2週間ほど前の話。
友人にロックバンドのライブに誘われ、開始時間まで飲み屋で飲みながら待っている時のこと。
「日本に忍者はまだいるのか??」
とういう話から
「忍者と侍はいったい何が違うんだ??」
と言う話になった。
正直かなり苦戦しまぢた。
1、いい単語が出てこない。
2、具体的そして単純明快な説明が上手く出来ない。
3、自分の知識が本当に正しいのか不安
日本語でもなかなか上手く説明できるのか正直不安になりました。
僕らは小さいころから、テレビや本などから「なんとなくのイメージ」を両者に持っているため、多少の言葉不足でも通じるのが現状だと思います。なにより感覚的に違いを把握しているとのだと思います。
人とのコミュニケーションにおいてこの「共有的感覚」がいかに大事な要素を持っているのかをすごく感じた一幕でした。
話は変わって、先日中学校の学習指導要領案に目を通しました。
その中で驚いたことは、国数英理社の5教科のうちで3年間で最も授業数が多いのは
「英語」
3年間通じて420単位、次に国数理の385単位、最後に社会で350単位。
ちなみに平成14年(6年前)の改正では一番多かったのは、国語で350単位。
これは僕の勝手な意見です。「義務」教育を謳っているのであれば、やはり「立派な日本人」を作るべきで、それなら英語よりも母国語である国語をしっかり学ぶべきだと思います。いくら世の中が国際化してきたと言っても日本国内で使うのは「日本語」なわけで。
言葉の乱れは心の乱れ
我が祖先の方々はうまくいっておられると切に感じる次第です。
二つのことから僕が感じたのは「国際人」とはいったい何かということです。
英語が話せるのが国際人なのか、英語を使って外国人に「日本」を説明できるのが国際人なのか。
僕は後者であると思います。
であるなら、まず日本語でモノもろくに説明できない人が英語で説明できるのか…。
やっぱり人間日々学習ですね!!
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