水曜日, 8月 05, 2009

突飛

な記事になります。
一度友人に話したんですが、完全な共感を得られなかったのですが僕の中では生きているので何となく記しておこうと思いました。
穴はたくさんあると思いますが…


人間は退化しているのではないか。
その退化を補うために文明や科学と言った物を発展させているのではないか。

遺跡などで当時よくこれだけの物を作ったなと言うものが僕にはたくさんあるように思えます。

ペルーのマチュピチュ。
スペインのサクラダファミリア。
エジプトのピラミッド。
奈良・東大寺の大仏。

なぜこれらのものが重機のない昔に作れたのか?
そんな技術があったのか?

答えは昔の人はすごかった。
なぜすごかったのだろうか?なぜすごくなりえたのだろうか?
当時の偉人は美術・哲学・科学全てを手に収めて1人の力で何もかもやってのけた。

現在は学問が細かくなりすぎたからだよ。
細かくなっていなかった時代に、細かくなってその技術の凄さが分かる建造物をなぜ作れたのか?

こんなことを考えてとんでもないことを考えた。

「人間退化論」

自然界における人間の力の凄さを知りすぎた先祖はこのままではいずれ身だけでなく自然を含めた全体滅ぼすと考えた。
そこで、自動的に退化するプログラムが組み込まれた。
自身が自分の手で行う能力は落ちていくが、できなくなるものを補助する物を開発する能力は残されているので、色々と発明する。
しかし、それは自身をさらに退化させる。
このスパイラルの中で、究極に退化する。
あるきっかけで本来の脳が持つ力が100%発揮され人間はよみがえる。
その時人間は自然の中のほんの一部に戻っている。

最後はSF小説のような話やけど。僕はこんなことが人間の無意識の中で働いているかもしれないとか考えてしまう。

ながれる時の中で自分の存在とは。
その「存在」が「行動」が「考え」が、広がる時に対して何かのトリガー(引き金)や影響を与える存在になりえるのだろうか。
その時をどれだけ自分の中に収めることが出来るのだろうか。

仏教の言葉で「空」の思想とい考え方があるそうです。


僕は今どの点にいるのだろうか。

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