来た折、この「世間」に関する積読されていた本と目が合って落としどころが見えないこの熱狂の答えがあるのではと思ったのでした。

万葉集の時代から夏目漱石の時代の各時代に描かれる「世」を観ることで捉え難い世間を理解してみようという試みの記録です。人間関係や人間を取り巻く煩悩や生死観といったウエットな要素や時代背景や文化などドライな点の配置によってもわっと包まれているそれ。世間。こう書いてしまうと元も子もないようだけど、この歴史という縦を貫く空気の道が世間を理解するうえで大事なんだと。

なぜなら消されたマンガで消された理由を知るために現在の基準と異なる時代の空気感を嗅ぐ必要があると感じだから。サブカルチャーは時代を映すと僕は思っていて、作り手は自分の感性と世間の空気感との空気勘を表現するだろうなって。

その微妙なズレが問題になったりする原因だと思うけどこのズレというのが世間との距離。これが思っている以上に見えるようで見えない。事後的に起きる反響もあるわけで。
昔なら世に出なかった?どう転んでもいずれ世に出ていた?
チームの世間。大学の世間。業界の世間。社会の世間。
秩序と共に存在するようで閉鎖的なような開放的で。しかも1年単位でなく1日単位でそのルールがシレっと更新されたりするからさー大変。

「世間」とは何かで筆者は西洋から入ってきたsociety (社会)とindividual (個人)の持つ概念と世間との違いの指摘をする場面がある頻度で出てくる。きっとこれが肝でこの感覚の消化度合の違いが教育や世代間で生じてるのではと思ったり!?

世間を読んで生きる必要は無いと思うけど、世間の空気は知っておいて損はなし。

僕はこの世間とうまく対峙できるのだろうか。。。果たして。。。その前にまず対峙するつもり!?そう、それ!!

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