トヨタ 中国の怪物 豊田章男を社長にした男 (文春e-book) Kindle版
児玉 博 (著)
文藝春秋 (2024/2/7)
TRY48 Kindle版
中森明夫 (著)
新潮社 (2023/2/1)
一連の豊臣シリーズ[2024年 9-11 冊目 (392-4)]を読んでからのこの2冊はフィクションとノンフィクションにつて思いを巡らせる時間となりました。
トヨタの本。豊臣の野望の答え合わせではないですがフィクションに出てくる人物のモデルとなった人のノンフィクションを辿る時間でした。チャイナというノンフィクションを生きたフィクションのモデルの話は僕にとって歴史の勉強でした。文化大革命・天安門事件・毛沢東・鄧小平。いったいチャイナで何があったのかこの年になって時系列できちんと知れました。大河ドラマをしっかりフォローするようになった影響もありますが大人になって学ぶ歴史は深いです。そんな人物だから本のタイトルのように「中国の怪物 豊田章男を社長にした男」になるのです。だからこそ脚色を加えて事実とは異なるような描き方になってでもフィクションで重要な人物として描かれるのだと。
ファクトチェックって言葉がはやった時期もありますがこのフィクションからのノンフィクションは非常に刺激的でした。
そしてTRY48・寺山修司です。僕は寺山さんのことは知っていましたがきっと知ってるうちに入らないぐらい上辺な知識でした。でもそれできっと十分だった。
もし寺山修司が生きていてアイドルグループをプロデュースしたら。この仮説の深さというか恐ろしさ・フィクションの力をまじまじと感じる読書体験になりました。豊臣シリーズが経済小説ならこれは教養小説(サブカル小説はチープすぎる)だと。それは中森明夫さんだからなせる業かと。途中、設定の「もし」がどこまで「もし」なのかが無意識になるほど気を抜いてると嘘を刷り込まれそうになります。でもそれは完全なウソではなく、前提をふまえた「もし」フィクション。あそび。特に何となく知ってる過去から自分が生きた過去をへて今に至るこの地続き感が危険という楽しさ。それだけ寺山修司という人物がフィクションに耐えうるノンフィクションな厚みを持っていたのかなって。
悲劇の極致は喜劇。嘘も方便。嘘から出たまこと。言霊。世にも奇妙な物語。鶴瓶のスジナシ。フィクションとノンフィクションの境界を歩く機会をもらったように思いました。
論文と研究費申請書。きちんと申請書が日の目を見ることが叶ったらこの2つの境界を当事者性の自分の現実として「ぼーーー」っとええホテルでのんびりしながら数日ほど意識と無意識の狭間で考えてみたいです。夢見てるのか?大丈夫、もう一杯のめる。。。