水曜日, 1月 20, 2016

2nd book on 2016(232)

数学する身体 単行本 
森田 真生 (著)
新潮社 (2015/10/19)

最初の数章を読むと今僕たちがいかに当たり前に使っている事の後ろにどれだけの試行錯誤とと困難があったかが入ってくるでしょう。

ゼロから1を作るという作業の深さですね。
一が0から生まれたらそこからは走り切れるか。
でも0と1の文字のおかげで、世界中の人が「ゼロ、一」が「0、1」と通じる事実。
英語は公用語と言いながら、数は公用を超えてコモン(常識)となっている。

すごいね。

数学者たちが説いた問いの本質。ありがたく刻ませていただきました。忘れてはいけない。
その言葉は何とも美しいんですね。(以下引用)

「いかに」答えを導き出すかと言う技術以上に、「なぜ」その答えが正しいかという理論に拘った。
「図形」の織り成す世界を「よく見よう」とする静かな情熱
「わからない」はあくまでもこちらの話で、数式の方は平気でその「存在」を主張してくる。
「計算する機械」がどこまで「数学する機械」でありえるかだ。
「零までが大切」

(以上引用)

だた最後に進むほど富士の樹海のようにハマっていってる感はグイグイくる。
その深みが心地よいのか不快なのか。SMみたいなものかもね。突き抜けた本質って。

魅了す。そこには数学的な生物的な物理的なハーモニーを思うのは合理的なのかな。
だからこそ、そのそれたる箱の中身を観てみたい。
生化学者の僕はツールとして数学を使いこなしたいなと思ったのでした。

sin, cos, tanはスーパーでの買い物には役立たないけど、「そっち方面」に行く際は役立つかも。
なんか教育って教養の背景を整地する作業かもっていま、まさに今おもって書きました。

ビールが潤している僕の土地は不毛なのかトチ狂ってるのか。。。
正解は。。。もう一杯!



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