火曜日, 1月 24, 2012

えー、寒い季節になりましてー。
落語の始まり的ニュアンスのつもりですが、自分的に「話」「ネタ」を考察する機会がありました。

きっかけは、DVD紳竜の研究からです。
NSCの生徒に特別講義を行なう島田紳助氏がいう一言。
「(島田)洋七さん観てたら怒ると思うけど、絶対に(B&B)に勝てると思った。なぜならネタが面白いから。」
島田紳助氏はB&Bの洋七師匠が作るネタは今も色あせずにずっと面白い。でも、世の中で売れるためには「しゃべってる本人」が「面白い奴」として認識されないといけないという下りです。

そこで浮かんだのがテレビ番組「すべらない話」。
コンセプトは何回同じ話をしてもよい。そしておそらく過去に「人のすべらない話をしゃべる」とう回もあったと思う。こういった趣旨を考慮すると、面白い話はとにかく面白い。
ネタが全て的に聞こえないことはない。

M-1グランプリを思い浮かべる。過去10回。毎年その年のおもろいネタ8本+決勝3ネタ(第1回は2つ)を観れる。でもその中で何回見ても面白いネタがある。例えば伝説といっても言い笑い飯の歴史民族博物館。それはネタ中のネタといってもいい、ホームラン的なネタなのだろう。
流れ的にこれは、すべらない話あるいはB&Bの漫才になる。
でも本当にそうなのか?あのネタを麒麟が千鳥が中川家がいとしこいし先生がしても大爆笑なのか?

今日ある人のセミナー(仕事・研究関係)を聞いた。彼は同僚の面白い内容(ネタ)を使わせてもらった。
だが、ここまで話す人が変わると意味が分からないかというぐらいスベっていた。
僕のデータをボスが話すとき、僕以上にそのデータのインパクトを上手く話してくれる。
そこには理解度・知識・経験が必ず関与するのだなと切に思う瞬間である。

さぁ、何がいったい面白いのだろう。
どんなものでも面白く出来る人。どんなつまらない人でも笑いを取れる話。
どちらを求め作るのがすばらしいのだろう。或いは、どちらを目指すべきなのか。

自分にしか出来ないこと。自分しか表現できないこと。
表現とは「おもしろい奴」なのか「おもしろいネタ」なのか。
笑うとか感動するってこんなにも単純でないのか。
でも、簡単に求めてしまうのですね。

向き不向きと対峙する人との関係性。
人を笑わすとは、人に「ほー」と思わせるのはこうもややこしいのかと。
表現。
人は僕の何に反応しているのだろうか。自分と話してみたいと思った今日この頃。

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