日曜日, 12月 08, 2019

無限大

夢の中ではよく非日常を経験します。そして僕はよく夢を見る方なのである意味でのもう1つの人生を楽しんでいます。
が、とても考えさせられる夢を見ました。それは夢の定義を再確認すると共に生きている今(現実)を実感したからです。

その日は大荒れな天気。降りしきる雨が風にあおられ部屋の窓に打ちつけるような天候を追いながら眠りに就きました。

友人とキャンピングカーで山のなかにいる僕。急な傾斜の川のそばで雨の降る悪天候の中でキャンプをしているようです。どうする!?と話ながら目の前にある川は泥を運ぶような濁流で明らかに身の危険を感じます。そこでキャンピングカーが氾濫した川に流され、みるみる流されていきます。あー、終わった。転がる車が滝にさしかかり思いっきり飛んでいきます。それは飛行機から下を見下ろすような絶景です。マウンテンバイキング中に泥に車輪をとられ転げ落ちた絵に落下の情景は似ていた。
重力を感じ落下していく車とその中にいる僕と友人。あー、死ぬと腹をくる。そしてランディング。痛みも衝撃もなく生きている自分。
葛飾北斎が描いた富士山を見るように落ちてきた山を見ているとたくさんの知人が無事を確認しにやって来る。そこからの会話ややり取りは過去に経験があるような出来事ばかり。

そうこの夢の中で唯一の未体験は死ぬということなのです。他のすべてが何かしら経験に答えを導けるという。
海馬が情報を処理・再構成する過程で見るのが夢らしいです。意識的・無意識的を含めた経験が夢の駆動力とするなら、そら富士山のような山から落ちても死にません。だって、死んだことがないから。

これは圧倒的な当たり前の出来事なんだけど、日々答えを探し求めるようなクリエイティブと称されるの仕事に振り分けられる自分の仕事を思うと、とてつもなく大きな溝を感じてしまった。なぜなら日々経験(実験)とそれらから導きされる回答を求めてる中で、絶対的な経験は体験しない限り得られないものがあり、それを得た時点で全てが終わる経験の存在を知ってしまったからです。

あの地面に打ち付けられた時に「あれなぜか生きてる」とこの2019年12月に生還できたのは実は奇跡だったのかもなどと。
寝てるときを無防備だとするなら、そこで見ている夢の人生に取り込まれることはどういうことなのか。などなど。朝起きて面白いと思った反面ぞっとしたのでした。

脳みそよ夢でも現実でも善きにはからってくれ!!!ビールをやるから。。。それがアカンのか!?寝て考えようー。Viva matrix reloaded!!

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