月曜日, 10月 08, 2018

2018年28冊目(321)

話芸の達人 ―西条凡児・浜村淳・上岡龍太郎― 単行本
戸田学 (著)
青土社 (2018/8/23)

よく人間の才能や能力を議論する際に出る遺伝か環境か。
大阪人のしゃべりが達者なのは小さい時からお笑いの文化があるから。
などなど、環境の要因の話はよく語られますが人に影響を受けるというのも大事な要素で。

凡児先生の話は初期のパペポで触れられているのを聞いたけど、実際にその人となりを知ったのは今回が初めて。そして、関西の朝の声の代表である浜村さんの事もちゃんと知ったの初めて。そしてそこには影響を与える側と受ける側の関係が至る所にあった。
あと時代背景として、落語に浪曲などがもっと日常にあり漫才も今のような漫才コントのようなのもではなくきっと「じゃべり」が主体であったのも、一人話芸の達人を生む環境だったのかもしれない。あと視聴者の顔が見えないラジオという場がその鍛練の場として今以上に身近だったのもあるだろう。169ページに「凡児=落語、浜村=浪花節、上岡=講談といった三通りの芸脈が流れているのが面白い」と。今なら身近なのは落語だけなのは時代なのかもしれない。面白かったのは田原総一朗の司会ぶりを話芸として評している所。あの方の司会は確かに政治芸なのかもと腑に落ちたのでした。

さて、今後このような話芸の達人が生まれるのか?僕の答えはイエスな気がする。
原点に触れる作業をネットが容易にしてしまうだろう。映画・Blade Runner 2049のなかで生身の人間とバーチャルとどっちが好きなの?的な下りがあった。VRを駆使しすれば今は亡き談志師匠の落語をあたかも寄席に居るように聞ける日が来るかもしれない。現に人間国宝の桂米朝師匠のアンドロイド(米朝アンドロイド)が高座で落語をするプロジェクトは存在するわけで。感化された自分がそれを話す友達がバーチャルだったらそれはきっと虚構なのかもしれないけど。

話芸。なんだかんだで喋ってなんぼなスキルやけど、単純明快な作業だからこそその上手さは人を魅了うするんだろうなと。あえいうえおあお。。。

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