尾上 圭介 (著)
岩波書店 (2010/6/17)
僕はアメリカに来て常々思っていたことがあった。こっちの人とのコミュニケーションに関して自分が大阪人でよかったと。
笑わせたり言葉のキャッチボールの仕方(大阪人全員がこうであるとはおもわないが主として)、言うなら自分の中に染み付いた大阪人的感性によって何人もの海外の人たちと腹を抱えて笑い真面目に語らいあい代えがたい人間関係を構築できたに違いないと。
それは大阪という街で暮らしたことによって身に付いたと思っていました。この本を読むまでは。
風土と言葉の相関というか大阪弁にこそ大阪人の気質が反映されている。その言葉がある意味で思考の方程式であり、その考え方に基づいて表現や発想も組み立てれらる。
それを基礎にして自分を顧みると僕は日本語英語ではなく大阪弁英語の使い手で、英語の中に大阪的要素が介在しているから上手く人との距離感を大阪に居る時のように保てているのかと。腑に落ちた瞬間でした。
日本の中の海外。それは大阪。あの街の持つ何とも言えない猥雑さが、海外という地で異文化のコミュニケーションツールとして有用性があるのでは。
ありがとう大阪!!僕は心から大阪人でよかった!!
でも年々下手になっていく大阪弁スキル。「えせアメリカ人」であり「えせ大阪人」。
わしゃどこえ向かうのか。。。助けてAI!!いや助けてAhoAhoMan!!
0 件のコメント:
コメントを投稿