土曜日, 12月 24, 2016

規模と反響と伝播のケミストリー

さっきのエントリー「30th book on 2016(260)」に付随するのです噺です。

わりとよく目にする「ネット騒然」

よくよく考えたら、本当は大したこと無い騒然を大した騒然のように見せる「ネット騒然」で本当に騒然としている現実

視聴率は「世帯数/%」が割り出せるし、全米が震撼でも全米の規模が分る。
テレビから発せられるものはどんなにしょうもないモノでもだだ漏れであるが故、視聴者はちらみでもテレビに目を向けた瞬間に起きるかもしれない。
それと違ってネットってアクセスして1になる。つまりだだ漏れでもそこにたどり着く作業がテレビよりもハードルが高い感じ。

作為的なアクションを起こした層による騒然はどれほどの大きさなのか?
騒然と言う言葉から連想する規模と果たしてイーコールなのか?

なんかちょっとした言葉の組み合わせで「えらいことになっている感の錯覚」にはまってる僕たち私たちでは?

規模と反響と伝播のケミストリー。

なーんて思ったのでした。もしこのエントリーが炎上したりしたらそれは確実に「騒然」ですね。米騒動よりも衝撃をもって迎えられるでしょう。。。

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