水曜日, 11月 27, 2019

プラスマイナスゼロは良いことなのかも

科学技術の進歩によってがん医療の現場などで本当に僅かな物質を検出することで早期発見に繋がる事例を見聞きする。
それは素晴らしい事だと思うだけど、それが僅かな物質であるだけに感じたことがある。

「何かを血眼になって見つける」行為と「特段に異常が無い事を確認する」行為はどちらが有意義な行為なのかと。

前者の場合見つかった結果、更なる精密検査を行う必要が生まれるだろう。
後者の場合見つかった結果、即入院などのある程度の規模の行為が行われることは自明である。

いろんな検査を受けすぎる事は実は身体にとって大きな負担となっているという記事を読んだ記憶がある。

ミクロ的かマクロ的か。医療費などを勘案してこの辺の最適解を見つけ出す事って実はとても大事な視点だと思う。
医療のケースを引き合いに出したが、これは日常生活や日々の仕事の中にも応用できそうである。

時に拘りが必要な時や「拘ろうぜ!」という引き込まないと場合もある。その逆で、一旦ストップ。引いてみてみようと促す必要性がある状況もあるだろう。

モノを常に違った見方で捉えることが出来るかが、それを実現するための要素だと思う。ただその見方をするためには余裕と言った心のゆとりが必要ではないかと。

とどのつまりは「肩肘張って生きるとロクな事ない」って事なのかもしれない。
明日は祝日だけど、少し作業をしに来ないといけない。肩肘張ってるやん!
だけど、今日はさっさと帰って酒でも飲もう。肩肘張ってないやん!
ジャルジャルのあの漫才面白かったなー。。。

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