金曜日, 10月 17, 2014

読んだ本・その31-33(174-176)

私鉄探検 (ソフトバンク新書) 新書
近藤 正高  (著)
ソフトバンククリエイティブ (2008/6/17)

予てから鉄道の沿線文化やその発展などには興味があって、過去にも何冊か寺社仏閣へのアクセスとしての私鉄の発展、宗教ツーリズムに関して読んでいたのですがこの本はもうちょっと大きな視点から私鉄が与えた影響を考察していて面白かった。アニメのキャラ・土地開発・観光・スポーツと文化などなど。その電鉄会社が何を軸にして今まで生きてきたか。生きる上での軸って大なり小なりみんな抱えている。それと同じように、それぞれの会社の生き様というか何を核にして生きてきたかを見ているようで妙に私鉄に親近感が湧きます。こういったのが人それぞれ目的地にどの電車やどの路線を使うのに影響したりするのかなと。あと各社を含め鉄道社会の合併や変遷の歴史を辿るときに新たな「そうなんや!」があって面白かったです。この本の執筆時、スカイツリーは完成しておらず新東京タワーと表記していたので、この本の後にもまた同様に色々な変がすでに起きているんだろうなと、時間の流れと開発や変化の速さを感じるのでした。


ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975)) 新書
三浦 俊彦  (著)
岩波書店 (2005/10/20)

サイエンスの文章を書く作業をしていた中で、この本ともう一冊が構成やコンセプトにとてもとても大きな影響を与えました。読めたことに心から感謝します(も一冊はまだよみきれていませんが)。ラッセルと言う哲学者の思考の変遷です。なので難しい部分も多々あります。読んでも全く反応もない人もいるでしょう。僕にとっては提示される問い何度も何度も「なるほど!」とさせられる一方で、全く他分野の話題から(特に仏教的な概念から)以前に振れたことのある問いに再度触れたり。「そう、それは僕も思ったことある!」ってのがあったり。本と脳みそと執筆中のサイエンスの文の間をぐるぐる時にくらくらしながら試行・思考してました。
主な問いは言語や存在・実在へのアプローチ。その中で分類という人による作業。この人によるが認識や概念と言った差異が生まれ。それを解消するための定義の方法。そこに関わる表現や分析。西洋的や東洋的な考えの差異が影響したり。書いている今も堂々巡りをしているようです。というかこの堂々巡り自体が本質で、この世と言うのを人というモノが自身の都合のいいように無理から理解を加えているとでも言うのか。ここら辺がどうも仏教っぽくなってしまう。哲学的出ることは科学的かつ時に宗教的なのかも。この3つはそれぞれ違うようで同じで。。。あー、またくらくらしてきますね。
でもこういった本を読むのも楽しいですよ。まるで禅問答みたいですが、そこに何か感じるものがあると思います。
ラッセル先生は僕のレビューのコンセプトにどんな批評をくれるのかな。。。なーーんて。ちゅうかまず英語がボロボロでそこからか。。。


<生命>とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書) 新書
岩崎 秀雄 (著)
講談社 (2013/2/15)

バイオロジーをやっている僕はこの本に引き込まれるように読み切ってしまいました。生命ってとてもややこしいテーマを一般の人でも分かりやすいように書いてあるなと感心し、アカウンタビリティーとはこういう事かと思い知らされました。
2つの視点で読んでいました。科学をしている自分と、生命といった現象に興味がある素人の自分。今の科学は分野が細分化されているのもあり、ここで扱う人工細胞を作るといった話は全くの素人的な関心と共に読みました。時々知ってることが出てきて「おー、それは分かる!」となる自分。これが知を得る際の喜びなのではと再確認ですね。そして自分のやってることに当てはめてみることができる楽しみも。
発見をするためのアプローチの記述が出てきますがかれはまさに前に読んだ「ラッセルのパラドックス」にて議論されていたそれそのも。つまりやっぱり科学的であることは哲学的であるのだなと。そこに生命と言う問いを扱う上で避けて通れない倫理の問題。そして生命現象が持つ美しさ。アートとしての側面。そしてそれを表現するということ。結構大層なことを仕事にしてるもんやなぁと。
最終章で出てくるサイエンスとアートの融合したプロジェクトの数々。それをやっている人たちに羨望の眼差しを送らずにはいられません。
この書を学会に赴く前に読めたこと。ラッセルのパラドックスの後に読めたこと。これもダイナミックな意味合いで生命の不思議ですね。サイエンスをできる喜びに乾杯!って飲むのかい。。。

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