日曜日, 5月 26, 2019

ありがとうの行方

サービスとは対価を払って受けるもの。でも、人間持つ良心によってなされるサービスもあるだろう。

先日バスに乗っていた時の出来事。僕は乗客で運賃を払うことで目的地まで運んでもらうサービスを受ける。対価を払えば成立する関係ではあるが、運転手さんに「ありがとう」と降車時に言う事は僕にとっては当たり前のことであり、こう言った小さな思いやりが円滑な世の中を作るんじゃないかなと僕は思っている。

車いすの方が家に引きこもるのでなく積極的に外に出ることは素晴らしいことだし、社会もそれを受け入れる事から多様な考えや生き方を身近なものとして感じる事が出来るんじゃないかと思う。車いすの方がバスに乗る環境もかなり整ってきているのは実感するし、先日その光景に巡り合った。ただ、そこで感じた違和感を僕は記したいと思う。まず結論として誰も悪くないし誰も間違っていない。ただ、なんかモヤモヤしたのである。

車いすの方が降車するために運転手さんがバスにスロープをかける。そして、降車する車いすの方に「ご乗車ありがとうございました」と頭を深々と下げる。そして、すーーっと街の風景の一つとなったその方。何事も無かったのように発車するバス。
サービスだから頭を下げる事は真だし、サービスの対価を払っているのだから無言でいることも真である。でも、僕には何かが残った。
一般乗客にすること、一般乗客がすること、車いすの乗客にすること、車いすの乗客がすること。ここに差はあってはいけないと思う。でも、なんだろう僕に残ったこの変な感じは。

過剰も良くない。かといって無もどうなんだろう。「ありがとう」っていったい何なのか。しばしぼーっと考えてしまった。ここに残すことでまたふと考える事があるだろう。
過剰も良くない。かといって無もどうなんだろう。すみません、生ビール1つ。。。

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