木曜日, 2月 25, 2016

5th book on 2016(235)

高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか? (光文社新書)
大理 奈穂子 (著), 栗田 隆子 (著), 大野 左紀子 (著), 水月 昭道 (監修)
光文社 (2014/2/18)

読後感を書く筆がこんなに重いと感じたのは初めてです。
ここで描写されている現実。著者たちの体験談。これらは紛れも無い事実であり否定するつもりはありません。

僕としては「高学歴」「貧困」「女子」というキーワードから構成されるフォーマットを転換させることで問題への新しい光が差すと思うのです。

僕は海外での生活が結構な長いのでこちらでの高学歴女子たちを目にする機会が圧倒的に多いです。
今の現場は男女比半々。あるラボは6人に対して女性が4人。いつも全体的に女性が多い気がします。
この本で議論となる博士号取得者を高学歴と定義しても、この本での描かれているような虐げれ方は僕の感じる範囲では感じません。

学会などにでても女性は比較的多いと思います。僕の知っている生命科学の分野は。彼女たちが貧困かどうかの判断は難しいですが、この本での議論となる「高学歴女子の貧困」がしっくり来ない理由はそのへんにあります。

あとアメリカはヨーロッパでは学問を習得すること、そしてその行為に対して敬意や尊敬があるように感じます。大人になって学校に大学院に進む人もたくさん見ました。
博士号取得者への考え方は日本のそれとは正直全く違う気がします。ただ、彼ら彼女たちが貧困かどうかの判断は難しいです。

それは外国だからという結論を出す以上、この手の問題は一切解決しないでしょう。
なぜ日本にそういった土壌が無いのか。どっちの感覚がずれているのか。その辺を精査してどうすれば変われるのか。あるいは変われない現状を受け入れて日本独自の空気感を醸成するのか。
僕も真剣に向き合わないといけないと思います。なぜなら「僕のような性格の人間が日本で幸せになれるのか?」という個人的な新書(問い)を日本に戻る場合煮詰めないといけないからです。

子育てに対する環境も日本と欧米での違いが確実にこの本で書かれてる実情に与するでしょう。
日本という国への問題提起として僕はこの本の現状を受け入れたいです。
巷のポスドク問題や高学歴女子への議論に収めて読んでいくとなぜか腹が立ってくるので。。。
俗に言う駄目な結論なのかもしれませんが「自己責任論」や「現状を受け入れること」と言ったことを僕はある程度自己の信念として持っているからです。

安倍政権の掲げる国民総活躍社会(あまりこのフレージングは好きでないですが)を実現するなら、フレームワークやフォーマットとといった僕たち自身の価値観や信念との戦いが必要だと僕は思います。

3章の明治からの女性が教育を受ける環境の整備というか変化の歴史が僕にはとても興味深く読みました。当時の先人たちに負けないように変化を現代にもたらすエネルギーが生まれること願います。
男性の僕ですが髪の毛が長いせいで稀に女性に間違えられるのである意味の当事者として。。。

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