木曜日, 2月 07, 2019

2019年2冊目(330)

ゲンロンβ32 Kindle版
東 浩紀  (著), 沼野 恭子 (著), 土居 伸彰 (著)
株式会社ゲンロン (2018/12/28)

かれこれ5, 6年前ぐらい毎月文藝春秋を買っていた。毎月こういった月刊誌をちゃんと読めたらさぞ知識と教養が身に付くのではないかと。果たして、ささっと流し読みや本棚の肥やしとなってしまった。
このゲンロンβ32は代表の東 浩紀さんが巻頭言「等価交換の外部へ 」で自身に起きた困難に関して記している事を知り、その詳細を知りたくて買ったのが主の理由でこの本の感想には件の文藝春秋同様加えないでいるつもりだった。

しかし、「ゲームにおける反復と追体験(前) 土居伸彰+吉田寛+東浩紀」がとても面白く思うことがたくさんあったので残したいということでカウントしてみた。

ゲームと言う存在への批評とゲームをするという事。全く関連してなさそうだが、似たゲームが出たりゲーム内に他のゲームのパロディーが出る事を通じて僕たちはゲーム間の関係性を捉えて文句や感嘆をあげる。
子供でもできるいたって純粋な行為だけどこれが大事な姿勢なのかもと思った。アニメなどの二次創作も同じような出来事だけどデジタル・プログラムという再現性に富にで複製が容易だからこそ、面白い存在なんだと。

映画のような感じ方以外に体験そのものという要素があるゲーム。プレーヤーごとのスキルでクリアまでの時間や手間がちがう異なるプレイ経験にも関わらず同じゲームについて語れてしまうと言うのにはなるほどと思った。それは旅にも言えるかもしれない。どこに行った的な。

そしてこの経験を触覚ととらえタッチパネルや「RT」や「いいね」を押す行為にまで広げることで新しいメディアを考えるというのはとても深い!

このゲームの経験が追体験いう話題に触れた時に「あ、書き残そうと」と決めたのである。何かを介することによって本文の言葉を借りると「他社の生を生きること」になる。

twitterを見ていて「賛否両論の『ボヘミアン・ラプソディ』5回見てわかった「ラスト21分」4つのウソ 映画は嘘をつくから素晴らしいのだ」という記事に出会った。この映画が史実と異なる部分がある事は言われているのは知っていたし、僕自身はそれを突き詰めたからといってどうやねんという考えだった。なら読まなければ良いのに読んでしまった。感じたのは同じことだが、確信したことがあった。
この映画は追体験そのもだという事。
映画を観ることは同時に自分がQueenを知り理解し共感する事なのだと。この「うまく出来た再現性」が追体験へ引きずり込むから感動するんだと。

昔あったゲーム・コナミワイワイワールド。コナミのキャラクターが勢ぞろいですべてのゲームをした気分になった。
立川談志師匠の死後に放映された情熱大陸の中で、高座に上がった師匠がたくさんの古典落語が散りばめられた噺をする。
このオムニバス的な体験も追体験と共に人(特に知ってる人)を引き込む要素ではと。
料理人・菓子職人・研究者などは再現性を通じて追体験をすることを経るから、人に新たな追体験の機会を与えられるような作品や発見を生み出すことが出来る。
そんな追体験の感動もやがて慣れとなりそこにある景色になってしまう。人間とは贅沢な生き物だ。

後半、まだ読んでない。。。この追体験はどうしよう。。。

0 件のコメント: